数日後――。
私は北陸地方の日本海沿いにある龍返島(たつかえりじま)にある龍返神社(たつかえりじんじゃ)の鳥居の前に立っていた。
母の故郷であるこの島は、今では砂の自然堆積と近年の景気対策による公共工事による橋の開通によって本土と繋がってしまっているものの、昔はちゃんとした海中の島だったそうで、今でも鄙びた漁村と温泉街があるだけという静かな島である。
母の実家である片山家は昔からこの島を治めていた地頭の子孫で、その系譜は平安時代まで溯れるという由緒ある家柄だそうで、今でも島の守り神であるこの龍返神社の宮司を務めている。
現在の宮司である片山の伯父さんこと片山道氏さんは、母の従兄弟にあたる人でこの片山家の宗家の当主に当たる人である。
私は社務所になっている伯父さんの家の玄関の扉を開けた。
「伯父さん、こんにちは」
「ああ、久しぶりだな。すっかり、大人になって……母さん、均。昭乃ちゃんが来たぞ」
宮司の姿をした伯父さんは嬉しそうな表情をして、私を出迎えてくれた。
続いて伯父さんの奥さんである花音(かのん)さんとまだ3歳の息子の均(ひとし)クンが玄関に姿を見せた。
「いらっしゃい、待っていたわ」
花音さんが私に声をかけてくれた。伯母さんと言っても、伯父さんとは親子ほどの差がある夫婦である。
実は伯父さんは神社を継ぐ前に一時期高校で国語の先生をしていた時期があり、花音さんは新人教師として勤務先の高校に赴任してきたのを口説いて結婚したのだという。
「おねーたん、いらっしゃい」
続いて、均クンも声をかけてくれた。私は均クンを軽く抱きしめると、彼の頭を撫でてみる。
「昭乃ちゃん、遠路遥々済まないけど、儀式の開始は次の満月の夜だからあと4日しかない。とりあえず、今日は今回の大祭についての話をきちんと聞いておいて欲しい。花音、昭乃ちゃんの荷物を奥の座敷に運んでおいてくれ」
「わかりました」
私は花音さんに荷物を渡すと、伯父さんに手招きされるようにして、社務所の中にある応接間に入っていった。
「昭乃ちゃん、いきなりで悪いんだけど。今度の大祭について説明させてもらうね」
伯父さんは席に着くなり、話を切り出した。
「うちの神社は普段の行事はこの社務所の隣にある本殿で祭事を行っていて、今回の大祭も最初の行事はここで執り行う。でも、今回の大祭の主たる行事は実はここからずっと奥に入った奥殿という普段は決して立ち入りが許されない場所で行われる」
「奥殿ですか……?」
「我が片山家は平安時代後期にこの島に来た武士の家柄だが、実はこの神社自体はそれよりも遥か以前から続いていて、片山家の初代もそれ以前にこの島と神社を治めていた国造(くにのみやつこ)家の婿となって、その役目を継いだものであるとされている」
「それなら、千数百年以上の歴史があるということになるじゃないですか!?」
私は驚きの表情で伯父さんの顔を見た。伯父さんはコクリと頷く。
「この神社には片山家以前からの言い伝えがあってな……実は奥殿にはこの神社の祭神であり、龍返島の守護神である龍の神様……即ち龍神様が宿っていらっしゃると言うのだ」
「龍神様!?」
私はその言葉を聞いて半信半疑になった。
「その龍神様は200年に一度、奥殿においてその身を清められる。その際に龍神様をお祀りしている我が社が大祭を開いて、その際に選ばれたうら若き乙女が1名、奥殿に入って龍神様のお清めのお手伝いをする事になっている。これを我々は「姫巫女(ひめみこ)」と呼んでおる。昭乃ちゃんにはその姫巫女の役目をお願いしたいのだ。本来なら宮司である我が家から出すのが筋なのだろうが、私には小さな息子しかいないし、最近の過疎化の影響で島にも姫巫女に相応しい年頃の女性がいないのだ。そこで君のお母さんに君に姫巫女を引き受けてくれないか尋ねて欲しいと依頼したんだ」
「姫巫女ですか……」
