ケイヤク-冥界への旅立ち-・前編 暁 紅龍作
 その日、私は絶望のどん底にいた。
 白衣を纏う男性と、その男性の指示で動く女性・・。私の前には顔に純白の布が被された愛すべき対象が居た・・・。
「残念ですが・・・・、もう少し早ければ・・・。」
 その男性は私に声をかける。その声にも私は耳を持たずにその寝台に力なく横たわる女性の手を握り、額に寄せて泣き崩れる・・。
「ああぁぁぁ・・・・!!リリィ・・・!!!」
 そう、その力なく横たわる女性は、私の妻であるリリィという女性であった。色白い肌に、華奢な体つき・・。あまり身体が強い方ではなかったではあるが、それでも私に向かって満点の笑みをくれる彼女は、私にとって何にも変えることが出来ない、大切な人だ・・・。そうして、その日から数年の年月が経過したのであった・・・・。

「・・・・うわぁぁっ!!」
 今でもあの日の情景を思い出しては、まるで悪夢かのように寝台から飛び起きる・・・。
「リリィ・・・・、絶対に・・・お前を・・・。」
 そう私は握り拳を作ると、眠い身体に鞭を打ってある一点へ向かう。私はあの日から、ある研究をしていた。ある研究・・・、それは呪術・・。世の中には様々な術が存在するがその中でも呪術を選んだのには理由があった。
 本来、呪術にはその中でも犯してはならない「禁忌」と呼ばれる術があった。それは、人を蘇らせる術・・。言わば蘇生術とでも言うのだろうか、その術で死んだ彼女を・・、愛する妻を蘇生しようと、日々研究に没頭していた。
 彼女が亡くなる以前も、私はそう言ったいわゆる術を施す職業に就いていた。それ故に呪術書の大半の文字は理解できる物の、文字が薄れてしまっていたり、虫食いがあったりと保存状態のきわめて劣悪な書物を読みながら呪術に必要な知識を独学で勉強していた。そうして私は難解な呪術の書物を読みながら、その術を実際に試してみる・・。しかし、既に大昔に失われた技術であり、そうそう簡単にはいかない。何度も試行錯誤を繰り返しては、失敗の連続・・そしてまた術式の組み直し・・。それのエンドレスリピートであった。
 しかし、それも今日で終わり・・・。読めずに諦めていた古い呪術書の1ページに記述されていた術式を解読することが出来た私は、その式を研究室の石床に記し始める・・・。その術式は呪術にしては珍しく、円形の言わば魔術に用いられる“魔方陣”のような形であった。
「リリィ・・、待ってろよ・・。絶対に・・・君を・・・・。」
 そうつぶやきながら、いよいよ最後の仕上げを終えて遂に呪術式は記述し終えたのであった。
「・・・・・・・・・・。」
 そうして間髪入れずに覚え書きの本を見ながらその術を詠唱する・・・。すると、記された術式が淡く光り輝く・・。徐々にその淡い緑色の光は強さを増して暗い部屋を一気に明るくしていく・・・。
「・・・・っ!!!」
 一瞬、目を腕で覆い、まばゆい光を遮る。そしてそれを中心に突風が巻き起こる。燭台にあったろうそくの火は瞬時に消え去り、燭台ごと床に落ちる。そして記した術にも変化が起こり始める・・・。記されていたはずの術式がまるで床を溶かし込んでいくかのように消えていき、床の下にある筈の地面が無い。漆黒の光の無い暗黒な空間が延々と続く・・・。紛れもない、術が成功した証であった・・。しかし、それは本来の術ではない別な術であった。そう、それは「冥界の門」を開く術・・・。
 彼女を蘇らせるのには彼女の霊魂が必要だった。けれどもそれは冥界の門の更に奥へと有り、他の蘇生術ではことごとく失敗に終わっていたのだ。よって、その門を一時的に開く術が必要であった。しかしその術は「禁忌の術」として術者の中では特に使うことを禁止していたのであった。そういった禁忌の術を書物として書き記してある文献は数少なく、ようやくここまでたどり着いたのであった。
「これが・・・、冥界の門・・・・?」
 私はその延々と続く漆黒の世界をのぞき込みながら無意識のうちにつぶやいていた。
『左様・・・。よくぞこの門を開くことが出来た・・・・。ルクスよ・・・。』
 そしてのぞき込んだその暗い空間の奥から、男の低い声が響きながら聞こえてくる・・・。
「・・・・・!だ、誰だっ・・・!」
 私は思わず声を荒げて暗い空間に叫ぶ。それは空間をこだましていきながら奥へと響いていく・・。
『誰だとは・・・、己の名を名乗るのが先だろう・・・?』
 その声は徐々に大きくなってくる。まるでこちらに向かってくるかのように・・。そしてその姿が徐々に露わになっていく・・。禍々しいオーラを放つその声の正体は人外の姿をしていた・・・。
 頭には大きくねじれた漆黒の角が一対有り、背にはコウモリを彷彿させる巨大な翼、腰の辺りから揺れ動く細い尻尾・・。身体の表面は微細な黒い獣毛が覆っている・・。その異形の者は身体に力を入れるとその場で大きく咆吼する・・・。まるで獣のように理性の欠片すら感じさせないその咆吼は、波動の如く空間を伝わりその場にいるルクスに重圧の如く降りかかる。
