醜悪なる闇 和製ペペロンチーノ作
 そこには異様な空気が漂っていた。

 私は、自分の趣味である自転車で、山を超えてみるという事を計画していた。しかし、実際に来てみると、上り下りが激しい勾配が私の足を襲った。ようやく、勾配のない道かと安堵していた時に、目の前に近寄りがたい、暗いトンネルがあった。俄かに、ここを通るのを私は初めの内は躊躇った。しかし、ここを通らなければ遠回りになってしまうため、人気の無い、不気味なトンネルを通る事を余儀無くされたのだった。

 そこには異様な空気が漂っていた。

 中に入ると、外に比べ体感では冷たくジメジメとした感じを受けた。こんな気味の悪い所なんか、さっさと抜けてしまおうと、ペダルを漕ぐ足に力が入った。トンネルは、まだ長かった。
 すると、金属音なのか鈍い甲高い音が後ろからトンネル内で反響した。しかし、気のせいだ、と自分に言い聞かせた。まさか、こんな所に……。そんな馬鹿な。ああ、そうだとも気のせいだ。事実が事実であったとしても、自分が認めなければ良いと暗示する他はなかった。しかし、幾分の恐怖がペダルをとめた。ブレーキを掛けて、自転車は静かに止まった。
 自転車を止めて、後ろを振り返ってみても、自分が通ってきた道が有るだけで、やはり何もなかった。ホッと一安心した。だが、前を見ると、さっきまで見えなかった影があった。その影の中に2つ緑色のような光を出している物が見えた。
 私は苦笑いをした。あれは、何だろう。あんな物はあっただろうか。いや、気にするな。気のせい、気のせいだ。

 自転車に乗ろうとしたが、なんだか体が石化したかのように動かなくなった。半ば驚き、そして何よりも恐怖が増幅された。すると、何か物を引き摺るような音がし、その影がこちらに向かっているように見えた。そして、私は一瞬にして恐怖が弾けて何か別な感情になった、トンネル内に点在する水銀灯が影に当たった時の事だった。
 それは、私にとって醜悪な存在と思っていた物の一つであった―蛇―。
 しかし、ただの蛇では私はこんなにたじろぐ事はない、結論を言えば、それは黒い大蛇だったのだ。 本能的に逃げようとするも、やはり、体が思うように動かなかった。徒にトンネルの中で悲鳴が響いた。そして、大蛇がとうとう眼前に現れた時、私は大蛇の大きさと、放つ腥気に更に狼狽した。そして何よりそれは醜悪であると一層感じた。
 その漆黒の大蛇は、まじまじと私を見据え、口から小さい蛇を何匹も出してきた。私は何も抵抗出来ぬまま、小さい蛇共は私の足の腿や服の間を通って肩に巻き付いてきた。蛇のなんとも冷たい体が触れる事は更に私は気味悪さを感じないで居られなくなった。
 だんだん、それが両肩や両足を縛るかのように巻き付き始め、そして、その蛇共は私の体に一斉に噛みついた。激痛が電気の如く感じると、急に鳥肌が立ち、体全体が熱くなり、筋肉がうねり、痙攣しているかのように感じた後、更に痛みを伴うようになった。すると、今までの事柄ですら十分目を疑うような光景であったのに、私は更に目を疑わずには居られなかった。両肩や両足を縛るかのように巻き付いてきた蛇が私の体と癒着し、まるで表皮の一部にでも成ったかのようだった。そして、両足が癒着し始め、体が細く伸び出したのだ。
 何か声を出して、この状況を打開しようと思ったが、ここで助けを求めても無駄な足掻きであると悟った。相手もそれを考慮しているだろう。

 変化はこれでは終わらなかった。鼓動が更に早く打ち始めると、腿や肩だけの変化が更に上へ、下へ変化が広がった。
 黒い不気味な鱗がまず腿から足先へ両足を一つにしながらゆっくりとジワジワといたぶるように足を覆うように進行した。また、肩からは胸へ鱗が覆っていった。足の変化が下の方にさらに変化が進行すると、流石に自らの体重を支えきれなくなり、私は尻餅をついた。しかし、そこはもう私の体ではなかった。腿から上にかけて、ズボンを裂き、黒光りする鱗に侵されていった。
 肩にかけての変化は、じわりと痛みと痙攣を伴いながら変化し、腕を体にぴったりとくっつけられた状態で癒着させられて、またも、悪魔のように見える鱗がしっかりと人ではなくなる事を再確認させるかの様に硬く表皮を覆った。また、胸にかけては、着ていたシャツを裂きながら淡色の鱗が覆っていった。
 それらの変化が体の中心部へと近付くにつれて、変化の終わった鱗の体は氷のように冷たいと感じるようになった。
 しかし、悪夢はまだ続いた。

 頭にかけての変化が残っていた。

 それに気が付いたとき私はいっその事、気を失ってしまえば楽であっただろう。

 だが、気を失おうとする度に、強烈な力が頭に突き刺さるように感じ、現実の責め苦に引き戻されるのであった。

 腹や背中が鱗に覆われたと思うと、だんだんと変化が上に始まった。喉の辺りに変化が達すると、今まで言葉に成らない、唸るともとれない声を出していたが、それがゆっくりと、唸りから蛇独特の言葉が出た。遂に首から頭に達し、痛みが更に痛くなり、目眩に伴って口が裂け、鼻と口が一緒になって顔の前にどんどんと出て、自分の歯が抜けて、牙が生えてきた。
 そして、舌は細く伸びて、先が二つになった、その間妙な苦味のような味がした。頭部は、鱗に覆われる前に邪魔だと言わんばかりに髪が全て抜け落ち、耳たぶは鱗と同化した。そして、目までも透明な鱗に覆われ、暗がりがよく見えるようになった。
 変化が終わると、体の痛みは一気に引いて、金縛りが解かれた。トンネルの中の水銀灯に映った自分の影は目の前に居る大蛇程ではないが、鎌首を擡げた大蛇だった。新しい体は、どう動こうとも四肢の感覚は無く、体を横や縦に動かすだけだった。
 そして、シーシーと鳴いていた大蛇の言っている事がようやく分かった。
「お前は『醜悪だ醜悪だ』と言っていたが、蛇身となった気持ちはどうかな?」

「お前はこの姿で何百年も生きなければならない。なぜなら、我がお前をこの山の主として選んだのだから。」

「これからは、この山を見守っていかなければならないのだから、お前は『醜悪』な蛇に成っても長い事死ぬことは許されぬ。―それが死よりも苦しい事だとしても―それが、新しいお前の運命なのだから。」

 ある日、このトンネルをある人が通った時、自転車と破れた服が散乱しているのを発見しました。その人は、警察に連絡をしましたが、この奇怪な遺留品の持ち主を特定する事は出来ませんでした。
 しかし、その人は文献を当たると、不思議な伝説に出会いました。
「この山に住むというと伝えられている蛇神は、何百年に一度、山の近くの村の人を攫って、山の主にする」という物でした。

 その人は、これ以上は調べませんでした。


 完
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