ラベンダーフォックス・第八章想寄 冬風 狐作
「・・・いや、嫌よ、私したくない・・・したくなんてない・・・っ!」
 私は暗闇の中叫んでいた・・・何かに向けて、精一杯の声を振り絞り足を震わせて。
「使命なんて・・・使命なんて・・・私は知らないわ。」
 幾らでも幾らでも叫んでいた、闇にその言葉が吸い込まれていくのを感じつつ延々と・・・そして幾ら待っても反応は返ってこず、その口を閉じると共に反応を露とする。暗闇の中に浮かぶ黄、そして銀・・・まずは黄が迫ってきた。そして私の周りを周回し始めると共に脳裏に言葉が走り始めた。
"我侭言っちゃ駄目だよ・・・君は紫、紫なんだ・・・俺たちの仲間だ・・・。"
"そうだ・・・お前みたいな奴でも仲間なんだから仕方ない・・・協力するから協力しろ・・・。"
 続いて銀色、そして次から次へと色が赤に青・深緑・白・黒・黄緑と8色が並び連なり周り行く。そしてそれぞれの言葉が脳裏を迷打する、8つの手にて叩かれる銅鑼の如く悲鳴の様な反応を示し抵抗する私・・・紫、紫と8色の声による熾烈な争いだった。
「あ・・・あんた達なんて・・・あんた達なんてっ・・・!」
 何かを強く言い付き付けようとした、しかしその時闇も色も何も消え・・・全ては白に包まれた。

「お母さん、お姉ちゃん目覚ましたっ!」
 目を見開けば見慣れた天井の染み、昔に絵を描いていたら弟が邪魔をしてそのまま喧嘩になり汚れた水の入ったバケツが宙を飛び、その中身の一部がついて汚れた天井・・・。白い中にあるその汚れは位置的にも完全に取るのは難しく、出来る限り取った所で放置する事になった。上手い具合にその色合いは虹の様であったので汚してしまったと言う罪悪感を抱く一方で、少しばかりきれいだと思う節もありどこかで気に入っていた因縁のある汚れである。
 しかし今は違った、その汚れに対して全く気に入っているという思いは片鱗も抱かれないばかりか、汚いと思う以上の負の気持ち・・・憎悪すら抱かれる始末。誰もその瞬間は部屋にいないことをいい事に眉間にしわを寄せて顰め、軽く溜息を吐きつつ表情を緩めたところで家族が部屋に踏み込んでくる。幸いその溜息は本当の所では取られなかったらしい、目を覚ましたからの溜息だと取られた様でほっと一安心だった。
「美根子、良かった無事で・・・。」
「ママ・・・。」
 母親は相当やつれた顔をしていた、その顔を見ると美根子が襲われ更には一時的にいなくなった事がどれだけ母親に負担をかけていたのか、あの"怪人"と呼ばれた相手を倒した瞬間の映像が脳裏にフラッシュバックされ二重の意味で心が締め付けられる。思わずそれで表情が少し曇ったのか母親の顔もつられて心配に思う瞳の色が増すのが・・・こうもはっきり分かってしまうのが辛かった。
「・・・ごめん、ごめんなさい・・・私・・・。」
 いたたまれ切れなくなり・・・募る切なさ、自分はこんなに感じていたのだろうか。これまで・・・こうも人の感情と言うのを、手に取るようにその思い、母親の自らを思い心配しいたわろうと言う強い思いを筆頭に少しばかり興味深さを浮かべた弟、そして父親・・・複数の心の中の思いがかくも分かる事。以前にふとした出来事で相手の心が、思っていることが分かればと無邪気に思った事が今から思えば空恐ろしい事だったのだと思えた次第だった。
 そして改めて思う、かつて自分はこうもすっきりと物事を考えていたのだろうかと。母の顔と声を聞きつつどこかにあるしごく冷静かつ客観的な自分、揺れ動く心とは別の自分にまた背筋が震える。そのわずかな変化を読んだのだろうか、母の後にあった父の顔が軽く肯くと声を母にかける。その肩に手を置いて、娘に・・・美根子が謝る事なんて何も無いんだからっと、もう半べそに近い様になって必死で言い続けシーツの端を握った母にそっとしっかりとした男声で言うのだった。
「まぁ・・・美根子もまだ疲れてるだろうから、母さん・・・お粥でも作りに・・・。」
 父の言っていた言葉は、余りにも印象に必死さの勝る母に圧倒されてか全てを記憶してはいない。しかしとにかく父はこの場を少しでも動かそうとする言葉を何度も投げかけて・・・母と共に部屋を後にした。扉が閉まった後、その向こうからは大きな慟哭とも取れる母の泣声が扉を通じて耳に届く。
「お姉ちゃん、もう何処に行ってたんだよ・・・お母さん大変だったんだから・・・。」
 率直な弟の子供と思春期の入り混じった言葉がそれに載って耳に脳裏に・・・伝わる、弟は恐らく声の調子からするとむっとした勢いだが美根子の心には、その心が大きく心配している事が、最もその一部に好奇心が加味されている事を読み取ってられていた。表に出される言葉を建前とするなら心は本音、その場においては本来なら薄々感づくのが関の山である本音を建前と共に知れる事の残酷さに身が刻まれる思いだった。
 そして咄嗟に深めに布団の中に潜ると、丸くなって耳に手を当て瞳を硬く閉じる・・・まるで亀のような姿だと思うその心のある体の閉じられた瞳からは、一筋の線が布団へと頬に引かれて吸われて果てていた。

