狛犬物語・第7話 緒戦 冬風 狐作
(もう秋ったら・・・)
 瞳に写る相手の姿、追っているその相手を見つめつつリリーは少しムッとしていた。それは相手によるものではない、今脳裏にて浮かべたとおり秋の操る物が抉った地面の欠片、それが仲間である彼女にもぶつかった事に対するふとした不満であった。
 同時にそれは麻子と比較した場合、大いに立場の異なる反応と言えよう。片方は助かりたいと言うある意味本能的、そしてもう片方は軽い嫌悪感と言う理性的な違い。それは即ちこの場においてどれだけ余裕があるかの違いであり、だからこそ追う者と追われる者と言うのを一層明確とする。
(ま・・・とにかく今は、捕らえてしまいましょう)
 そうリリーは余裕に満ちていた。もうこの相手は、今目の前で恐れ戦く顔を見せている女は私に抵抗などしないと。そもそももう逃げる事も無いだろう、と強く思うなり、これまでの苦労が思い出されてようやく一段落つけると言う思いが一気に沸き起こっていたのもあった。ふと気が付けば先ほどまで彼女の動きにあわせて、共に追っていた長尺の、どこか鞭とかそう言う類を髣髴とさせる、あれの姿は見当たらなかった。
 無いと言う事は秋がそれを自らの元に戻したのだろう。断りも無くと言うのは少し感心しないところだったが、元々そう言う癖のある事は承知していたし、ここまでになればもう大丈夫、と逆にここまで共に追っていた仲間に対するねぎらいの気持ちで一杯だった。もう大丈夫、そう思って、軽い微笑みすら浮かべながら手を伸ばし、その肩へと手を置いた。
「え・・・っ!?」
   しかし次に得た感覚と言うのは残像を伴ったものだった。そしてそれに瞳を開いている内に、手は握るはずの肩があった空間の空気を掴み、行き場をなくしたままそのままの勢いで手の平と指同士がぶつかり合う。そういなくなっていたのだ、相手が。追い詰めてもう逃げる余地など無い筈の相手は、今、見ている前でこちらが対応し切れないほど素早く屈み込んでいく。
 それはただ一瞬の強い衝撃、そう胸に、強烈な突き上げが来るのを感じる。それは誰が何を受けたのか分からないほどの唐突さでそれが自分、つまりリリーが受けたのだと、それも追い詰めたとばかりに見ていた相手が繰り出して来た物であるのだと言う事を理解した時には、驚きを感じていた事すらも曖昧にさせる朦朧さに包まれた。
 それは直接的な打撃による衝撃よりも精神的な面に拠るのが大きかっただろう。即ちそれは思っていた筈の、掴みかけていた未来があくまでも上辺だけを見ていた結果でしかなかった事。そしてようやく終わる筈が終わるどころか事態を悪化させてしまった、と言う事による動揺の結果だった。だから受けた以上の衝撃がリリーを包んだと出来よう、そして確実に気力と戦意は巻き込まれて削がれて行く。ただあるのは強い疑問だけだった、何故、何故なのか、と言う気持ちに打ちひしがれて沈み行くのみの気持ちだった。

「ハァ・・・はあ・・・っ」
 麻子は見下ろしていた、仁王立ちで息を荒くして、今だ心臓が激しく動悸するのを感じては眼下の地面に仰向けに倒れ伏すつい今しがたまで、自分を追い詰めていた存在を。
(良かった・・・間に合った)
 何も浮かべずただ見つめていたその心にふと声が響く、それは犬だった。安堵した様な声につられて麻子も思いを浮かべ始める。 
(どうなったの・・・?)
(助かったんです、間に合って・・・ああこれで少しは楽になる、ようやく追っ手から解放されて・・・)
(追っ手って、この相手の事?)
(そうです、もう数ヶ月付きまとわれて大変だったのです)
(どう言う事なの?もう・・・あっあと1人いなかったっけ・・・?)
 心に思いを浮かべ始めるなり、閉じていた記憶も再び引きずり始めだされた。その中で説明を後ですると言う約束と共に、もう1人、今、目の前に倒れている相手と共にいた者の事を思い出す。故に今度は頭を少し上げて視線をあの、逃れてきた向けて構えた。
 だがそこは静かなままだった。あれだけ直接的に追いかけ、そして麻子に本能的な恐怖を抱かせた長尺の存在が来る気配すらない。
 それには拍子抜け、と言う言葉が似合う事だろう。少なくともそれだけを見たらまるで何事も無かったかのような光景なのだから、だが実際には足元に倒れている存在、壊れた倉庫の壁の破片、そして抉られた地面と出来事はどれも克明に刻み付けられている。そしてもう1つ、刻み付けられている物がある事にまだ麻子は気が付いていなかった。だが少なくとも言える事、それは区切りをその手で付けたと言う事だった。
(戦ったんだ・・・漫画の中みたい)
(現実なのですよ?)
(そうなんだよ・・・ねって、え?)
 戦う、そんな事が現実にあったとは思えない。しかしこれ等の証拠はそれがあった事を如実に示す、その前に麻子はふとした胸の重さを感じて仕方なかった。だからだろう、少し気を紛らわそうと手を上げて頭をかこうとした時、再び麻子は動きを止めた。そして急速に新たな思いを、つまり自分の体に感じる妙な力の具合、何よりも手に掴んでいる何か、どうして目の前で相手が倒れているのか、と言う事に対して浮かべかけた時、ふとその視線の先にかざしては見ている手、その奥が明るくなったのを捉える。
 浮かんだばかりの、前述の気持ちを全て吹き飛ばされた一方で、明かりをおこす物などあったのか?と言う疑念と共に、新手の、と言うはっとした考えを疑問も無しに自然と浮かべる。とにかく外に向けての行動として取ったのは前を注視する事だった。そして誰かがこちらに向かってくると言う、ある種の答えが示された時、それは最大のレベルになった。
 それは明らかな戦闘体勢、そう新たな戦闘になるか、と念じて。だがそれはそう間を置かずして解ける事になる、とは全く予期していなかった。

