金色の油揚げ カギヤッコ作
「う〜ん、風が気持ち良い…。」
 学校の屋上でわたしは大きく伸びをしている。
 普段なら昼休みなどには他の生徒達も訪れているのだけど、今日は土曜日と言う事で人影は皆無。
 階下のグラウンドから運動系部活の練習している声や音楽部が練習している音は聞こえるが、この屋上にはわたし以外人間は誰もいない。
 暇を見てはここに来てゆっくりと過ごすのがわたしの週末の楽しみの一つなのだ。
 暑くなってきているとは言え日差しはまだ優しく、吹きぬける風も心地いい。
 学校が高台にあるせいか屋上から見える風景も悪くない。
 しかし、わたしにとってこれはほんの第一段階でしかない。わたしは周りを見渡す―と言っても誰もいないけど一応―と、返す刀で入ってきたドアから中―階段の下―を覗き込み、誰も上がってこない事を確認すると物陰に隠れてそのまま制服の裾に手をかける。
 ほんの数秒で屋上から「人間」はいなくなった。
 わたしは「人間の皮」をきれいにたたむと物陰にそっと置き、そのまま広間に出る。
「あ…良い気持ち…。」
 わたしは右手で髪をかきあげながら、さえぎる物のなくなった生まれたままの体に日差しと風のシャワーをたっぷりと浴びせる。
 日差しは素肌を優しく火照らせ、風はそれをゆっくりと冷ましてくれる。
 一通りシャワーを楽しむとそのまま体を床に横たえる。日に照らされ暖まった床はちょうど良い温浴効果を素肌に与えてくれる。
 わたしは仰向けに、そしてうつむせになってその暖かさを全身に伝えると、そのまま大の字になって寝転がる。
 学校で、しかも土曜日の屋上とは言え昼日中にこんな姿でこうしているなんて誰にも言えるもの、まして知られるものではない。
 万一誰かに見られたならわたしは間違い無く今いる日常から姿を消さなければいけないだろう。
 実際、屋上から見える風景の中にはこの学校よりも高い建物もいくつかある。万一誰かが偶然か、それとも何らかの意図をもってここを―今ここでこうしているわたしを見つけてしまったら…危険な感情と興奮が体をよぎる。
 誰にも見られたくはない、でも止められない…複雑な気持ちが脳裏をよぎる。
ピ〜ヒョロ〜…ピ〜ヒョロ〜…
 そんな時、わたしの耳に鳥の声が響く。
 その先に目を向けると、そこには一羽の鳥―鳴き声からしてトビだろう―がゆっくりと空を舞っているのが見えた。
 人間としてのわたしの苦悩なんて気にかける事もなく―と言ってもやはりトビにはトビなりの苦労はあるのだろうけど―青空の中で静かに空を舞うトビの姿を見ているうちにわたしの心も次第に落ち着いて来た。  わたしは一息ついて立ち上がると、右手に目を置く。
 今のわたしが身につけている唯一の物体、それは一糸まとわぬ姿の右腕に輝く金色のリング。
 どこか不似合いで、それでいて自然に見えるそれ…それこそがわたしの「楽しみ」の最大のクライマックスの鍵である。
「さてと…今日はどうしようかな…」
 そうつぶやきながら空を見上げるとさっきのトビがまだ空を舞っている。
 わたしはそれを見てクスッと笑うと、右腕のリングに軽く口づけをする。
 そして、そのトビを掴むかの様に手をいっぱいに広げたまま右腕を高く掲げる。
キラッ!
