ラベンダーフォックス・第一章記憶冬風 狐作
"なっ何なのよこれ・・・。"
 再び幾つかの狐火が声と共に本殿の奥より飛来し、鳥人の体へと容赦無く纏わり付いてはその度に悲鳴を上げさせる。更に飛来する幾多の狐火、瞬く間にそのこげ茶色の鳥毛に包まれた体は青白い狐火に纏われ尽くされその不思議な炎を介して見える様になっていたが、何らかの意図からなのか顔の辺りにだけは全く狐火が寄り付かず故に悲鳴が辺りに響き渡る事になっていた。それが、不意に意識を取り戻した美根子の見た光景だった。余りにも不可解な光景に思わず言葉が出ずに体も動かせないままそのまま見つめ続ける。
「全く騒々しい・・・敷地に無断に立ち入った挙句ここまで大騒ぎしおって・・・。」
 とその光景に1つの波紋が投じられた、それは言葉である。当然それは美音子の発した物ではないし鳥人の悲鳴とは明らかに異なる、冷静さと冷ややかさとを兼ね備えた言葉だった。加えてその言葉には何か力を秘めているようで聞いただけで体が強張りどうにもしようとも動かない、美音子の視線は狐火に包まれた鳥人に釘付けにされ鳥人は今やその嘴を半開きにしたまま悲鳴を上げるのをやめて押し黙りただ前を、美音子の背中側にある本殿の方角へ視線が同じく釘付けにされていた。
 もう狐火は飛んで来ず声も続きは聞こえない、辺りが完全に静まり返り静けさの中で張り詰めていた。その度合いは刻々と増しこのまま何も起きなくても何かの拍子に弾け飛んでしまうのではないか、そんな懸念をふと感じつつあった時にこの空気を招いた声が静かにそれを響き解き解す。
「おやおや鳥妖とは・・・何時も同じだねぇあ奴は、そして女子に目をつけるのも・・・本当飽きぬ奴よ全く。」
 今度はわずかな驚きと呆れ具合を混ぜた言葉だった、最後の言葉の後にはかすかな溜息が混じりそして若干の笑いと共に声は続ける。
「まぁ良い、私も退屈していたところだからまた楽しませてもらうとしようか、では手始めに・・・ほれ。」
 声の調子は段々と軽くなり最初に聞いた際の冷ややかさは消えていった、それは一拍をおいた後の掛け声の時に最大となりその時にはわずかながらもその場の雰囲気を楽しんでいると言う色が含まれていた。そして掛け声に続く次の瞬間、鳥人に取り巻き付いていた狐火がそれこそ青白く一気に燃え上がり全身を包み込み消える。至るまでの間と言うもの鳥人には全く反応を示す猶予は寸分も与えられなかった。ただ一度も悲鳴も喘ぎも見せる事すらなしにそのまま炎に包み込まれて炎と共に消えると言う分かり易く、呆気ない最期だった。ただ消滅したとは言えそこには影と何かが残されていた。
 それは狐火と共に出現して辺りを包み込み狐火よりも淡い青色の光にかすかに染まる見覚えのある色をした物体、何の事は無いそれは人の体であった。一糸たりとも身に纏ってはいない人の肉体が鳥人の最期の姿勢のあった位置に力無く拝殿の壁に寄りかかる様にしてあり、意識は失っているのかその目は硬く閉ざされて身動きはしない。ただ口だけが矢張りあの嘴と同じ様に半開きになって開いているのが強く印象的に美根子には感じられたものだった。

 そして静かな足音と共に何者かが、恐らくは狐火を放ち先程までの言葉を全て口にしていた何者かの物と思われる気配が同時に背中の側からこちらへ近付いて来た。階段を降り石畳の上を来る、その強い気配のせいか何者かの動きは全て手に取る様に背中を通じて美根子は感じ取っていた。やがて影と言う実体が青白い明かりの中を美根子の視野の中に投じられ揺れる、その時になって美根子はようやく生唾を飲む。それは緊張の余りか好奇心の余りか、それとも緊張を解き解そうとして無意識の内にしたものなのか自分のした事ながら彼女には分からない。
 だがとにかく生唾を飲んでじっと見守っていると、影が現れたのと殆ど変わらない調子で実体が視野の中に入ってきた。身に纏っているのは和装、浴衣よりも幾分重厚な感じの漂う格好をして服装より垣間見える足は細くすらりと引き締まっていて余分が無い。そして何よりも目を惹いたのはそれこそ透き通るほどにまで美しい白に染まっている事だろう。
