冠東に赴任してから1か月がようやく経過しようとしていた。
事前に聞いていた話では長くなっても半年ほどになる、と言われていたが大神自身の認識ではとても、最短で成し得たとして半年、下手をしたら1年は要するのではないか、とすっかり抱けていた。そしてそれはここしばらくのやり取りを思い返せば、真にその通りになりそうだ、との感はますます強くなって仕方なかった。
その1つとしてあるのが「憑神」に対する認識が冠西的な基準では文字通り成ってない、となってしまう事だった。それ自体が大いに根本的な問題である以上に大神を戸惑わせていたのはこの部署、そう「対魔神課」こと「魔憑神対策課」が適切に運営される上で必須とも言える「退魔師組合」との連携がろくにとれていない事であった。
冠東の名誉にかけて記すなら「退魔師組合」は名実ともに存在しており、この相奈県と隣接する自治体も含めれば複数の組合が確かに存在して活動している。
しかし実際に連絡を取ろうとすると何故か取れなかったり、取れても冷淡な対応をされて、少なくとも今のところ一部のフリーランスとも言える組合無所属の一部の退魔師以外とは、まともな、下手をすれば意思疎通すら怪しい水準でしか対憑神対策に関する協議や意見交換が行えていないのが現状であった。
(確かに憑神事件なんてここでは滅多に起きないって言われてもなぁ、何よりまさか、退魔師組合がそれを言ってくるか…?)
当然ながら退魔師組合側は「憑神」の存在を把握しており、また散発的にではあるが、この東の地域でも憑神事件は発生はしていると返されてくる。
しかし一致するのはそこまでだった、その後に続くより具体的なデータの提供、また対策について申し入れると待ってましたと言わんばかりに、その義務はない、と返されるばかりで必要性を訴える大神との間での堂々巡りとしかならない。弱った事にその事実を部署の長に報告しても、そうか、と言われるだけで何かサポートがされるとか、そうした事はない。
他の所属員にしてもここに配属されたのでこの場にいる、との感覚が強く、時間になれば当直者を除いてみんな一斉に帰ってしまう―余りの鮮やかさに時として大神も今では混じっていたりするのだが―ものだから、それが示す通り、まともに憑神事件に対する対応として出動したのはここ1か月無かった、と出来てしまえる。
そんな部署であるからこそ、他の部署からの視線は厳しいものがあった。何より、もう1つ、大神を悩ませたのは自らの種族「獣人族」を珍しがる人間が多い事だろう。それを裏付けるかの様にこの地域に来て以来、人族以外の種族をまともに見かける事―大神程度であればそれは人族であるのだが、久々に帰った冠東では「獣人族」と区別される様になっていた―が稀であった。
そんな有様であるからあれだけ冠西では見かける妖魔族や妖精族に至ってはようとして見かけない。大神の様な獣人族に関しては時折見かけたものであるが、大抵は西の方からの来訪者であって、東の土地に根ざして住んで生きている獣人族と現時点で出会った事は全く無いに等しい。
少なくとも、それは不思議な心地であった。そしてその不思議さをより高めるのは仮にこの相奈県が獣人族の少ない地域であるとしても、各種族ごとに放たれる独特な魔力の残滓が街のそこかしこで感じられる事だろう。しかし幾ら見渡しても、また時間を変えても姿として遭遇する事はなかったものであるし、それの繰り返しに次第に慣れつつはあったがどうしてか、との疑問は何時になっても薄れずに残り続けていたものだった。
だからその日が大神にとって忘れ得ぬ日になったのは当然であった。ふと赴くままに休みを利用して近所を歩いていた時に見出したそれに犬人の誇る嗅覚が特に反応したあの瞬間、そう、明らかに獣人族の放って間もない魔力の残り香を見出した途端、いてもたってもいられなくなったものだった。
その濃さから複数人が歩いていた、とも推測しながら久々に出会った濃厚な同族の気配に大神はすっかり気分を良くして路地を更に奥へと進んでいく。場所は住宅街、ちょうど人通りも疎らな時間であったから、何か別の存在によってその残り香が薄められる事もなしに歩んで行けば、それを放っていた存在がいると思しき場所の特定は容易なものでしかない。
見上げた先に見えたのは幾らかの集合住宅の集まりであった、仮に一戸建てなら更に突き進んでしまったかもしれないが集まりの中のどこなのか、と突き止めるには幾ら嬉しくても骨が折れると言うもの。何より、この冠東においては「獣人族」は何かと珍しがられる、その事を敢えて強く思い返す事で今回はそこから先には進まない様に自らを抑えたものだった。
