狐の恩返し・後編 冬風 狐作
「ちょっと待って下さい!あのどう言う…」
「だから今お話しました通りです。我々はあなたのおじいさんに恩義があったからこそ支援していたのです、しかしながら幾らあの方のお孫さんだとしてもあなたと我々の間に縁はありません。ですからこれまで続けてきた支援を打ち切る、ただそう言う事だけです。それでは失礼致します、ありがとうございました」
「あっあの…待って」
 静かな鳥の声と風の音響く山奥に忽然と存在する人工物、その敷地の中より明らかにこの環境からは外れた音が漏れていた。見ればそこには3つの人影、前を行く2人はダークスーツに身を包みひたすら前だけを向いて歩いており落ち着いている。それに対して後からその2人について行く1人は服からして姿が異なり、2人であるのに判を押した様に同一に被って見えなくも無い前を行く影とは対照的であった。
 そして明らかに驚き慌てた様子がその姿、そして動作から感じられる後から行く影は何事かと声をかけながらついて行く。前を行く2つの影は全く意に関せずと言った具合で建物を出ると足早に敷地を横断し、そして石段に足をかけて下っていく。彼らが石段を下り始めた時、もう1人と言えば建物の中にいた時はおよそ1メートルほどしか離れていなかったと言うのに今や20メートルの距離を付けられていた。何故にそこまで付けられたのかと言えば履物を履くのに手間取ったからだ。
「あの…話をっ」
 何とか履物を履いてぎこちなさ気に後を追うも石段の端に到着した時、そうまでして追いかけていた彼らの姿は無かった。代わりに1台の車が土ぼこりを立て、梅雨時と言うのに比較的乾燥した石段下の駐車場から走り去っていくのが見えた。それを見て思わず脱力し石段脇の石柱へと寄り掛かる、そして数分もして元通りの自然の音だけに溢れる中を呆然とした様子で戻っていくその影はあった。

 パン、パン
 そしてあれから一年の経過した梅雨時のある日。夕暮れ時の薄暮が辺りを覆いほんのりとした夕日の紅色に、何もかもが染まる時刻静かな雨上がりの空気の中に拍手の音が響いた。その音の源は幾つかの人工物の中、そう赤い鳥居によってその入口を固められた神社の本殿より響いている。中を見れば1人の人影が、白い上に赤の袴を履いた巫女装束が供え物を供え手を合わせていた。
 手をあわせるその顔にはまたせ何処か少女の様なあどけなさもかすかに感じられる。その彼女の名前は小林広恵、今年で19歳の年頃の女の子である。彼女がこの神社の管理を一手に引き受けるようになってそろそろ1年、亡くなった祖父より唯一の肉親である自分が受け継いだ時には様々な苦労を味わい、様々な事実に彼女は直面し驚いた。
 そして様々な疑問、子供ながらに感じていたどうしてこんなに山奥に位置すると言うのにこんなに裕福なのか、どうして祖父の元にはこんなにも子供の目からも偉い人と見える人達が日々やって来るのか。そう言った疑問が全て解き放たれると言う言わば長年の疑問の解決を良い事とするのならその数十倍もの悪い事、つまり負担がまだ当時は18歳であった彼女の肩に乗りかかってきたのである。つまりは長い安定した甘い夢から醒めた現実、と正しくそう言える転変ぶりであった。
 それでも何とか彼女は彼女なりに可能な手を打ち、その事を知った人々の協力を得てその困難を乗り切る事に成功した。この間に彼女は大きく成長したと言えよう。それまでが歳に合わせて体は成長しつつも精神的には何処か幼さを抱え、その様な印象を周囲に与えてきた彼女であったがこの1年、もっと細かくすれば半年余りで激変したと彼女を良く知る人々は口を揃えて言う。
 言うなれば歳相応に精神も追い付いたと言う事だ、そして巫女と言う立場でありながらも神社の、最も小さな山奥にある神社だからこそ可能なのだろうが一切を取り仕切りそして今日もそれを終えようとしていた。

