ラベンダーフォックス・第十一章遭遇 冬風 狐作
「じゃ数えるよー、20秒でね。20・19・18・・・。」
 昼休みの小学校、弟つまり美根子の弟である史朗はそう大声で言うと辺りにいた子供達・・・と言ってもそれは史朗と同じクラスにいるその仲間達はてんでばらばらに辺りへと散っていった。その中で一人、膝を折ってしゃがみ込み丸まった様な感じに頭を垂らして目を瞑りながらカウントしていく。10・9と言い終える頃には何処に隠れようかという仲間達の気配も消えて静かになっていく。
「・・・0、行くよー!」
 そしてカウントが終わると共に目を開いて立ち上がり宣言する。当然返事などある由も無いが軽く口元を歪ませるとキョロキョロしつつ史朗は歩き始める、かくれんぼ鬼ごっこの鬼として。かくれんぼ鬼ごっこ、つまりそれはかくれんぼと鬼ごっこが合わさったものである。最初の始まりはそれこそかくれんぼであるのだが見つけて見つかってそれで終わりでは無いのがミソだろう、そう見つかったただそれだけでは捕まった事にならないのだ。
 言ってしまえばただ見られただけでは捕まったと言う事にならないのだ、捕まったとなるには鬼により手で触れられる事が必須であるから見つけると共に鬼は急速に接近してくる。だから見つかると共に逃げなければすぐに鬼に捕まってしまうからそうならないようそこからは一対一の、時には複数で隠れていた場合には複数対一の鬼ごっこへと転じ、更にそれ以降逃げる人は再び隠れてはならないからその時々で決められるルール、つまり全員が捕まえられてゲーム終了かそれともある一定の人数が捕まった時点で終了かと言う何時終えるかと言う事に従って必死に逃げていくと言う訳である。
 最も本気とは言えゲームに過ぎないのだからそこまでむきになる事はそう多くは無い。しかしそれだからこそどこに隠れてどうやり過ごすか、また見つかったとしても逃げやすい場所は何処かと言った事柄が重要になってくるし、何よりもそれが楽しさを増す事にもなる。更には参加者が多くまたその中に参加回数の多い者がいればいるほど、鬼にとっても逃げる側にしても色々と考えさせられる、言ってみれば知的な側面も見えつつ走ると言う事で体をも使える一石二鳥な遊びでもあるのだ。

 そのかくれんぼ鬼ごっこが史朗達の学年、小学5年生の間で妙なブームになっていてもう久しかった。正直言ってこの様な事をするのは、少なくともここ数年来つまり小学校中学年の時には全く流行らなかったと言うのに急に何がきっかけであったかも分からぬ内に一部で始まり、一気に学年中の男子児童が誰でも週に一度は"ゲームをする"と言うフレーズを言ってはそれぞれの仲間内で参加していると言う形にまでなっている。
 一部では女子の参加も見られるなどまだまだ衰えの気配が見難いこの"ゲーム"、初期の頃には重複した場所で複数の集団がしていると言う事も多く見られたが、今では幾つかの集団ごとにそれぞれの持ち場を持った上で時折自然な流れで交換し合う等して展開されているというのが実状であった。
 そして今日、史朗のいる集団のゲームの場所は校庭側を表とするなら裏である校舎と体育館、そして倉庫に挟まれた俗に言う中庭と呼ばれている一角である。一応、それなりに整備されていた様であるが矢張り生徒数が減った事、また日当たりの悪い夏はじめじめとして冬は積もった雪が凍り付いて山をなす立地の悪さから半ば壊れた運動器具等が一角に無造作に放置され、枯れ草などですっかり荒れた野原と化しているその場所を中心にしていた。
"どこにいるんかな、あそこにいないと言う事は・・・あっちかな。"
 大抵の場合、必ず隠れている場所に今日は誰もいなかった。念の為にその周辺も見回ってみたがどうも見当たらない、見落としていると言う事は無い筈であるから次によくいると史朗として感じている場所へと移る。しかしそちらにも不思議と今日は誰もいなかった、比較的自分としてもまた周りから見ても手早く見つけてしまうから手強くもあり、また最初の頃の回には全体の調子を盛り上げようと言う意図もあって鬼を任せられる事が多いのだが・・・こうも上手く行かないのも時にはある事だから深刻な事ではない。
 1人ぶつぶつとどこにいるのか予想を呟きつつ生い茂る草を踏み分け彷徨う、正直こうも彷徨わなければ今回はどこにいるのか分からないと考えたからの事でこうもするのは久しぶりと言うよりもした事が無い。今回はまだ最初と言うこともあって、だから前述した様に史朗が鬼をしているのだがルールも難易度の低いものになっている。
