ラベンダーフォックス・第七章紫白 冬風 狐作
「にしても東堂さんの娘さんはどこへ行っちまったんだろなぁ。」
「そうだなぁ・・・吹き飛んだとしても何にも見つからないと言うのもおかしなものだし。」
 町立病院周囲に張られた封鎖線、そこに立ち警備している警官はふと同僚とそんなやり取りをしていた。見上げれば白んだ空の下に浮かぶ白亜の建物、その一角には全く不釣合いなまでに、そしてその大きさから不思議と違和感なく建物の一部として同居している破壊口が口を開けていた。
 その口の中では拉げたベッドと半ば焦げて揺れているカーテンの残骸が見えて何とも痛々しい、ふと脳裏に浮かんだのはヨルダンやイラクと言った紛争地域にて砲撃を喰らい大穴を生じさせた建物である。しかしあれらが外からの衝撃であるのに対して今目の前にある現場は内からの衝撃、様々な残骸は内から外へ向けて生じ散らばっていて急報を受けて乗り込んだ時には思わず目を疑ったものだった。
 そして爆発となった病室には一人の患者が、更には通路に設置してあった防犯カメラの映像から看護士がいた筈なのだが、その2人の消息が皆目不明なのである。警察に消防、そして救急が乗り込んで懸命な捜索をしてもいたと言う痕跡はあれども、痕跡以上の実態が全くつかめない。痕跡一つ残さず吹き飛んだと言えばそれもまた一理ではあろう、しかしそこまでの衝撃となると航空機事故に匹敵する衝撃がなければならない。
 しかしそんな衝撃がこの病室で起きていたならこの病室のみならず病棟自体が良くて半壊、恐らく全壊と言う惨事にまで発展していたであろう。しかし実際には病室一つ丸焦げにして吹き飛ばしただけである、当然惨事には違いないのだがそれだけですんだ事は喜ばしい事。そして爆発はその程度であったと言う証明に他ならないのである、だがそれなら生死は別としてもその肉体は何処かに必ずだ。
 まず有り得ないが自爆テロであっても、木っ端微塵となった肉体の破片が辺りに飛び散っているのは当然であろう。あの911テロでさえあの莫大な瓦礫の中から肉片を探し出すと言う気の遠くなる様な事があった、だからあって然るべきなのに・・・何も無い。元々そこに居なかったかのように看護士とそこに寝ていた筈の患者、知り合いでもある東堂さんの娘は見当たらなかったのだった。
「にしてもよ。」
「ん、どうした?」
 しばし見つめていた警官は少し場を離れて戻ってきた同僚に再び言葉をかけた。
「最近妙な事件が多くないか?もう失踪者だけでも何人だ・・・20人くらいこの短期間に出るなんて何かおかしいしな。」
「まぁそれはそうだなぁ・・・。」
 同僚はそっと煙草を吹かして同じ様に現場の方角を見つめて、しばし押し黙りそして火を消す。
「とにかく気をつけねぇと、明日はわが身かも知れんしな・・・さて、今日も良い天気だ。」
 東の空から淡いオレンジの光が強く眩しく差し込んでいた、地上の人々の動きなど知らぬかのような澄んだ青空が天を覆っていた。

  "なぁ・・・な?気を直してくれよ、そんなに沈まれても・・・。"
"取り戻せないものは取り戻せない・・・そう言いたいんでしょ?"
"・・・まぁそうだが・・・。"
一方社の中での美根子そしてその中にいる雷、2人はずっと静かにやり取りをしていた。やり取りと言うよりも雷が美根子を説得しているような形であり、美根子が対して頑なに自らを張り続けているのの繰り返しであった。とにかく美根子はあの一件、リョッコと自らを襲い今この段階までを持って来る事となった敵を倒した事に対して、倒し消滅させてしまった事・・・それは全く取り返しのつかない事だと言う事を彼女は痛切に感じていた。
 そしてそう感じた上で彼女は逃げ場を探していた、自分がやってしまった事は強く感じられるし否定しようが無い。しかしあの様な力が自分本来の物ではない、大いに動揺した中でそれを見出した途端美根子は次第に考え始めた。自分自身が力を使い結果としてそうなった、だがその力は自分本来の物ではないと言うことは・・・その力を与えた存在が悪いのだと考えは飛躍していく。
 そう責任は全く自分に無い訳では無いが全てではない、仮に襲われたのは変わらなくても力を与えられなければ別の展開と結末が現れた筈だろう。それが例え自分を傷付ける事となっても相手は倒れないし、むしろ自分が被害者となれる訳だから・・・そこには人なのか怪人なのかと言う区別は無かった。そもそもの説明不足である、正確かつ十分な情報が無い以上区別する事自体が困難であり有り得ない。
 要はリョッコや精霊達にとって怪人即ち敵、倒して当然の存在と言う認識が美根子と共有されていなかったことが最大の問題なのである。そしてそれに輪をかける様に純粋な年相応な願望をさして抱かずこうも考えてしまう、妙に大人で頭の回る所が彼女の長所であり短所であると言うのは否めなかった。だからこそ彼女はこうなってしまった以上徹底して、自己防衛と言うような形で雷を拒み表には出さずともリョッコをも嫌悪しつつあったのであろう。

"おい・・・雷・・・。"
"ああ・・・銀何だ?"