 ただ少しその表面が皮膚にしては何処か不自然な影を持ち合わせているのだけが不審な点だったが、そうしてみている間にも和装に身を包んだ何者かは音も無く、その白い足を進めて拝殿への階段に足をかける。足や服装以外はどうも角度的に上手く見渡す事が出来ないでもどかしく感じられて成らない。加えて階段を成す木は足をかけられても軋んだりはせず、まるで空気を載せているかのようだ。
 そんな有様の中を数段登ると足は止まり、その代わりにとでも言った具合に体が前屈みになり片手が伸ばされた。それはそのまま寄り掛かった肉体の右肩に向けられて何かを取る仕草をしてすぐに腕を動かし上へと上げられる。指の形は何か細かい物を抓んだ時の様になっていて視線の先でしばらくその先端を見つめると、続け様に口の中にその抓んでいた何かを口の中に放り込む動作をするではないか。そして何事も無かったかのように口は閉じられ軽く動かされると咀嚼される、漂う気配は満足行ったと言う具合で緊張感は最早微塵にも感じられなかった。
 恐らく美根子はその時点で自由に体を思い通りに動かせただろうが、どうもする考えが浮かばぬまま展開される光景を見つめ続けある事に気が付き再び目を見開いた。それはこれまでの緊張とは別の意味で体を強張らせる、そう驚きと言う二文字で十分に示す事が出来るだろう。何故なら彼女は有り得ない物の存在をその体に見つけてしまったからだ。そう浴衣の帯の下より、体の位置で言えば腰の尾てい骨と言えるだろう位置から垂れ下がる総・・・尻尾が垂れ下がって、気分をそのまま形とする様に右に左にと軽く振られているのを目にしてしまったのだから。
 垂れ下がるその色は当然白、表面に浮かぶ微細な影の模様は足と通じており足もまた白い毛にて覆われている事はその場で容易に悟られた。尻尾に足を覆う毛を持つ者が人である筈はない、咄嗟に浮かんだのは今目の前にいる者に先程消されて人の肉体を残した鳥人の姿だった。どの様な関係なのかは分からないが敵対している関係にある事だけは間違いないだろう、しかし何よりも今この場にいる美根子にとってその事は驚き以外の何物でもなく心は大きく揺さぶられる。もっと多くの情報を得たいと言う気持ちと展開される事態と情報を恐れ思い避けたがる気持ちがせめぎあってならなかったのだ。
 だが運命とは何とも強い方へ靡いたものだろう。強い方と言うのは情報を得たい知りたいと言う好奇心である、そうその者が一段落したからかは分からないがようやく美根子へと関心を向けたのだ。そっと一言思い出したかの様に呟いてこちらへと振り向かれたその顔は矢張り人ではなかった。特徴的で大きく三角形の耳2つと長いマズル、そして毛で満たし黄色に輝く瞳を持った狐の顔が首の先にはついておりじっとこちらを柔らかい気配の元に見つめている。
 そう言った結果を耳の具合から朧げながらにも予想こそしていた美根子であったが、いざ実際に見え触れてみると予想が当たった事に安心したのかそうでないのかは明らかでは無い。ただ今度は先程の空中かに落下する衝撃でとは異なり、静かに平穏な内にそれこそ眠る様に気を失う。そう足と同じく白い毛、白い獣毛に覆われた狐の姿を持った者がこちらに手を差し伸べる光景を最後の記憶に止めて再び意識は眠りに就いた。
「見てはいけない物を見てしまったね。」
 と言う言葉も同時に。

『失踪女性、無事発見される。』
 ベッドに横たわりながら二つ折りにして読む新聞の一面にはその文字が踊っていた。記事によると一週間前より行方が分からなくなっていた町の南部に住む25才の女性が昨日深夜、駅に隣接したバスターミナル構内のベンチの上に全裸となって横たわっているのを発見されたのだと言う。当然発見当時に意識は無く現在も意識不明のままだが家族はまずは見つかった事だけでもと落ち着いている・・・そんな内容が書かれていた。
「心配したのよ、全然帰ってこないんだから・・・そしたら今朝になって神社の境内で倒れているって電話があってね・・・。」
 美根子が行方不明になってからもう2日が経過していた、気が付いた時には既に病院のベッドの上にいて家族と医師の顔が自分を見つめており大いに驚いたものだった。それと共にどうしてこの様な場所にいるのかも、何故警察等に事情を聞かれるのかとも・・・そもそも彼女の記憶は駅を塾帰りに降りて夜道を歩いていた辺りより忽然と途切れ、ベッドにて目覚めるまでの間が完全に欠落しているのだから答え様がないし一体何があったのか逆に尋ねなければ成らない有様。