『まぁ良い・・・・。しかし、良く貴様のような人間が冥界の門を開くことが出来た・・・。それだけは賞賛しよう・・・。』
 その悪魔のような姿をした男は淡々とルクスの行ってきたことを見抜くかのように言ってのける。
「た・・、頼む・・・。私の・・・、私の妻の魂を呼び寄せてくれ・・・。」
 私は懇願するかのように絞りきった声でその男に頼み込む。その小さな声に凝縮された切なる願いに男は敏感に反応したのは言うまでもない。
『おやぁ・・・?ルクス・・・。君の妻であったリリィか・・・。彼女ならばここにいる・・・。』
 そして背の翼で隠れていた男の右方に、まるで霧が掛っていたのが晴れるかのように一人の女性が現れる・・・。しかし、その女性の姿もまた人外の姿をしていた。
 全身を艶やかで柔らかな黄色の獣毛が覆い手足の部位は純白の獣毛が覆い、腰にはふっくらとした獣の尻尾が九つ有りそれぞれが微かに揺れ動いている。顔を見ると鼻から下顎までが前へ突きだしており、瞳は深紅色に鮮やかに光り輝く・・。顔にも身体同様に黄色の細やかな獣毛が生えており、何より頭には三角形の獣の耳がある・・・。そう彼女は言うならば九尾の狐と人を掛け合わせた獣人のような姿をしていた。
 そしてその狐獣人の女性はその男の右腕に擦り突くように抱きしめ、さも愛おしそうな表情を浮かべている。
「まさか・・・、リリィなのか・・・?」
 私はその驚愕の出来事に驚き、そしてゆっくりとその女性に近づいていく。
『左様・・・。この女は君のかつての妻であったリリィだ・・・。しかし残念だ・・・。彼女を帰すことは出来ない・・。なぜならば彼女が私の妻であるからだ・・・。』
 その男はルクスに最終宣告をするかのように言い放つと、そっと左手で彼女の頭を撫でる・・・。そうして近づいてくるルクスに気がついたのか、彼女は瞳を開くと攻撃的な視線をルクスに送る・・・。まるでこのひとときを邪魔する者を排除するかのような、近づくことを牽制するかのような視線をルクスに見せるのだった。
 その時であった。彼女の胸元に一つの銀色に輝くロケットが一瞬であったが見えたのであった。それは私が彼女に贈ったロケット・・・。間違いではなかったのだ。彼女は本当にリリィだったのだ。
「僕だよ・・・、リリィ・・・。ルクスだ・・・。一緒に愛し合った仲ではないか・・・。僕に・・、僕に君の笑顔を見せておくれ・・・。」
 そうして私は惹かれていくように彼女へと近づいていく・・・。
『ル・・・ク・・・ス・・・・?』
 彼女は小さな声で私の名をつぶやく。その声は生前の彼女の声そのままであった。地を這うように近づいていた私を見るために下を向いたとき、彼女は胸元に有るロケットに気がつく・・。そして手に取りロケットを開く・・・・。しかし彼女は小さく息を吐くと開いたままロケットから手を放す・・・。そのロケットの中には、私が贈った二人で記念に撮った写真は無かったのであった。
『残念だが、彼女には私を愛おしむ感情のみ与えた・・・。彼女は霊魂になってからも深く愛情に飢えていた。その感情を埋め尽くすためにな・・・。』
 男は私を徹底的に打ちのめすかのように私を見つめながらつぶやく・・。同時に再度彼女の頭を撫で、その姿を私に見せつける。そして彼女は嫌がるどころか自ら望むかのようにされるがままにされている・・・。
『そして、その写真は彼女自身が抜き取った・・・。ルクス・・・、君は研究に没頭するあまり、彼女に愛情を注げなかった・・。彼女は強がっていたが実は心の奥底ではずっと君を欲していたのだよ・・・。そして最後の時まで君はそばに居なかった。そのことを彼女は心底悔やみ、そして君から決別することを自ら決意した・・・。』
 私は絶望した。それでは私が彼女を殺してしまったのと同義ではないかと男の放つ一言が重くのし掛る・・・。
「わ・・・、私が・・・!!私がリリィを・・・・・っ!!!!」
 私はその場で嗚咽した。耐えきれなかった。彼女が感じていたことに気がつきもせずそのまま過ごしてきたことで彼女は深く傷つきそして最後まで私は彼女へそのことを詫びることが出来なかった・・。その事が一気に感情として形になっていく。瞳からは涙は止まらず、ただ泣き叫ぶことしか出来なかった。しかし無情にもその男は更に話を進めていく・・・・。
『それ故に彼女は素直だ。愛情を心の底から注ぐ私に常に尽くしてくれる・・。そして素晴らしく美しい女性だ・・・。』
 そうして男は私の目の前で片手で彼女の顎を手に取ると、そのまま彼女と深い口づけを交わす・・・。彼女もそれに併せて身体をすり寄せ、男を抱きしめると自ら欲していく・・。そうして数分に渡る接吻を終えると、彼女は男の顔を眺め、何かを悟ったかのようにその場から離れ私に近づいてくるのだ・・・。
