ラベンダーフォックス・第十二章雷光 冬風 狐作
「ふぅ・・・暇ですね。」
 そう呟くと氷室は大きな溜息を吐いた。相も変わらぬ薄暗さの部屋の中、あの青年と入れ違えかの様に戻ってきて以来ずっとうつ伏せでごろごろとしていた氷室であったがどうも退屈で仕方が無かった。考えてみればもうここに居ついてから大分が経つ、部屋の中をこっそり見て回ったのももう何度もした事で何時も代わり映えが無いしそう楽しい事ではない。別に嫌いな事ではないが好きでもない、言ってみれば微妙な事だった。
 そうして特に思う事無く気ままに横になったままごろんと一回転・・・余り意識していなかったので少しばかり翼が痛かったが、それもこうも暇が強いと少しばかりそれを補う良い刺激の様な物だった。とにかく暇が暇を呼ぶ有様、再びうつ伏せになって床に身を投げ出す事しばし目を一旦細くさせるとのっそりと起き上がってノブを捻って外に出る。
 幸いにしてこの家には大抵あの青年しかいない、だから誰かに見られると言う事は家の中にいる限りでは余り考えられる事では無かった。最も氷室としては見られたら見られたでそう強く感じる事は無いのだが、一応居座っている手前としての些細な青年への彼なりの配慮故に気にはしていると言うことなのだろう。
 だがそのまま自然と玄関を開けて庭へ出るのは、果たして本当に配慮としてしているのか少しばかり気にはなるところである。しかし氷室の動きを見る限りそれは至極自然で全く躊躇する気配は一変たりとも見出す事が出来ず・・・そしてさっと手馴れた様子でよく晴れた青空の下へとその白い純白な体は静かに飛び上がって行った。
"たまには北の方にでも行ってみましょうか・・・暇ですし。"
 そう思いつつ、ふと思うがままに北に向かって暇潰しの種を見つけに。地上から見えるその白い獣竜は青空の水色の輝きと雲の白さに溶け込んでいた。