 夕食後、巫女装束から今風の軽装に着替えた広恵が気持ち良さそうに風呂から上がり縁側で涼んでいた時の事だった。余りに暑い日であったので数日前にふと買って置いたスイカを割り、1人で食しているとふと目の前の暗闇の中に何かが現れた。それは1匹の獣であった、黄色とも何とも取れる毛色をして長いマズルと三角形の耳を持ち尻尾の特徴的な獣―1匹の狐が何食わぬ顔して彼女の前に姿を現したのだった。
「あら狐、久し振りに見たなぁ…」
 とスイカをかじり種を吐き出しながらふと呟く広恵、そんな彼女をじっと見詰める狐は何を思ったのかこちらへ近付いてくるではないか。最近はそう野生動物も…猿や鹿程度しか見なくなっていたので、狐が見れたのは久方ぶりの事だったが記憶に残っている限りではこの様に近付いてきた記憶は殆ど無かった。唯一例外と言えばお供え物を運ぶ手伝いをしていた際に、ふと表われた狐にねだられて服の裾を噛まれた事。
 あの時は驚いて上げた悲鳴に気がついた母親がやって来て、ちょうど料理をしていた際の余り物で吊り何とか逃げられお供え物も守りきれた。だが今回の狐はどうも違う、あの時の狐の様に寄越せ寄越せといわんばかりに迫ってくるでも無いしかと言って警戒心を抱いて遠くから見るでも無い。
 本当に自然なままに近付いてすぐそこでお座りをしてじっと、それも顔を眺めてくる不思議な狐だった。しばらくは気に止めつつも敢えて無視して食べていたが矢張り視線が気になる、それを受けてふと思いついた広恵はふとスイカの種を幾つかばら撒いてみた。
(反応するかな…?)
 ふとした興味からとった自分の行動に狐は反応するか…そう思って見つめている先で狐はお座りの体勢を余り崩さずに動きそして種の匂いを嗅ぐ。しかしそれ以上はしようとはしなかった、しばらく嗅ぎに嗅いだ狐はこんな物かと言う素っ気無い態度をして顔を上げると再び元通りの姿勢でこちらを見つめてきた。
 その様はまさにシャンとしていて上品だった、そして健気でもあった。その姿を見せ付けられた広恵は思わず軽い罪悪感にとらわれる、そして少し思い悩んだ末に急いで自分の食べていたスイカを食べ尽くすと、種を吐き出す間も惜しんでまだ食べていなかったスイカを一切れそっと差し出し地面に置いた。実を汚さぬ様に皮を下にして立てる形で。
「食べていいよ、ごめんねからかったりしちゃって」
 軽く謝りを含ませてそう呟いた広恵、人と獣、この境を越えて言葉は通じる筈も無かろうがふとそう呟かなくては自分自身の中で収まりがつかなかったからである。そしてしばらく狐は広恵とスイカを静かに見比べていた、そしてふとニヤッと笑うと・・・最もそれは広江がそう感じただけだが静かに動きそして口にし咀嚼し始める。
 その長いマズルで人が熱い物を食べる時の様なはふはふと言う擬音語で表される、その様な調子で狐は一頻り食べると軽く皮もかじってさっと後へ回り今や完全に深まった夜の闇の中へと消えていった。
 そして完全に消えるまで広恵が狐の行動を全て見る以外は、殆ど動きを見せなかったのもまた事実であった。そして気がついた時広恵がまずしたのは、まだ残っていたスイカを狙って飛んできた蝿を追い払う事であった。狐の食べた、いやかじった後のある実の部分のすっかり無くなった皮が下げられるのはもうしばらく後の事であった。そしてその片付ける姿をそっと見つめる視線には気がつく筈が無い。
(あぁ久し振りの贅沢…また当分出来ないのよねぇ)

