人には誰だって1つぐらい長所というか、神に与えられた才能というものがある。僕にだって勿論それはある。別に僕は勉強が出来るわけでもないし、スポーツが得意なわけじゃない。絵を書くのが上手いわけじゃないし、歌なんて他人に聞かせる事が出来るものではなかった。でも僕にだって才能はある。いや、才能というよりも能力といった方が適切かもしれない。
僕には人の本性、つまりその人間の根底に眠るレベルまでの性格や思考を感じ取る力がある。
言ってみれば相手を感じ取る嗅覚、そう書けばやや大袈裟だが、ようは”人を見る眼がある”という、ただそれだけの事だ。しかしただそれだけの能力が、恐らく普通の人間のそれより何倍も僕の場合は鋭敏なんだ。例えば自分に笑顔で接してくる人間がいたとして、その笑顔がどの程度の笑顔なのか、つまり感情から笑っているのか、それとも上辺だけの笑顔なのか、僕にはそれを見て一瞬でどちらなのか、或いはその両方がどの程度の割合で混じっているものなのか判断できる。
そしてそこから見え隠れする腹のうちを垣間見える事が出来るから、まぁ人の心は複雑だから完全に分かる、とは言わないがそれでも相手が考えていることを僕が読み違えた事は無かった。だから僕は他の才能が無くたって危ない橋を渡ることなく今日まで来る事が出来た。
この才能に特化した僕は、世渡りや人付き合いの才能を併せ持ってはいなかったが、そんなものが無くたって僕はこの才能のお陰でそれらの才能と同等の働きをしてくれる。だから僕は周りから目立つことなく、そして浮く事も無く、面倒な人間や出来事を上手くかわしてここまで来れた。
その僕の才能が告げている。
学校で僕の隣に座っている転校生の少女は、絶対に普通じゃないと。
「それじゃあ山村、97ページの3行目から読んで」
「はい」
そういうと彼女は立ち上がり、教科書を手に指示された行を読み始める。僕は隣に座り彼女を見上げその一挙一動を見つめていた。彼女の声は決して高くも低くも無い、平均的な女性の声という印象だが、その声には不思議とまるで深いそこから響いてくるような凄みを持っていた。もし僕のように、声からその人間のことが判断できる能力を持っている奴がいれば、きっと彼女の本性が浮き彫りに出来るのだろうが、生憎僕には先述の通り人の見た目からの判断しか出来ない。
その僕がそこまで感じる不思議な声。そしてその僕の能力が告げる、彼女に対しての警戒。この能力を持ち始めてからここまで不安を感じたのは初めてだった。
「よし、山村そこまででいい。じゃあ次は川上」
「あ、はい」
僕は自分の名を呼ばれ、彼女が着席したのをみると入れ代わるように立ち上がり、彼女が読み終えたその続きから僕は教科書を読み始めた。
僕が彼女に出会ったのは2週間前だった。それは突然の事だった。
「今日から新しく1人クラスメイトが加わる事になりました」
朝礼の後、担任の先生の突然の発言にクラスはどよめいた。勿論それは事前の予告が無く突然転校生がやってくる事への戸惑いもあったが、それ以上にこんな時期に転校生がやってくる事への驚きの方が多かった。何故なら僕達は中学3年生。そして今は2月。つまり今まさに高校受験で忙しいこの時期に転校してくるなんて常識から考えればおかしい事だった。
「山村さん、いいわよ。入ってきて」
先生のその言葉を聞くとドアが開き、その向こうにいた人影が教室の中へと入ってきた。その姿を見た瞬間、僕は背筋が凍るほどの感覚を感じた。入ってきたのは極普通の少女だったが、僕の能力は彼女が極普通の少女じゃない事を教えてくれた。
「山村洋子です。宜しく御願いします」
彼女はそう自己紹介をすると一礼し、そして再びその顔を上げる。一見するとその容姿はパッとするものではなかった。今時珍しい黒ぶちの度の厚い眼鏡をかけて、長い髪は後ろで束ねているだけ。表情も暗ければ声の調子も暗い。しかしそれでも一部の男子から笑顔がこぼれていたのは、彼女の首から下のラインに目が行っての事だった。その地味な印象を受けた顔とはうって変わって、彼女のボディラインは思春期の男子を興奮させて余りあるものがあった。
一言で言えば、そう、美しい。中学3年生とは思えないほど完成されたプロポーションだった。制服を着ているにもかかわらずはっきりと分かるその曲線美。胸の豊かな膨らみから腰へと弧を描くそれは、もし僕が能力を持たない、本当にただ普通の人間だったなら他の男子たちと同じように興奮していたかもしれない。でも、僕にその余裕は無かった。
