紅葉の静寂・前編 冬風 狐作
「お疲れ様でした、次は終点大相、大相です。この電車、大相に到着しますと回送電車となり・・・。」
 その放送と共に車内は次第にざわめきだした。いや元々ざわめいていたのかも知れない、どうしてそう言うのかと言うとそれまで車内に響いていた甲高い走行音・・・モーター等の音が狭いトンネル内にてすぐに跳ね返って増幅されていたそれらの雑音が列車の減速と共に小さくなって来ていたからである。最もそれはただの偶然の一致かもしれないがとにかく、もう長きに渡って走り続け今はその余生をこう言った臨時列車にて過ごしている車両の中で、恐らくこの車両よりも長生きしている人からずっと若い人までと幅広い年齢層を持った集団が思い思いの格好をして仲間と言葉を交わす等しつつ下車していく準備にいそしんでいたのだった。
 そして到着したのはホームに数名の駅員が待ち受けている長いトンネルの中にある小さな駅、 車内からは先ほど仕度にいそしんでいた人々が一気に降り立って行き一気に静寂さは打ち消される。基本的には音と言う音が殆ど響かない、例外として時折電車が通過ないし発着する時以外は地下水の流れる音程度しか響かないこの駅にとって貴重な賑わいだった。
 最もその光景は駅の存在を何もない山奥の林道にポツンと一本だけ立っている灯火を点している蛍光灯とすれば、今の賑わいはその明かりに惹かれて集まり群がる無数の夜の虫達と例えられよう。人々が階段を経て地上へと出て行き、待ち構えていた駅員達も回送電車に乗り込んで電車と共に去って行った後には再び静寂に包まれた駅が残される・・・そうこの駅は基本的に無人駅、今の様に多数の乗客が予想される時に臨時に駅員が配置されるだけでその他は1日に付き数人降りれば上出来と言う駅であった。

 駅ホームから長い階段を上った先にある地上の出口に出るなり人々は、安堵した顔を見せつつ尚も足を進めて駅前から伸びている道を1つの方向へ向けて進んで行った。今の時期は秋、大都市圏の中心部から200キロは離れていないこの駅のある一帯は、古くからその渓谷美で知られている景勝地であり特に紅葉の時期の名高さは維新の前より知られていたと言われている。
 そして50年以上前に鉄道が開通して以来、それまではそれなりの装備と日数を要しなければ来る事は叶わなかったこの土地へ来るのが極めて容易となったのをきっかけに開発・・・と言っても今でこそ里からの道路がしっかりと整備されているが、当時は鉄道しかなく何よりも駅が出来たとは言え山奥過ぎたので駅前からの道路と幾つかの山荘が開かれて日帰りから一泊程度の観光地として門戸を大きく開いて今に至るのである。
 だがこの駅に降りるからと言って全てが紅葉ないしその渓谷美目的に来るのではない、人によっては純粋にこの辺りの比較的難易度の高い山々に登山をしようとしてくる者もいたし、当然その中には駅に降りるのだけが目的な鉄道趣味者も含まれるだろう。よってこの度、この駅を終点とする紅葉客輸送の為の先ほどの臨時列車にて到着した彼もそう言った紅葉目当てでは無いとは言えないが性質的にはよりそちらに近い利用者として分類出来るだろう。
 しかし彼は今挙げた登山と鉄道の何れにも当てはまらない、性格的に言えば鉄道に近しいのだろうが鉄道だけが目的ではない。確かにこの時期にこの駅を終点として運転されるのって来た臨時列車が目当てだったのもあるし、この駅自体も好みであるから目的の1つだろう。そして紅葉も・・・しかし彼は紅葉目指して駅から足早に立ち去っていく人を見送った。そして彼は駅舎へと取り出したカメラのレンズを向けて、彼は彼としての目的をこなし始める。駅舎と駅前広場を数枚取り終えた時、もう駅の周辺には彼の姿しか見えなかった。
「やっぱりこの駅は静かなのが1番似合う・・・な。」
 そしてその静けさの中でポツリと感想を漏らした。

 この季節にこの駅に来るのは彼にとって2度目の事だった、それは昨年の事。しかしそれ以外の季節を含めればもう後数回で二桁と言う回数にまで至っているし、そもそも初めて来たのが昨年の春なのだから長い付き合いと言う事では決して無い。しかしこの様な自然と観光客向けの山荘がある以外は何も無いと言って良いこの土地にそれだけ足繁く通っているのだから、それは数年以上かけて同じ回数通っている人々と比べればずっとこの周辺の事を知っている証と言う事が出来るだろう。
 前述したように撮影を終えた彼は、しばらく駅舎前のベンチに腰を下ろして持ち込んだペットボトルの中に残っていたお茶を飲み干してゴミ箱へ棄てて立ち上がる。立ち上がり軽く衣服を払うような具合で持ち物を確かめると慣れた足取りで階段を下って未舗装の、砂利が敷き詰められた若干傾斜のある駅前広場の隅を横へ駅舎に沿って進み、早くも標高の高いこの土地で里よりも早く訪れかつ持続している涼しさと寒さによって勢いが衰えている雑草の中へと踏み入った。
