人無き山に棲む者・前編 冬風 狐作
「鳥獣被害多発!むやみに餌を与えないで!」
 それがその地区に到着して真っ先に出迎えてくれた存在だった。人気も疎らな、恐らく今の基準では鉄道はおろか道路も作られないであろう、そんな寂れ切った山村の姿。
 正直、その程度と言うのはこの山村にある駅に向かう列車に乗り込む時に大よそ分かる。ある程度の人口のある都市から分岐している路線であるのに、始発駅の時点で殆ど人の姿が車内に見当たらない、そもそも本数が少なくてまともに機能しているとは思えないダイヤ、その辺りからだろう。
 とは言えその日は休日の昼間、よって偶然そう言うのに乗り合わせただけなのかもしれない。降り立つ駅にはそれなりに人は住んでいるだろう、そうであろうと思いつつ眺める車窓はものの見事に裏切っていく。進めば進むほど疎らになっていく人家の影と緑の密度、そしてようやく到着したその駅の様子は正に最初の予感の通りであった。
 まずは駅、ホームは一応ある。しかしもう放置されて久しい有様を呈していて、1両編成の気動車の止まる若干のスペースを除いて酷かった。大部分のコンクリートを割って草が繁盛し、そうでない部分は黒ずんで汚れていて何らかの事情でつけられたのであろう人の足跡がくっきりと残っているほどの有様。かつての栄えた時代の名残からか長いだけに、その様はありありと目の前に揺らいでいた。
 そんな具合だから駅員なんて当然いない。駅舎は昔に老朽化の為に撤去された様で何も無かった。唯一簡易な待合室がある以外は建物の基礎が乾ききったコンクリートの上に残っているだけで、あとはただ駅間広場までの軽い凹凸のある路面と化しているのみだった。
「やれやれ・・・こりゃ弱ったところに来ちゃったな」
 そして駅の、その荒涼たる光景はそこで終わらなかった。人っ子一人いない灼熱の太陽に照らされている駅前広場はまず舗装がなく、そこには車の轍とその間に草が疎らに生えている始末。それでも森に囲まれているのではなく、モルタル造りの商店に囲まれているのが矢張り駅前なのだろう。しかしどの扉も堅く閉じられていた。だが、同時にこじ開けられてもいる、つまり人は入れないのであろうが建物に沿って繁盛した草木が長い月日の間に出来たのであろう隙間をこじ開け、広げて建物の中へと侵入しているのである。
 まるでその姿は建物が疲れ果てていると意思表示しているかの様な具合だった。それを見たら正直、僕の気持ちはある種の後悔にとらわれるしかない。どうしてここにきてしまったのだろう、そもそも何をしに来たのだろう、一瞬の困惑の後に僕はようやく目的を思い出した。
 一瞬帰ってしまおうか?そう言う気持ちも芽生えたのは事実だった。しかし手元に握っていた書類、と言っても1枚の紙に改めて目を通してすっとそれをしまい込む。そうこれは久々の仕事なのだ、ようやく得られた報酬付の、しかも自分が主導的に進められる絶好の機会。とてもそんな気持ちで捨てられるほどの軽いものではなかった。

 だがこの仕事が舞い込んで来る事を予想出来なかったのと同じく、今晒されている展開もまた予想出来ている訳がなかった。
「うう・・・」
 思わず呻いたところでどうにもならないこの瞬間、辺りは明るくそして暗い。何故ならその場の時間は夜であり、眼下には大きな鍋が燃え盛る炎の上にくべられているからそう言う表現となったのだ。
 そして周囲には人影がある。無理な姿勢で吊り下げられて拘束されながらも、その幾名かの存在は首を動かす事で見る事が出来た。無理な姿勢、それは両手両足とも言わば後手ともとれる格好で一まとめに束ねられ、まるで風を受けた凧の様な姿勢で吊るされているものだった。
 その姿勢の異常さと共に僕はこの現状を夢とどこかで思いたかった、それはそう目に映った光景と耳に届いた声からであろう。