 そのルールはつまり今回参加している鬼を抜いた逃げ手の12人の内、5人を捕まえたら終了と言う易しいものなのである。それだから当然ここまでする必要は無い、そう普段であるなら・・・だが今日は一向に捕まえられないのは既に見た通り。だから彼は敢えて恐らくはいないだろうという予想をしつつその叢の中へと分け入ったが・・・むしろそれは事態を悪化させるだけであった。
 入った事が無いからこそ思いもよらなかったのであろうが、その叢の中心には沼・・・かつて池であった沼とも呼べないような深い泥濘が存在していた。
 そこには特に草が密集しているから外からは分かり辛いのだが、余程の渇きが無い限りそれには果ては無い。冬には冬でそれ全体が氷結して一種の凍土の様な形で雪下に潜み、春には融けて梅雨には沼、夏の最盛期には軽く悪臭をも放ちそして秋、冬と何時の頃からか自然に推移する知られざる泥濘。
 その潜む存在を知るのは小学校の中でも昔からの教務員くらいだろう、そしてそこに踏み込んだが最後泥まみれになって脱出せざるを得ないと言う事もまた。しかし知らずして、その中に放置されている運動器具の影やかすかに残る踏み跡を辿って彼ははまっていく・・・そしてチャイムが鳴り響く。昼休みの終わりであった。

「ふぅ、昼休み終わった・・・っと。」
 机を挟んで同室していた相手、相談に来ていた女子児童が退室してすぐのチャイムを聞いて男、そう青年は軽く立ち上がり首を左右に振って手を伸ばした。彼はどうしてこの部屋に、つまり中学校の狭いとは言え一室にいるのかと言えばこれが彼の仕事、正確には報酬をもらってはいないからボランティアとも言えるが、町から指定された小中学校担当のカウンセラーとして週に二回ほど小学校では昼休みに限定して生徒達の相談にのっているのである。
 それ故にあの様に気軽に構内に立ち入れ、更には教員用の駐輪場に自転車を止めて職員室に挨拶をしつつ校舎内へと入れた訳であった。そんな彼にも一応定職はある、しかしその定職と言うものは実態はどこか机に向かって黙々としたり、或いは得意先巡りなどをする営業とは異なり必要に応じて対応するものであるから常々の物ではない。
 何よりもその回数は極めて限定されているし、それでいてそこそこ重要な職務であるから報酬はそれなりの・・・この地域においてその若さでそこまで稼いでいるのは、都会の大学に出て都市の企業なりに就職した者程度だろう。少なくともこの地域に残って就職した同年代の者よりも上の年収を持ち金に余裕はあるのだ。
 そこに彼の場合は昔から色々と精神的な事柄と各種資格に対する関心が高かった事もありそれに昨今の社会的な勢い、更には実家もまた裕福で学校へ通う資金には自らの収入も合わせて全く事欠く事はなかったから、児童福祉士なりカウンセラーなりの資格についてはあらかた取っていて臨床心理士の資格まで持つマルチな存在であった訳である。
 故に彼が教育委員会より真っ先にその様な事を依頼されたのは当然でもあった。実際のところは彼としても日々半ば以上を好きな様に暮らせる生活に少し飽いていたという贅沢な事情もあったので、彼はすぐに引き受けこうして中学校に小学校の心理カウンセラーとしてのボランティアで勤めるに至ったのだった。
「さてと・・・次は放課後からの中学か、うん・・・今日の飯は中学校の給食かぁ。」
 彼のこなすローテーションは昼休み小学校、放課後2時間ほど中学校にて相談にのると言うもの。昼を挟んでする事から、言ってみればそれが報酬的な意味合いもあるのだが昼食だけは特別に週の前半は小学校、後半は中学校の給食を食べて済ませる事になっている。
 食べる場所は給食室の一室、最も中学校も小学校も同じ敷地に建っていることから1つの給食室を共用しており、その中にある給食室職員用の休憩室で取る事になる。そして今日は週の後半であるから中学校の給食を口にする事になる訳であった。そして彼は広げてあった幾つかの持ち込んだものを1つにまとめると、簡単な掃除と整頓をして部屋を後にする。
 ちなみにその部屋の扉の鍵については彼が管理しているに等しいと言えよう、1つの鍵束に小学校と中学校のカウンセリング用として用意された空き部屋の鍵を吊るしており、それは彼が持ち帰って家の鍵と共に日頃から持ち歩いているのだから私物の延長線上にある公共物と言う形であろう。しかしそのような事を知るのは教員等の職員のみ、ある意味では校舎の中の一室の鍵と言う小さな物であるからそう気にも止められた事も無い。