 それから数週間後、梅雨も終わった時期だと言うのに広恵は飢えていた。どうしてかと言えば家計が苦しく満足に食費が確保出来ないからである、家庭菜園的な畑も何とかしていたが矢張りまだ慣れていない為早々絵に書いた餅の様に上手くは行かない。加えて彼女の中ではお供えに使う食材は自分の食費よりも大切な事だった、それは自分が1人でこの神社を切り盛りしているんだと言う自覚ゆえの事もあるのかもしれない。だからこそ可能な限りそう言った方面に資金を回した結果、彼女は1日2食、日によっては1食の生活を送らなければならなかった。
 そして盛夏の折、ただでさえ暑さによって体力が誰でも失われるこの季節。それは彼女を苦しめ体力をじわりじわりと奪い消耗させた、それでも広恵は大好きな祖父から受け継いだこの神社の為にはと、その構成を変える事無く突き進み精神的には満たされても肉体的、特に食欲としては満たされない、不十分な日々となっていた。そして今日も1日の勤めを終えて寝泊りしている敷地内の自宅へと戻る、そして玄関に手をかけようかと言う時彼女は玄関の前に置かれていたある物に気がつく。
 それは小包と言うべきだろう、白いざらついた紙に細い紐で括られたそれは正しく小包であった。辺りを見回すが誰もいない参拝者が忘れていった代物とも考えられなかった。何故ならこの自宅のある一角は拝殿等からも外れており、良く知っている物でなければその存在すらも分からない場所にある。
 なので考えられるのは誰か広恵とこの神社の事を知る何者かが置いていったという事。それが善意かはたまた悪意のある物かはわからない。しかしその場にそのまま放置はして置く事も出来ないので、そっと抱えると広恵はそのまま中へ入り鍵を閉め電気の下の玄関にてそっと包みを開いた。
「これは…食材…」
 中から出て来たのは野菜と更に小さな包み、包みの中から出て来たのは川魚であった。そしてそこには1枚の手紙が添えられていた、最も数行程度の走り書きなので手紙より、もっと気の聞いた言葉があるであろう。とは言えここは手紙とするその中にはそっとこう、丁寧さと上品さを兼ね備えた文字によって、それも墨筆書きで書かれているのが印象的である。
 しかしその末尾に書かれた、恐らくはこの包みを置いていったと思しき人の名前であろう部分だけはどう見ても判読出来なかった。余りにも達筆過ぎると言うよりもわざと崩して書いた、そんな漂う気配に苦笑しながらも自分の事を思って寄越してきた物と言う事は分かったので、何処かにあった食べて良いのだろうかと言う懸念を消して食材を見てから鳴り止まない腹に押される様に台所へと行き調理を始めた。
 そして出来上がった野菜炒めに焼いた川魚を主食兼おかずとして平らげると、洗い終え風呂から出て先程敷いておいた布団に包まり静かな寝息を立て始めた。

 そんな丑三つ時も過ぎようかと言う時、寝た時と殆ど変わらぬ姿勢で眠りに就く広恵の枕元に何らかの気配がふと現れた。色でしたら白なのだろうか?そう掴み所の無い気配しばし枕元に留まると何時の間にやら消えた。
「ん、んぅ…」
 広恵は目を覚まそうとはしない、唯一寝息が消える寸前に乱れた以外は何も変化がなかった。そして朝をそのまま迎えるのであった。

 翌朝目覚まし無しでも起きられる事を高校時代に周囲に自慢していた広恵は、その自慢を裏付けるかの様に布団から起き上がるなり、1つ大きな欠伸をした。普段ならしばらくその場でボーっとしているのだが今日は少し違った、彼女はすぐに立ち上がりそして若干寝惚けつつもある方向、卓袱台のある居間へと向っていた。
(ん、何だろう良い匂い)
 それは何処からと無く漂ってくる良い匂いをふと感じたからである、それは矢張り空腹ゆえに働くものなのかもしれないが広恵の嗅覚が捉えたのはその空腹を埋め合わせるに足る物の匂いであった。そして彼女はまたも驚く事になる、そう襖の向こうの卓袱台の上に整然と料理が、それもしっかりと調理のなされた満足の行く料理が並べられている事に。その途端、目ははっきりと醒めてそして予想だにしていなかった事態を飲み込もうと動き始めた。
 しかし気が付いた時にはそれに手をつけて食べていたのは飢えていたが故の事だろう、人間どんなに冷静沈着な頭を持っていても空腹では満足に機能しないのである。
(誰がこんなに美味しい料理を作ってくれたんだろう、神様なのかな…?でも本当美味しい)
 そして食べ尽くすと食器を洗い元の場所へと戻し、布団も畳んでは再び普段の流れへと立ち入っていった。


 続
狐の恩返し・後編
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