むしろ僕が魅入られていたのは彼女のその厚く冴えない眼鏡の向こう側で確かに光る、この世のものとは思えない力を宿す不思議な瞳だった。まるで全てを見通すかのように濁りの無いその瞳に対しては恐怖に似た感情さえ感じていた。
「じゃあ山村さん席は、この列の一番奥に座って」
先生は僕の隣の空いていた席を指差し彼女を誘導した。彼女はゆっくりと机と机の間を、男子からのいやらしい好奇の視線と、女子からの羨望や嫉妬の混じった視線の中、それをものともしないように僕の隣の席まで来て、ゆっくりとイスを引きそのまま腰をかけた。隣に来ると彼女のその言い知れないプレッシャーは益々僕の心に今まで感じたことの無い感触を与えていた。僕は思い切って彼女に話しかけてみる。
「あの、山村さん、」
「何?」
「あ、僕、川上大樹。宜しく」
「・・・こちらこそ」
彼女は僕の方を見向きもせず表情も変えず、淡々とそう答えた。それが僕たちの出会い。初めて交わした言葉。
そして2週間。彼女は僕たちのクラスの一員として学校生活を始めた。しかしその暗い印象と、残り僅か1ヶ月半程度しか同じクラスで生活しない事もあってか、彼女はなかなかクラスには馴染めていなかった。僕も彼女とはあれ以降まともに会話をする機会も無かった。僕が一方的に彼女からプレッシャーを感じては彼女の方を見つめるだけで、しかし彼女は何か変わった事をするとかそういったことも無くただ淡々と毎日を過ごしていた。
僕は彼女の本心を探ろうと何度もその姿や表情を見つめるが、僕を能力を持ってもまるでその本性がつかめずにいた。何を考えているのかさえ分からない。僕は僕自身の能力が否定されたような感覚になって少し焦っているのかもしれない。今までこんな事が無かったから。
でも、それを深く悩んでいる時間も僕には無かった。何を言っても僕は受験生だ。今この時期の努力次第で今後の人生が大きく変わるかもしれない。その時に自分の能力に疑問を突きつける出来事に出会ってしまったのは非常に惜しい事だが、今は目の前のことよりも将来を見据えた受験の方が大事だった。
勿論それは僕に限った事じゃない。今全国の中学3年生その殆どが僕と同じことを考え悩んでいる。この中学においてもそれは然るべきことだった。防火教室移動のため廊下を歩いていたが、すれ違う生徒たちは皆勉強の事で頭が一杯という様子で歩いていく。自分のことで精一杯という表情。殆どみんな今はそういう様子だった。
しかし、中にはそんな事とは無縁の生徒もいた。生徒用にも関わらずタバコの臭いが強く漂うトイレの前を通りがかったその時である。トイレの奥から煙と共になにやら男子生徒の話し声が聞こえてきた。
「でよ、今度3組に転校して来た山村って女いるしょ?アレやばくね?」
「あぁ、確かにマジあの暗さとかキモイから。ありえねーよ」
「バカ、そうじゃねぇよ。あの身体、ぜってぇヤったら気持ちイイって」
「何お前身体主義?ヤレりゃそれでいいの?」
「ダー、もうお前見る眼ねぇなぁ。アイツ眼鏡外したらぜってぇ顔もありだぜ。性格もあんなだしコッチ強く出たら絶対ヤラしてくれると思うんだよね」
「ヤルヤルうっせぇなテメエは。そんなにヤリたきゃヤレばいいじゃねぇか」
・・・所謂最底辺にいる奴らだった。学校という枠にとらわれる事を嫌いドロップアウトした人間。それならまだいいが、その後周りの人間に迷惑を掛けることしか考えられない、絶対に関わっちゃいけない奴らだった。どうやら彼女の話をしているらしい。彼女をヤルとかヤラないとか・・・物騒な話をしている。でも僕は別に正義感や使命感に燃える人間じゃない。彼女の事は気に成るが、そもそも得体の知れない彼女と関わるのも危険である上に、更に関わり合いになっちゃいけない奴らが加わったんだ。
僕には関係の無い話。ただ何事も無かったかのように通り過ごせばいい。特にこのことを気にも留めることなく、いつも通り勉強をして、受験して、高校に入って、そう、僕にだってもうきちんと道筋は立っている。今更面倒を起こしてそれを不意にする必要性なんて無い。そう頭で理解している。
理解していたはずなのに。
第2話へ続く
Fascination・第1話
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