 恐らくこれが都会での出来事であれば、それは色々とそういう事にうるさい教員や保護者等に公になるでもなく即問題視された事だろう。しかしそう言った団体にいる一部の教員やPTAの会長にはかつての幼い頃からの友人の親族等が多く、皆が幼い頃からの彼の事を承知し信頼しているが為にその様な抗議は寄せられた為がなかったのだ。それでもわずかばかりの懸念こそ当初は示されたのは事実としてある、だが彼が期待される職責を果たした以上懸念する要素は無いとして静かに消え去り・・・それが知る人の常識にして当然の事に成ったのであった。

 その鍵束を指に吊るした彼は、簡単に職員室に退室し施錠した事を連絡して中学校へと続く渡り廊下へ進んでいく。かつてこの学校は人口減で小学校と管理の効率化を狙って、中心街より移転して来た小学校に半分明け渡すまで全て中学校であったから構造的に矢張り似通っているし、そもそも殆ど同じである。ただ入っている物だけが違うと言うこと、それだけに過ぎずその様に分離された事があの中庭の衰退にもつながっていたと言えなくも無い。
 何故ならあの中庭は2つの校舎の間にあって学年単位以下での集会などで利用されていた経緯があるからだ、しかし中学校が1つの校舎に集約されてしまって以来と言うもの、それは小学校の領域に組み込まれたに等しい・・・地形的にもちょっとした人の背丈ほど下にあったのに加え、そうしたある意味心理的な事情が中庭を使う理由があっても無くし皆から遠ざけたのである。
 そう言う言ってみれば心象的によろしくない場所を使うなら、小学校校舎を横断して堂々と共用の校庭で集会なりをした方が良い。だからその傾向が日増しに強まるにつれ、中庭はすっかり地盤低下し荒れるに荒れ果て・・・すっかり今では、主に小学生の児童達が時折遊ぶのに使う以外には用途の無い土地となったのだった。
 そして今では中学生が集会の時などに横断、後は給食のカートが中学校側にある給食室から小学生用の給食を載せて通過する以外に用途は無い、かつてのメイン通路でもある斜め勾配の長い渡り通路を青年は上らんとその角へと続く小学校側校舎の廊下を歩いていた。もう既にチャイムは鳴っていてざわめきも落ち着いているその時分になって、前方の視界の中に現れる数人の児童・・・青年の目には上級生と見て取れる児童達が、駆け足で中庭から入り込み廊下を逆方向へと向かっていくのを見た。
"遊んででもいたのか・・・?まぁまだ間に合うだろう、5年の教室はこの上だものな。職員室よりまだまだ近いものだし。"
 そんな事を思っている青年の脇を彼らは次から次へと・・・意外にも数人かと思っていたのが、11人もいたのには驚かされつつ過ぎていくのを眺める。そのすれ違い際に彼らが口にしていた言葉、それらは焦りとふとした不満の言葉が入り混じり交差したものであった。前者はと言えばチャイムがもうなってしまったと言う事についてへの焦りであり、後者の不満と言うのは遊びでの鬼に対するもので彼らの足音が遠くへ去って行くと共に小さく空気の中に消えていく。
 しかしそれらの言葉は、その場からは消えたとは言え一時的な記憶として青年の耳に強く纏わりついて残る。鬼が何時まで立っても探しに来なかった・・・鬼は先に帰ったのではないか・・・どこを探しても中庭の中に見当たらない・・・そう言った内容が、ふと耳に意識しているでもないのに止まり反復されるのだから少しばかり気になってしまうのは当然であったのだろう。
 しかしそれでもその時に青年は、中庭へと続く扉の前で足を止める事も無いままに通過し渡り廊下へと折れて登り始める。その半ば過ぎた辺り、外で言えばちょうど背丈ほどの段差の上と言える付近にて不意に立ち止まると窓の下の中庭を窓越しに仰ぎ見た。
 眼下に広がる中庭は相変わらず草生してそこだけがどうも雰囲気が怪しい、無数の訪れたわが季節を謳歌しつつ勢力を張り拡大している新緑と実際の所何か潜んでいそうな・・・実際に蛇等の類が住んでいる事が一時期問題視された事を思い浮かべつつ、更に思い立って自然と鍵を外して窓を開け顔を突き出して見下ろしたその時、彼はそれらの緑の中でも特に高さ的にも幅的にも密度の濃い叢の中に動く何かを認める事になる。

「ん・・・あれが鬼か・・・?」
 その動きのあった濃い箇所はこの学校の卒業生である青年の記憶が正しければ、その当時には既に池とも沼とも付かない水場であった筈だ。最も今では水辺に生える背の高い葦の密林と化している。そこには当時あった罰ゲームの対象としてどこかで笑える程度であった、とても頼まれても中には入りたくないと言う嫌がられる気配が尚更濃くなって漂っている特に異質な、そもそも学校の敷地内にあって良いのかとも言うべき存在だろう。
