コーシーとバター・前編 冬風 狐作
 物心ついた頃から思えば僕は1人だった、まず両親がいなかった。正確には母親は早くに他界したらしいのだがその経緯は誰も教えてくれはしなかった、父親はいたが殆ど接した覚えが無くただ話の中や写真の中にその姿存在を見ていたに過ぎない・・・日常僕に接していたのは乳母やお手伝いさんの姿だけ。そして就学する年齢になって初めて日常的に接する事になった外の世界、それまでに聞かされていた話からそこは理想郷の様に僕は思って大いに意気込んで飛び出していったものだったが・・・それは惨憺たるものであった。
 純粋培養、と言うよりも当時の僕はそれまでろくに外界と接した事が無かった。今時考えられない様な、それこそかつての中世における大貴族の子弟のような生活。欲するものは皆手に入る一方で多くの教育を、幼い内に仕込めば仕込むほど良いと言わんかのごとく1日の殆どは家庭教師との時間に消え去って・・・お陰で僕は小学校入学時点で大学入学、いやそれ以上の学問における知識を得ていたと言っても過言ではない。
 もしあそこで海外に移住するなどしていたらきっと上手く行っただろう・・・いやそこまで無くと違った道が開けていただろうと今僕は改めてそう思う。そしてそれは当時身の回りにいて接していた人々が皆抱いていた事でもあった。しかし父だけは違った、父は頑として国内の・・・それも公立小学校に事もあろうに僕を入学させたのである。これには父に忠実であったお手伝いさんや家庭教師、更には父に常に連れ立って歩き時折父の代わりにやってきては様子を見るついでに相手をしてくれた秘書まで反対したのにである。
 そしてそれは周囲の人々が危惧した通りに最悪の選択だった、小学校入学で初めてと言うまでも無いが矢張り本格的とはまだまだ言えない初等教育段階にある、自分以外のその他全員と僕の間には大きな差異がもうその場で存在していたのでありそれは入学式での、まだ幼稚園・保育園気分の抜け切らないそれでいて一定の仲間意識のある彼らとの初接触の時点でもう僕は、駄目だと悟ったのを覚えている。駄目と明確にはなかったかもしれない、ただ子供ながらに・・・その頭でっかちの身で大きな違和感を覚えていた事は間違いないだろう。

 僕の入学させられた公立小学校は父ともそして僕とも全く縁の無い、何をとっても無縁な土地にある中規模な学校だった。そこで僕は常に成績優秀で・・・と言うよりも常にトップにあって体育も運動もまた盛んにしていた為、どちらをとっても完璧に出来るそして聞き分けの良い良い子として教師の間では知られていた。だから教師の僕に対する人当たりは良かったのだが、それがどうも他の子供達にとってはえこひいきと取られたらしく教師のいない時は当初は徹底的に僕は無視された。
 最も僕にしても話しかける用等なかったのでむしろ歓迎すべき事であったから、特にリアクションは起こさなかった。そしてその内に効果が無いと気がついたかのか否かは知らないが、彼らは次第に言葉や力によって僕を直接的間接的様々な場面で虐め始めたのだ。些細な事での因縁付けから物隠し、虚言・・・とにかくありとあらゆるそれらの、前触れの無いある日突然に起きた一連の波の前に僕は当初は無視しそして教師にその事を言う等してやり過ごそうとした。
 だがそれが結果として皿に彼らの加虐心と言うかに火に油を注ぐだけであって、むしろエスカレートし巧妙化する始末。しかし僕はそれに耐えに耐えた、何時かは収まるだろうと言う予測を自ら立ててそれを信じてひたすらに。しかし一向に収まらぬ・・・何時しか虐める側の親まで巻き込んでの事態になりかけていた時にとうとう起きたあの事件・・・忘れもしないあの炎天下の日、そしてその時間は体育。
 夏であったからプール授業で、皆で水着となって授業を受け何時もは無い自由時間が1学期最後だからと言う教師の考えで、授業の半分がその日は自由時間となっていた。当然、皆が喜んでいたのは良く覚えている・・・そのせいか珍しくその日は朝からの虐めの洗礼が無く、流石にこれまで一貫して無視して耐えていた僕も一息ついて心を緩ませていた。
 しかしその気の緩みを、虐めを特に熱心に主導していた連中は見抜いていたのかもしれない。思えばあの時の学年は小学3年、低学年から中学年、見方を変えれば低学年最後の学年である。まだ幼さと定着しつつある知恵が作用して時には恐ろしい事すらしてしまう学年と言えよう、純粋な意味での・・・完全なる児戯の延長の馬鹿騒ぎが出来る最後の学年とも言えようか。そこで僕は、油断をした・・・そしてそれがあの様な事、そして今に繋がろうとは僕も教師もそれを僕にした当事者も思いもしなかった筈だ。

 とにかく僕が目を覚ました時、いたのは病院のベットの上だった。枕元には何時も世話をしてくれる母親代わりのある意味義母と言って良い位の関係のお手伝いさんがいて、その目は赤く表情から何か重大な事が起きたのだという事を悟った。しかしそれが何かは明確には分からない、しかし痛みが腰やら背中から激しく伝わってくる・・・体全てが硬い何かで固定されているようで顔以外に何も動かす事は出来なかった。
「・・・何があったの・・・?」
 純粋に、さもその言葉振りからは他人事の様なニュアンスもあるが、当事者である僕の口から出た言葉にお手伝いさんはハンカチで目元を拭い紡ぐ。僕が泳いでいるその上に、男子が3人飛び込んできて直撃を喰らい沈んだという事を・・・そしてその結果として僕は、膝と腰を降り背骨も一部で損傷するという重傷を負ってしまったと告げられた時、僕はそれが真であると信じられなかった。余りにも唐突過ぎて信じられなかった、実感が持てなかったのだ。
 しかし僕は身動きが出来ないまでに固定されている・・・それからしばらくして僕は泣いた、そしてその先の記憶は良く残っていない。ただはっきりと明確な記憶として残っているのはリハビリの時の痛みと辛さ、何よりも全身麻酔をかけられて手術に行く時の光景だけ。
 そしてようやく病院から外に出られた時、書類の上で僕はもう小学校を卒業し中学生になっていた。こちらはもっと実感が無い、何故なら僕にとっては不幸とも言える迷惑な日常であれ小学生として学校にいたのは3年生までなのである。それは矢張り学校生活であった・・・かけがえの無い学校生活なのだった。

 病院からの退院後、僕は再び屋敷の中だけが世界の生活にまた戻った。いやそれを望んでいたと言うか・・・とにかく僕は屋敷の自室にて、1人書を嗜み筆を取りととにかく好きな生活を送っていた。体はすっかり駄目で車椅子の生活になっていたが、屋敷の中で生活するに限ってはそう苦ではない。車椅子の僕に配慮した造りとなっていたその屋敷こそ僕の世界であり庭であった、そしてそこで繰り返される単調な日々に僕は多いな安堵と充実を見ていたのだから当然だろう。
 しかしまたも僕の生まれついた星と言うのは残酷なものであるらしくて・・・今思う現実へと僕をまたも誘う。いや進ませるか、ホンのちょっとした出来心・・・足で歩けていたらなぁと言う不満でもない僕にとっては、些細な妄想であるボヤキをふと漏らした事により全てはまたも壊れる方向へと走ってしまったのだから。
 そして僕は本意では無くそれにまた流される。


 続
コーシーとバター・中編
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