「ふー紫狐君にはどうすればいいのかなぁ、女心と言うのは俺には分からないものだよね〜。」
 さてもう一方の獣竜、御神はすんでの所で美根子の家族に目撃される所から逃れた後は、天井裏に潜み天井板一枚を挟んでの下界のやり取りは敢えて無視して取り敢えず黙想していた。脳裏に浮かべる事は取り止めも無い事が大半で他愛の無い事ばかりを考えては、思い出し笑いをするかのように口の中にて密かに笑うのを繰り返す。そんな事をしている内に時間は経ち床板のしたでは再び美根子が眠ってしばらく経過した頃、ふと御神はそのずっと閉じていた目を開けて軽く後ろを振り返る。
「その気配は・・・雷君かな?」
「あっはい、そうです・・・あのー御神様とお呼びすれば良いですか?」
 その気配とは黄の子犬の様な姿をした者、雷・・・そう美根子の精霊の1人であった。その体の表面には細かな稲光のような物をパチパチと這わせつつこちらに向かって神妙そうにして立っている。
「んー御神様ねぇ、大丈夫 敬語とかは構わないから俺の事は呼び捨てで構わないよ。気軽でイイからネ、同じ雷の好だしさ。」
 そう良いながら起きるとその子犬、つまり雷と面と向き合うような位置へとずれて近付くとにっこりと微笑みかけて再びうつ伏せの格好で座り込んだ。それに対して雷は驚いた様に見とれて微笑みかけられた時点で我にようやく返り、微笑み返そうと表情を変えるも硬さが残りどこかぎこちない。そんな雷を面白い様な物を見る様な、それでいてどこか穏やかな目つきでしばらく眺めていた御神はそっと口を開く。
「そしてどうしたのさ、俺の所に何の用かな?紫狐君の事でかな?」
 すると途端に雷の表情が変わった、そしてすぐさま首を縦に振ると堰を切った様にその口を開き喋り始める。
「そうです、流石御神さ・・・んです。リョッコ様のお知り合いだけはあります。」
「もう、何時もの君の調子で良いのに・・・まぁいいけどネ。それで紫狐君とどうやっていけば悩んでいるという事を俺に相談しに来たわけか。」
「はい・・・。」
 雷はその言葉に対して全く以ってすまない、と言わんばかりに恐縮していた。和犬を模しているだろうその姿、丸い尻尾は思わず垂れて耳も力を失いその三角形には張りが見られない、目も節目がちでその姿は見ているだけで見ている側も消沈してしまう様な姿であった。
「はいはい元気出すー。」
「きゃっ!?」
 そんな姿に思わず溜息を吐きそうになった御神は、さっと思うと相手が目線を下げているのを良い事に片手を挙げて軽く魔方陣を浮かべて軽い雷撃を雷に食らわせた。軽いとは言え雷撃は雷撃、立派な攻撃である。これが相手が雷属性ゆえに雷と呼ばれている精霊だから良いものも、もし他の属性の精霊なり或いは美根子でも良い。とにかく他者にしたなら下手をすれば一生の恨みを買う事に成りかねない中々危険な気付け薬であった。
「もういきなり・・・でも良い雷撃ですねぇ、気持ち良いです・・・。」
「ふふ、どうもどうも。まぁ何時までも沈んでいる子は俺は嫌いだからネ、注意してよ。」
「はい・・・どうもすみません、それでそのラベンダーフォックスの事について相談したくて・・・。」
「うんうん、まぁ一応俺もリョッコに頼まれてるからね紫狐君の事は。まぁ言いたい事もわかるなぁ・・・あれじゃ雷君達がちょっとかわいそうだ。」
 そう御神は一連の場面を思い返しつつ呟き同意を見せる。そして御神自身も、恐らくは精霊として美根子と共にある存在だからこそその場で既に見聞きしていたであろうけれど、と断った上であの一連のやり取りとあの後1人で考えていた事を雷に伝えた。それに対して雷は静かにそして冷静に聞き入り、間を見て意見を言う。それに対して・・・とふとした真剣さの漂うやり取りがそこでは展開された。
 とにかく言うまでも無く2人に共通するのは使われる者、使われない者の差こそはあれ何れもリョッコより何らかの形を以って美根子を託されている者達なのである。だからそこには1つの危機感もあった。御神にしてみれば結構面白そうだから首を突っ込んでいるという背景こそはあれ、昔からのリョッコの付き合いと抱く信頼感そして目の前での美根子の言ってみれば壊れっぷり。負わされた責任放棄をしよう、したいの一心に凝り固まる姿はどうにかしなくてはならないと思えていた。
 そして雷にしてみればその深刻さはその度合いを増す、御神以上に何とか美根子がならない限り自分達の本来の実力は発揮されないし、そもそもわずかだけでも発揮される力すらその機会を失いかねないからだ。そして何よりも本来の力の持ち主、つまりリョッコに対しての信頼以上の繋がりが、ひいてはその存在自体がどうかなってしまうのではないかと言う凄まじく強い恐怖が雷のみならず全ての精霊が余計に懸念させられるところであった。
 また今のところ行使された力は雷のみ、そして一番美根子と交流があるのも雷だけである。昔から最初に行使された精霊がその人物に付いている間は常に何かあれば付いている人物とやり取りし、そしてその意を他の精霊に伝えまた別の精霊の意志を当人に・・・最もあくまでも原理原則なので後者の点に付いてはそう言い切れない所ではあるが、前者に付いては大体がそうと当てはまる。つまり責任者としての立場に在らざるを得ないので懸念は更なる増幅を見せかつ、責任すらも大いに存在してくるのでこの様に単身精霊とは別の立場で美根子に付いている御神のもとへ相談に来たと言う事が出来るのだ。
 ちなみに精霊と御神の立場を表すと精霊に対して御神の方が上に位置する。どうしてかと言えば御神はリョッコに依頼されて付いているのに対し、精霊達は本来はリョッコの一部でありなおかつ命じられて切り離されてリョッコに付いており、そしてリョッコの力として行使されるべき立場にあるのでそうなるのだった。そしてそれ以上に御神は属性が雷、そして雷つまり黄緑はその名の如く雷の精霊であるからこそ雷にしては頼りがいのある兄貴・・・ともどこかで見えていたのも否定できなくは無い。

「んーっと、あ・・・そろそろ紫狐君目を覚ますようだねぇ。」
 議論もたけなわになった頃、不意に御神はそう呟く。御神の気配を感じる能力は一際強く巧みであり、その点に付いてはいろいろな点で溜息を吐いている氷室も一目を置く所があった。それを聞いた途端、雷は不意に慌て始めそれでいて名残惜しそうな気配を漂わせ始める。御神としてはこのまましばらくまだ論じ続けても良いのだが精霊たる雷はそうと言う訳には行かない、故にそこで議論を切り上げる事として・・・最後に御神はこう雷に言い放った。
「まぁとにかくだ・・・うん。」
 そして一拍の間合いを置く。
「紫狐君に一先ずレベルを合わせて見るのがいいんじゃない?そして紫狐君がわかったらレベル上げれば・・・分かっていない段階で求めるのはお互いに辛いしネ。それでどう?」
 それは考えてみれば色々と問題を孕んだ内容ではあった。しかし今、それをお互いに精査する時間は無い。今迫っている美根子がそろそろ目を覚ますと言う事態の前にはお互いに精査した物を共用する時間は特に皆無・・・致し方が無かった。
「わかりました・・・ありがとうございました、それでは御神さん失礼しますっ。」
 それをしっかりと記憶した雷は、そう呟いて頭を下げると普段の彼からは中々見られない礼儀正しさのままその場で姿を消した。それに対して御神は片手を軽く振りながら再びうつ伏せになって下界の部屋の様子をうかがい・・・大欠伸を浮かべていた。


 続
ラベンダーフォックス・第十三章疾風
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