美化志望に黒い影・第一章冬風 狐作
「すいませーん、ちょっとお時間よろしいですか?」
 街角を歩いていると不意にこの様な声をかけられる事がある。大抵そう言って言い寄ってくるのは男の時もあるが多くは若い女性で1人か複数、そして辺りを見回せばそれと同じ格好をしている人間が人ごみの中にちらほらと散見される時もある。一度応じると相手の口から出てくるのはぱっと聞いただけでは、如何にも聞きの良い好都合な内容ばかりで思わず心惹かれてしまう事もある。だが翌々聞いて考えてみるとどこか不都合な所が端々に見られどうにも怪しい。
 だがその様な思いを他所に相手は熱心にそして平然と何ら怪しまれる所は皆目無いと言った調子で話をぶつけてくるものだから、人というのは弱い物でまさか騙されるとかそういう事を思う事を往々にして放棄してしまう。そうしてその時点でその人のまま家はほぼ決まる。何故ならその様な話を向けてくる相手は99パーセントが日なたで堂々と出来ない業者の手先、半ばそして完全に詐欺を目的としたキャッチセールスと言う名の商法の一端に過ぎないのだから。一度引っかかって話を始めてしまったら逃れる事は困難とまでは言えないもののかなり難しい事は言うまでも無い、だがまだその状態の時は希望が大きいと言えよう。どうしてかと言えばそれは屋外の衆人の目に晒されている場所だからである、だからこちらが多少強く出たりしても相手は好き勝手に振舞えはしない。
 だが話に乗せられたまま事務所と称する建物の中に入れられた場合それはもう絶望だろう、そこは建物の壁に窓ガラス、そしてドアの鍵一つでそこは外から分離された空間となっている。言ってみれば業者の完全なる手中の中に納まってしまうと言う事で後は業者の要求を呑むしか解放される道はまず無い、それが幾ら望まぬ事であったとしても自業自得と言う事で例え解放された後で取り返す等の手段があってもその場では泣くしかないのだ。

 春を告げる暖かい雨の上がった日の昼、穏やかな日差しに包まれた駅前広場に駅舎の中から1人の小さなリュックを背中に背負った女が出てきた。彼女の名前は小池夕美、大学進学の為に地方から別の地方へと向かう途中である。地元の駅からこの都会の駅まで直通電車に乗ってきた彼女は2度ある乗り継ぎの内の最初の為にここで降車した、ただ乗り継ぎ時間が接続が悪い為に50分近くも待たねばならなかったので気分転換も兼ねて途中下車をして街へと出て来たのだった。これから向かいそして最低でも4年間住まう土地は地元かそれよりも若干上と言った程度でとても都会とは言い難い田舎である。
 だからこそその途中で目の保養でも・・・と言う気になったのだろうか、受験を機にこれまでそう来た覚えの無い都会、つまりはこの駅のある都市へと数回足を運んだだけではまだまだおのぼりさんと殆ど変わりがない。辺りを窺う視線からもそれを強く漂わせていた彼女の進む先、然して広くは無い駅前広場より外へと出る横断歩道の付近には似た様な格好をした明らかに通行人とは違う気配を漂わせている数名の人々がいた。それぞれ異なったそして周囲から明らかに浮いている2つの存在・・・それらがぶつかり合ったとき一体何が導き出されると言うのだろうか?
"うったく・・・全然駄目だな今日は。"
 その異質な気配の内の一方、横断歩道付近で流れを乱している集団を率いる男は眺めつつそう思った。もうこの業界に入ってかなりの長さとなるが今日に限らずここ最近は人々のガードが固くてとても商売にはならなかった、それでも一日に最低3人は何かしらの形で捕まえられるのが常識で何とかなっていたのだが今日は未だに1人も捕まらない。それに比べれば昨日は天国のような一日だった、まず始めると共に2人が上手く捕まったのを皮切りに何やかんやと撤収を終える頃には何と15人もひっかかっていたのである。正しく豊漁だった、この商法を始めた頃の再現に他ならなかった・・・それこそ夢見心地で彼は報告にあがったものだった。
 だが一夜明けての今日は全くの不漁・・・もう昼を回ったと言うのに誰一人捕まらないのだ。加えて先程まで別の場所でしていたら警官を呼ばれて注意を受ける始末、そのせいか昨日はあれだけ張り切っていた手下の運動員達も何処か遠慮しがちで勢いが感じられない。だからますます普段ならば捕まえられるようなカモをも易々と逃してしまう有様で、一見平然としつつも彼は内心で大いに焦りを募らせていた。幾らガードが固くともこれまで最低3人のラインは維持してきたこれまでの実績、もしここでそれを下回ったら彼の経歴にけちが付いてしまうのを避けなくてはならない。
 その思いに駆られて普段は後方で指示を出している彼も表に出て獲得に当たっていた、彼にはほかの運動員には無い長年の経験の蓄積と言う物がある。だからこそ遺憾無くそれを発揮して一気に捕まえられると踏んだのだが、彼自身も同様の中でしているのだから中々思う様に行かず何ともじれったくやり場の無い思いが募る。だがそこで表に出してしまっては負けである・・・堪えに堪えて当たっていたその時、彼の前には絶好の機会が現れたのであった。それに対して彼はそっとほくそ笑むと必ず成功させると誓って行動に出た。

