臨時夜行・切符探し 冬風 狐作
「申し訳ございません、数日先までも全て満席でしてお取り出来ませんね。」
「そうですか・・・はい、わかりました。どうもすみません。」
 とある大都市の片隅にある小さな駅の窓口。窓口の営業も後数十分で終了と言うところで駆け込んだ僕はまたもため息を吐く事になった、いや正確に言えば駆け込むと言うよりも巡り回っていると言うべきであろう。今回の旅行の行程、その最後にあたる帰りの行程にて当初計画していて叶わなかった経路の実現へとまだ希望を持っている僕は数日前に出発した最寄の駅以来と言うもの、少しでも時間がありなおかつ指定券を取り扱っている駅であればすかさず窓口に並んで同じ言葉を口にしていた。
「○日に大華から終点まで、夜行快速の指定券見てもらえませんか?」
 馬鹿の一つ覚えと言われても仕方ない位にそれを口にし繰り返す・・・しかしそう言われる余地はこれに関してはないと言えるだろう。何故なら求めているのはただ一つ、そう夜行快速の指定券なのである。もしそう言われたとしたら、或いはそう思われたならば僕はそれを指し示すのに他に適当な言葉はあるのかと尋ねてみたいものだと思う。
 少なくとも思い当たるのは尋ね方をより丁寧にか、もっとざっくばらんとした言い方に変えるか程度のものであろうしどちらにしろ求める物、つまり欲して求める物に変わりは無い。それは夜行快速の指定席券1枚、ただそれだけが必要なのだから・・・その区間をカバーかる乗車券が幾らあっても指定席券が無ければその夜行快速に乗る事は出来ない、だからこそ求めているただそれだけなのである。

「ふー結局取れないのか・・・取れたら時間に相当余裕が生まれるんだが、取れないなら一気に北上して別の夜行快速に乗らないと行けないんだからもう。」
 深夜帯の快速電車、普段の生活している地域のある大都市圏とほぼ同じの有数の規模誇る大都市圏を横断しているとは考えられないほど空いている車内・・・そこに腰を下ろして行程表を見つつ僕は呟いていた。片手には夕飯代わりの食べかけのパンを持ち最終のラッシュの流れとは逆に都心へと向かう、どうしてかと言えばそれは都心のターミナル近くにある今晩の宿に向かう為ただそれだけであった。
 しばらくしてパンを食べ終えた足で斜め前にあるトイレに入りさっと歯を磨いて用を足す、今やすっかり旅行ともなれば最低数度はその中でしいいる車内での身支度と言うお馴染みの事を仕上げれば後は目的駅につくまでの時間を過ごすだけ。過ごし方はその時によって様々で今回の旅行の場合は、この快速電車に接続していたワンマン列車の中では人がいない事と旧型車両でエンジン音が酷い事を良い事に小声で語学の発音をしていたり、またその前の別の列車の中では持ってきていた携帯ゲーム機に興じたり・・・とにかく色々な事をして過ごしているのが常であった。
 最も常であるとは言えどもそれが必ずである訳ではない、そもそも色々とするのは大抵の場合夜間に限っての事である。昼間であればそれが晴天であれ荒天であれども過ぎ行く車窓が明確に我が目で捉えられる限り原則としてそちらを自然と目をやって満喫しているから、昼間の車内で取り出すのは手帳とデジカメが良い所である。
 そして夜は夜景もまた面白いものであるとは言え、矢張り暗闇が主体で光以外には明確に姿を捉える事は多くの場合で難しいし、何よりも人工的な点々としたものであるからどうしても見る為には目で追わなくてはならない。それは中々に目を使う事であるし案外と疲れてしまうものである、そうなると出番を迎えるのが家から鞄に詰められて運ばれてきた私物の数々、本・携帯ゲーム・携帯電話等と様々な物が車窓の代わりとして機能し、それらの刺激を楽しみつつ時間を潰して着いた目的駅で下車していくのだった。