 その瞬間リングが軽くきらめいたかと思うと、そこから光が空へ向かって伸びる。光は一定の高さまでのびると今度は左右に広がり、そのままゆっくりと回転を始めた。
 リングを付けたわたしにしか見えないその光景はどこか幻想的なものを感じさせる。
 フワァン…。
 その途端、リングが少しずつ大きくなりながらわたしの右腕から抜け出す。リングはそのままわたしの頭の真上に浮かぶと、輪の内側からわたしの体を覆う様に光を放つ。その形は外から見れば水晶玉のような形に見えるだろう。
「わぁ…」
 光の粒子が玉の形に添って降りて行く光景、そしてそれ越しに見る風景は何度見ても飽きるものではない。そう思うのはこの空間がわたしに与える感覚、そしてこれからわたしに起きる事への期待と不安から来る興奮がもたらすものなのだろうか。
 玉の内側でゆっくりと体を浮かべながらその光景に見とれるわたしの脳裏にいくつかのビジョンが浮かんでくる。猫、犬、魚、昆虫・・・色々な動物の姿が映し出される。
 その中にあのトビの姿があった。わたしは迷う事なくトビのビジョンを選び、ぎゅっと広げていた手を握る。
ピキーン…。
「うっ。」
 その瞬間、わたしの頭の先から一直線に衝撃が落ちた。そして、その先から何か力強い感覚が盛り上がってくる。
「あっ、来た…」
 一瞬ビクッとなりながらもわたしの心は興奮に満ちて行き、そのまま体を流れに任せる。
 そうしていくうちにわたしに体に少しづつ変化が起きる。
 薄い産毛位しか生えていなかった肌中にびっしりと剛毛が吹き出し、そのまま左右に薄く広がって行く。
 形のいい胸のふくらみが厚さを増しながら胸の中に消えて行く。その膨らみを取り込むように大きく伸ばした両腕がゴツゴツといびつな形に延びながら剛毛、と言うより羽に覆われてゆく。
 その一方で両足は長さこそどんどん短くなって行くが、膝上は羽に覆われながらたくましくなってゆき、膝下はより細く、しかし鋭い鍵爪を湛えた形に変わって行く。
 羽に覆われたお尻からは短いながらも存在感のある尾が生える。
 そして小さめの耳がさらに小さくなり頭の中に消えるのと入れ替わりに歯を含む口全体が鼻を巻き込みながらせり出し、硬く変化して行く。
 長い髪も既に羽の中に消え、目元も黒褐色に覆われながらそれ独特の鋭いものへと変化して行く。
 不思議な事にこんなムチャクチャな変化を行いながらも何の苦痛も感じる事はない。むしろ全身をマッサージされているような心地よさが体を覆っている。
 あたかも光の腕で粘土細工の体が別の形に変えられるような感じでわたしの体は変化をすすめてゆく。
 光の玉が消えた時、そこにいたのは褐色と白のまだら模様の羽に全身を包んだ一羽の鳥―トビの姿に生まれ変わったわたしだった。
 そう、あのリングは特定の動物のデータをスキャンし、そのデータを元に装着者を動物に変える力があるのだ。
 ふとしたきっかけでこのリングを手に入れたわたしは折につけこうして色々な動物の姿になって散歩を楽しんでいる。
カチャン。
 足に違和感を感じ、かなり無理をしながら足を見るとそこには例の金色のリングが右足に輝いているのが見える。
 余談だが変身した後のリングはその動物によって着く場所が変わるらしく、大半の場合は首輪状になっている事が多い。
ピーヒョロ〜…
 それはともかく、トビになった体を一通り見回したわたしは一声上げながらゆっくりと両腕、いや翼を広げる。
ブワッ!
 その瞬間、わたしの体を突き上げるように風が吹く。わたしはまるで元からトビであったかの様に巧みに翼を動かし気流に乗るとそのままゆっくりと滑空を始める。
 体がある程度落ち着いた所で眼下の風景を見る。
“わぁ…”
 屋上にいた時とは比べものにならない高さ、人間の時とは比べものにならない位はっきりと見える目から見える風景はまさにすごいの一言。
 羽越しに感じる風もより強く、それでいて心地いい。
ピーヒョロロロ〜…。
 わたしは歓喜の余りまた鳴き声を上げる。
 もしこの時グラウンドで練習をしていた運動部員達が空を見上げれば上空を舞う二羽のトビの姿が見えただろう。
 しばらく先客のトビと一緒に空中を舞っていたが、ふとその視線を街中に落とすとそのまま体を急降下させる。
 ジェットコースターとは比べものにならない位の勢いで急降下する。狙うは公園のベンチに置いてあったコンビニ弁当の中の稲荷寿司。
 あまりほめられた事ではないけど、食べていた人は山ほどのコンビニおかずを食べており、食いきれないとそのまま残していたのだから別に悪くはない、とは思う。
 そのまま一気に…3・2・1!
