神無月の杜・第一章後編冬風 狐作
「だから俺だよ・・・驚いた顔してどうした?」
 面白くてたまらない・・・そんな勢いで続ける声、そして動く石像の口。余りの拍子に反応出来ずに見入る彼女、対照的な2つの動きに思わず見入ってしまいそうになるが何時までもそれが持続し続ける事は無い。帰宅の道、探し物、境内の中、響く声、そして動く口と妖しく輝く瞳の石像・・・と今に至るまで流れてきたのだから当然の事だろう。
「まぁそんな驚くとかは俺にはどうでもいいし、俺にどうでも良い事は女、お前にもどうでもいい事さ・・・なっ。」
「え・・・あ・・・そんな事は・・・。」
「そんな事はない?どうだか・・・お前の一番の関心事は探し物、それじゃないか?」
「それは・・・そうよ、でもあなたが知っている筈が無い・・・。」
 すっかり声の、発せられる声のペースに流されている内に出された"探し物"。それこそが今の今まで、一旦は帰宅したと言うのに再び元来た道を戻って探し回っていた最大の関心事であり、最も欲する物であるのにそれをうっかり失念していた事を彼女は恥じた。しかしそれに固まらぬ内に声は更なる言葉を紡ぐ。
「ほーう、どうしてそんな事が言えるのかね・・・俺がもし持っているとしたらどうする?」
「え・・・それって・・・。」
「そうだ、俺がお前の探している物を持っているとしたら・・・どうする?」
 問いに対して繰り返される語尾、次第にそこには笑いが込められて行くのは痛いまでにはっきりと分かるのが辛かった。からかわれているのか・・・そんな気すらしてくるが、仮にと言う場合は否定出来ない。仮にもしこの声の主・・・少なくともこの時点ではまだ彼女は石像だとは全く信じていないが、持っているのだとしたらそれは大きな光明である事以外の何者でもない。全く見当も付かなかった在り処、終着点がいきなり目の前に現れたのだから。
「・・・返して。」
 息を呑んで開いた口から漏れたのは手元に戻ることを思う言葉。それに対して声はしばしの沈黙の後、こう返す。
「どうして?」
 これには絶句するしかなかった、沈黙以上の空白が返すまでの間に開いたのは言うまでも無いだろう。
「どうしてって・・・。」
「だってよ・・・お前のものだと限らないだろう?」
「名前が私の・・・。」
「同姓同名かもしれんなぁ。」
「私のものなら私に分かるから。」
「お前が偽っている可能性も否定出来まい?」
 飄々とした返す声、それにしては最後のそれは大きすぎる一撃だった。偽っている、嘘を言っている・・・まるで自分自身を否定されたかの様なそんな錯覚、それに思わず目が眩む様な感覚を覚えるも何とか持ちこたえた所を見計らったかのように声は投げ掛けられる。
「まぁそれでもお前が自分の物だと言うのなら・・・考えてやらんことも無いな、くくく。」
「考えるも何もそれは私の・・・。」
「落ち着け落ち着け・・・人の話は聞くもんだろう?女。」
 そう言われては何も言い返す余地は無い、それは正論だからだ。そしてこの声相手にはとても敵わない、何としてでも手元に戻す・・・どうなろうとも手元に取り戻さなくてはと言う打算が働き彼女は押し黙って反応を待つ。
「そうだな・・・ちょっと俺の前に来い・・・狐の前に。」
「こう・・・?」
 声の意図する事、そんな事は全く考える事無く自然と解けた様に動いた足に乗って、恐らくその位置だろうと思しき場所まで歩を進め立ち止まる。目の前には狐の石像とその載る石柱、その高さは彼女の背丈よりも高く軽く見上げる大きさであった。そして何気なく首を傾け視線を顔へ向ける、瞳は妖しく輝くも口は動いていない・・・声がしないからだろう。ようやく今になって彼女はあの声がこの石像から出ていたのだなと確信するに至る、そして軽く瞬きをしても尚見つめ続けていた次の瞬間、それは起きた。
「よし・・・驚くな・・・よっ。」
「・・・!?」
 声にならない展開、ただされるがままの展開。先ほど我に返った時の様な拘束感は皆無、すぐにでも意志のままに動かせるであろうに先ほどよりも強く体は固まり視線は釘付け・・・狐の口が開き、文字通りばっくりと開き続いてその胴体が伸び彼女めがけて勢い良く突撃してくる。あの硬いハンマーか何か出なければ傷がつかない石像が、まるで液体であるかの様な柔軟な動きを見せて迫ってくるなど全く想像だに出来ないだろう。
 それを想像、空想する事があったとしてもそれは大いに心に余裕のある時・・・そうそう滅多に出来るものではない。そう仮想の上でも滅多に出来る事ではない現象は正に夢の中の様、映画か何かかそれとも夢か・・・だがそれは決して夢想ではなく現実、何よりもようやく逃げなくてはと言う意識の片鱗が浮かび上がりかけた刹那の暗転した視界、全身に感ずる冷たさと圧力がそうである事を物語り吸い込まれて行く様な中で意識は悲鳴を上げる。
"な・・・何・・・なにこのゴムみたいな・・・っ!?"
 冷たさ、圧力・・・ゴムの様な粘土の様なとにかく柔らかく弾力と質感はしっかりと持ち合わせた何かに、全身が被われそして揉まれていく未経験の異質な感触。終いには逃れようと身を捩じらせるまで行ったものの必死の抵抗も空しく全ては闇に染まり止まる、そして静かに沈んでいくのであった。

