ケモノの花道・第1話 宮尾作
僕にだって、夢はあった。全てを捨ててでも、追いかけたい夢があった。だけど結局僕は、全てを捨てることが出来ずに、夢を捨てた。そしてもう二度と、その夢を振り返らない。そう誓った。ほんの1年前、高校入学の時だった。

それから1年が経って、僕は高校2年生になった。通いなれた通学路を自転車で通い、いつもの教室に入り、先の見えない、不毛な教育を叩き込まれ、形だけの友達付き合いで形だけの笑顔を浮かべる。それだけなら普通の高校生と変わりない。ここまでなら僕は何の味気も無い、つまらないただの高校生だ。

その上僕は余計につまらない人間だ。学校が終われば、部活にも入らずに真っ先に自転車に乗り、繁華街へと向かう。そしてこれも通いなれた裏道を入り、いつものファーストフード店に裏口から入る。5時半から9時半まで4時間だけの短いバイト。ゼロ円のスマイルを、無駄に振りまいて、忙しく、無心で、動き回る。

それが終われば、今度はその近くの、10時閉店のスーパーにいき10時から1時まで清掃のバイト。疲れで余裕はすっかり消えて、笑顔ももらさず無表情でただモップをかける。

そうして2時に家に着けば、倒れるように別途に横になる。だけど5時には起きて、すぐに朝刊配りに出なければならない。僕には働くことにしか、生きてる意義を見出せなかった。

きっかけは、両親の離婚だった。原因は両親共に語ってくれなかったから分からないけど、僕が小さい頃から仲が悪かったのは確かだ。それが、僕の義務教育終了で、一つの区切りとけじめがついてしまったんだろう。父親はわずかばかりのお金を置いただけで、逃げるように僕達の前から姿を消した。

母さんも母さんだった。離婚が辛かったのは僕だって理解できるけど、その後ろくに仕事もせずにただ閉じこもってばかり。悲劇のヒロインを演じる年でもあるまいに、だけど確実に痩せてやつれていく血の繋がった母親を僕は放っておく事も出来なかった。

結局僕は、働く道を選んだ。自身の将来のことも考えて、学校も辞めず、睡眠時間と若い日々を捨てて、僕はただお金を稼ぐために生きてるような、そんな錯覚さえあった。だけどお陰で僕達親子2人は何とか暮らしていく事ができた。・・・なのに、僕の運命は一瞬で狂ってしまった。

「・・・だって・・・本当に・・・友春だと思ったから・・・!」

母さんは泣いて僕に頭を下げている。何でも、このご時世に見事にオレオレ詐欺に引っ掛かってしまったらしい。僕がバイト先で無免許なのに車を運転して事故を起こし、示談のために300万を振り込めと、指示を受けたようだ。

母さんは疑いもせずに、闇金から300万を借り、すぐに振り込んでしまった。僕が辛うじて築き上げてきた生活は、一瞬にして脆くも崩れ去ってしまった。

じゃあ、母さんがその後何かしたかといえば、闇金の人達に頭を下げるばかり。金を稼ごうとする姿勢が見て取れなかった。やっぱり、自分のおろかさがショックだったらしいけど、落ち込む暇があったら、働いて欲しかった。僕の稼ぎだけで、300万なんて到底返せない。・・・だけど、僕もそれを母さんに言う事が出来なかった。僕も、弱い人間だった。

「・・・どうしよう・・・一気に300万稼ぐ仕事なんて・・・僕に出来る仕事なんて無いよぉ・・・」

僕は自分の部屋で、独り言を呟きながら頭を垂れた。死ぬ物狂いでバイトしてきたけど、その稼ぎは微々たるもの。とても300万を返す余裕なんて無い。まして相手は闇金。正攻法で返したってキリがない。・・・だったら、僕ももう普通の仕事で金を稼ぐわけにはいかなくなった。一気にお金を稼げる仕事。僕はなりふり構わず、あらゆる職種を探した。

そして僕は一つの職業にたどり着く。それは夜の仕事。一昔前の夜の蝶、に近いだろう。だけど、今流行りは普通の人間がもてなすクラブじゃなかった。勿論、ホストやホステスも需要があるから廃業にはならないけど、数は減った。代わりに夜の街を跋扈するのは、人ならざるものの姿。人の身体だが、その顔は獣のものであり、全身にケモノの毛で覆われた、所謂獣人だった。

