長い行水・後編 和製ぺペロンチーノ作作

―――――

 ああ、駅前の商店街を歩いてお土産の目星を付けたりするのなら、時間を有意義に使えただろうが、高台にある旅館の周りに面白いものなど無く、森林浴程度の事しか出来なかった。やむなく、旅館に戻った。

 A君は、入り終えて部屋に戻ってきていた。
「お、帰ったか!」
「ああ…」
「どうだった?」
「別に…」
「…楽しくなかっただろ!ほら、俺と一緒に入っていれば間違いはなかっただろうに。」
 ふっ…お前とこんな所に来た事の方が間違い……
「よし!じゃ……」
 徐にA君が取り出したのはトランプだった。
「ポーカーやらないか?早速、温泉の効用を試してみたいし。」
「……はぁ?」
「夕飯まで時間あるだろ。じゃ何やる?ポーカーやって暇潰すくらいしかないだろ。」
 嫌な予感はこれだったのかもしれない…。
「ルールは基本に一般のポーカーと一緒。掛け金は…」
「……掛け金制にするのか?」
「当たり前だろ!そうじゃねーとつまらねーだろ!」
「……」
 やっぱり…。お土産を買うために持ってきたお金が全て巻き上げられるという最悪のシナリオが頭を掠めた。
「……いや、いいよ。そんな強くないし、ポーカーはあまりやった事無いし」
「……ほー。」
 A君はトランプを配り始めた。
「だから、やらないと言ったはずだ。」
「……じゃ、どうする?やるしかないんだよ。」
 A君はカードを手に取り、財布から100円玉を投げた。
「100円ずつベットで良いだろ。何、怖いのか?ただの遊びじゃないか。」
 躊躇ためらった。しかし、このままやらずにこの場をやり切れそうにはないと思った。
「……じゃ仕方ない、やる事が無いし、付きやってやるよ。」
 A君の顔がにやついた。その表情に悪魔の微笑が見えたのは、単なる序章に過ぎない。
 配られたカードを見る。役はワンペア、それほど強くはない。100円を出して3枚カードを捨て、引く。A君は5枚全て捨てて、引いた。A君の口元が緩んだよう に見えた。
「レイズ!」
 A君は、思い切り千円札を取り出した。
「……100円ずつベットって言ったはずだろ。何、千円札を出してるの?」
「はぁ?バカじゃねぇの!ポーカーで一段ずつ掛け金を増やさなきゃダメっていう訳じゃねぇし。しかも、『100円ずつ』っていうのは10円とか1円単位で掛け金を増やすのはダメだっていう意味で、別に千円札をだすというのは100円を10枚だすという事と同じだろ!」
 ああ、これは本当に自分の財布が空に成りそうな予感が的中しそうだ。100円スタートって言ったって、いきなり千円を出すとか、少額の賭けで遊びをするという領域から逸脱してる。
「そんなに自信のある手札なら、ホールド…。」
 A君は手札を見せた。
「実は、ノーペアだった。ハハハ…引っかかってやんの!ハハハ…マジウケる!」
「……え…ウソだろ」
「まぁ、これもポーカーの戦略の一つだ。勉強になって良かったな。」
 うざい、何こいつ、という言葉が頭で今まで以上に響いた。

―――――

 もやもやとした感じはポーカーをやり終えた後も、旅館の美味しい食事を食べる時もずっと忘れられなかった。最悪の状態は回避出来たとは言え、勝てた回数は片手で数えられるくらい…。ああ、A君と一緒にいる事から始まって、全くもって不運だ。
 A君は食べ終えてから、すぐに布団に潜って寝ている。ようやく、安息の時間が来たかとささやかな喜びを感じた。
 こんな不運な我が身にも、温泉の効用を信じてみるかと思い、温泉に行く準備をし終え部屋を出た。
 他の宿泊客が居てもいいはずなのに脱衣所には、ロッカーは全て使われていない状態になっていた。不気味さを感じたが、別にだからどうしたという事だ。自分一人貸し切りとは良いことじゃないかと思う様にして脱衣所を出た。もちろん、首輪を外す事なんか忘れて……。
 湯気が辺りに広がっていた。露天風呂のようになっていて、ちょうど視界には月が見えて、そういう所は雑誌で見たときより風情があった。温泉の色は思った以上に白濁だった。温泉に浸かってみると、熱くない温度で長く入っていられそうだ。
 長く入っていられる温度なので気持ち良くなって、ウトウトしてきた。かといって出ようという気には不思議とならなかった。

 ……寝るな……ねるな……ね……


 目を覚ますと、数分…いや、かなりの時間が過ぎていた……。まず、体に若干の違和感を覚えた。首が熱い……歯痒い…いや、気持ち良い……不思議な感覚……。
 ふと、視線を落とすと……白?長い爪を持ち人の足とは思えぬように鱗状の物が付いた細い足先?指が長くなって変形した手?しかも、体の内でお湯に浸かっていた部分が白くなっている??

