神無月の杜・第一章中編 冬風 狐作
 薄日は何時しか太くなりそして紅に染まる、夏ならばヒグラシの鳴くであろうこの時間・・・鳴き声は聞こえる、それは秋の虫の声そして頭垂れし稲穂の揺れ触れ合う音の二重奏。探すことただそれだけに集中し周りをすっかり見失っていた彼女はふと我に帰り頭を回す、そして深い溜息を吐き腰をちょうどその場にあった石段に下ろした。石段の上はかすかに湿ってはいたが。それでジーパンがずぶ濡れになるほどではない。
 夢中になって頭に血が上り火照っていた体を沈めようとするかのように座り込み、軽く頭を抱える。失くした物の行方、落としたと思しき場所、そして自分への憤りと諦め・・・ただ溜息と混迷だけがあたりに募りつつある紅とその裏に隠れた藍色と共に積み重なるばかり。それはもうあと半日は夜の領域として漆黒と銀に染まる時間を象徴するかのようであり、その彼女の心境との被り様は全く素晴らしいとしか言いようが無かった。
 それらからはまるで偶然ではないような心持ちすらする。しかし、偶然にしろ必然にしろ今起きてしまいそして進行中の出来事にはどちらも変わりは無い。だからこそ彼女の混迷は深まり日は暮れていく、もうこれ以上探すのは時間的にも視覚的にも厳しかった。とにかく明日学校へ行ってから何とかしよう・・・そう決めると立ち上がり、自転車のハンドルを掴もうとした所でふと背後に何かを感じる。
 気配・・・恐らくはそう言って良い何かを。そして振り返った先には一面の田圃の海の中にそれこそ島の如くこんもりと、そして鬱蒼として暗く浮かぶ森。その中にある神社のやや古びた朱塗りの鳥居が物言わずじっとたたずんでいた。そしてどう言う訳か彼女は視線を固定し釘付けとなる、そして何かに駆られるかのように足を踏み出し手を前に振る。
 支えを失った半ば立ち上がっていた自転車が再び倒れ、そして勢いで滑り側溝の水の中へ倒れる音・・・その響きから逃れようとするかの様に速く、ただ前へ向かって鎮守の森の鬱蒼とした中へ消えていったのだった。

"あれ・・・?"
 まるで今の今までどこか夢の中にいた様な心地でふと我に帰る彼女。記憶が無い、鳥居の前の石段に足を置いて自転車を引き起こしていた筈だと言うのに、今いるのはその鳥居の奥の杜の中。静かに鎮座する拝殿の前の広がった石畳の上・・・鳥居の前からここまで移動した道筋と言うのだろうか、その辺りに関する記憶が全く見えず浮かんでこない。
「とにかく・・・帰らないと、こんな時間だよ・・・。」
 腕時計を見て改めて時間を認識すると足早に立ち去ろうと踵を返し・・・いや返そうとした。しかし返らない、それどころか思う方向とは逆のあらぬ方向へと向いては固まる。それは全ての動きに及んだ、脚、手、口そして目・・・鼻からの呼吸すらしているのか分からない固定された状況下、思考すらも固定されそうな勢いの中で辛うじて働かせつつ固められた視線を脳に取り込む。
 その視線の先にある物・・・背景としての藍色と杜、そして主役としての石像、それは狐の石像だった。石像といってもただの石像ではない、ここは神社、神社の護り狐、稲荷の狐である。その脇に構えている石像の内の一体と対峙する格好になり、しばし・・・と思いかけたその時、それに変化が起きた。それも思いも寄らない変化が起きたのであった。

「おい・・・女。」
"ん・・・?"
「女、口で言え。気付いてるんだろ?」
 ふと響く声、まるで四方八方から響くその出所の定かではない声の源を探すべく辺りを見回そうと意識するが首は回らない。しかし声は波の如く押し寄せ・・・まるで己が大海の中に浮かぶ孤島であるかのように思えるほどだった。そして言われるに促されて、むしろ反射的に特に意識せず口を・・・動かない筈の口を動かしたのであった。
「誰・・・!?」
 いきなり動いた口に思わず手を・・・これも動かないと思い込んでいた事もあり予期しない事であったが、言葉を発せた事に気が行っていて全く気が付いてはいない。すると言葉は更に続けて耳に届く。
「ほら、喋れるじゃないか・・・お前探し物してたよな?」
「へ・・・?」
「ほらだから探し物、四刻も鳥居の前の道路で探していたのを見ていたぞ・・・。」
「探し物・・・って・・・え、見てたの・・・!?」
 戸惑いの中でようやく思い当たった記憶、そしてそれを見ていたと言う言葉への驚きと恥ずかしさ・・・自分の顔が見る見る間に赤くなっていくのが手に取るように分かる。しかしその様な時間も響いてくる声は知ってか知らずか、それとも許そうとしないだけなのか流れ続ける。そしてその一言一言に彼女は次第に捕らわれて行くのだから。
「当然、家の前であれだけ探していて気が付かない方がおかしいだろう?」
「家の前って・・・ここは神社じゃあ・・・・?」
「だから家だって・・・俺の。」
「どういうこと・・・理解できない・・・何処にいるのよ、ふざけないで出て来てよ・・・。」
 そのやり取りからとても彼女はまともな事態におかれているのではないと言う事だけは承知していた、だがそこから先の展開、何よりも今が分からないのだからそれは分からなくて当然だろう。そしてほんの空白・・・静けさが漂った次の瞬間、それは軽快な笑い声によって突き破られそして果てる。杜に渦巻き彼女を包む笑い声によって沈黙は閉じられた。
「カカカカ・・・目の前にいるぜ?女・・・俺は。」
 愉快でたまらない・・・彼女にとっては全く逆な思いに満ちた声は言う、目の前にいると。目の前、そこにはただ狐の石像があるのみ。
「石像・・・?」
「そうだ。」
 思わず首を傾げようとする刹那の答え、そしてそれを補強する現象・・・言葉と共に石像の口が動き目が妖しく光るまで気が付く筈が無かった。


 続
神無月の杜・第一章後編
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