 そんな様子だから周囲は何らかのショックで記憶が一時的に消えているのだろうと判断され静かになった反面、記憶が無いという事はそれだけ大きな事に巻き込まれたのだと勝手に想像されてカウンセラーが呼ばれ、また幾つかの検査も行われる等されたが思い出せない物は思い出せないのだから、それらに対して全てただただ美根子はそれを受けて流される他術はなかった。そして入院から4日目、全身に負っていた打撲もそろそろ癒えるとの事で明後日に退院を控えた今日に至ったのだった。
「じゃ母さん仕事行って来るから。」
 母親はそう行って朝少しだけ顔を出すと仕事へ向かった、両親は共働きで仕事に、弟と妹は学校に行かねばならない。もう殆ど問題は無いと言う事で医師も看護士も殆ど来ず至って自由な時間が彼女には与えられていた、とは言えこの様な病院にあっては特にする事も出来ずに自前のノートパソコンを弄ったり、或いは持って来てもらった幾つかの本を読みつつ学校から出された課題をこなす等して時間を単調に潰すしかなかった。
"全く退屈だわ・・・。"
 話し相手も無く読み終えた本や新聞をもう幾度と無く読み返した事か、そしてネットへの接続は許可されたがこの田舎の病院の事、ダイヤルアップ接続で接続速度は遅く余りの遅さにイライラだけが募るのみで仕方が無かった。だから今は何もせずただ窓から見える町並みと広大な太平洋の姿を見渡しつつ、一体自分でも何が合ったのかと頭を巡らせていた。とそんな時、静かにドアがノックされる音が響く。
「はい。」
 そう言葉を返すと扉が開く音と共に人の姿が現れた。扉が開いて現れるのは当然なのだがわざわざそう書くのはその姿に彼女は覚えはなかったからである、少なくともこれまでに現れた人々、家族を含め医師・看護士・カウンセラーそして警官の誰にもこの様な顔はいなかった。だがこの気配には何処か覚えがある、ただ誰の気配だったのかはっきりとせずとても思い出せないからこそ気になって仕方が無い・・・そんな感じで頭を悩ます。
「お久し振り・・・と言っても一週間も経ってはいないか・・・私の事が分かるかいお嬢さん?」
 それこそ微かに靴音だけを響かせて枕元へとやって来たその人は、軽い微笑みを浮かべながらそう言って尋ねてきた。当然誰なのかは全く浮かびはしない、しかしその分思いだけは強く募りより一層記憶を呼び覚まそうとする・・・若しかすると途切れている記憶と何か関連があるのかも知れないと思った時、同じ事をその相手もまた口にする。
「まぁ覚えていなくて当然だよ、何たって私が記憶を消したのだから。こう言えば思い出せるかい・・・見てはいけない物を見てしまったね、と。」
 その瞬間、彼女は自分の中で何かが弾けるのを明らかに感じた。記憶の層のそれも最下層にある忘却と言う名の泉の底、そこに封じ込められていた物が弾けそして噴出するとでも言った感じだろうか。そう言った具合で急激に1つの記憶が蘇り欠落していた箇所を埋め、それこそ最近の記憶以上に鮮明に再生され頭の中を埋め尽くす。そうそれはあの晩の記憶、襲われ気を失い取り戻すと不可解な光景を目の当たりにして助けられそして気を失う・・・あの一連の記憶が一気にそれも多重に思い出され流れた。
 それは強烈と言う言葉以外の何物でもなかった、思わず頭が痛くなったと錯覚されて抱え込んでしまうほどなのだから。だがそれらが嵐の様に慌しく立ち去った後にはどこか爽快感の様な物をまた感じていた、記憶を取り戻した事による効果なのだろうか。それははっきりとわからないがそんな予感と共に彼女の頭ははっきりとある事を確信する、そう目の前にいる謎の人物の事を。出会うのは今回が二度目でありそれはあの晩、自らを助けた人の様で人ではなかった者であると言う事を確信したのだ。しかし目の前にいるのはどう見ても人、あの白い獣毛に狐の顔は何処にも見当たらない。
「あっあなたはまさかあの晩の・・・。」
「そう、よく思い出してくれたね。今はこんな格好をしているがあの晩の狐だよ・・・少し話したい事があるんだが、時間は大丈夫かい?」