「すいませーん、ちょっとアンケートにご協力頂けませんか?ほんの少し時間を頂くだけですので。」
「えっあっ・・・はっはい。いいですよ。」
 いきなり人ごみの中からかけられた声に一瞬戸惑いつつも夕美は応じた、戸惑うと言ってもそれはいきなり声をかけられたが為の事である。決して胡散臭さなどを感じたためではない、実を言うと悪徳商法と言う言葉こそ彼女は知っていたのだがそう称される中身までは良く知らなかったのだ。だから少しもこの呼びかけがそう言った商法の一つであるとは思いもしなかったし、特に何処に行こうと言う当ても無くただ乗り継ぎ時間を持て余したが為に外に出て来ただけなのだから良い時間潰しになると、様はむしろ自らの利するところが大きいと判断してしまったのである。
 これは大きな判断ミスだった。最も判断ミスという前に適切な情報を知らないのだからそうとは言い切れない所もあるが、そう言った事を知り理解する為の努力を怠ったとみればそちらの方で大きな判断ミスを犯してしまったと言えよう。幾ら受験勉強の為に余裕がなかったとは言え・・・勉強で得られる物だけが全てではないのだから、様々なそれ以外の知識と経験があってこそ得られた物もまたより良く生きるのであろうから。
 そして夕美はちょっと見かけはとある有名タレントに似た男に人通りの中では流れを乱してしまい邪魔になる、と言う真っ当な事を言われ誘導されて人の流れから外れたベンチへと連れて行かれた。その途中で人の流れを横切った時に彼女は幾つもの不快な視線を通行人より当てられた。それは今時引っかかっていると言う侮蔑と今ならまだ逃れられる忠告を発している方はそれぞれに込めていたのだが、受け取る側がすっかり自らに声をかけてきた方に強い根拠の無い信用を置いているのだからその様に受け取られる筈が無い。逆に夕美自身がそれに対して反発し不快の念を返していた、こうして最初で最後の機会は失われすっかり主導権は奪われてしまったのであった。
 ベンチに腰掛けた所でまず夕美はアンケート用紙とボールペンを渡されてそこに記載されている項目にそれぞれ回答する様に求められた。内容は先程告げられた通り美容やらそんな事に関する事でそう当たり障りの無い平凡な内容で淡々と書き込んでいく、彼女には美容、自らの体型等には然程の不満を抱いてはいないかのように周囲からは見られていた。しかし実際はかなりの物を抱いており中でも見ただけでは分かり難く、それでいていざ触れるとその弛みで分かる何ちゃって小太りとでも言える肉付きをしていたのだ。  最もそれは贅沢なのかもしれない。外から見て明らかに太っていると言うのよりは余程有難く、上手く取り繕っていれば顔も比較的小顔で標準よりも上な顔つきをして背も高めだったので男女共に人気はあった。しかしそれがどうしても気になってしまいこれまで一度も夕美は恋愛と呼べる付き合いを異性ともした事がなかった。そして同性同士であっても知られる事を恐れて親密な付き合いの一歩手前程度で踏み止まる事が多く3年間の高校生活、加えて思春期に入って意識し始めた頃と重なった3年間の中学生活の6年間を通じて心の底から親友と言える仲は両手、或いは片手で足りるほどしかいないのだ。
 当然幾度と無くこれには悩まされたがどうしてもある意味では己の秘密に触れられたくは無く、むしろそちらの方が優先であると信じて頑なに過ごしてきたと言うわけである。だからこそ掴めた大学進学なのかも知れない、そう思う所があるからこそ夕美は大学ではその頑なさを一切放棄すると共に体をほっそりとした芯のある物に変え、これまでとは一味違う自分になろうと考えていた。そしてその思いを抱きながら何処か夢中になって動かされた筆の後にはその思いが克明に、まるで懺悔でもするかのように記されていた。
"こいつは・・・中々行けるな、ここまで詳しく書いてくれる奴なんて珍しい・・・いいカモだな。"
 返されてきたアンケート用紙に目を通した男はびっしりと整理されて綺麗な文字で、そして論点がしっかりとまとめられた文に目を見張った。経験豊富な男とてここまで書いてくる客を見るのは初めてで、大抵はどんなに知的そうな客でも良くて数行簡単に書かれているだけで悪い時にはイイだのダメだの最悪だのとだけ書かれている時すらある。そこから引っ掛けた客の真意を読み取り推測し引き出そうとする作業は始めたばかりの頃は大いに苦しんだものだが、今ではすっかり手馴れて本職以外にも応用しているほどだ。だからこそこの様に書かれていると逆に面食らう所もあったが、見方を変えれば相手自らこちらから求める事なしに全てを委ねて来たようなものだから失敗しては名が廃れると強く痛感した。