 それが夜の車内での、居眠りと共に並立する大抵の場合の過ごし方と言えよう。そして今僕がしているのは前述した様に事前に作成した行程表と時刻表に交互に見やって頭を捻ると言う事だった。とにかくここまで来て指定券が手に入らないと言うはこれはもう事前に立てた通りに、最終的に確定させて紙に印刷して行程通りに行くべきとの事なのだろう。それに対しては僕の考えの大多数も同意していた。
 しかしそうだと薄々どころかほぼ確信していると言うのに、僕の心のどこかしらではまだ当初・・・要はこの旅行に出ようと思い立っただけの時に、指定券の空き具合も確認していない段階で一気に思い描いた行程の通りに行きたいと言う思いが燻り続けている。北周りの遠回りな行程ではなく南回りの一番距離が短くまた常識的な行程で帰りたいと言う思い、それが燻り続けているからこそあの様にぐるぐると機会あればすかさず窓口に行き、指定券に空きが出ていないかと言う期待して尋ねて回ると言う行動を僕はしていたのだ。
 つまりそれはもしかしたら取れるかも知れない・・・そう言う淡い期待に僕は突き動かされての窓口の巡礼なのだ。そしてその度に淡い期待は当然ながら鮮やかに崩壊を繰り返すのだが、懲りる事無く続けてしまうのも前例があるからと言えばそうなのかも知れない。
 前例とはこれまでに幾度と無く直前まで粘った甲斐あってそれは通路側であったり喫煙席であったりと様々なパターンはあれども、とにかく今僕が狙っている夜行快速の指定券はどのような形であれども手にして利用していた過去・・・それが何よりも僕を突き動かさせているのはある意味で明白で、ただそれだけの柳の下のドジョウに過ぎないと言う過去の事実に縋るある意味では哀れな僕、そう己に対して感じつつ僕はそれを止める事が出来なかった。

 今晩の宿であるネットカフェに腰を落ち着けた頃、時間はまもなく日付が変わろうかと言う時であった。流石に今の時期はまだどこか深夜ともなると寒さが残っていて、昼間の陽気でちょうど良い様な服装ではどこか震えてしまうものがある。そしてやや寒さを考慮した服装をしていたとしても日常の暖かさに慣れてしまっている身にとっては、久々であればあるほど寒さが身に応えるのであった。
 だから僕は駅から足早に店内へと駆け込む。そして以前に来た時に作った会員証を呈示し個室に潜り込んだならば後はもう朝までここは僕の城、飲み物と漫画を幾冊か確保して服装を緩めて足を伸ばす頃にはすっかりパソコンも立ち上がって準備は完了。あとは暖かい環境の中で好きな事をしつつ時間を過ごすだけなのだから大変快適であった。
 しかしその合間にも僕は決して忘れずに・・・ネットでの指定券予約システムの営業時間が終わるまでインターネットでの指定席予約を暇さえあれば照会しては当然の「×」印に繰り返し溜息を吐く。そして一方で、こちらはほぼお遊びに近い勢いではあったがネットオークションを覘いては現地受け渡し可と言う都合のいい条件の指定券が出されていないかと言うのをチェックしては尽きない。
   ある意味ではそれは執念、そして手元に遠回りでやや手間がかかるとは言え今晩の宿となり明朝に着こうとしている都市にはほぼ同時刻に到着する別の夜行快速の指定券を懐中に忍ばせつつも、あわよくばと狙うある意味での強欲と興味がその残りを占めている姿、それがそのネカフェにおける僕そのものであったと言えるのではないだろうか。
 そんな僕を知ってか知らずか時間はこれまでに無く早く過ぎ去っていく。あれほど時間を潰すのに時間を要していた車中とは対照的に時間を潰すのに時間を然程要していない筈であるのに、時間は気がついた時には思う以上に消えて消えた分だけ僕に朝を引き寄せてくる不思議。