十数年前、ある研究所が人の外見に獣の外見や能力を掛け合わせる、獣人への整形手術を行い成功させたのがきっかけで、かねてからその注目度が高かった。だけど、道徳的な観点から世間一般には広がらず、またスポーツや職場では、不公平が生じると言う見解から中々受け入れられず、結局差別の対象になりかけた。そんな獣人が行き着いた先は、夜の街だった。当初の手術では不可逆だったものが、数年前に薬物投与ながら人と獣人の姿が可逆担った事も、普及に拍車をかけた。

昔から、人とケモノを区別する考え方に疑問を持ってる人は多かった。だけど、道徳心も育っているし、生物学的にも発情しづらいから、中々動物を相手にする人は少なかった。だけど、人と動物の外見を併せ持った存在なら、そんなフラストレーションも全て受け流して吸収してしまう。その筋の人々からすれば最高の存在だったわけだ。

結局、獣人は夜の街に馴染んだ。初めは街の視線は厳しかったみたいだけど、徐々に理解を示して、最近じゃ特に珍しくも無い光景になった。そういう仕事なだけに、お金は兎に角弾む。ただし稼げればの話で、人気が無ければ全くお金がもらえない恐れも有るのは昔のお水と一緒だ。

結局僕が出来ることと言えば、それぐらいだった。手に職も無い、学も無い。有るのは職歴と借金だけ。じゃあ、もう僕が取るべき行動は決まっていた。お金のために、人であることを捨てる。その決意は固かった。

だけど、それでも普通の獣人ホストじゃ、競争率も高い上に稼ぎも良くない。ただの獣人ホストじゃ、僕の借金は返せない。・・・だから僕はもう一つ、プライドをかなぐり捨てる事にした。

「・・・神尾友春・・・19歳・・・ね・・・」

僕は今、ある店に面接に来ていた。まだ夕方、開店前でライトもしっかりついて明るい店内で、僕の前の前にいる女性は僕の履歴書を見ながら、口からタバコの息を吐いた。そしてゆっくりと履歴書を手元に置いたが、履歴書で隠れていた顔は人間の女性のものではなかった。

「今現時点で、色々仕事してるみたいだけど、それはどうするつもりなの?」

女性は指に挟んでいたタバコを口元へ運んだ。・・・長いマズルの大きな口を開いてタバコをくわえ、黒い鼻先から煙を吐き出す・・・。タバコを持つ手は灰色の毛で覆われている。・・・手だけじゃない、全身がその灰色の毛で覆われている。その顔は犬のもの・・・そう、彼女は犬の、犬種で言えばシベリアンハスキーの獣人だった。彼女こそ、この店のママだ。

「・・・ここで採用が決まれば、すぐにでもやめるつもりです。先方にもその旨は伝えて有ります」
「そう・・・」

ややタバコでしゃがれたその声は、不思議とハスキーの姿とマッチして異様な妖艶さを演出していた。透き通ったブルーの瞳に見つめられると、まるで全てを見通されてるかのような気分になる。

「じゃあ聞くけど・・・何故19歳なのかしら?」
「・・・え?」
「20歳じゃサバを読みすぎだから・・・せめて10代にしたってところかしらね?」
「いや・・・僕は・・・!」
「こっちはこういう仕事ずっとやってんの。相手の年ぐらい、見ればわかるもんなの」

・・・想像通り、お見通しだった。僕は俯いたまま、目の前のママに眼を合わせることができなかった。ママはその手に持ったタバコの火を灰皿に押し付けて消すと、改めて僕の履歴書を拾い上げてじっとそれを見つめていた。

「・・・で、実際は幾つなの?」
「・・・再来月で17になります・・・」
「2つね・・・サバ読んだのは。・・・知ってるかしら?こういう仕事、未成年者が就いちゃいけない法律が有るの」
「・・・知ってます」
「もし雇ったら、罪になるのは店側なのも知ってる?」
「はい・・・ニュースで見たことあります」
「・・・まぁ、知っててここに仕事を求めに来た度胸は認めるわ」

ママはそういうと、箱から新しいタバコを取り出し、それを咥えライターで火をつけた。 「・・・でも、もう少し自分の体型や顔つきをおさらいして、サバを読むのね」

ママは少し笑みを浮かべながらそう語った。・・・言われなくても分かっている。僕自身、むしろ16歳よりも若く見られることが多いことぐらい。身長も低く、顔もどっちかと言えば童顔で、年を上にサバ読むのが無理な事は分かっていた。無理を承知で、ここに来ていた。