 乾いた雑草の丈はおよそ腰より下まではあった。最もまだ完全に黄色に変色してないので草らしいしなやかさは残っており踏み分けたとしても完全に、とまでは行かないにしても通り過ぎてしまった箇所はやや掻き分けられた痕跡を残しつつ元通りに近い様に姿勢を正している。雑草の生えている土壌は駅前の砂利敷きの箇所とは違って黒い土であった、所々に砂利の痕跡が残っている事からかつては矢張り砂利が敷かれて整備されていたのだろうがもう・・・少なくとも5年以上は放置されているのだろう。
 その様に駅の敷地の中でありながら自然に帰りつつある所を抜けた先にまず最初に彼が目指していた物はあった。駅舎の脇の崖の様になっている部分を玉垣の様に積み重ねられた駅舎の載っている石積みに足を掛けて抜けた先、そこはかつては一部を除いて立ち入る事の出来なかった場所。そう今では廃止された旧線・・・この駅開業と共に敷かれた線路であり、その後輸送力不足の為に増強された地下ホームのある線路と共に複線の一方として機能していたものの、一昔前に過剰設備として廃止された経緯がある。
 よって現在、この駅は当初と同じく単線となっているのだがその線路は前述した通りに地下深くを直線に貫く長大トンネルの中にあり、もうこの景色の中を行く列車の姿を見る事は恐らく永遠に無いだろう。もう線路は外されて久しいし路盤はすっかり荒れ果ててしまっている、残されているのは今目の前にある草むらの中のコンクリート作りのホーム・・・開業以来、複線の一方となった後も数多くの利用者の足の下を支えていたそれは今や巨大な石の塊に過ぎない。雑草の海の中に、その上にも多くの草を生やしながらも浮かぶ島の如くであった。
「夏よりも大分良いな・・・まぁ当然だけど。」
 そのホーム全体を収められる位置へ移動してシャッターを押しながら彼は呟いた。ただ1ヶ月と少し前に来た時はホームが辛うじて見える程度にまで青草が繁盛していたと言うのに今では容易に見る事が出来る、今年は秋が来るのが遅いと昨日の夜に寝付く前に見た気象予報では言っていたがあくまでもそれは人間が主体の里での事に過ぎないのだろう。
 そうここは矢張り今なお人里離れた自然の領域なのだと実感させられる、そんな対比だと彼は感じつつ相変わらず草を掻き分けて辺りを闊歩する。ホームとその周辺自体はもう幾度も見て周っているから正直、どこに何があるかは大抵把握しているから目新しい事はそうある訳ではない。だがだからこそ放置されて日々そして年々様子を変えていくそれらの変化を観察せざるにはこの駅に来た意味が彼にとって無い訳である、そしておよそ1時間ほどを12両編成まで止まれるように設計されていた長いホームの周辺を見て周るのに費やし、手は鞄の中に伸びて何かを求めてさ迷い思い出す。
「そういや飲み物は飲み干したんだよな・・・うっかりしてた。」
 喉の渇きは唾液を飲む事で一応騙しながら、ふと苦笑しつつまた歩き始めた。今はレールの残っていない路盤の上を、ただそこにかつて電化された線路があった事を示す架線柱の下を往時の事を想像しながら廃線跡を辿って駅の敷地から抜け出て行く。

「またここに来たなぁ、階段は相変わらずか。」
 現役当時であれば上りの方向へとしばらく歩いた彼は、駅からはもう見渡せない場所まで来ると頻りに辺りを見回しある一方へと駆け寄る。ちょうどその場所は左回りに緩やかなカーブを描いている中程でありここに至るまでは廃隧道3つとその倍近くある小さな橋梁を越えなくてはならない、それだけの距離があるのだし何よりも山の斜面に削って無理やり線路を作った様な場所であるから、当然人家等は皆無な場所である。
 そこで彼が駆け寄ったのは線路脇、右手側の谷へと落ち込んでいく斜面側。何箇所かで崩落していて線路敷きが半分程度にまで寝食している箇所もある中で、その前後数百メートルに限っては山の突き出していた尾根を切り崩して台地の様になっており、尾根自体が崩落し無い限り線路敷きも崩落しない最後まで幾ら荒れ果てても線路敷きが残るであろう貴重な場所の1つだった。
 その事が認識されてか現役時代からこの場所は重宝されており、今でも半ば朽ちた2階建ての木造の保線小屋や廃止前から引き続き置かれたままになっている細い応急用のレール等が朽ちかけている中に彼が目指していた階段はあった。その台地の外れの斜面に沿って下に下っていくコンクリート作りの階段、鉄製の設置されている柵は折れ曲がる等して無残な有様を呈していたが階段自体は相変わらず健全に存在している。
