私は次の瞬間、大きく飛び跳ねた。どうしてそうしたのかは分からないほど強く、そしてその通りに高く飛んだら追ってきている相手が困惑している、そうした予感を抱けた。
(これは行けるかもしれない…こう、向きを変えて…!)
何故だろう、本当何故だろう、私はそのまま空中でくっと向きを変えるのに成功していた。途端に体に重さを感じ始める、最もそれは動きに対して邪魔にならぬ、むしろその重さがあるからこそ大丈夫と言う実感を主に尾てい骨の辺りを中心に背骨を通じて、脳髄へ直接的に作用する形で理解した通りに動いていた。
(あそこ…!)
目もしっかり機能して夜闇の内に目標を見定めていた。辺りは当然ながら山間、今日は新月かその前後であるはずなのに満月で煌々と照らされているかの様にしか見えなかった中に見えるあの黒い闇の様な存在、明らかに標的を見失って辺りを再確認しているのが分かるその姿めがけて大きく口を開いた。
何だろう、こんなに大きく口を開けたか、とふと思いつつ。そのほんのりとした疑問に対して強力な回答を示す様に体が一気に繋がる、そんな感覚を新たに抱けた。もう前から感じてる脳髄から背骨、そして尾骶骨を経た先の中空に感じる重さは大きな舵、否、尻尾となる。そして大きく開けた口はそのまま降下速度を上回る勢いで顎を割き、合わせて鼻と顎を前へ向けて突き出させる。鼻先は湿り気のある一塊の逆三角形となり、大きく開いた咥内には歯牙と長い舌が揃ってそのまま瞳は動向も縦に割れて金色に輝く。
それは獣の顔だった、つい先ほどまで追ってきた赤い瞳をした不定形さある存在と対照的に整った大きな姿の獣の姿を私は得ている。どうしてかは分からない、ただこの姿になったからには仕留めねば、とだけ今や大きな三角となった耳がくいくいと風の先にいる黒い獲物の仔細を把握していく。
だからこそ、その瞬間は一瞬であった。獲物が発する悲鳴はあったか、なかったか、それすらも分からぬ位の勢いで私は降下する勢いをも利用してその息の根を止める狩りを成し、合わせてまた大きく跳躍していた。口には当然、逃がさぬ様にがっちりと獲物を咥えたままに満月の様な光に満ちたる夜空を跳べる。
咥内の獲物と言えば、私が跳ね上がる勢いと共にその身に纏っていた黒いガスの様な何かがどんどん削げ落ちていき、終いにはわずかな霞程度しか残っていなかった。ただその霞の内にある丸い塊。それは喰らっても落としてもいけない、そう不思議と理解していたから次に着する場所にいる存在へ届けんとまた降下していく。
それはあの道の駅の一角、自販機コーナーからはトイレ挟んだ場所にあるベンチが並ぶ所。幾らかの人の光の灯る中、そこにだらんと腰かけてる人の姿がひとつ、そう田中だった。
(全く、用を足して気を抜いた瞬間に山に吞まれおって…ほれ、返すぞ)
不思議なものだった、私は私との意識がありつつ何だか高見より今や見ていて仕方なかった。それはこの大きく空を跳ね駆けられる獣、そう狐に極めて近い姿になっているからかもしれない。
とにかく咥えていた丸い塊をそのベンチにもたれかかったまま、ポカンと開かれた口の中に放る様に入れればそれで終わりだった。
私の意識、いや記憶も途端にぼやけて次に気付いた時は私がハンドルを田中に代わって握って峠を越えていよいよ目的地となるホテルのある市街地へと入らんとする頃であった。
「うーん、朝…で、ああ毛並みがないけど…?」
結局、アルコールの力も借りて回想しつつ寝て覚めれば朝だった。起き上がり鏡を見れば、それはもう言葉の通りに鳩尾から脹脛までの毛並みこそ消えていたが代わりに妙なものが生じていた。それは大きな桃の様な意匠をした染み、と言うにははっきりした図柄が太腿も大きく浮かび上がっていたのだ。
撫でても特に凹凸感の様な物は生じてなかった、皮膚は皮膚としてそのままでただ意匠としての形に色だけがそのまま変わって浮き出ている。それはとても白く、そうどこかで覚えのある形と思った瞬間に口から答えが出る―火焔宝珠、と。
とにかく、昨夜の一件は夢うつつの如くまだ続いているのだけは良く分かる。山の持つ夜闇に呑まれた同行者、その闇が半ば実体化した存在に獲物として追いかけられていたはずがどう言う訳か、こちらも姿を対照的な存在に変えて返り討ちとして今に至る。もう何が何だかでしかなかった、ただまたあの道の駅を通る際には御神酒をひとつ持って行かねばと合わせて浮かぶ。そしてあの細いコンクリ敷きの道沿いにある鳥居の中へ行かねばと、そう太腿に浮かんだ白い火焔宝珠の姿に目を落としては決める私だった。
だから今は腹を満たすか、と衣服を整えて部屋を出る。こう色々と段取りは大切にと思いつつ、出くわした眠そうな田中におはようと声をかける私だった。