「ああ、寝ぼけているのか。」


 …いや、違う。何か、おかしい。
 ようやく、頭に酸素が回りだして、状況がだんだん把握してきた…
 何が起きたのか長い事分からなかった。何故、皮膚から白い何か得体の知れない物が沢山くっついているのか??しかも、小さかったそれらがだんだん枝分かれしながら大きくなっている?
 どれもこれも、普通ならば考えられない事だ……体が…体が…体が!?
 頭の中で自分の声が反響しているだけで声にはならかった━━歯が変形しながら顎が突き出して、突起物のような物となりそれが口や鼻を覆うようになって、人語を操れなくなってしまったから━━


 心の中には今起きている事に対する錯乱と恐怖が入り混じっていた。
 だが……だんだん心に不思議と温かな物が流れ込んできたのが分かった。それが錯乱と恐怖を打ち消すように、宥めているような気がした━━

 皮膚に付いていた白い枝分かれした物は羽毛となり全身を覆った。胸骨が前に張り出して多くの空気が蓄えられるようになった。足先は無駄な筋肉が無くなって細い鳥趾となり移動の主導を明け渡した。腕……いや、翼と呼ぶに相応しいだろうそれは自分の体を持ち上げるのに充分な筋肉と大きさを持ち、逞しいながらもしなやかな物となっていた。

 そうして、役目を終えたように首輪が外れた。


‘変化’
 それは、さっきまでは‘恐怖’と同義だった。
 しかし、今は違う。人間として自分を縛り付ける必要など無い。千差万別の自然に身を委ね、翼で風を切ろうと新たな自分の使命感に気が付きながら体はウズウズしていた。
 夜寒を断つが如く、地平線の向こうに日輪が少しずつ姿を現してくる。周りの木々や岩々は再び生まれたかのようで、新鮮な眺望を目に焼き付けた。
 こうして新しい日……いや、‘新しい自分’としての使命を帯びた生きる道を辿ると思うだけで喜びがあった。

 上昇気流が向かって右に発生している…そう感じる。

 口から空気を吸い込んで、肺に溜める。

 もう、恐い物は無い。

 自らの使命が白き翼を動かす。

 さぁ、空へ……

―――――

「うーん……フゥハァハァ…アァん。」
 避暑地という事で昼間に比べ冷え込み、すこし寒さを感じながら大きな欠伸をして、Aは目を覚ました。まだ、暗い部屋で寝ぼけながら辺りを見回し、再び寝ようとしたが、
「……うーん?あれ?そういえば、あいつ居ねぇなぁ……」
 と言って、もう一度辺りを見回す。しかし、姿は無い。Aはようやく立ち上がって、頭から記憶を手繰り寄せる。
「あ……そういえば、温泉入って来るっていったきりだな……まさか……」
 Aは、そのまま部屋を出て温泉に向かう。脱衣所の戸を開けて中に入ってみると、一つのロッカーに見覚えのある服があった。
「……あ…やっぱり……マジかよ!…え……こんな…溺死とか…マジそういうのさぁ俺マジ苦手なんだけど……うわぁ…でもなぁ…俺が確認しないと…」

 Aは恐る恐る露天風呂のある浴場へと歩いた。しかし、そこには誰も居なかった。
「あれ?あいつ居ねぇし!ふぅ…良かったー……いや、服は置きっぱなしなのに、あいつはどこに行けるのか?……?……?」
 Aは、ふと足元に白い何かが落ちているのに気がつく。
「…何これ?鳥の羽?……まさか……」


 東の方角に何かが飛んでいるのをAは確認した。
 まだ、日が昇って間もない中に朝日を浴びて飛行する羽は虹色に輝いていた。この露天風呂から見える、まだ目が覚めない風景に朝霧が懸かって、映えた陽光のグラデーションの美しさと相俟あいまって、絵に描いた情景のようになった。さすがのAも息を呑んだ。


 その土地には古い記録があり、かつてこの土地を訪れたある貴族がここの事を書いたが、その記述にはよく分からない部分があった。



『あはれ、白き羽毛纏ひし者、曙の空、雲霞に混じりて飛ぶ姿のをかしさをやいかにして言いあらはす。』

『ああ、白い羽毛を纏った者が、夜明けが近いだんだんと明るくなってきた空、雲と霞の中を飛んでいる姿の美しさをどのようにして言葉にしようか、いや、言葉にできない。』



 東の空に飛んでいたのは、何だったんだとどうやらAは考えたらしい。Aの中では、その‘まさか’が有力な説だと信じているみたいだ。Aは、まず誘拐や殺人などを考える前に、超自然的な現象を信じてしまうのだから。もしかしたら、さっきの古い記録がAの疑問を解決する糸口になるかもしれない……


 完
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