私が初めて彼女と出会った時、どちらともそうした関係に陥る事は予期していなかったのだけは確実な事だった。ただネットを通じて知り合って、共通した知り合いを介して実際に顔を合わせて挨拶程度をしただけ、それが全てであったし、何か活発にやり取りする事も長くに渡ってなかったものだった。
しかしご縁とは不思議なものでおよそ半年位前だろうか、思いがけずに彼女は私の前に現れた。何の予告もなしに、押された呼び鈴によってはい、と外に出ればいたのが彼女だった。
「あら、若しかして…ゆずりんさんのお知り合いの方です?」
「え、あ、そうですね。なんだ、どこかで見た事があると思ったら、大分前のオフ会でご挨拶した事がありましたよね、えーとお名前は…うーんすいません、失念してしまいました」
先に気付いたのは私だった、見覚えのある眼鏡、何より気配から咄嗟に出た問いかけの言葉に彼女は、当時は彼として肯定し、裏付ける言葉を返してくる。間違いなかった、もう相当前のオフ会で共通するネット上の知り合いである「ゆずりん」を介して挨拶をした同士、そして彼が偶然にも同じマンションに引っ越してきた、と言う下手な宝くじを当たるよりもずっと確率の低い現象が起こった瞬間だった。
それ以来、私と彼女は事あるごとに会う様になった。勿論、それは様々な形で、エレベータや階段ですれ違った際の挨拶程度から近くのスーパーで買い物がてら会った時には、そのまま喫茶店で雑談をしたり、と言う具合で急速に付き合う関係となって行った。
ここで肝心なのはその時の私は彼女は、先にも書いた通り私と「彼」なのである。そうその言葉の通り、同性、それぞれ成人した男同士であったのは外せないだろう。即ち、傍から見ても男同士でやり取りしているだけに過ぎなかったし、当の私達ですらそうであるに過ぎなかった。そう、あくまでも昔から面識はあって、それが偶然にも同じマンションに居を構える様になったので、互いに独り身、良い話し相手あるいはお茶のみ相手として接している、ただそれだけでしかなかったのだ。
しかしそれは実態としてふとした狂いであったのかもしれない。お茶飲み仲間は次第に互いの部屋を行きかう様になり、そもそも共通の知り合いを持っているから分かる通り趣味だとかに共通しあう点があるので、一度関係を深めだすとそれは留まるところを知らなかった。そしてそれはある時に一気に頂点を突き抜ける、それは彼と酒を飲み交わしていたある夜の事だった。
「はあ、それにしてもなぁ…酷く疲れた、今週は」
「お疲れ様、だね。寒くもなって来たし、疲れが中々抜けないんだよねぇ」
「そうそう、でも君は良いじゃないか…高等妖院の一員なんだからさ?私の様な何のそうした妖術の素養もない単なる人間は、我が身を以って働かねばならないからねぇ」
「全く、良く言われるけどそうでもないんだよなぁ…そこはゆずりんも言っていたよ、妖術師は妖術師で精神的な力だとか、そうした面での疲労が蓄積するからね、そうは変わらないさ」
「いやぁ、そうは言っても、さ。世間的なイメージと言うのも強いからね、本当、羨ましいよ」
高等妖院、妖術師、それは私の方を示すものだった。そう、確かに私の職業はそれだった。この科学技術、機械技術、そしてそれ等が生み出した資本と物質にあふれた世界、それ以前の体制や価値観の要となっていた妖術を操れるが故に就ける妖術師―世間的には妖務取締官と知られている―として私は生計を立てている。
そしてその役目こそが彼と知り合った最大のきっかけであった、何故なら共通の知り合いたる「ゆずりん」がそもそも、立場こそ違えど私と同業者であり、その出会ったオフ会となるのも妖術師とそうではない一般の人間が交流する場であった。彼は比較的有名な民間退魔業を営む妖術師である「ゆずりん」の知人であり、だからそのオフ会の場にいた次第であって、妖務取締官たる私からしたら単に妖術に興味を持っている一般人間の男性でしか当時は本当になかったのだった。
「妖術師って言ったって、今の時代、昔の様に特権も何もないからねぇ。特に私は妖務取締官と言う官職者だ、基本的にするのは民間の妖術師達の動向監視だし…高等妖院でも妖務行政にもっと携わっていれば面白いだろうけど、そんなに刺激に溢れている訳ではないんだよ、あのオフ会の時に言った通りにね」
酒の香りを楽しみながら私は改めて彼にそう言って聞かせた、勿論、そこは微笑みながらではある。この様な席で険しい顔をする意味はないとは分かっていたし、改めて言って聞かせてさぁ話題を変えようとしたところで矢張り彼はそこに言及するのだ、いやそれでもさ、と。
確かに彼の仕事は責任を伴うものだった、多くの人命に関わっているし、それでいながら待遇はそこまでは良くない。それは他業種であるが何かと聞こえてくるし、実際に彼とやりとりしているとその内情を知ると大変だな、と毎度返してしまえる。だからこそ、それはどこかで生じた考えだったのかもしれない、そうかそうか、と返しながら私はふとした思いつきを抱き、酒に酔う瞳の中で彼をじっと観察していたのだった。