 その後のやり取りには力が入っておりすっかり乗せられて虜と化した夕美は感謝するほどにまでなり、5分も経たない内に殆ど無血開城で降伏するに等しい有様になっていた。そこで男はもっと詳しい話をしたいから事務所まで付いてきてくれないかと持ちかける。夕美としては列車の時刻も迫ってきて気になりはしたが、積年の悩ましい事が解決されるかもしれないと言う切ない希望が勝っていた。既に引越し作業自体は済んでおり今日は移動するだけで大学の入学式はまだ一週間も先の事、こうして行くのはただ新生活に少しでも早く適応した方が良いと言う考えに基づくものだったから、今日の遅くに到着しても殆ど差し支えは無いと言う事情もあってすぐに肯いてしまった。
 そして再び移動を開始した後、10分もしない内に勧誘員である男と夕美の姿は駅前から少し裏通りに入った所にある古ぼけたビルの中に吸い込まれていった。この明るい陽光と穏やかで暖かい空気に包まれた中でその裏通りはビルとビルとの細い谷間で世界が異なるかの様に冷え冷えとして薄暗かった、何とも言い易くそれでいて有りがちな並存の1コマだった。

 事務所と称される部屋はそのビルの2階にあった。雑然とした部屋の中では数人が机に向かって何事かをしており、更に壁一枚隔てられた奥の部屋へと通されその場で勧誘員から待ち構えていた女へと書類そして口頭連絡と共に引き渡された。その時になって始めて一抹の不安を感じたがその後の女と交わした話によってすぐにそれは緩和され打ち消される、相手は親身で丁寧だった。夕美の言う事を一つ一つ真っ向から相手にしてくれる・・・そう感じられたのだ、再びそれを元に彼女は大きな信頼を向ける事となる。それすらも自分を陥れる為の策略であるとは終ぞ思わぬまま話は深まり、夕美が自らの個人情報を必要とされる以上に漏らしたところで核心へと話は転じた。そしてそれも調子良く当然の事ながら進んでしまうのである・・・。
「でその方法と言うのがこれをまず着てもらう事になるの。」
 そう言って女が傍らにあったダンボール箱の中から取り出したのは白く折り畳まれた物だった。それが開かれ机の上へと置かれ示されたその全容は人の形をして全身全体を余す所無く包み込んでしまう・・・その様な代物だった。背中の方から中に入り込むらしく切れ込みとジッパーが走っており感触はひんやりと冷たく人工的、その様な事を感じながら夕美はしばしそれを観察した。
「これを着込めば良いのですね?」
「えぇそうですね、これを着まして・・・後は私共の指示の通りにして頂ければ幾らでも先程おっしゃられていた様な体に体質を改善出来ますよ。」
「そうですか・・・どうしようかなぁ・・・。」
「ご料金の方はこの通りになります・・・お高いと思うかもしれませんが、もしご自分でやられたり或いは別の方法でやられた場合と比べますとご説明致しました様に格段に成功する確率が異なります。私共のやり方でしたら99パーセントの成功を保証いたしますからご安心下さい。」
 片手に例の代物・・・スーツと説明の際に言われた物を持ち、もう一方では今示された料金の一覧表を掴んで目を走らせていた。確かに高い、一括払いでその値段はこれから毎月支給される奨学金に匹敵する額、ただ預金も考えればそう高くも無いかもしれないとも思えた。今彼女の手元には正直言って18才としては真に不相応なほどの現金がある、その大半は彼女名義で両親が定期預金として管理しているのだが当面の生活費としてかなりの額を持たされているのだ。その額およそ50万円ほど、これで奨学金を受け取るのだから相当生活は楽だ。
 こんな事を知られたら支給を停止されるかもしれない、だからこそ彼女は早くそれを使ってしまいたかった。使い切ると言うのではなく身分相応な額にまで・・・もしそれで生活が立ち行かなくなったら何やかんやと理由をつけて送金してもらえばいい、だからこの一覧表を見て彼女の心は既に固まっていた。そして動き出す。
「あの・・・したいのですが・・・。」
 ちょっと躊躇いがちに言葉にする、心では決めた事とは言えこんな大金を払う買い物をするのは実際のところ初めてでどうしてもどこかで緊張してしまうのだ。それに対して何と相手の態度の良くなった事か、いそいそと示された契約書に何処か夢見心地で署名した夕美はろくに読まずにそれを渡した。その後もその様な調子でいたが何時から始めるかと聞かれてふと我に返り今後の予定を思い浮かべ、適当な日取りを伝えると再びこの場所へ来る様にと告げられた。
 そして前金としてちょうど持ち合わせていた金額の中から5万円を取り出して支払い、事務所を出た。あれだけ明るかった外はすっかり暗闇に包まれ寒風が路地を走る・・・もう夜だった、何とか最終の乗り継ぎを果たすと夕美は新たなる自宅へと到着した。


 続
美化志望に黒い影・第二章
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