それでも仲間がいる、同族がいる、それが大変に確実であるのを確信出来た事でここしばらく疲れていた大神の気持ちには一定の潤いが注がれたに等しいもの。それだけで大変に満足の域であったし、機会うかがって何時か出会えたら、との将来への持続ある期待を育てられたのであった。
彼がそこに連れてこられたのは、ふとした紹介あっての事だった。きっかけはしばらく前に行われた大学での健康診断の場、そこにおいて彼の「勾玉状の痣」を認めた医師は驚きの顔と共に一言、早く解消すべきと思う、とだけ呟いて結果に要検査と記したものだった。
その「痣」に気付いてから1ヶ月ほどが経過していた事もあって、一瞬何を言われているのか理解しかねもしたが、少し考えを巡らせれば思い出すものであってああ、そうなのですか、と思わず体を乗り出して彼は医師のアドバイスの続きを求めた。
医師は語った、少なくともそれはある「特殊な疾患」を示しているものだろうから、と。同時にそれを根治させる事は難しい、しかし放っておいては将来的に体に害を及ぼすものであるから、今のうちに対処しておくべき、との内容だった。そして具体策を求めた彼に対してさっと取り出したメモ帳に何事かを書き留めると、近日中にそこに記した内容に従って治療へ動く様に、とだけ述べて、同時に他言はしない事を勧めた上でその場からの退出を促した。
おおよそ彼は、その後においてその通りに従ったのは確かであった。だからこそ、その後に医師が寄越してきた連絡先とやり取りを交わし、打ち合わせをして出会った人物に連れられてきたのであり、今は色々な説明の後にこうベッドに横たえられていて静かに待機している状態にあった。
説明の多くは初めて聞く事ばかりで、戸惑いはとても隠せていない、何より満足に理解が出来ているのかも怪しい。だが不思議と押し寄せてくると言わんばかりのその流れに抗せぬまま、いや抗する考えの浮かばぬままに彼は同意を繰り返し、この様な姿になっていると言えよう。当然ながら傍から見ればやや、どころか中々に強引なものであったのは否めない。しかし彼の選択の結果としてこうなっているのは事実なのであった。
とにかく繰り返し言われたのはこの「勾玉状の痣」は「特殊な疾患」の典型的な初期症状を示していて、残念な事に除去は出来ない。またその「疾患」自体も発症を避けられず、自然にそうなるのを待っていた場合、取り返しがつかなくなる事が多い。故に、人為的な発症を早期に促し、コントロールして行くのが適切な対処法である、との事だった。
そこまで言われて、いやいいです、と断れる人がどれだけいるだろうか。敢えて書くなら「予備の知識」がある人間であれば、胡散臭さを感じて拒否してかも知れない。
しかし彼にはそんなものはない、むしろこのままにしておくと取り返しがつかなくなる、との言葉にすっかり動揺してしまったとしか言えない。故にすぐに治療を開始する、そう早いなら早いほど良いと付け加えられた選択肢を幸か不幸か時間的な余裕もあったものだから、すんなりと再考の余地もなしに選んでしまった。
「では、これより始めましょう」
大体、20分かそれ位待たされただろうか。ようやく戻ってきた人の声に刺激もなく、体から力も抜けてしまっているかの様にすら捉えられる静けさの中で固まっていた彼は思わず安堵の表情を浮かべる。
戻ってきたのは先ほどまで色々と説明をしてきた人間、また見覚えはないが助手と思しき人間の2人であって、どちらも白衣を身に纏っていて如何にも医者との雰囲気を纏うものだった。
そして同時に運び込んできたのは1台の医療器具、それは昔に検診等で用いられた心電図を測る装置を思い起こさせるような物で懐かしさを彼はふと感じてしまう。そして横たわったまま体を軽く拭かれた後に、幾らかの吸盤が体の胴体に、また足に取り付けられていくのは全く以ってそのものであったのは言うまでもない。
吸盤の数は全体で10個となり、その全てが胸に生じてしばらくとなるあの「痣」を囲う様に取り付けられた。そしてその内の一対は見事に乳首の上に取り付けられたのでなんだかむず痒さを感じる中、続いて彼に示され取り付けられたのは頭髪を全て覆うヘルメット状の被せ物であった。
何か気分がおかしくなったら手に掴ませた物を強く握る様に、と言われたのはそれを被せられながらであった。遮蔽性が比較的高いものに包まれながらであったから、それがはっきりと聞こえたとは決して言えなかったばかりか、それに対する彼の肯定の意思表示もきっと確認しづらかったに違いない。しかし彼は何とかそれに対してうなずきを返す事は出来、恐らくそれが認められたからこそ「治療」は始められた。そう、その医療器具のスイッチが入れられたのだった。
続
猫乃のクリスマス・第6話
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