 声の具合からも裏付けられる事ではあったが、肝心の眼下にいる存在の姿が信じられず、僕は正直幻を見せられているとしか思えなかったのである。
 それは何と言うのだろう、毛むくじゃらとはまず分かる。色合いは黒に白が混じるような具合で、頭髪に限られたのではなく全身に、その身に纏われている衣服の裾や突き出ている両手足もすっかり一様な毛に覆われているそんな存在達。そしてその会話の内容、どことない訛で聞き取りにくく仕方ないそれに耳を澄ませると、その内容にはふとした嫌悪感と恐怖がこみ上げてくる。
「はぁ・・・腹減ったなぁ」
「そうだなぁ、でも上手い具合に捕まったじゃないか」
「そうだそうだ、ほら用意は出来たぞ後は・・・あれだけだな」
「ああそうだ、あれを煮詰めてとろとろにして・・・」
 その会話を彼らは一体何度繰り返したのだろう、鍋の周りに敷かれた敷物の上にいる座り彼らの周りには酒が入っている思しき容器やら、そう言う酒宴の席で使われる什器が並べられている。そして最後の言葉が繰り返される度に、決まって1人がその腕をあげて指差すのだ。
「ああ美味そうだ、甘そうな人間だ」
 そう付け加える様に口にして僕を指差してくるのには、最初は訳が分からなかった。しかし次第に状況を飲み込む内に、少なくともそこに用意されている品々と彼らの会話の内容が合致した事で、彼らは、その得体の知れない毛むくじゃらの存在達は僕を食べようとしている、人間汁として食べようとしている事を知れた、故に先ほどの感情を浮かべていたのである。
 そもそもどうしてこんな事になったのか。それを思うと改めて今の自分の扱いに納得がいくのだが、まだあの日が残っていた時刻、そこに遡らなければならない。

 あの寂れたを通り越してすっかり荒廃した駅前の街を抜けた僕は、元々計画していた道を辿って山奥へと向かった。計画通りであればその道の先に調査対象となる存在がある筈だった、だがそこにはたどり着けなかったと言う他ない。
 何故ならその途中の肝心な場所で道路が崩落していたからだ。道路の上の斜面からすっかり根こそぎと言う具合に発生した土砂崩れ、それにより迂回なんて不可能なほどに荒れた斜面はすっかり牙を向いて前進を許さない。それでも僕は何とかしてそこを突破しよう、と試みた。しかしそれは一時的には成功したが、新たな危機的状況に直面する結果となった。
 そう戻れないのである、何とか登る事は出来た。しかしその一部を登ってきた時と同様には這いつくばって下る事は無理としか思えない、その事に迂回しようと上に向かってから気が付いてしまったのである。
「参ったな・・・加えて」
 軽く舌打ちをしつつ、少しばかりの足場の上で僕は空を眺めた。そう急速に空が曇りだしたのだ、先ほどから風も吹き出しては段々と湿り気を載せて来ているのも悪い予感を増幅するしかなかった。
 それはその不安定な場所に留まっている事、それは危険であると言う警告も兼ねていたと言えるだろう。幸いにして気付けたからこそ僕は、先ほど見当をつけた迂回路と思しき線を描きつつ、歩を進めてようやくその場を脱出するのに挑む。とにかくこの場から逃れなくてはならないとの一心の下、それが山奥により近付く場所であろうともしようと試み、そして達成したのだった。
「おっとと・・・何とか逃れられた」
 すっかり土で汚れた体を払いつつ、僕は辺りを見回した。咄嗟に見つけて何とかもぐりこんだこの場所はどうやら道の続きである様だった、つまり崩落現場の裏側に何とかたどり着けた、と推測出来る路面の存在に僕はほっと一息を吐くのみ。
 いやそれだけに留まらない、吐くのみではなくそれを足裏の感覚を頼りに心の中で強く思う。とにかく人の造った物の上に来れたのだ、だからこそどこかに続いている、特に自分が目的地としている場所に恐らく続いているであろうと言う期待はそれをより強く後押しする。それはふとした自信を生んで、軽くしょげていた気持ちをすっと元の姿に戻していく。
