神無月の杜・第一章前編 冬風 狐作
「じゃあ留守番よろしくな、しばし出かけてくる。」
「毎度のことで・・・ふふ、承知ですよ。」
「そうかそうか・・・じゃ、しばし。」
 ふと深い静かな空間、そこで交わされるわずかな言葉・・・何かが立ち去る気配と共にそこは再び静けさに包まれ、ただ風だけが吹くのみとなった。

「ふぅ雨ねぇ・・・秋雨か。」
 しとしとと降る長雨、昨日から降り続いている雨はずっと一定の弱いペースのまま降り続けては地面を濡らし、まだ青い雑草に静かな引導をそっと渡し続けている。その中を自転車を片手で操りつつ傘をさす姿、学校帰りの冬服に衣替えした女子高生の姿があった。
「やっぱり今日は電車使えばよかったなぁ・・・40分も自転車を漕ぐのはきついわ、もう・・・。」
 そう呟いて微かに嘆く彼女、自宅近くの駅から高校近くの駅まで電車では濡れる事無く10分余り。対して自転車では先に挙げた様に40分、傘を差していても足元は跳ねる雨水でどうしても濡れ汚れる。明らかに電車の方が楽なのだが本数が少ないこと、また運賃を何時も通い慣れている道に払うのが何だか惜しくて今日も自転車で来てしまったのだった。
 しかし、今から思うとただ往復で360円と駅で電車を待つ為に時間をつぶす辛抱さのただ2つの対価、それを惜しんだが故の現状は矢張りそれとは釣り合ってない。判断を誤ったと感じつつ今更と言う気持ちにもなり彼女は自転車を漕ぐ、そうその刹那道路際の線路を後方から高速で特急電車が接近通過しようとしてくるのに気が付かずに。
タタンタタン・・・タタンタタン・・・
「あーもう・・・本当最悪・・・っ。」
 過ぎ去っていく走行音、片手運転と言うバランスの悪さに加え思いに耽り気が散っていたせいかも分からない。とにかくこの数十秒の後彼女の自転車は道路に倒れ、かごの中に入っていたカバンは半分を残して道路の上に食み出していた。そして彼女は服を払いながら深いため息をつきつつ・・・立ち上がっていた所であった。

「で・・・。」
 数時間後、そこは家屋の中の一室・・・私服に着替えた彼女はまたしても深い溜息をついてうなだれていた。机の上には中身を半ば吐き出した形になった手提げカバンが、さきほどかごから半分濡れた道路の上に曝け出されていた様に置かれている。彼女の手は再び動くと曝け出された中身を手にとっては一つ一つ検めてそして投げ出す。
 そしてまたも深い溜息・・・そっと外を窓越しに見れば薄日が入り、道路の上の水溜りが光を反射しているのが見下ろせる。
「行くしかないか・・・良い感じだし。」
 そして彼女は手を動かし鍵を手にするとその足で廊下へ、そして外へ。雨粒の乗ったサドルを特に拭く事も泣くそのままジーパン越しに座りベルを鳴らす、これは昔からの癖だった。どうにも自転車を漕ぎ出す前にする彼女なりの流儀と言うべきか・・・当然、雨に濡れてすっかり湿っていたベルはあの元気な音を出す事無くただ動く音を発するのみ。それでも気にせず彼女は足に力を入れ・・・雨上がりの薄日の中を道路へと繰り出していった。
 薄日の中、彼女のこぐ自転車は快調につい先ほどぶつぶつ文句言いながらこいできた道を進んでいく。風が静かに吹きふと見上げれば低く薄く垂れ込めていた雲は次第に千切れそして流れていく、それはまるで山頂から見上げる空の如く。その下をその風に乗る様に彼女は走る、幸い一車線の農道には基本的に対向車はない。あるのは稲刈り用の機械と軽トラぐらいだがつい今しがたまで雨であったから今日はその姿はなく、昨日そこに止まっていた事を示す唐突な泥の痕跡があるくらい。
 それを踏みつつ行く、しばらくすると道路は緩やかな曲線を描き直線の線路と併走し始めた。その区間に入る直前に通学客と思しき紺や黒と言った色で埋まり、雨が上がったのだという顔で外を見つめる乗客を乗せた2両編成の電車が走り去っていった。
 彼らは恐らく雨だからと電車にしたのだろうなと彼女はそれに思う。全てがそうとは言えないだろうがそうであろうと・・・そして何故だか自分の事を、雨の中をついて自転車で事はあったが漕いで帰った自分のことを誇らしく感じて漕ぐ力に更なる力を加えるのだった。空の雲の合間からは真っ青な空がのぞいていた。そして彼女は足を止める、そう先ほど転倒した地点で静かに。

"さてとどこかな・・・。"
 自転車を道路の傍らの茂み、正確には斜面に横倒しにして彼女は道路の上に目を凝らし前屈みになってさまよい始めた。それこそ同じ箇所を何遍も回り念入りに・・・しかし目的は叶わない、ここにきた目的、落としたと思しき物を見つけることは。
"高校出る時確かに確認したんだし・・・無い筈はないんだけれど・・・あの時以外考えられない。"
 そう思いを巡らせて回りに回る・・・しかし見つからない、探し物はその痕跡すら、欠片すら残ってはいない。雨で流された・・・そう考えるのは順当だが、あれしきの雨では考え難い。もしこれが家の前の小さな側溝から水が溢れ出ていたほどの大雨ならそう言い聞かせて諦めたかもしれない、しかし道路に水溜りを作る程度のシトシトとした雨・・・到底考え難いのは明白であった。
 そして更に諦める事無く彼女は探す・・・その場所を、もう幾度巡ったかもわからなくなるまで、時間を忘れて探し続けるのだった。心の中で葛藤しつつ。


 続
神無月の杜・第一章中編
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