「リリィ・・・っ!!!私は・・・、私は・・・・!!!」
 涙が未だに止まらないぐちゃぐちゃの顔で彼女を見つめる。一度で良い・・・、一度で良いから彼女に・・・、リリィに謝りたい・・・。ただそれだけを思い私は顔を見上げる。
『ル・・・ク・・・ス・・・?わたし・・・・、もう・・・・これ・・・いらないよ・・・・・?』
 彼女は感情のこもっていない、まるで人形のような声で私の耳元でそっと呟き私の前でしゃがみ込むと胸元にあったロケットをその場で外し、私の前の床へそっと置く・・・。まるで深い谷底へたたき落とされたかのように私はその場で挫け、それ以上動くことさえもままならない状態に陥った。
「・・・・ぁ・・・・ぁ・・・ぁあぁ・・・あぁ・・・・。」
 止めどなく流れ落ちる私の瞳から流れ落ちる涙・・・。その深い悲しみに乗じて男は静かに呟く・・・・。
『おぉ・・・。それが彼女が人として生きていた時に切実に感じていた感情だよ・・・。そして気がついただろう・・・?「愛情」という物の大切さが・・・。人という生き物はなんと哀れな生き物だろうか・・・。』
 その男はその場から動き私へ近づくと見下すように更に言い放った。
『失ってから大きな存在に気がつくなんて・・・・。ふふふ・・・はははは・・・・っ!!』
 そうして全てを言い終えたとき男は高らかにあざ笑った。笑い声は部屋を反響しながら私の耳へ聞こえてくる。そして徐々にその声は私にとって不協和音の如く不快に聞こえてくる・・・。それは私の中でその男の存在が許せぬ存在へと変わっていったことに気がつく。私の身体の中で沸々と込み上げてくる感情が有った。それに併せ私は泣きやみ、そっと立ち上がる・・・。その表情はおそらく鬼のような形相であったに違いない。
「返せ・・・・っ!!・・・・リリィを・・・・返せ・・・・っ!!!!」
 キッとした目で男を睨みつけて私は大声を出して男に徐々に近づく。
『返せ・・・?何を言っているんだ・・・・?彼女は既に死んでいる身だ。ルクス、君は死んでいない。か弱い生身の身体に縛られている愚かな人間なのだよ・・・・。己の立場をわきまえて物事を言うことだな・・。』
 そうしてその男の元へ戻ってきたリリィを男は再び抱くと、彼女の首筋を舐める。
「な・・、なんだとぉ・・・っ!!ふざけるなぁぁぁああっ!!」
 そうして私は万が一の場合に備えて常時持ち歩いている鋼製の短剣を腰から抜き取って、男の元へ振りかざそうとする。
『そして・・・っ!!今は私の愛すべき妻なのだよ・・・、分かるかね・・・?今のリリィは愛情を絶えず注いでやらないとそれだけで命が尽きてしまう程、私を彼女が欲しているのだ・・・。』
 迫り来る私は男に向かい、懇親の一撃を放つ。しかし男の背に有る頑丈な翼でガードし、鋼製の短剣は木っ端微塵に砕け散る。
「くっ・・・・!」
 そして、砕けた剣の鋼が床面へと落ち、床に描いていた紋様を傷つけてしまう。記述されていた紋様に異常が起き、開いていた冥界の門が徐々に閉じようとし始める。
『残念だな・・、自ら「タイムアップ」の時間を早めてしまったようだ・・・。しかし・・、彼女を返すことが出来ないことは理解していただいたようだ・・・。そんなルクスには、私から些細な礼をしようではないか・・・・。人間で唯一冥界の門を開けた事を賞賛してな・・・・。』
 そうして徐々に小さくなっていく門へと男とリリィは戻っていく。そしてそれとは別に門に接している床面から動物の鋭い爪が垣間見える。それは徐々によじ登ってくるかのように床面へと現れていく。
『この「獣」達は過去に現世を死んでいった哀れな動物霊さ・・・。可愛そうに・・・、人間が実験などと称してむごい事をして命が尽きてしまった者達だ・・・。彼らもリリィ同様に愛情に飢えている・・。リリィの代わりに愛してやってくれ・・・・。』
 そうして門の奥底から響き渡るようにして部屋に聞こえる男の声・・・、そして男にじゃれ合うリリィの声・・・・。それと相反するかのようにどんどん「動物霊」が数を増やしていく。
「あ・・・・ぁぁあっ・・・!」
 じりじりと私との間合いを詰めていく動物霊達。私は腰が抜けて床を這いながら壁へと追いつかれていく。
『おっと・・・、私の名を言うのを忘れていた・・・。私はカルマという・・。また会う機会があったら宜しくな・・・・・ははは・・・・っ!』
 そうしてその男・・・カルマは最後に吐き捨てるかのように動物霊に囲まれている私に言い放ち、そうして門は黒いオーラを出して、消え去り後には床に散らばった剣の鋼が残されているだけであった。


 続
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