「・・・行方不明になっていた東堂美根子さんは事故から・・・経った本日未明、巡回中の・・・発見されました・・・。」
 ラジオを通じて流されるニュースの一節・・・それは美根子に関するニュースであった。そのラジオの置かれているのは山を越えた向こうの鉱山都市の一角にある鉱山住宅、その部屋の入口にかかる表札には「三幅」との文字。その中の一室の・・・ベッド脇の古惚けたラジオからであった、場所的な事情で電波が悪く時折雑音が混じるが大事はない。
「行方不明になってた子・・・見つかったんだ・・・。」
「ん?お前の事か?」
 少しばかり沈んだ感じの女の声に大人染みて軽い男の声が交差する、次の瞬間男の大声いや悲鳴・・・そして女の大笑い。
「もう・・・馬鹿兄、だからあんたは女子から弄られるのよ。」
「うっさいなぁ・・・洒落の利いたナイスな笑いの何処が馬鹿兄となるんだい?素晴らしいじゃないか、愛しの妹よっ。」
「・・・どこが?」
 一瞬の沈黙の後の醒めた突き放し・・・それでもその手が、ミカンを剥いている兄たる弘宗のその手は止まらず大分くたびれたミカンはその中身を皿の上に載せられて妹、瑞姫の枕元に置かれる。
「はい最後のミカン・・・腹壊しても蹴らんでくれな?むしろ感謝してくれよ、もう季節じゃないのに探してきたんだから。」
「それはその時ね・・・日頃の悪行があるもの。」
 そう言いつつパクパクとミカンを食べていく姿だけは言葉が無ければ貪ると言うべきか、とにかく瞬く間に平らげて気持ち良さそうにそしてまだ物足りなさそうに顎の下を揉んでいる。
「相当腹減ってるんだな、こんなにお前が早く食べちまうなんて珍しい。」
「・・・おなか減ってるんだから良いでしょ、もっと欲しいなぁ・・・お兄ちゃん。」
 バツが悪そうに見せつつそのままストレートにまだ無いかと欲する姿に、弘宗は思わず言葉を詰まらせる。何故ならこれほどの様な妹の姿を見た覚えが無かったからである。そもそも弘宗の中での瑞姫像は勝手な理想や捕らえ方もあり、必ずしも全てがそのままと言う事は決して無いがどちらかと言えば控え目で強い女の多いこの辺りでは線が細く弱々しい、しかし頭は良いある種のお嬢様的優等生であった訳である。
 実際彼女はそのイメージ通りに静かで地区の集まりがあっても意見を発したという事は聞いた覚えがない、受身で控え目な反応をしてその姿から積極性に欠けていてその極端さに不満が一部から漏れている・・・と言う噂話なりを人伝に聞いた事はある。とは言えそう言う話もそう多くは聞いていないし弘宗からすればその様な女子は妹以上に凄いのがいると感じられ、また家庭内においてはむしろ何かにつけて盛り上がりすぎる弘宗とその兄に静かにブレーキをかけると言う貴重な役割も果たしていた。
 なのでその姿勢にはむしろ感謝している節もあるのは否定出来ないだろう。何よりもその姿勢は不変な物だとしていた向きすらもある、だから行方不明になって穴の中で倒れているのを見つけて気がつかせて家に連れ帰り、一寝入りしてからの変わり振りには全く驚かされるばかりなのである。食べても食べてもまだ食べようとするその旺盛な食欲、どこかその言葉に漂う力強さと張りに目の輝き・・・と言った変容は弘宗を大いに圧倒する以外の何物でも他ならなかった。
「・・・ねぇ、お兄ちゃん聞いてるの?」
「あっ・・・ああっ、わかった・・・わかった、今何があるか見てくるから・・・我慢は出来ないか?」
「どうして?」
「・・・わかったわかった。」
 そしてさっと立ち上がって居間を挟んだ台所へ、兄が家計を支える兄弟三人の3人家族と言う所帯が住むには過不足無くというところではあろう。そして冷蔵庫の中に顔を突っ込み、その実態を見る。
「・・・もう何も無い・・・やばっ、兄貴に知れたら・・・。」
 冷蔵庫の中の実態は薄々感づいていた通りに調理出来ずにすぐに食べられる代物はもう空であった、冷凍食品にしろもう残りがわずか・・・残っているのは兄が今晩の夕食にしようと買って来た餃子の冷食だけ。他はもう彼と妹の胃の腑に中身は、そして外見たる外袋はゴミ箱の中に何れも変わり果てた姿となってあるだけ。それに対してしばし無言となり貝となる・・・それだけだった。
"何でこんなに食べたがる・・・ああもう、どうしたんだ瑞姫・・・。"
 一種の嘆きとも言える・・・兄が帰宅したら兄は自分だけを質すだろうと言うほぼ確実な予感の下で、弘宗は双方に対して思い背を少し丸める。


 続
ラベンダーフォックス・第九章紫達
小説一覧へ戻る