「一つ言っておくけど・・・この業界は貴方が思ってるような華やかな世界じゃない。自分の持って生まれたもの全てにけじめをつけて、生まれ変わるつもりじゃないとやっていく事なんか出来ない」
「分かってます・・・そのつもりでここに来ています」
「・・・まだ若いから、当然手術じゃなくて、薬を使うつもりなんでしょうけど・・・副作用はしってるの?」
「知ってます。だけど・・・」
「とりあえず、もういいわ」

ママは僕が喋ろうとしたのを遮って、火をつけたばかりのタバコを灰皿の上に置いた。

「じゃあ、今日から3日ね」
「・・・え?」
「身体を慣らして、仕事を覚えて、使い物になるか見極めるのに3日上げるわ。勿論、その間のお給料は払うわ」
「ほ、本当ですか!?」

僕は思わず立ち上がって、大きな声を張り上げてしまった。

「だけど、使い物になりそうも無かったら、すぐやめてもらうわ。こっちだって、法律犯すリスク背負うんだから、慎重なの。理解できるわね?」
「はい!有難う御座います!」

僕はママに向かって深々と頭を下げた。何とかこれで借金返済への糸口は掴んだ。後は、仕事をして、お金を稼ぐ。単純だけど、ここからが一番難しい勝負なんだ。僕は自分に言い聞かせた。ましてや、普通の仕事ではない。生半可な覚悟じゃあやりぬく事なんて出来はしないだろう。

「ところで、今日この後、予定ある?」
「・・・いえ、特に」
「だったら、今日一度薬を使ってみたらどうかしら。どれだけ辛くて・・・だけど、快感かわかるはずよ」
「え・・・いきなりですか・・・!?」

ママの突然の申し出に、流石に僕も少し躊躇してしまった。覚悟はしているつもりでも、いざ目の前にするとやっぱり少し抵抗がある。

「・・・これから毎日のようにする事よ。サラリーマンがネクタイを締めるのと同じようにね」
「ですよね・・・分かりました。・・・いえ、有難う御座います」

僕は又一度頭を下げた。そうだ、いきなり仕事に馴染むチャンスを与えてくれたのだから、これを逃す手は無かった。もう腹をくくるしかない。借金をすぐに返す。そのためには、僕はもう全てを捨てるつもりだった。

最初は夢を捨てた。次に青春を捨てた。そして今度僕は、プライドを捨てる。

「・・・とりあえず、なりたい動物とかある?ウチ、犬中心だから余り数は揃えてないんだけど・・・」

ママは店の奥の棚に並んだビンを見ながら、僕に話しかけてきた。

「いえ・・・特に・・・」
「じゃあ、私のインスピレーションで選んでいい?」
「はい、お任せします」
「じゃあ、文句なしよ?」

ママはそう言ってしばらく悩んだ挙句、一本のビンを取り出した。そしてそれをコップに少しだけ注ぎ、それを水で薄めて、コップを僕の目の前に差し出した。それとあわせて1錠のカプセルも一緒に手渡される。

「・・・注射器とかじゃ・・・無いんですか・・・?」
「ポンプはやっぱり、衛生面で良くないからあまり使われないの。即効性は無いけど、今は飲用するのが普通よ」
「そうなんですか・・・で、一体何を選んだんです?」
「折角だから、なってみるまでのオタノシミってことで」

ママはそう言ってそのハスキーの顔で意地悪そうな笑顔を浮かべた。僕は少し渋った表情をわざと作ったが、やがて改めて薬と向かい合った。水で薄めた液体と、1錠のカプセル。たったこれだけで、僕の運命はこれから大きく変わってしまう。そう思うと少し躊躇してしまう。本当にこの選択肢でよかったのか。本当に捨てていいプライドなのか。・・・だけど、もう引き返せないところまで来ているのも事実。どんなプライドを持っていてもお金にはならない。お金を得るには、何かを売らなければならない。

僕は、心と、身体を売った。

意を決して僕はその液体と薬を一気に口に含み、飲み込んだ。味は・・・無い。匂いも無い。正直、極普通の風邪薬を飲んだのと同じような感じだ。

「効果が出るまでしばらく時間がかかるわ。椅子に腰掛けて待っていて」

添うままに言われるままに僕は近くのソファーに座り込んだ。そしてそこからの時間が長く感じられた。何時変化が訪れるのか、本当に変化が訪れるのか、どう変化してしまうのか。期待と不安とが複雑に入り混じって、僕の心の形が変わってしまいそうだった。