 そのやり取りにふと加わってくる新たな声・・・途端に名前と被るように銀色をした玉の姿が脳裏に浮かぶ。思わずそれに顔を顰めたのも今の心象を示しているだろう。
"もう放っておけ・・・こんなに言っても分からない分からず屋なんかさ・・・言うだけ無駄だ。"
 銀はもう醒めた諦め口調にてそう呟いた、それに対して雷は言葉を一瞬息を呑み美根子は新たな反感を浮かべる。
"全くよりにもよってこんな奴か・・・久しぶりの出番は最悪だな。"
"ちょっとあんた・・・黙っていれば好き放題・・・。"
 ここまで来て黙っている美根子ではない、頭に来たのは当然であった。とは言えそれに何処か焦りもある、それはその言葉一つ一つに自らの怒りと言うか強気に繕っている内面が抉られていく様に思えて仕方が無かったからだ。そしてそれにとても耐え忍ぶ覚悟も度量も全く無かったのだから、否定されるに従って感情的に沸々と沸き起こる激情は美根子自身を突き上げて溢れ上がり燃え上がる。
 液体にして火炎、マグマの如く煮え滾り思わず罵る・・・本人でも何を言っているのか分からない支離滅裂な罵詈雑言をぶつける。その間全ての精霊達は押し黙っていた、各々思うところはあったのだろうが全て封じてひたすら聞く。聞くだけで何もしないでただじんまりとして雷ですら何もしようとはしなかった、それにますます調子に乗ったのか美根子が更なる言葉を投げかけようとした時・・・それを止める動きがあるのは意外で驚きであった。
「やれやれ・・・いい加減に落ち着ついたら――」
 精霊達は中にいる、だから美根子は何も居ない空間に向かってただ一人で怒鳴り散らしているとしか周りからは見えない。それを背後から止めようと思わず駆け寄った紫の・・・御神、一人で中に対してとは言え対面して見えない相手にその様な態度を取り続けるのは流石に彼女としても恥ずかしく、また物足りなかったのだろう。
 そこに思わず、ある意味では彼としては珍しく飛び込んだ御神は格好の相手であった。完全に発散されずに鬱積し燻っていた思いが触れられた瞬間、一気に弾けた激情のままに力は腕に込められ体を軸に振られ御神の顔にクリーンヒットしたのだ。そこに躊躇いは無かった、全く躊躇無しで込められた力はぶつかると共に御神の毛に沈みそして中にある骨格を叩く。
 唐突な事に全く構えられずに沈んでしまった証明なのかは知らないが、そのメガネもまた吹き飛び床に転がった。体は衝撃を食らっても四足で踏み止まり顔だけを斜めにしたままでいる。そして反応が無い・・・何時もの彼ならすぐにめがねを拾い上げると口を開くと言うのに、それがないまま数秒が経ちようやく御神は動きを示した。
「・・・痛いなぁもう・・・うん、痛い。」
 確かめるように殴られた箇所を押さえ、プッと血の滲んだ唾液を吐き捨てる。ふざけているのか本気なのかがわからない何時もとは抑揚の異なる口調、思わずその勢いに頭に血が上りに上っていた美根子も思わず目を覚ましふと我に返る。そして気配に犯されるとは言わないが、ようやく事態に気がつくも時既に遅し。御神の気配はあのあっけらかんとした陽性の気とは明らかに異なり、また幾ら動揺してもあれほど声をかけてきた雷・・・そして文句を言ってきた銀、更には他の精霊達も何の音沙汰も無い中で御神だけは静かに、だが着実に動き並々ならぬ気配を纏っていた。
「ご・・・ごめん、あの私・・・。」
 慌てて謝罪の言葉を口に走らせようとするがそれは御神の言葉によって遮られてしまった。
「謝罪の言葉はいいよ。大丈夫、それ以上の苦痛で返してあげるから。」
 御神は落ちてるめがねを掛けなおすとにっこりとそう宣言する。まるで明日の天気でも話し合うかのような軽い口調、だがその青緑の瞳が全く笑ってないことを見ると逆に薄ら寒い恐怖感を感じる。普段とは異質の軽さだからこその恐ろしさと言うべきか・・・前脚を折り、身を低くさせ目を閉じ何か小さく詠唱をしている。
 そして額の角の先に浮かび上がる空中の文様、円陣、魔方陣、複雑なな形象がはっきりと浮かび上がりそして言葉に更なる語気が入りかけたその瞬間。それは途絶え・・・思わず背筋が震える寒さが辺りに満ちた。

