そんな生活を2週間ばかり続けた頃、私は寝る間際に上半身を起こして布団越しにやや丸みを帯び始めたお腹をそっと撫でる。天気はずっと好天で昼間は半ば水棲生活を送っていた私にも、夜空から月が消える日……新月を迎えたことは、「龍」の持つ体内時計が教えてくれた。
最初の1週間くらいはいろいろと口喧しくも感じていた龍の声も聞こえなくなり、私の下腹部のあたりからオーラというか、気配というか、独特の空気を醸し出しながら眠りについているようだ。まるで本当の赤ちゃんのように……。まだ、あの満月の日に私の身体が、異形の躯へと変貌してからは見かけ上はそれ程大きな変化は見られない。それでも、全く変化の予兆を感じなかった訳ではなかった。
ここ数日間、いろんなものの匂いが強く感じ取れるようになっていた気がする。それに、口の中の唾液の量も増えてきた気がする。昔、保健体育の授業で、匂いに対して鋭くなったり、唾液の量が増えたりするのは、つわりの症状の一つだと聞いたことがある。ただ、話に聞く頭痛とか吐き気とかはほとんど無いのが救いである。もっとも、私がそういう体質なのか?
今の私の身体が人間ではないからなのか?
今まで妊娠したことのない私には何とも言えなかった。
私は自分の身体の現状について、あれこれ取り留めのない話が浮かんでは消えていく中で、ふとある考えが思い浮かぶ……
(赤ちゃんを妊娠する「十月十日」というのは、10か月目の10日目……つまり280日のことだよね? でも、この儀式は満月から次の満月までだから、大体28日くらい……って、ことは単純に計算してここで1日過ごしている間に私のお腹の中は10日分くらい経っているって、ことになるのだろうか?)
その予想は大体当たっていたようで……
それから、数日と経たないうちに下腹部の膨らみが目立ち始め、胸の膨らみも少し大きくなり、乳首が硬くなり、色も濃くなり始めてきた。月はちょうど三日月が姿を見せる頃合いとなっていた。
1日の生活スタイルはこれまで通り、毎朝甕の中に溜め込んだ自分の乳を飲み干すごとに空腹感は満たされていくのは変わりがないが、それと同時に以前にはなかった膨満感が強くなり、胃液がタプタプと上がってきてくるのが判る。
そして、自然と目立ち始めた自分のお腹に視線を向け、動くときも自然とお腹を真っ先に庇うような姿勢を取るようになり、撫でる回数も次第に増えてきた気がする。
お腹の中にいる龍が、まるで自分の本当の子供のように愛しく思えるようになり、まるで私が本当に母親になっていくかのように気持ちがどんどん穏やかになっていき、今まで散々言ってきたはずの龍への不満や妊娠とともに訪れる身体の苦痛を厭う気持ちも消えていく。
人間とは異なるこの異形に変貌した自分の姿、そしてお腹の中に龍を宿している自分の姿も、自己意識が変わったせいなのか、誇らしげに思え、却って役目を終えた後に人間の姿に戻されることの方に不安を感じてしまうくらいになる。
そして、上弦の月が昇る頃――私の下腹部は更に豊満に膨らみ続けている。
蛇腹の鱗のところどころに隙間が生まれている。はたから見るとちょっとしたひび割れのようにも見えてくる。確か、人間の女性の妊娠の時にできる「妊娠線」もお腹の膨張に皮膚が耐え切れなくなってできるそうだから、これも一種の妊娠線のようなものだと思えが合点がいくような気がする。
「はぁ…はぁ…はっはっ…はぁ……」
また、急に息苦しくなってきた。
腰や脚の体格は人間よりもがっちりしている私の身体はそちら方面への負担はそれ程でもないのだけど、胃腸や胚などへの内臓への圧迫は結構きついものがある。時々、今のように動悸や息切れのような症状を起こしたり、折角絞った私の母乳も甕の半分程度しか飲み干せなくなってしまっていた。
それにも増して厳しいのは、祭壇の裏口を潜って池に入るという行動を取ることが身重の身体にはきついものがあった。まるで、獣のように……いや、龍のように四つん這いで手足を踏ん張り、更に胎内の龍を圧迫しないように気を使いながら祭壇の裏口を潜るのは至難の業になりつつあった。
さすがにこの身体に慣れてきた私でさえ、
「ここに来て、本当に龍みたいに四つ足で動くことになるなんて……最後になったら私の身体も本物の龍になったりするかも……」
と、半分皮肉めいた冗談をこぼしてしまった。
次の満月までもう、1週間しかなかった――。