「えっえぇそれは・・・あのあの時はありがとうございました。時間なら多分、もう夕飯の時間まで誰も来ないでしょうし・・・。」
「なるほど、分かったよ。そう時間を取らせるものではないから大丈夫だろう・・・それに礼はいらないよ、今からこちらがむしろお礼をしなくてはならない立場となるのだから。」
「えっ・・・?」
 と呟くと疑問の声を上げる美根子の前で彼、いや彼女だろう。身に纏っている白衣と洋装の胸の辺りに若干の膨らみがあるのだから、彼女は軽く何か指揮でもするかの様に宙で腕を動かし何かを描き出すと最後に両手を叩いた。すると直接的には何が起きたのかはわからなかったが一瞬だけ空間全体がぶれた、そんな感じがふと感じられたが視覚的にも何も目立った違いはそれ以後も何も見出せはしなかった。
「これで良し、結界を張ったから誰も入っては来ないし誰もその事を気にかけはしない。まぁ私の事はリョッコとでも呼んでくれ、オキツネサマと呼ばれるよりも具合がいいし呼び捨てで構わない。」
 一安心と言った口調でリョッコはそう呟きこちらを見つめてくる。それはまるで己の考えを全て読み通されている様であった、何故そう思うのかと言えば美根子は折りしも何と呼べば良いのかと考えていたからである。オキツネサマと言うのはその中で浮かび上がってきた呼び名の1つで、ひとまずはそれが一番筋が通っていると感じて呼び掛けようとしていた所だったからそう感じたのは尚更だった。
「わかりました・・・じゃあまずリョッコは一体どう言う存在なのです・・・?」
「あぁ、そうだねまずそれを言わないと。言って見れば神様、と言うのだね。自分ではそう意識してないんだけれどさ・・・まぁ昔からこの辺り一帯に棲み付いているから呼ばれるのも訳はないかも知れない。」
 平然とわずかな苦笑を浮かべながらリョッコはそう言った、神様・・・なるほどだから神社だったのかと改めて存在と存在とが記憶の中で結びつきあう。
「そうですか・・・。」
「うんそうだね、だからこそ君と私は出会った訳なんだよ。東堂美根子さん、美根子さんと呼ばせてもらって言いかい?」
 と彼女の名前をリョッコは口にして微笑んだ。
「どうして私の名前を知っているのです?」
「簡単な事さ、何たって入り口に君の名前が掲示してあったからだよ。それに私は人の考えを読み取ることも出来る、人の名を知る事なんて簡単な事さ。」
 矢張り・・・と美根子は感じた。矢張り相手は、リョッコは自分とは明らかに立場の違う存在なのだと実感した訳である。しかしそれでいて名前を聞いた事も加えてその気安い感じからも影響を受けた為なのかも知れないが、リョッコに対する畏怖感と言った事を感じるのは皆無でむしろ心強さすら感じていた。
「さて美根子さん、私からも1つ質問させてもらおうか。」
 若干の間をおいてリョッコは口調もそのままにそう言って来た、畏怖を感じず心強さを感じていたとは言え一抹の緊張を覚えずにはいられない。
「君は・・・夢を見ないか、寝ている間に。」
「夢・・・ですか、まぁ色々と・・・。」
「ではその中でこんな夢を見た事は無いかい・・・自分が狐になる夢をね。」
「それは・・・。」
 と言った所で思わず美根子は言葉を詰まらせた、どうとでもない言葉だと言うのに何故か言葉が詰まってどうしようもない。リョッコはそんな美根子を物言わずにじっと見つめてきて反応を待っている、その視線が何とも痛く感じられたものだったが彼女は振り絞る様に、そして最後には自然と言葉を口にした。
「・・・見ます、昔から・・・最近は本当2日置き位に見ます。」
「そうか、それなら良い・・・矢張り君と出会うのは必然的だった様だね。君は私の力を託す存在に相応しい・・・。」
「力を託す・・・?」
「そうその通り、君は私の力を託されそして生かす存在・・・夢はその証拠にして証明ね。」
 とリョッコは満足気に言いつつ両手を美根子の肩に置いた、そして微笑み様にその顔は狐となり服の下から露出している肌の面は全てふさふさの狐の獣毛に覆われる。背中の側からは尻尾の姿が垣間見られて服装こそ違えどもあの晩に見た姿そのままの姿と成り代わっていた。


 続
ラベンダーフォックス・第二章
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