 踏み込む彼の足は慣れた様子で躊躇等の迷いは一切無い、それは彼がかつてここに来た事があるのを示していたのだろう。1人が下るのがやっとな階段を折れて横倒しになっている鉄柵等の障害物を避けつつ、等間隔にある踊り場毎に下に続く階段の様子を確認しながら進む慎重さはあったが、矢張り傍目から見る限りでは大胆に駆け下りていく。そもそも大胆でなければ果たしてここまで来るだろうか?とは言え本人はそう大胆等と意識している様子は見えず、普通に少々気を付けながら降りているというのがその心だったのだろう。
 そして階段が尽きた先から急傾斜地は天然の段丘へと姿を変え、階段もその中に続く道となっていた。段丘の上にある細い平地は鬱蒼とした森であり更に下に続く谷底を流れる川の音・・・昨晩から今朝にかけて降った雨の影響で増水していた事による轟音の一部が、時折吹くそよ風による木々の葉の擦れ合いに混じって耳に届く。
 当然そこにある森は周辺と同じく広葉樹林なので半ば以上が色付いて紅葉し何とも美しい、もし今日が快晴であれば木漏れ日を通じて一層美しさは輝きとして際立った事だろう。それでも曇り空の下にて紅葉は輝きこそ欠けるものの色合いとしてはむしろ濃く見えて思わず感嘆の息を漏らしてしまうのだった。その中をすっかり安堵した表情をして進む彼の足取りは一層軽く・・・今年もこの光景が昨年に続いて見れた事に嬉しさを感じてならなかったのだから。
 彼の歩んでいた道はその森の中で果てた、森の中にある周辺の沢の水が流れ込んで出来た池の畔に達して果てる道だったのだ。その畔には道と共にかつて人がここに来ていた事を示す幾つかの物がありその1つが石碑である、半ば苔で覆われてしまっているが彼が以前に読んだ資料によるとあの廃止された旧線の開通当時に建てられた2つの記念碑の内の1つなのだと言う。
 どうして2つも建てられたのかは不明な上に、片方の今でも山を下った駅前に整備されておかれているのにも関わらずもう一方のこの石碑は今や忘れ去られたかの様にここに鎮座しているりもどこか不可解である。何よりも碑文が恐らく漢文であろうがすっかり読めなくなっている時点で余計に奇妙さが漂っているのだが、それだけが今の現実なのであり事実なのである。彼はその前に立ってじっと石碑を見つめてから石碑の前に置かれた石造りの唯一のベンチ・・・恐らくはかつてあの保線小屋に職員が駐在していた時に作られたであろうそれに腰を下ろす。
 一般人の立ち入れない場所であったからこそここはある意味、鉄道職員達の秘密の場所であったのだろう。しかし今やその職員達の影は無い、そして線路は地下にもぐってしまって久しい・・・恐らく、今の職員達はこの場所の事を知らないのではないだろうか?何故なら世代は代わっているのだから、そう考えるとここを知っているのは彼だけと言う事になる。そう廃線探索をしていた折に偶然見つけた彼だけが知り得る正に秘密の場所なのだ。
 急傾斜の斜面と段丘によって外界とは隔絶されたこの場所に辿り着けるのは今下ってきた階段のみ、保線小屋のある台地を隅々まで見ないと見つけられない階段を仮に他の誰かが見つけたとしても果たして降りようとするだろうか?彼は恐らく誰も降りてこないと信じている、何故なら彼も当初は躊躇した覚えがあるからだ。昨年は今年よりもずっとまだ暑くまだまだ草も繁盛していた、ただでさえ難儀していたと言うのに得体の知れない先へ踏み込もうと決断したのは疲れ過ぎていたからかも知れないと今では思う。
 あの時は一週間近くかけた旅行の最終日にここへ立ち寄り、そして見つけた・・・だから感覚が色々と麻痺していた、そうとしか考えられないのである。もし今の状態であったら踏み込みはしないだろう、しかし踏み込んだのは昨年以来の覚えがある為・・・最初に踏み込んだ時は階段の果てるところまでであった。次に踏み込んだ時、それは最初に踏み込んだ時よりも半月が経過した今と同じ様に山が半ば紅葉していた中を来た時にこの池の畔まで。そして来る途中での紅葉の中の道にすっかり魅了されてしまい、今年もまた来たと言う訳なのだ。
 だから前述した様に彼が今日来た中に紅葉を見ると言うのは含まれている。しかし純粋に紅葉客として分類しなかったのはここに至るまでの廃線跡の観察と言う事と共に、一般的に知られている紅葉の名所に行くのではなく自分だけしか知り得ずまた行き得ない紅葉を見に行く故だった。今や彼は満面の笑みを浮かべ、どこか恍惚とした表情で池とその周囲を取り囲む様に色付く紅葉の森を眺めていた。そして自分もその中に溶け込んでいく・・・そんな気にすらなってまた微笑んだ。


 続
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