 道は続いている。街を出た途端に急に石畳に変わった以外は崩落を抜けた後も、石の間から草がある程度 生えている以外は全く同じ様に続いている上を歩んでいく。それ以外は取り立てて変化のない、あると言えばあの崩落を境として掘割の道に変わった事であろう。そしておよそ1時間余り歩いたところでそれはようやく尽きた、そしてそこが目指していた場所であろうと言う予感を抱いたのだった。

「では始めよう、まぁ予想通り誰かいる訳がないけど」
 休日の昼間からもうかなりの時間が経っていた。雲は何時の間にか晴れていて、もう午後も夕方に近く木々の合間から差し込んでくる日差しは、あの時の焦った気持ちが恥ずかしいほどの淡いオレンジ色を載せている。もう今日中に、そもそもあの崩落である、容易には里に下れれない事は分かっていた。だから平たい場所を探してまずはそこにテントを作る、そんな事に費やしている内に気が付けば1時間は経過していて、辺りには薄暗さが漂っては秒毎に濃さを増している有様であった。
 流石にこの時間になると調査、ないしその下準備もするのは中々難しい。欲を言えば今晩からでもしたいところであった、しかし下手に焦って機材でも壊したらまた面倒な話になる、そうすぐに予感出来たからこそ慎重に事を構えなくてはならなかった。
 それでも一応の下調べとして、テントの見える範囲を巡ってある程度の見当を付ける。こうしておけば翌日、調査を始める時に役に立つに違いない。どうせ夜は長いのだから考えるに時間は余りある・・・そうと思いながら懐中電灯片手にその辺りを巡るのだ。
 その場所は誰もいない場所、つまりかつては人がいた場所。古い地図を見るとこの辺り一帯でかつてかなりの信仰を集めていた寺院がここにあった事が分かる。そして確認出来る範囲では、数十年前まではまだ住職もいて維持されていたとの事だが、何時の間にかその姿も失せて廃寺となり、今では地図からも消えうせてしまっている。
 しかし森に帰ってしまったかの様なこの場所に、歴史的に存在していたのは事実である。同時にこの辺り一帯の素朴な信仰心を集めていた場所、としても非常に興味深く、それ等の民俗信仰を研究対象としている僕にとっては正にそのものでしかない。
 だが如何せん研究をする身とは言え、費用を支払って大学に籍を置かせてもらっている身が遠路を行く事は難しい。故に比較的近場のその様な事例の研究をこれまでしてきたものだったが、ふとした話がきっかけとなって得られた援助。それにより、こうして言わば今ではすっかり忘れ去られたかつての信仰の場へとやって来れたのだ。
 だからこうしてその場所を歩いていられる事、それ自体でどこか僕は気持ちが満たされていたのは言うまでもない。だがそれに留まらなかったのは折角の得られた機会なのだから、と言う思いが働いたからだろう。よって少し辺りを巡るはずがどんどん遠くへ踏み込んでいく結果となる。
 片手にある地図こそ時折確認していたが、いざ歩き出して体以上に動き、辺りを本格的に覆いだす暗闇の前に焦る、見れる限り見てしまいたいとの複合した気持ちはある意味では始末に終えない。すっかり夢中になって、少しばかりの窪地に入るとわずかに残っていた残照すらも消え失せてしまう。そんな中へと抵抗なく入り込むほどなのだから、程度は知れたものだろう。
 要は更に入り込んでからしばらくするまで正気ではなかった、と言えるだろう、そして気が付いたのはしまった、との強い感情とほぼ同時にしてのものだった。


 続
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