 時間は幾らあっても足りない、ふとその言葉と共にかつて1920年代ヴァイマル時代のドイツを襲ったハイパーインフレを、喫茶店でただ数十分と言う短時間でコーヒー1杯飲んでいる間にトランク1つ分で飲めていたコーヒーの代金が、トランク2つ分のマルク紙幣が必要になるまでに急騰し続けていくと言う紙幣の価値が劇的に暴落し、幾ら紙幣があっても足りないと言う恐ろしい状況になっていたという歴史の一説がふと思い浮かべられてしまったのであった。
     「ああ・・・もうこんな時間か、いかないとなぁ・・・。」
 時計に目をやりそう呟いて僕はPCを閉じると軽く開いていた荷物を再び纏め上着を着て、早朝の軽く寒さが全体に染みた目覚めつつある街へと飛び出していく。予定していた通りに今日も歩こうと、そしてこの期に及んでもまだ捨てきれない思いと共に機会を見つけて窓口を回るのだった。

「間も無く14番線に姫野道発稲原行の快速電車が12両編成で参ります、この電車は当駅を出ますと・・・。」
 日常使っている地域とは少し異なった放送が流れている別の大都市圏の夜の駅、行程表に従えば今朝に後にして以降は戻るどころか数百キロ離れた遠方の駅にいる筈の時間に僕はこの・・・昨晩に宿としたネカフェに向かうべく降り立ったあの駅に姿があった。決して理由なくしてここにいる事は無い、本音を言うと個人的に結構気に入っている都市であるから理由無くてもいたいと思う所はあるのだが、それが出来るほどの余裕は無いし何よりもそう言う身分では無い。
 そもそもこの様な非日常である旅行が出来る日々もあと数日の限り、数日もしたら僕の本分である日常の第1日目がもう目前に迫っているのだし、何よりもこの様に大きく移動する事を可能にしている乗り放題の切符の期限もまた明日までとギリギリに迫っている。その様な中で僕にはそう言った余裕をかませるだけの度量は無いし、何よりもああも指定券を求めていた背景にはそう言った事を念頭に置いた意味合いも含まれていたのは決して前述こそしていないが否定されない。
 よってここに僕がいると言う事は即ちそれを可能にする条件が整ったと言う事を意味する、そしてそれはただ一つだけ・・・そう当初の素案時点での行程通りに動ける様になったと言う事だけなのだ。裏返せば即ちそれは窓口を巡って求めていた夜行快速の指定券が手に入ったと言う事であろう、だがもしそれがそうでないとしたら・・・一体どうしたのだろうと思うだろうか?何かのミスでこの大都市圏から出られなくなったか、それか自発的に出なかったかと言った辺りが浮かぶ事だろう。そして明朝に僕の姿があるのはこの大都市と言うところだろう。
 しかしそうでは無いのである、明朝には僕の姿は別の大都市・・・つまり日常を置く僕のいるべき街に行程表通りにいる事になっているのだ。しかし手元にこの時間にこちらの駅にいて明朝に目的地、つまり戻るべき街の駅にいるのを可能とする夜行快速の指定券は無い。指定券なしの強行乗車?そんな事をするつもりは毛頭無かった、そんな事して居心地悪い思いをする位なら確保出来た遠回りルートを回る・・・それが僕である。
 しかしそれをする必要が、強行乗車も遠回りルートも辿る必要もそして夜行快速の指定券を確保する必要も無くなったと言うのは普通では理解し難いし、聞く人からすればホラの一種と思われてしまうかもしれない。そしてそれは僕もまた同意出来る、仮に僕がそれを人から聞く立場にある場合に何を言っているんだと思わず言い返してしまうだろう。そんな事は物理的にも時間的にも不可能であると言う常識を以ってストレートに言い、宿の手配はしてあるのかと尋ねてしまうのは用意に予想されよう。
 しかし常識が非常識となり非常識が常識となり得る事もまたある事を忘れてはならない、そしてそうなり得ない事・・・つまり常識は常識であり非常識は非常識であると言う、素直なすっきりした当然の構造のままであり続けるのが大多数であると言う事の両方共を物事を考える時には念頭に置いておかなくてはならない。そしてここまで書いておきながらだが、僕はまだ余裕でありながら半信半疑なのであった。本当か嘘か・・・しかし手元にある切符と言うよりも、恐らく切符であるのには確かに次の様に記されているのだから。