 そしてその中を動く何かに気が付いてしまったとなるともう心中穏やかではいられない。気になってしまって仕方ないからだ、だから思わずそう呟いては窓を閉めた足で渡り廊下を駆け足で下り始める。かつてはこのまま登った先の中学校校舎から中庭へと直結できる通路があったのだが、現在の中学校校舎から中庭へと続いていた階段へ続く扉が撤去されて消滅している。
 だから下って・・・もうどれくらい放置されているのか分からない外履き用のサンダルを無視して上履きのまま数年来の久々の空間へと足を踏み降ろしたのである。それは青年にとってサンダル並みに久々の事でもあった。
「おい、誰だそこにいるのは。」
 そう声を叢に向かってかけて、つい先ほど出来たばかりと思われる草の折れた面を見つめつつ・・・大声をかけた。そして返って来たのは半ベソにも近い小さなかすれた様な返答で良く聞き取る事が出来ない、最も距離があるのだから仕方がないのもあろう。だがあえて青年はそこにとどまって声をかけ続けた、出て来る様にと。そして幾度か呼びかけた所でようやくガサガサと言ううちから外へ向けての草を掻き分ける音が響いてきた。
「・・・どうした、こんなところで。チャイムは鳴っているぞもう?」
「ごめんなさ・・・い、何だか迷って・・・皆いなくて・・・僕、置いてかれちゃった・・・。」
 小声でぼそぼそと呟きつつ焦燥している草むらから出てきた児童の姿、その姿を見て思わず彼は眉間のしわを緩めざるを得なかった。そう露出していた手の甲等には鋭い葉を食らっての出来たばかりの傷が幾重にも走り、またあちらこちらが泥だらけという無残な姿をしていたからである。その様な姿になっている相手に対して大きな声を出せない、それが彼の優しさでもあり思いやりかつ教師的な役割を果たす立場にしては弱さでもあった。

 そうしてとにかく辺りを見回しつつ彼はその児童に近づき、何事かと囁いた。それに対して幾度か頷くのを見た彼は、その児童を連れて廊下へ戻り・・・元来た廊下を連れたまま戻って先ほど閉めたばかりの小学校側の彼に与えられている相談用の部屋の鍵を開けて中へと連れ込んだ。
「時間はまだ大丈夫か・・・ウェットティッシュで体拭いておきなさい。」
 そう言って部屋の中の椅子にその連れてきた児童を連れ込むと、彼は日ごろから持ち歩いているウェットティッシュ・・・実はかなりの潔癖性であるからだが・・・を差し出してその様に促した。
「はい・・・すみません先生・・・。」
 そう言いながらも児童、つまり史朗は幾枚か取り出して体に付いた汚れをふき取る。その様をしばらく無言のまま眺めつつ、軽く息を吐いて彼も腰を落ち着けると静かに再び口を開く。もう授業は始まってしまっているから終わるまでここにいなさいと、そして続けて何があったのかと聞こうと控えさせつつ後ほど自分の為に食事を用意してくれている調理員に謝らなくては、とも浮かべていた。
 体の汚れを取ってようやく落ち着いてきた史朗と彼・・・これが2人の後々まで続く関係の初めとなろうとはまだ2人とも知らない。ただの高学年児童とボランティアの心理カウンセラーと言う間柄に過ぎなかったのだから、そしてその関係の上で彼は口火を切った。
「さて・・・とだ。」
 そう小さく呟いただけで少年は軽く身構えた、矢張りこうもなっている事に引け目を感じているからだろう。それを見て彼は軽く息を吐き改めて切り出した。
「ああただ聞くだけだから、それに僕はカウンセラーで先生じゃないから秘密は守るよ。」
「そうですか・・・良かった・・・。」
 安堵の顔を見せた少年に彼もまた安堵をかすかに浮かべ続ける。
「君はどうしたんだいあんな所で・・・ああそうだ、名前聞いてもいいかな?名前知らないままでは話し難いからね。」
「あ・・・あの・・・東堂史朗、5年1組の・・・。」
"東堂・・・か・・・。"
 その名前を聞いた途端、彼の中に過ぎる物が何かあった。しかし彼だとは言えそこまで詳しい事を・・・彼とて万能ではない、幾ら東堂と言う姓の娘を狙っていたとは言えども。とにかく目標はその娘ただ一人、そう苦無く狙えると踏んでいたからその内情まで正確に把握してはいなかったのだ。ある意味有るまじき事かも知れない、しかしそれこそが現実であり少なくともその軽く意識の中に留めておくにすると一体どうしてあんな所にいたのか、また廊下を歩いていた時に中庭から駆け出てきた一団の話と繋ぎ合わせる為にやり取りを始めるのであった。


 続
ラベンダーフォックス・第十二章雷光
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