バッ!
 一気に稲荷寿司をくわえてそのまま上昇気流に乗る。一気に持ち上がる感覚は結構気持ちいい。
 稲荷寿司はその勢いで嘴からのどの中に飛び込んでしまったが、なんとかつまらずにすんだ。
 あとはそのまま旋回と急降下、急上昇を繰り返す。単純なローテーションだけど、トビの本能からすれば当たり前の生活習慣であり、「トビの姿と能力を得た人間」からすればたまらない快感を与えてくれる行為である。
 できる事なら人間の姿のままこの感覚を味わいたいが、あいにくそう言う機能はないらしい。できればまだ見つけていないだけと言う事にして欲しいけど…。
 ひとしきりローテーションを堪能した所で学校の屋上に戻ったわたしはフェンスに両足を乗せて一息つく。
 言うまでもないけどリングの力で動物になって野山や町の中を駆け抜ける行為は本当に気持ち良い。もしこのリングを手に入れる事なく普通の人間として生きていたならこんな感覚は一生わからなかったに違いない。
 でも、同時に不安もある。今でこそ自分の意志で元の姿に戻れるけど万が一変身している時にリングが壊れたら。そうでなくてもどんどん変身している時間の方が長くなり、そちらの方が「元の姿」と思うようになっていたなら…。
 そう思いながらもわたしは一羽ばたきして屋上の真ん中辺りに移動する。どうやら誰も上がっては来ていないようだ。
キランッ。
 右足にはまっていたリングが光るとリングはさっきと同じ様に大きくなりながら右足から離れ、同時に玉状の光が羽ばたいたままのわたしの体を包む。
 今度は上から下に上がる光の中でわたしの体は少しずつ大きくなってゆく。
 全身を覆う羽が細く、短くなり体の中に消えて行く。
 尾がお尻の中に消えて行く代わりに足が細長く伸びてゆき、翼が短くなり細長い両腕に変わって行く代わり胸元には一対の乳房が柔らかく膨らんで行く。
 嘴も小さくなりながら柔らかく変化し、ちょこんと乗った鼻と小さめの唇に分かれて顔に落ち着く。
 一瞬またたきをしたあと、目元も人間の優しげな目つきに変わっている。
 あとは頭の両側に耳が延び、ブワァサッと長い髪が伸びる。
 光が消えた時、そこには生まれたままの人間の女性に再度生まれ変わったわたしが静かに右腕を上げたまま立っている。
 同時に頭上に浮かんでいたリングもそのまま小さくなりながら右腕にゆっくりとはまる。
「ふう…。」
 右手で髪をかき上げ、わたしは一息つく。
 ほんの少しの間だけだったのに素肌越しに感じる日差しと風が何年も感じなかったかの様に心地よい。
 でも、もしこの変身の一部始終を誰かに見られたら…それならいっそ「意味もなく裸になり徘徊している変な女」と言われた方が良いのかも知れない。
 やはり不安は拭えないけど、それでも裸になりこの空気を感じる事、そして変身する気持ちよさは簡単には捨てられない。
 嬉しいような、恥ずかしいような複雑な笑みを浮かべるとわたしは人間に戻る為「皮」を置いてある物陰へと歩いて行く。
 完全に人間に戻り屋上を後にしようとした時、ふと空を見上げると空の上ではさっきのトビが再び空を回っていた…。
 おわり
小説一覧へ 夏の詩