 漆黒の闇、その中に広がる明るさそして明るさの中に浮かぶ色・・・黄色、全てがぼんやりした中でふとそれが意識につく。
"・・・。"
 何かを思うが一体何か理解できない、自分の事だと言うのに理解出来ないのはどこか口惜しいがとにかく意識はその黄色へと行く。黄色・・・黄色・・・そして意識は覚醒する、同時に体が跳ねる様に起き上がり視界も一気に晴れるのだ。
 今いる場所は大きな壷の底と言った様で、直上の丸い空間から燦々と明るく暖かい光が差し込んできている。辺りは質素で唯一木で作られた祭壇、簡素な造りには鎮座する丸い鏡・・・陽光に映えるその白さと輝かしさに思わず目を細める。そして黄色は・・・。
「よぉ女、目を覚ましたか・・・ここは何処だと思う?」
「ここ・・・は?」
「俺の巣だ、巣・・・でこれがお前の探していたものだろう?」
 黄色・・・それは目の前にいる狐とその咥える大きな封筒、その2つの黄色であった。そしてその封筒こそ彼女の探し求めていた物、そうあれほどの時間を費やして探し思い悩んでいた物なのである。当然ぱっと飛び起きて駆け寄ったのは言うまでも無い。
「その封筒・・・。」
「ふふ、お前のだろう?返すよ。」
 そう言うと彼女が手で封筒を握ったのを見て狐は口を軽く開ける。そしてその拍子に加えられた力で封筒は口の中から滑り落ち彼女の手の掴む所になった、その時の彼女の表情と言ったら喜びに満ちていた・・・それ以外に何と言いようがあるのか、そう思えるほどである。そしてそれを見て同じく笑みを浮かべる狐・・・しかしそれはどこか薄い共有しているとは思えない笑みであった。
「あら大分素直に・・・戻すわね。」
「まぁな。」
 手にしてからふと先ほどの声を思い出し封筒を胸に抱え込む様にして狐を見る、すると狐は何がおかしいのか口元を歪めると姿勢を崩してそっぽを向いた格好で逆を向いてそのまま丸くなる。そしてこちらを見ずにうそぶく。
「さっ帰れ帰れ・・・俺は眠いんだ。」
 今にも眠りそう・・・そんな勢いであった。
「帰れって・・・何処から出れば良いの?」
 当然の事ながら、まるで突き放された様な格好になった彼女はそう問い返す。すると軽く尻尾を揺らして狐は答える。
「思えば良い、帰ろうと思えば出れる・・・ああそうだ、家に帰るまで絶対に驚きの声を上げるなよ・・・な。」
「どうして?」
「まっ帰れなくなる・・・とだけ行っておくかね、くく・・・さぁ行け。」
 そう言って再び黙った丸まる狐を見て釈然としない気持ちでありつつも彼女は思う。それでもそう言われて、態度からしても狐がそうする様にと見せている様に取れる以上抵抗する必要も何も無い。
"帰ろう・・・。"
 そう思った次の瞬間、全身から力が抜けてまっさらになり上昇すると共に消えていく・・・そんな心地になて全ては白く染まった。

「ふぁ・・・あ・・・境内か・・・。」
 次に意識が返った時、そこは境内だった。すっかり暗闇に沈んだ静かな境内、木漏れ日としてかすかに注ぐ満月前の月の明かり以外には何も見えず薄気味悪い・・・そう神聖な場所の中で言うのもなんではあるがもそう言うのにふさわしいとも言える気配であった。
「・・・何か良い感じだなぁ。」
 しかし不思議にそれは居心地が良かった。何と言うべきだろう、ここが自分がこれからそしてこれまでもずっといるべき場所、そんな気配すら感じられる不思議な気配。あの先ほどの声とのやり取りの間にすら感じなかったほどの居心地の良さ、そして絶対的な安定感が何物にも変えがたい・・・そう言い切れる。
 そうして辺りを一瞥すると彼女は明かりの方角へと足を踏み出す、それは境内の外、鳥居の外の道路に灯る水銀灯の明かり。不意に目の前を電車が軽やかな音共に通過し、一瞬光の量が大いに増して音と風が響く。しかしそれが過ぎればもう後は虫の鳴き声、後一月もすれば尽きるのを名残惜しむかのごとく鳴いている中を静かに歩き鳥居を出た。鳥居脇の水銀灯に照らされる道路、そして側溝に半直立で立つ自転車の姿・・・全てがあの夕暮れの時のままであった。
"もう何時なんだろ・・・。"
 そう思いながら自転車に手をかけ引き上げる、水の流れの中に使っていたスポークには幾らかの葉が付着しているもそれよりも封筒を前の籠に入れた後、しっかり入った事を見てそっと自転車に跨りそしてこぎ始める。自転車は変わらずスムーズに進み・・・とは言えふとした違和感を感じない訳でもなかった。
 何と言うのだろう・・・ずっとこすれ続ける、それもただ擦れるのではなく剥がれたものが自転車のサドルと擦れているそんな感じだった。それでもしばらく会えて気にせず進む、だが気になる物は気になって仕方がないもの。やがては気がとられて自転車をふらふらと漕ぐ様になっていたのだからその気になり様が分かると言うものだ。
 幸いにしてちょうど前方にあるバス停を照らす蛍光灯形の街路灯の姿が見えてきた事もあり、彼女は漕ぐ足を弱め次第に速度を落としていった。その間あの違和感ある擦れを感じなかったのは後々から考えると・・・最後の幸せであったと言えるかもしれない、そして自転車は止まり彼女は視線を股間へとやる。そして・・・。

「ひっ・・・な・・・なにこれっ・・・!?」
 そう言い残してその気配は消えた。空しい自転車がアスファルトの上に倒れぶつかった事を示す音だけがそれに続いていた。


神無月の杜・第一章終編
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