夜闇から生まれるもの・前編冬風 狐作
 長らく付き合っている友人連中と旅行に行くのはもう幾度目の事だろう、そう私は流れゆく車窓を見ながらまだ体に残る温泉の名残の温かさを感じつつ思った。
 もう遡れば、一昔か、それか二昔か。転職先として選んだ会社に先に、また後から入ってきた彼らと初めて出かけたのは日帰りの温泉旅行、確か電車旅だったと思う。それからしばらくしてその内の誰かが車を買ったのをきっかけに、目的地までは車、目的地では電車やバスを利用する、そんな組み合わせの旅行スタイルとなって以来最低でも年に1回はこうして機会を得ている。
「もうこんな時間かー、流石に眠いわ」
「宿まであと100キロ以上あるからさ、まぁいつも通りの流れじゃないか」
 確かにこの面々での旅行ではお約束とも言える旅程崩壊、とまでは行かない程度の遅延の流れの中に今回もいた。正直、過去に予定通り行程が進んだ事、特に車を用いる往復の過程では毎度、何某かの時間のロスに見舞われるものでまともにこなせた例がない。
   今日も今日とて何の舞か分からぬほどに休憩を予定していた日帰り温泉に遅れて到着し、そう余裕はないにも関わらず時間ぎりぎりまでくつろいでしまったから本来ならそろそろ今晩の宿に到着の頃合にまだまだ離れた夜道に揺られているのが目下のところ。道自体は空いているから流れは良く、車の走り自体は全く不快ではないのだが流石に皆して歳も歳、昔ならともかく深夜帯に長距離を車で揺られるのにふとした負担を感じ出してる頃合であるからもう一杯入れて寝入っている顔も後部座席にはあった。
 私も正直、瞼に重みを感じ出していた。しかしそうは言ってられない、助手席に座る身としてはハンドル握る仲間のサポートをして当然となると上手くやる必要があったし、これまでの経験上互いに持ちつ持たれつのやらねばならぬ役割が不文律ながらその席に存在していたと言えるだろう。
「後ろは大分寝ちゃったなぁ…あ、良いトコにトイレがある。ちょいと止めるわ」
「田中がハンドルを握ったままお漏らしじゃ困るからな、ちょうど良い」
「いやいや、流石に漏らすとかはないわー、でもこの先はしばらくないから念の為だよ」
 対向車線に連なっていたトラックの車列も消え、山間を行く国道沿いにある道の駅へと赤いテールランプと共に車は入っていく。駐車場を使って車中泊をしている一団から離れた場所に上手く止めてエンジンを切れば、辺りはそれは静かなものでわずかに立てる音はその瞬間に暗闇へと吸い込まれていく様に感じられた。
「鍵は…まぁ良いか、小休止としよう。まぁ10分位と言う事で」
「分かったよ、ちょっと自販機の方にいるな」
 車の中で寝ている面々も起きてくるかも、と配慮して鍵は閉めずに私と田中は車を離れそれぞれに用を足しに行った。
 先にも書いた通り、私は瞼の重さが気になっていたから目覚ましに何か喉に流し込むか、そんなつもりで自販機コーナーへと立ち入る。すると途端に何かの視線をふと感じ得る。ただもたらしているのが人ではないのはすぐに分かった、それは1匹の動物、小柄な犬にしては大きい姿が節電で減灯された一角のちょうど正反対の入口側よりこちらを見つめているのを認めて、一旦歩を緩めるがそれよりも眠気をどうにかせねばとの頭が先に出て完全に立ち止まったのは大分中ほどの自販機の前まで行ってからであった。
「おー良いのがあった、助かる…んっ」
 季節としてはもう暖かい頃合であるが、山間と言う事もあってかホットコーヒーがまだ健在。それも好みの銘柄となれば気分も良くなってくる、だからささっと手に入れたら独り言をつぶやきつつ手の平の中で転がす等していると今度は入って来た側から誰かが入ってくる音がした。
「あっと田中か?もう時間か、そろそろ…ん?」
 もうそろそろかと咄嗟に思った私はろくにそちらを見ずにコーヒーを飲んでしまおうか、とプルタブに指をかけつつふとした疑念が浮かぶ。あれ、田中はこんなに黙り込むヤツだっけ…と。

 ようやく到着したホテルの一室にて服を解きつつ溜息と共に大きく体を伸ばせば、それはもうあくびがとても止まらなかった。そして部屋の鏡の前で解かれていく衣服、その下にある下着は不自然に盛り上がっていて一見すると贅肉の様にも見えるがそれにしては膨らみが均質的だった。
「まさかな…うん、本当に生えてやがる…狐か、これ?」
 それが肉なら何もおかしく思う事は無かったろう、しかしそれは毛だった。濃密なこんがりとした明るい、明らかにヒトの体に生じるはずがない色合いの獣毛がそこを覆いつくしていたのは夢にしては実感の濃い記憶は事実である、そうわざわざ告げに来ているかの様であった。
「うーん…まだ夢にしては、なぁ…」
 下着を脱ぎ捨ててベッドに腰を降ろせば、ちょうど鏡に腰から上が映る具合となっていた。顔は人である、間違いなく見慣れた己であるのは分かるが問題はそのまま目を下ろして行った先、鳩尾から下にかけて広がる毛並みの存在だった。まずは白一色、それは腹部の正面全体を覆っていて脇腹にかかる辺りからはっきりとした境目となって黄と朱を合わせた鮮やかな色合いへと変わり、そのまま背中全体を覆っているのが知れた。
 そしてそれはおおよそ膝の辺り、長く伸びている所は脹脛の辺りまで切れ込みを入れる様に生え揃っているものだから鏡にある姿は正にヒトと獣の混ざりものと評するに値する姿であった。
 だが見た目に反して肉体的な違和感はなかった、確かに視覚として見たら奇妙さ以外の何ものでもない。しかし感覚的にはむしろ心地よく、特にこの部屋に効いている冷房が時にもたらす肌寒さを適度に緩和してくれる、言うなれば少し形の変わった大きな腹巻と言えようか、そんな具合だから認識的な混乱は大分収まっていて、その内に口を開けたアルコールの作用もあって次第に回想へと脳の動きは変化していく。
 そう、それこそどうしてこの姿になったのかを解き明かしてくれるものだった。大きく、改めて吐けるアルコール交じりの息を妙に鼻が嗅ぎ取るのを感じつつ、私は恐らくつい数時間前にあったばかりの出来事をまどろみの中にまた見始めた。



夜闇から生まれるもの・後編
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