「いやあ、大変な事になりましたなぁ院長さん。」
テレビからその映像と音声が流れた後の部屋。終わると共に別のチャンネルに回しながら1人の軽く頭の禿げたやや古惚けた一昔前のスーツを着込んだ、六十路も行っているかと思われる男が呟いた。
「申し訳ありません、町長・・・こんな事を起こしてしまいまして。」
対して座るは軽い口髭を付け八割方白髪となった頭を抱え、痩せ気味の五十路程の年齢に見える白衣の男。彼らは互いに呼び合っている様にチャンネルを回してテレビに目を向けつつやや強い調子で話しているのが、この田牧町の町長である後藤雄三、そして白衣で頭を抱えているのが爆発のあった町立病院の院長を務める室田均である。しばし他の番組を見つめた町長は静かに音量を落とすと向き直り再び口を開いた。
「原因不明の爆発か・・・どうしてあんな所が爆発するんだ?」
「まことに申し訳ないのですが・・・私にも皆目検討が付きませんで。」
ちなみにこの2人は歳こそ10程離れているとは言え、この土地生まれの生粋の仔の土地育ちであり親同士の繋がりもあって昔から互いに良く知り合う仲である。また町立病院の今の病棟は後藤町長が就任して間もない頃に手掛けた事業の一つであり、あれから20年の月日が経過しているとは言え思い入れが深い。
また建設時には暇さえあれば現場に赴き、その一部始終をその目で見届けてきたほどであるからその構造も下手な病院関係者よりも熟知しているそんな男だった。だからこそ彼の頭の中にはどうして爆発する可能性のある物の無い区画にある普通病棟の一角が、爆発し破壊されたのか全く理解し難い出来事であったのだ。
故に彼は院長を呼びつけて以来ずっとその事を追及していた、しかし院長とてどうしてそこが爆発したのかは全く把握が出来ていない上に思い辺りが無いのが現状。結果として話はずっと無限ループを繰り返し、それは時折テレビから流れる事故に関する情報によって軽く中断される以外は延々と続いていたのだった。
「それでは困るんだよ、私の知る限りあそこには爆発する要因は無いはずだ。それにあの区画は耐震工事こそしたがその様な設備を取り付ける許可などした覚えは無い、それにそのような申請が来た事もわしは知らんし助役も知らん。議事録にすらないのだからな。」
就任以来の5期20年間を回想しつつひたすらに町長は呟いた、年を取ったとは言え彼には町長としての自負があり誇りに思っている。だからこそ不祥事はおろかその目すら許さない覚悟で・・・幾らワンマンとも強圧的とも言われようとも、自分への屈折した褒め言葉だと受け取ってここまで邁進して来た。
その介あってかこれまでの在任期間の中でこの町では不思議と行政が舞台となった不祥事、職員個人の責任による交通事故などを除けば皆無と言えるほどに見当たらない。それ故に周辺町村からは驚異的とも言える目で見られていたのも事実でそれが非常な自慢でもあった。だからこそ後半年余りとなった残りの在任期間を不祥事ゼロにて終わらせると言う実績は、町長にとっては九割八分はもう手中に収め更には確実と信じるに足りていたからこそ、今回の事故の衝撃は余りにも大きかった。
それ故にまだそうと決まった訳ではないが、恐らくは病院当局そしてその病院を設置運営してる町当局の責任とされ、後藤町長在任中に引き起こされた不祥事として後世に残されるのは間違いない。と思い込み恐れたからこそ町長は、現場の指揮とマスコミ・警察への対応に追われる院長を無理矢理役場へと呼び出し、町長室に半ば監禁するようにしてこの様な無駄な時間をひたすらに費やしていた。
これは院長を始めとした病院関係者、救助・検証に当たる警察・消防、更には爆発事故と聞いてやってきたマスコミに野次馬・・・その基本的な立場や求める物は異なったとしても、直接関わる人々には大変迷惑極まりない自己中心的な行動としか言いようが無い。そんな中で町長は1人恐れ混乱し想像たくましくしてテレビと院長をおかずにしてある意味では自己満足、そして不祥事防止という名の下の自己保身と言う騒々しい宴に明け暮れるのであった。
「・・・誰かしら。」
凛とした声を視線と共に扉へ向けたリョッコ。その傍らで御神は静かに後へと動き変貌した・・・紫の獣毛にて包まれた狐人の姿となった美根子をそっと、さり気無く庇える位置へと行き軽く構えていた。静かな緊張の糸がその場に張り詰める、しかし扉の向こうから応答は無い。しかしかすかに漂う気配をリョッコが見逃す筈もなかった。
「・・・隠れているつもりだろうけれど無駄よ・・・さぁ出て来なさい。」
その時の声にはまだわずかな優しさ・・・柔らかしさが漂っていた。それはある意味では最後通牒的な意味合いであったのだろう、しかし返答は無い。ただ沈黙だけがその場を支配していた。
「・・・・。」
リョッコの表情から隙が完全に消え気配は一層険しくなった、そして彼女はすっと立ち上がると軽く腕を構え腕先に力を集中させる。すると何も無い空間、ただ空気だけがあり向こうまでもが見渡せた片手と片手の間の構えた空間がぼんやりとし始め、軽く陽炎が立った様にぼやけた次の瞬間には朱の柄に銀に輝く半月を思わせる刃・・・薙刀がそこに現れていた。それを手にしたリョッコは軽く息を吐き構え・・・またも力を入れる。そして見据えた次の瞬間、扉の向こうからも反応が返ってきた。
