メビウスの環・第1話:涙 レッドへリング作
にゃぁ〜あ
 猫が…妹が力無く泣いている。あれからもう10年だから、猫の年齢にしてみればおよそ12歳…生きているのが不思議でたまらないほどの時間が経っている。
 ちょっとだけでいい、時間よ…止まってほしい。もうちょっとでエゴと言う名のメビウスの環を壊せるから、妹を元の姿に戻せるから。

メビウスの環 (第一話:涙)

 それは私が20,妹が16の時の秋…外は木枯しが舞い、肌寒くなっていた。私は親に楽をさせたいと願い国立の医大に進学し、順風満帆な人生ではあったが物足りなさも感じていた。目標が無いまま進学したためである。確かに周りからもてはやされるのは悪い気がしないがもう2回生…進路を決めてかからなければいけない時期だろう。
 そんな状況なのに私は今、何をしているのかというとジャーナリスト志望の彼氏『青樹 聡介』とカフェで談話していた。気分転換にと彼が気を遣ってくれたのだ。
「でさ、でさ。つぶれたあの匿名掲示板に変わって完全匿名掲示板ってのができたのよ。そこに書き込まれていたのが『戸丸峠の私有地で絶滅したニホンオオカミの鳴き声を聞いたって情報が多数寄せられてるのよ。」
 前言撤回…やっぱり、彼は彼だった。有名な某匿名掲示板が管理人の失踪等により、一日にして真っ白になってしまったのだ。そこの住人だった人達は独自に協力し合い、某匿名掲示板を超える完全匿名掲示板を作成したらしい。
 ただ、私にとってはどうでもいいのだが。
「俺も私有地近くを調べてみようかなって思ってさ。」
「えぇ、やめときなよ。」
「いや、俺の勘が金になると告げている。それにその私有地の研究所で勤務していた人間が失踪したってこの前ニュースでやってたしな。」
「捕まらない程度にやってよね…そうだ、お守り代わりにうちのバウリンガル持っていきなよ。」
「な、何で今バウリンガルを持ってるんだ?」
 訝しげな表情でこちらを見る彼。
「え? そんなにおかしいかな。散歩の時とかよく使うからずっと持ってるの。」
「いや、おかしくなんかないよ。じゃありがたく借りとく。じゃあ、このままちょっと行ってくるわ。」
「気をつけてね。」
「あぁ。」
 バウリンガルを受け取り、走っていく彼の後姿を見ながら思う。事件があれば野次馬根性で走っていくそんな子供っぽいところに惹かれたんだなぁ…と。
 そのまま家に帰るとがらんとしていた。両親はまだ仕事で妹は学校だろう。私はそのまま自分の部屋に入り机に向かった。

 2時間半後――
「ただいまぁ。」
 妹の声が響く、心なしか帰りが遅いうえに元気がなさそうだった。
「どしたの? 元気が無いじゃない。」
「おねぇちゃんには関係無いよ。」
「だって、最近元気ないじゃない。相談なら乗ったげるよ?」
「もう、おねぇちゃんには関係ないって言ってるじゃない!!」
 そう言い放って自分の部屋のドアを叩きつけるように閉じた。
 妹との仲が悪くなったのは高校に入ってからだった。今までは事あるごとにお互いの相談事とか、笑いながらしていたのに、急に私を突っぱねるようになった。話し合おうとしても一方的に避けられるし、どうしようもないまま1年以上経っていた。
ジリリリリリン……
 思い出に浸っていると電話の電子コール音が鳴る…いそいそと受話器を取ると相手は母だった。
「…ごめんね、皐月。今日も帰りが遅くなりそうなのよ。ご飯作っておいてくれないかしら?」
「分かった。任せておいてよ。」
「お父さん、帰ってきたら食べててもいいから。」
「お仕事、がんばってねぇ。」
「皐月も勉強がんばりなさいよ。」
 私は電話を置く……

ジリリリリリン……
 この電子コール音やめようかなと、この時本気で思った。
「…悪い、今日は付き合いで飲みに行ってくるわ。」
「どうせ、付き合いで呑んでくるんでしょ? 母さんは遅いし…早めに帰ってきてよ。」
「分かった、分かった。」
 あぁ、聞く気ゼロな声だ…これは遅くなるんだろうな。と、考えながら妹の部屋をノックする。
「何?」
「今日、二人とも遅いからご飯作るけど何がいい?」
「何もいらない。」
「分かった。」
 ドア越しで会話する。部屋に入ったら怒涛のごとく怒鳴り散らしてくるからだ。普段はドア越しでも機嫌悪そうなのに今日は何かおとなしいような…まぁ、いいか。
ジャッジャッ……
 軽快なリズムで中華鍋を振る。今日は焼飯と麻婆豆腐に青梗菜の炒め物と、中華料理を手際よく作る。こういう時、高校の時のバイト経験が役に立つ。
ジャッジャッ……
「姉さん……。」
「どしたの?」
「たまにはね……。」
 妹は、振っている中華ナベをじっと見つめていた。
「あんたの分も作っておいたから…一緒に食べよ。」
「うん。」
 ゴールデンレトリバーのジャックの皿に餌を入れ、妹と二人で黙って食べる。話さなくても私には分かる、本当は心が純粋でやさしい…私達家族の自慢の妹。そんな心優しい妹が自ら命を絶つなんて考えられなかった。
 それが私の甘さだという事に、まだ気が付いていなかった。
シャァァァァ……
 蛇口から流れる水が食器の落とせる汚れを落としていき、無心で洗剤をつけたスポンジで油汚れを落としていく。
「お姉ちゃん。」
「あ、どうしたの? お風呂なら沸いてるよ。」
「ねぇ、この世に神様っているのかな?」
「さぁねぇ…って、いきなり何を言ってんのよ。」
「いつもさ、お姉ちゃんは何でも私よりうまくできて…高校も大学も国立でさ、私なんか努力してもいつもてんでダメなんだよね。」
「ねぇ、何訳の分からない事言ってるのよ? 憲子は努力家だし何より優しいじゃない。」
「ごめん、姉さん。もう我慢できないのよ…何やってもうまくいかない。努力しても伸びない…もうこんな世界は嫌なのよ。」
 唐突な妹の告白にかなり動揺している。私の心臓がバクバクと音を立てて鳴っている。
「な、何を言ってるのよ。がんばりやで何より人に優しいって…私達は知っているわ。それじゃあダメなの?」
「ごめんね、ありがとう…お姉ちゃん。」
 妹はそう言い、大量のカプセルを飲み込んだ。
「ぁ…ぐぅ。」
 毒だったのだろうか? 急に苦しみはじめた。
「早く、吐き出して!! お願い、今なら死なずに済むかもしれない。」
「も、もう遅いわ…私の手や身体を見て。」
 言われるがまま、手や身体を見ると茶白黒の毛が全身から生えてきていた。
「もう、手遅れよ。私は動物として生きるから。ごめんね。おねぇちゃん。」
 弱弱しくもはっきりと言う妹…見ていることしかできない私。

 なぜ、こうなったのだろうか? なぜ、いもうとはねこにならなければならなかったのか?
 なにがわるかったのだろうか? なぜ、いもうとはここまでおもいつめてしまったのか?

 何がなんだか分からないうちにいもうとはいもうとでなくなってしまっていた。


 続

小説一覧へ