狛犬物語・第3話 神社冬風 狐作
 翌日、再び自転車を借りて麻子がやって来たのはあの神社だった。夕闇迫る中で見た境内、そして掲げられていた由緒案内、それだけでもその神社に対する情報と言うのは多く得られたのだが、時間的な事から細部まで見れなかったのが強く心残りでならず、こうして再びやって来たと言う訳だった。
「本当だ、裏の方にまだ敷地が続いている・・・」
 そしてその得た、つまり持っている情報と言うのは昨日の同じ段階と比べるとそれなりに増えていた。それにはこの土地の人間たる宿の女将、そして主人の存在が挙げられるだろう。つまり幼い頃からこの土地で育ったが故に由緒板に書かれている情報以上の物を持ち合わせているのは、ある意味当然の事と言えるがそれはこの様な田舎であるからこそより強く確実に言える事と出来る。
 そうして得られた物の中で麻子が特に関心を抱けたのは、狛犬が神社の裏手で祭神となっている祠があると言う話であった。普通狛犬と言う物は、一般的には神社敷地の入り口や本殿の前に置かれてその神域を護り、かつ出入りする者を見張ると言う役目があると言う物である。しかしながらそれが神として祀られている、確かにその存在は神に仕える者であるし一種の神聖さを纏っているのは理解出来よう。
 しかしながらそれが神となっていると言うのに麻子の頭は素直に納得出来なかった。その場ではとにかく様々な情報を得たいが為に最低限の質問、例えば位置だとかそう言った基本的な事柄に関する物のみを質問としてぶつけるのみに留めてはいた。だが内心ではしばらく考えた後に、大方その祭られている狛犬と言うのは、狼かその類であろうと言う見当こそつけていたがあくまでも見当であり、実際に行って見なければと言う気持ちを抑えつつ、布団に入り目覚めるなり朝食を頂いてから、再び自転車を借りてやって来たそう言う経緯を抱えての訪問だった。
 改めてお参りをしてから口をきゅっと結んでその拝殿の左手へと回り込む。昨日の夕暮れ時とは違ってまだ日差しも高い内であるから見通しははっきりとし、確かに今日見た印象は昨日と違って人が入れるだけのスペースが木々と建物の間に続いているのが見て取れた。ただ踏み後は薄い、かなり大部分がまだ繁盛している雑草に覆われていて、薄く縦筋の様に走っているだけにしか過ぎない。そう屋根から垂れてくる雨水によって生じている窪みと大差無いのである、これでは事前に知らない限り、暗くなくとも気が付かないのが関の山だと感じられてしまう。
(やっぱり人がいないから・・・ね)
 同時に反復されたのは昨晩の女将の、どこかすまなそうな声だった。不思議とそれを踏み分けて進めば進むほど繰返されてしまう、昔は神主も住み込みで付いていて何時も綺麗に整えられていたこの神社。しかし今では神主をはじめ神社に直接仕える者の姿はなくなって久しく、それでも護り続けてきたこの地域の人口もいよいよ減りに減って満足な手入れが仕切れない。その悔しさを表していたのだろうかと思えてならなかった。
「そして・・・この裏手、あらっ今度は階段?」
 そして回りこんだ先には何と話には聞いていなかった存在、人の背丈ほどに盛り上げられた土盛の盛り上がりとそこに上る石の階段が姿を現した。そしてその入口にはやや褪せた朱塗りの鳥居があり、更に中腹へと視線を向けるとそこにはやや苔生してこそいるものの石造りの狐が置かれている。その様式は明らかに稲荷神社、つまり拝殿の裏にあると言う性質から本殿かあるいは狐塚の類なのだろう。とにかく狐と言う時点で狛犬ではないし、また狛犬についての話の中でも登場してこなかったので今、彼女が目的としている物とは異なると結論付けられた。
 階段を登りこそしなかったものの鳥居の前で一礼をしてから通り過ぎて麻子は辺りを見回した、確かに女将そして主人は神社の裏にあると言った。ただそれ以外に何か言ってはいなかったかと、軽く頭を振る等して思い起こそうと努める。何か、そう何か・・・繰り返し繰り返し問いかけている内に、ある1つの記憶がようやく蘇って来た。
「そうよ、そうそう。少しずれているんだった、更に左・・・あ、あれね?」
 確かに神社の裏手と言うのは正しかった、それも左手と言うのは更に正しかった。だが純粋に裏にあるのではなかったのである、そうそれは隠れる様に神社の裏手の左手を入って拝殿の隅を歩き切ったところで、下る傾斜の左下にある。そう言っていたのだ、その最後の部分を失念していたからこの様に悩んでしまったのだ。見下ろせば不思議とその一角だけ特に草が繁盛していて見難いのだが、確かにより古びた石造りの祠が鎮座している。物静かで落ち着いている、そんな空気を纏っている姿を示していた。
「うーん下り辛いな、草が邪魔ねぇ・・・えいっ」
 傾斜はやや急だった、だからこそバランスを取りたいと言うのに大量の草。それも黄色の花が密集して生えていてかつ背丈も腰ほどまで高い、そんな野の花があるお陰でバランスを取る所の話ではなくその茎を掴んでは斜面の土に足を食い込ませる様にして、とにかく転げ落ちない様に精一杯にしてゆっくりゆっくりと体を下げて行った。だからその後には痕跡として抉れて盛り上がっては崩れた斜面と、てんでばらばらな方向に動かされ中には荒らされて、無残な姿と化した草の累々たる姿が残されているのだがその目的であろう祠に近付くので夢中な麻子の関知する所ではなかった。
 だからこその罰が当たったのだろうか、いよいよ目前に、そして同時にこの斜面の草地獄から解放される。その思いに気がふと緩んだその隙に彼女は重大な見落としをしていた、そう足元に草に埋もれる様にして比較的深い溝があったのに。そしてそこに見事に脚を突っ込ませると同時に片方の足を、そこを境として急に草の生えていない平地へと載せようとした瞬間、大きくその体は前のめりにつんのめった。
「え・・・っ!?」
 想定していなかった事だからその反応は何者にも勝る自然であったのだろう、溝にはまった脚はそれ位ではとても抜けない。見る見る内にあらぬ力が加わり骨に筋が伸びていく、そして重い頭はそれ自身の重さによって更なる加速を生み出して行き・・・盛大な破壊音が辺りに響き渡った。距離がそう、つまり草の生い茂る淵から無かったが故にその頭は目指していた祠の扉、扉その物は金属の格子であったが止め具がもう相当に老朽化していたが故に、その衝突した衝撃で外れてしまったのだ。そして祠の中に頭を突っ込み、かつ片足を草むらの溝にひっかけて沈めたままの姿勢で彼女は歪な形で横になっていた。
(うう・・・い・・・いたい・・・っ)
 その衝撃たるやもろに受けて火花どころか雷撃を食らった様な物だった、泣きたくとも泣けない、起き上がりたくとも起き上がれない、辛うじてわずかに動けるのみ。そんな有様だから横たわるのが精一杯だった、とにかく前頭部が物凄く痛いと言う事は何よりも言えたであろう。何やら暖かいから血も流れているのかもしれない、しかしそれすらも確認する余裕は無かった。
(く・・・血が・・・?)
 だが徐々に収まっていく、最初の思考すらも止めてしまう様な強い痛みが徐々に収束していくと共に、その性質は鈍くそして熱さを伴った物へと変わっていった。ジワンジワンと言う響きを伴ったそんな痛み、それによって少しは余裕も生まれてきたそんな矢先、ふとした事にようやく気が付いた。
 続
狛犬物語・第4話 夕闇
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