「全く貴方という方は・・・反動が大きすぎなんですよ、大丈夫ですか?美根子さん。」
「あなたは・・・?」
 冷気と共に現れた純白の獣・・・いやその姿は色に角、そして尻尾の形を除けば極めて御神と類似した獣竜がその呟きと共に現れたのを美根子は見つめる。瞬間、彼女の中の精霊が緊張したのはふと感づいたがどうしてなのか分からずただ言葉を投げかけた後は見つめていた。そしてその獣竜は御神の前に突き刺さった氷の槍を仲立ちとするように立ち止まり御神と相対した。
「・・・おや誰かと思えば氷室君じゃないか。」
「ふ・・・貴方にしては珍しいですね、何時も僕と会うと妙に神経を逆撫でする調子で『ひむひむ』と呼ぶくせに・・・あぁ、そんなことにすら気を配れないほどだったということですか。だから貴方はバカだというんですよ、バカ。」
「うるっさいなぁ・・・もう・・・。」
 氷室と呼ばれた白獣竜に対して御神はどこと無くバツが悪そうに応じていた。何時もと勝手が違うらしい・・・最も美根子はその場面に遭遇した事は無いので、何時もは知らないが恐らくはこの逆かあるいは御神が氷室に対して圧倒しているのではないかとふと思えたものであった。
「護らなければならない存在を攻撃しようとするとは・・・貴方らしかぬ行動ですね。・・・ははぁ、もしかして『彼』にでも邪険に扱われでもしたのですか?」
「う゛・・・そんなことは・・・」
「・・・図星ですか。いいですか?何時ものノリで臨めばいいんです。自分のストレスの捌け口を別の誰かに向けるというのは最低の行為ですよ。・・・ねぇ美根子さん?」  暗に自分も叱られているのだということを察した美根子は、バツが悪そうに俯いてしまう。
「はーいはい、わかりましたよ。まったくひむひむ大先生の言うとーり。俺が悪ぅございました、申し訳ございません・・・っつーことでこの件についてはお仕舞い、お仕舞いっ。」
 痛いところをつかれてしまってはこれ以上ごねても口では勝てない、そう察したのか御神はいつもの調子でわかったと返して〆ようとした。それに氷室はむっとした向きもあったが、そこは大人と言うか手馴れている調子で溜息をついて応じる。
「はいはい・・・まぁ良いとしましょう。」
「うんうん・・・ごめんね、紫狐。ちょーっと暴走しちゃったよ、っと。」
 その御神の気配はがらりと180度まったく違ったものに転変していた、矢張りこれでないと御神は御神ではない。そう氷室は見ているらしく溜息の中に安堵の息を含めて、すっと二足で立ち上がり今度は美根子の側を向き静かに氷の微笑みを浮かべた。
「初めまして、美根子さん。氷室と言うものです、以後よろしくお願いしますね。」
「あ・・・は、はい。東堂美根子・・・です、今は助けて下さって。」
 すると氷室はおやっと言った目をして言葉を切り返した。
「助けたつもりはありませんよ、ただ必要だからそうしただけです・・・ほら。」
「・・・えっ!?」
 何時の間にか首に前からかけられる様にかけられた鎌、その刃は首の跡側スレスレに付けられていた。そしてその柄は氷室の手が握っている。
「僕は味方ではないと思いますよ・・・必要だからそう動いただけである事をお忘れなく・・・。」
「は・・・はい・・・。」
「それでは・・・また機会ありましたらお会いしましょう、あんなバカですがバカなりに良いやつ・・・かもしれないのでよろしくお願いしますよ。」
 そう言って鎌は消えた、そして静かに外へと今度は四足で元と同じ様に静かに消えて行き・・・美根子は人に戻った。そしてその場に倒れ伏す、御神がそれの傍らに来るのと新たに外から人影が踏み込んでくるのはまた同時の事であった。
「美根子・・・っ。」
 その人影とは美根子の父親であった、そして父親は辺りを見回し御神の姿も見て頷くと2人を連れて乗り付けてあった車に戻る。そして無人になったその中には誰の姿もなかった、ただ氷の解けた水溜りと若干の血痕、そして破壊の跡だけが残されていた。


 続
ラベンダーフォックス・第八章想寄
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