私は伯父さんの説明に困惑する。龍なんて、空想上の生き物であって現実にいるとは到底思えない。だが、伯父さんの表情はまさに真剣そのものに見える。
「私も神社の古い記録を見るまでは半信半疑だった。だが、前回の姫巫女――当時の宮司の一人娘で君の8代前の先祖にあたる女性に関する記録を見ると、全くの絵空事とも思えなくなってきた……」
そう言うと、伯父さんは信じられないようなことを語り始めた。
『前回の姫巫女は満月の晩に龍の使いによって導かれて本殿から奥殿に入り、それから次の満月までの1ヶ月近く封印された奥殿の中で過ごす。奥殿には一切の飲食物は持ち込む事は許されず、水も飲まず食べ物を摂ることも無く過ごし、次の満月の晩に再び龍の使いとともに本殿に戻って再度皆の前に姿を現したときには全く神事の前と変わりのない姿を見せた』
と、いうのだ。
私はそれを聞いてたじろいだ。1ヶ月間籠りっぱなしだというのはともかく、水も食べ物も摂らずにピンピンしているだなんて、常識的にはあり得ない。ましてや、龍なんて本当にいるかどうかも分からない相手の世話係なんて本当に出来るのだろうか?
ここまで話を聞いて、不安に駆られた私は遂に伯父さんに言った。
「それって、本当なんですか!? 1ヶ月も食べたり飲んだり出来ないと言うのは、それって断食と同じじゃないですか? 私、そんな自信ありませんよ……」
「だが、前回の姫巫女が無事に帰ってきているのは確かな事実だし、調べた限りでは歴代の姫巫女は皆無事に帰ってきている。それに今更代わりももう見つからないだろうし……」
伯父さんは私を宥め賺すようにしながら説得を始めた。
それが暫く続いた後に伯父さんは、手を叩いて言った。
「そうだ、昭乃ちゃんは英語学部だったよな? うちの花音も結婚前に英語の先生をしていた事がある。夏休みのレポートとかを代わりに代筆させてもいいんだよ」
「レポート……ですか?」
私はその言葉に少し心動かされる。うちの大学は進級や卒業にやたら厳しくてレポート1つの未提出で留年する学生もいる程である。一応、私も今回の神事の間に出来る時間があるかも知れないと考えて、レポートや感想文のための英語の原書などを一式、龍返島に持ってきていたのである。
「…………」
私はその言葉に思案する事となった。
結局、私は1ヶ月間もの間に何が起こるか分からない姫巫女役を引き受ける事にした。伯父さんの甘い言葉釣られたというのもあるけれど、伯父さんの言うとおり今から代わりを見つけるのも大変だろう(というより、そういう大変な役を引き受けてくれる年頃の女の子がそう簡単に見つかるとは思えなかった)と思ったし、話を聞いているうちに、
(本当に龍がいるんだったら、一度は見てみたい……)
という、好奇心が頭を擡げてきてその200年に一度の大役を体験してみるのも良いかもと思い直したのである。
とは言え、それから数日間、私は慌しい日々を過ごす事になった。取り敢えずの臨時要員であるとは言え、私も大祭中は龍返神社の巫女さんなのだ。東京では初詣かコスプレ会場でしか見ることの無い白の小袖に緋色の女袴の巫女装束を着て、長い黒髪を後ろで一つに束ねた本物の巫女さんと変わりのない姿で最低限の礼儀やしきたりはこの短期間のうちにマスターしなければならない。
伯父さんや花音さんは「昭乃ちゃんは物覚えが良くて助かる」と言ってくれたものの、正直言って疲れました……。
そうこう言っているうちに、神社の外では夜店の準備が始まったり、少ないながらも観光客が少しずつ島や対岸の旅館やホテルに集まりつつあるという話が伝わってきた。東京の両親は共働きなために大祭の初日には来れないけれど、最終日には迎えに行くとの連絡があった。
そして、運命の満月の日――龍返神社200年に一度の大祭の初日が訪れたのである。
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