ヒュンッ
返って来たのは風を切る音そして軽い衝撃、目に見えぬ複数の刃が回転しつつ扉を切り裂き室内へと入ってくる。それを受け止めるはリョッコ、その薙刀を一振り二振りとしてその見えぬ刃を叩き落としては防いでいく。叩き落とすとは言えその結果として何かが床の上に転がるとかそういう事は無い、薙刀と刃の衝突する音こそ室内に響くものの実体は無いのだ。恐らくは空気の固まり・・・かまいたちの様な厄介な攻撃をリョッコは防いでいく。
「全く・・・正々堂々勝負なさいよ、投げ技だけで攻めてくるなんて・・・意気地なしね・・・。」
防ぎつつも緊張の糸を弛ませる事なくリョッコは余裕を若干浮かばせた声を流した、途端にどうした訳か・・・あの間断無く飛んできていた衝撃の刃が途絶えた。風を切る音が消え静かになった室内、そして束の間のそれを破るのはまたも外からの衝撃であった。
「キャッ。」
「おっと。」
その衝撃は社を揺るがせる。木造で堅固な自然石より作られた土台を持ち、銅版で屋根のふかれた本殿は音であらわすならば"ドンッ"と言う音以外の何物でも無い音によって揺さぶられ軋んだ。しかしそれで壊れないのは矢張り古来からの堅固な方法で造られている故かはわからない、それでも中身への衝撃と外見への衝撃は一緒くたに取りまとめて見る事は出来ない。流石のリョッコでも思わずよろけるほどの衝撃の中で美根子もまた気を取り戻さずにはいられなかった。
"・・・ん・・・あれ・・・私・・・?"
「隙ありっ!」
そしてその覚醒と襲撃とが被ったのは全くの偶然にしてある意味、不幸としか言いようが無い。意識を取り戻した美根子が見た光景、それは一瞬のよろけた隙を突かれたリョッコが何者かに襲われる場面であったのだから。腕の付け根を赤く染めるリョッコの姿・・・それは衝撃的であり思わず視線が釘付けになる、それに勘付いたのか御神がその破線を遮ろうと動く。
しかし美根子はそれを許さなかった、いや許さなかったと言うよりもさせなかったと言った方が正しいだろう。次の瞬間、御神はこれまでにない気の発露をその背中に感じさっと後を振り返り慌てて引き下がったのだから・・・そう強い気配に包まれている美根子の姿を見て。それもまた咄嗟の判断であった、そしてそれが正しかった事を数秒もおかずに御神は知る事となる。
"何ぼさっとしてるんだ、あんたはっ!"
リョッコが赤く染まる光景を目にし釘付けとなった瞬間、美根子は脳裏に聞きなれぬ声を聞く。
"出番なんだよっ・・・さぁ早くして。"
「で・・・でば・・・!?」
声は全く美根子に考える時間と言うものを与えなかった。次の瞬間息が詰まるような感覚に見舞われたかと思うと急速に呼吸が楽になると共に、体の中に何かが全く同じペースにて拡大し埋め尽くし膨張する。まるで全身の細胞が痺れる・・・そんな勢いであった、気分は悪くないむしろ爽快だろう。しかし考えが合わない、いや追いつかない。
ただ自らの体で起きている事なのに美根子は傍観しているだけ。恐らくはあの声によって全ては制御されているのだと漠然と思えてはいたが、それでも考えるまでには至らず確信を抱く事は無かった。ふとそんな様相の中で浮かんだのは今の自分の容姿についてであった、何やら勝手が違う・・・慣れ親しんでいたあって当然の体が何処か違う事に。
だがそれもまたその時点では分からぬまま彼女は立ち上がる。そして斜め上に突き上げる腕・・・そこでは豊富な獣毛が全てを覆い尽くして逆立ち、非常に淡い黄緑を纏っている姿を始めて目に捉えたのであった。だが現実離れした光景を飲み込む事が出来ないまま彼女は行動に出た、全く支持された通りの行動へと。
"行けっ!"
次の瞬間、斜め上に突き上げられた腕は一気に半弧を描いて大腿部に近い真下へと下る。途端轟音と目も開けられぬ白い光が全てを包み込んだ・・・。
"これで私は・・・っ。"
リョッコを襲う何者か、お客さんと言われ別には27号と言われている存在は勝利を確信していた。あと一歩、後一息で全てが・・・そう思い満身の力を込めて不意を喰らい負傷したリョッコに止めを誘うとした瞬間異様な気配の接近に勘付く。それは淡い黄緑に包まれた何者かより放たれた眩いばかりの白い雷光・・・すぐ様回避しようと行動を慌てて取ろうと思考に命じ始めた次の瞬間、その小回りの効く比較的小柄な体はその滑空に適した翼諸共飲み込まれ輪郭を失った。それは悲鳴すらない消滅・・・余りにも残酷でそして爽やかと言えるかもしれない最期だった。
そしてあの眩い光は、空間の中にある全てを飲み込んだ光が消えた後には元の姿がそのまま残されていた。唯一一方の、美根子から見ればちょうど対称の位置にある壁が半ば消失していた以外はそのままの光景となって・・・。しばらくは中の音も動く物も無いその社の中に吹き込む夜風がどこか救いに思えたのは気のせいではないかもしれない、そんな初陣の夜であった。