・・・だけど、変わり始めたのは僕の心の形じゃなくて、身体の形だった。

「ぅっ・・・!?」

急に身体が暑くなったかと思うと、全身に痺れを感じた。僕の身体の様子の変化に気付いたママは、僕の傍にそっと寄り添って、その声で優しく語り掛けてくれた。

「落ち着いて・・・初めてだと、身体への負担が大きいから、手を地面につけて四つん這いになった方が楽よ。・・・あぁその前に、服も脱いでおいた方がいいわね」

僕はママに言われるがままに、服を脱ぎ始めた。途中から完全に身体の自由が利かなくなってしまい、下着はママに手伝ってもらった。完全な全裸となるのは、恥ずかしいはずだけど、今の僕は痺れと、変化への感情が先走ってそれどころじゃなかった。そして、全裸になったのとほぼ同時ぐらいに僕の身体の変化は始まった。

「ァゥゥ!?」

全身がむず痒くなったかと思うと、まるで絵の具で塗りつぶすかのように僕の身体に力強い獣の毛が多い始めた。背や腕は茶色く、腹や足元は白い毛だ。突き出したお尻からは、にょきっとそれまで無かったフサフサの尻尾が生えてきた。手の指先には尖った爪が生え、手の平には肉球が生じる。一番変化が大きいのはやはり顔で、鼻先は周りの肉を引っ張りながら前へと突き出し、マズルとなる。その横からヒゲがピンと飛び出している。耳も毛で覆われて、頭頂部に移動すると、ピンと三角形に尖った。

・・・だけど、これだけなら、ただの獣人への変化だ。僕の変化が他の獣人と決定的に違うのは・・・その身体つきだった。元々小さくて、同年代として柔らかいラインだった僕の身体は一層丸みを帯びて、胸元はフサフサの毛で覆われながらも大きく膨らみ、尻尾が揺れるお尻も、より綺麗な丸みを帯びる。・・・そう、僕は・・・僕でなくなっていた。

「アゥ・・・」
「変化終わったみたいね・・・立ち上がれるかしら?」
「・・・ァイ・・・!」

まだ、変化してしまった口と喉に慣れないせいか上手く喋る事が出来ない。僕は、ママの助けを借りながら、ゆっくりとその場に立ち上がった。ママは僕が一人で立てるようになるまで支えてくれ、完全に立てるようになると、僕の目の前に移動式の姿見を持ってきてくれた。・・・僕はそれを見て思わず胸元と股に左右の手を持っていってしまった。

「ほら、だめよ!手で隠しちゃ!・・・隠さず、恥ずかしがらずに自分の身体を見て。・・・そして認めるの」

僕はママにそう言われ、一つ大きくため息を吐きながら両腕を身体の横へと下ろした。・・・そしてあらわになる、柔らかく、豊かなプロポーション。僕の胸の前で大きく膨らんだ・・・白い柔らかな毛で覆われた乳房。すらっとした、それでいて優しさを感じさせるしなやかな手足。柔らかなお尻と、その後で左右に揺れる丸まった尻尾・・・あるはずのものがなくなっている股間・・・そしてその顔は愛らしい表情の・・・柴犬そのものだった。

そう・・・僕は、柴犬の・・・しかもメスの獣人になってしまったのだ!

「・・・どう?人間から・・・男から解放された気分は?」

ママは、鏡に映った姿を見てマズルを大きく開いたままの僕を、ある意味優しそうな、ある意味では少し冷たいようにも見える視線で、笑顔を浮かべながら問いかけてきた。・・・だけど、僕にはまだ、返事をするだけの心の準備が出来ていなかった。

「・・・まぁ、薬で戻れると分かっていても、初めて薬を使ったときは、誰だってそういうものよ。・・・少し時間を上げるから、しばらくは自分の姿を良く見て、それが自分であることを認めることね」

ママはそう言って部屋の奥に入っていった。店内にはただ自分の姿に呆然とする、メスの柴犬の獣人が取り残され、鏡を見つめたまま動かないだけだった。

・・・だけど、何時までもこうしてもいられない。僕が自分で決めた事。お金を稼ぐために、人の姿を捨てることも、男であることを捨てることも。僕は自分の顔を両手で平手を打ち気合を入れた。・・・もう・・・僕は僕じゃない。この瞬間から・・・僕は・・・私なんだ・・・!

そう自分に言い聞かせ・・・私は、ママの入っていった部屋の奥へと、自分も入っていった。まるで、これからの仕事の第一歩を踏み出すかのように。


 第2話へ続く
ケモノの花道・第2話
小説一覧へ