『企 乗車整理券 大華(2100)→東崎(800) ムーンライトとうか 備考:大華駅10番線より乗車の事』
 どうやら企画乗車券の一種らしい切符の様であった、どうして確信が持てないような心地で入るのはこれは正規に駅に限らず鉄道事業者から受け取ったものではないからである。そして何よりもこの様な列車名を聞いた覚えが無かったからで、流石の僕も喜び以上に半信半疑で・・・どこか野次馬的心境でここにいると言うのは恐らく真実だろう。
 これを手に入れたのはふと立ち寄った金券ショップ。駄目元で立ち寄ったまでであったから当然の様に目的の夜行快速の切符は無く、その時点で僕は心の中で諦めを・・・つまりけじめを付けていた。しかしどうもその一方で外に見せている表情は相当落胆の色を見せていたらしく、そんな僕を見かねた店員ではなく、偶然奥から出てきた店の主人にいきなり奥に呼ばれてさっと手渡されたのがこの切符だった。
 その急展開振りに僕は半信半疑と言うよりもその時は何も出来なかった。しかしすぐに慌てつつも落ち着こうと努めつつ目を手中に収められた切符へと、それを手渡してきた主人の見る目の下にて向けた。目の前にある切符は初めて見る様式・・・いやごちゃ混ぜだろう、まだ手書きで発券していた時代の今の様にPOSなんて便利な携帯手持発券機の無い時代に車内で出された車内補充券が一番それに近いと言えようか。とにかく少なくとも普段手にするような切符とは大分様相が異なっている切符であった。
 果たしてこれは本物なのか、そう言う疑問と共にいきなりの展開へに対してじわりと不信感が広がる。そしてようやく詳しく事情を聞こうとするととにかく使えるからと言われて外に出されてしまう始末、こちらとしては困惑してしまう事しきりであったがそこに至ってようやく悩み始め予定をこなしつつ迷った末の結論として僕は賭けに乗った。そう通用するものだと信じて。
 つまりこの切符が本物でありこの列車が走るのだと言う予想に乗った僕、そうでなければここにはいないし自分でも随分と有り得ないであろう事にかけたものであると驚いているばかりで、文字通り普段の自分からすればそれは非常識極まりないことであった。しかしそう決めたからにはそうするのがまた僕の流儀・・・故に僕は再びこの駅に、つまり昨晩降り立ち今朝発った駅に戻り夕飯を食べつつ時間を待った。

 そして今は2045、指定された番線へ向けて通路を歩く・・・そもそもこの駅に10番線が存在していたのだろうか。進むにつれて人通りは少なくなり通路は延々と続いているかのような錯覚、そして直角に折れた突き当りの左手に上っていく階段を上るとそこには長い客車列車が停車していた。番線は10番線、列車に掲げられていたのは何といまどき珍しいサボ・・・「ムーンライトとうか」とだけ書かれたサボのある、不思議と妙に古めかしい時を忘れたかのような雰囲気に満ちた異質な客車、更にはそれをより強調する妙に人のいないホーム。
 その2つの空間に僕は魅入られる様に疑う気持ちを忘れ、ふらふらと誘い込まれるように手近な所に開いていた扉をくぐり客車へと乗り込んだのであった。乗り込んだ瞬間鼻を突く軽い匂い、ニス・・・いや防腐剤の様な懐かしさのある独特な匂い、そして木製の床を踏んだ時に響く音が耳にくる。
「ピーュルルルルッ・・・ピーッ!」
 続けて10番線より響くは車掌の笛の音か、大きく感じさせない内に静かに蛇腹の扉は閉まりゆっくりと定刻通りに僕を乗せた列車は動き出した。


 続
臨時夜行・切符の対価
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