「やあ、御機嫌よう、お嬢さん。そしてトウゲン君はそのお嬢さんの体を借りているのかね?」
(え・・・?)
 覚えのない声と気配、と言えようか。身構えていた自分が思わず恥ずかしくなるほどの余裕さを前にした彼女は、当惑しつつその言葉を丹念に耳で拾った。そして響きの中の「トウゲン」と言う、呼び名であろう単語は彼女に覚えはない事にふと気が付く。そして軽く首を捻ったその時、体の中に共にいるあの犬が、後述の如くふと反応を示したのを感じたのはタイミングの合った、上手い展開であった。
 しかしその時はそれと共に届いた、体を「借りている」との言葉の響きにも関心が行っていた。そして直前に目にした自らの手と腕に関する違和感、加えての現状に対するある程度の、即ちもう1つの答えを矢張り示唆しているのではないか、とも一面で感じていたとは言えよう。
(うん、ああ紛らわしいよね・・・えいっ)
 だがそう出来たところでどうしたものか、この様な気配であっても、今の今なのだからこの相手もまた敵なのか敵ではないのか?と言う考えを捨て切れていなかった。そこで麻子の中から犬が返した反応は、前述のタイミングの良さとも相俟って気持ちに余裕をもたらし、続くふと気が付いた、と言う具合の犬の呟きの途端、急に体は軽くなった。
 つまりそれ等は一見別に見えて全てつながっていたと言えるだろう。既に示唆していると感じた1つの答えに続いて、前にふと触れていた新たな答えへ、とつながる形で。

 体が軽くなったのは何かが自分の中から出て行く、正確には分かれていく感覚が続いた事によるものだった。その流れのままに、明確に足元に生じた気配を感じて視線を向けると、そこには四足で地に立つ1匹の、あの背中に注連縄を付けた見覚えのある白と薄水、否、縹色の毛並みをした犬の姿が相馬を置く事無く姿を現す。
「やあ・・・ちょっと色々とあったのですよ。後ろの見ましたでしょう?」
「いやぁ、やってしまったね?勿論、君がした訳ではないというのは承知・・・後ろにいた輩はわっしが倒しておいたので大丈夫ですよ」
「ああ、それはありがたいです。それで・・・紹介しますね、これがこの神社に祀られていて、僕を預かっているエンコ君です。そしてお嬢さん、彼女の名前は麻子さんです」
「改めましてご機嫌麗しゅうございます、只今御紹介に与りました、当社に祀られておりますエンコと申します。この度はわっしが留守の間にご迷惑をおかけした様で失礼致しました」
 さっとした確認しあう様な口調で交わされたやり取り、それに続いたのは麻子に対しての丁寧な挨拶。そしてその様に述べながら頭を、その上に載せた被り物を手にとって下げてくる姿に、礼儀正しい以外の評する言葉はないだろう。だがその姿も、流石にあからさまな驚きは見せなかったが人ではない。
 それは狐の顔だった。狐の顔をした、狐人と言うべきだろう相手は身に纏っている装束の部分こそそれによって隠されているが、見えている毛並みは皆、赤々として鮮やかな色を発しており、そのグラデーションはふと炎を思わせる。そして見れば見るほど不思議と違和感を感じなくなり、逆に近しさをその場で大きく抱き初めて行った。何より、そう感じるのも疑問とも思わなくなっていく内に言葉を打ち返す。
「あ・・・その初めまして、私・・・高山麻子、と言います。あのその、何だか突然で色々分からなくて・・・」
「ほう、なるほど。まぁこの様子ではその様ですなぁ・・・では承知致しました、色々とご説明しましょう、こちらへ」
 そう言ってのエンコの誘いそのままに麻子とトウゲンは拝殿の中へと招き入れられた。彼らがいなくなると不意にその場は夜の闇へとまた覆われていく、そして朝までの自然の理の中、静かに立ち返っては何事も無かったかの様に染まるのみだった。


 続
狛犬物語・第8話・1コマの日常
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