「大丈夫・・・お前も私のものになれば・・・獣となって私に従えば苦しみも悲しみも考えなくて済むようになる」
彼女はそう僕に説明した。あいつらにはそれをせず、僕にだけ説明したのは、多分少なくとも自分を守ろうとしてくれた僕に対しての彼女なりの礼儀であり、それは同時に別れの挨拶でもあったんだろう。だって、獣になれば顕が得なくなるという事は、僕は僕でなくなるということなんだ。説明する意味がそもそもないことは当事者である彼女が最も理解しているのにそうしたのは、そういくことだろう。・・・でも・・・僕は・・・!
「・・・イヤだ・・・!」
「大丈夫・・・怖がる必要は無い、私がいるのだ・・・!」
彼女が僕にそう告げた瞬間、彼女の瞳が再び激しく光り輝いた。その瞳を見た瞬間、僕は全身の血流が一気に加速し始めるのに気付いた。・・・変化が始まったんだ・・・!イヤだ、僕は人間でいたい。こんな・・・動物になっていくなんてイヤだ・・・!僕は心で強くそれを拒むが身体の変化は止まってくれない。僕は怖くなり両手で頭をかきむしるようにするが、その時腕に普段では感じない感触があった。それは長く尖った僕の耳が腕にぶつかる感触だったんだ。
「うわぁぁあっ!」
僕は恐怖のあまり絶叫した。確実に僕の身体を変化が蝕んでいく。そしてその尖った耳にはやがて力強い獣毛が覆っていく。そしてその獣毛は僕の顔にどんどん生えていく。そのうちに何か鼻がむずむずすると思っていたら、僕の鼻も彼女のように前に突き出し始めたのだ。しかしそれは草食動物のそれとは違い、口元にはがっしりとした牙が生え揃っていき、肉食動物のものへと変化をしたのだ。そう、僕の顔はもう僕の顔でなくなりかけていた。
止まれ、止まれ!
僕は心の中で何度も何度もそう繰り返し叫んだが、僕の願いは何にも届く事は無かった。やがて獣毛は全身をどんどん覆っていくのとあわせて、僕の身体は徐々に筋肉質で引き締まったものへと変化をしていく。長い毛で覆われるため外見的には分かりづらいが、元々男としては華奢だった僕からしてみればそのがっしりした体格はやはり僕のものとは思えなかった。
全身の筋肉や骨が融けては固まり、また融けては固まるの繰り返しをするこの感覚は痛みを通り越して最早人の知っている感情での表現は困難なレベルだった。そしてその感覚の一つ一つが僕が人間でなくなっていくプロセスなのだと思うと僕は気がどうにかなりそうだった。やがて僕の手は形こそ人のままだったが、その先からは黒く鋭い爪が輝く。
一方の足は人のものから大きく変わり、指は一層短くなり足元には柔らかな黒い肉球が形作られていた。そして更に背中や尻にも何か違和感が生じていた。しかし何時しか僕は自分の身体から痛みがすっかり消えている事に気付いた。恐怖で身体が硬直していたためずっとまだ変化が続いているものだと思っていたが、どうやら変化は収まっていたらしい。僕は恐怖と痛みからつぶっていた眼を開いた。そして自分の体を確認する。
「・・・何だよコレ・・・!?」
まず視線に入ったのは腕、その後脚、腹と視線を移していく。身体の何処を見ても薄い蒼の長くしなやかな獣毛が覆われているのだ。僕は自分の体がどうなってしまったのか気になり、すっと立ち上がり後者の窓ガラスを鏡代わりにして見つめた。本来だったらそこには僕が映るはずだった。しかし僕は映らない。いや、仮に映っているのが僕だとしても、それは僕が知ってる僕じゃなかった。
「・・・人狼・・・!?」
僕の代わりに鏡に映っていたのは狼の顔と人の身体を持つ、所謂ワーウルフと呼ばれるものの姿だった。すっと伸びたマズル、その上に輝く金色に輝く瞳、ピンと立ち上がった耳、どれをとっても人だった僕の面影なんて無かった。
身体も、人のそれのままだけど、ずっと筋肉質で、全身を獣毛で覆われている。人に近い手と、獣に近い足。そしてその後ろでゆっくりと左右に揺れる尻尾。狼と人間を融合させたその姿はまさにワーウルフだった。ただ1つ、背中にあるものを除いては。
「・・・翼・・・!?」
そう、本来の伝説上のワーウルフには有り得ない、翼が僕の背中から生えていたんだ。蝙蝠のに似た彼女のものとは違い、僕は鳥のように羽毛で覆われた翼だった。蝙蝠の翼が悪魔をイメージさせるなら、鳥のものは天使を連想させる。
尤も、その羽を生やしているのが狼なのだから、あえて造語すればワーマルコキアスとでも呼べばいいのか。兎に角、それが僕の今の姿なんだ。僕は自分の身に起きた事に戸惑いを隠せなかったが、今は何故こうなってしまったのか、彼女に問いただすのが先立った。僕は狼の鋭い瞳を輝かせて彼女の方を振り返り話しかける。
「山村さん、一体君は、」
一体君は何者なんだ、何故こんな事を、僕はそう問いただすつもりだったが、僕の言葉を遮るように彼女の言葉が先に響いた。
「一体お前は何者なのだ?」
「え!?」
僕は自分が聞こうとしたことを彼女に先に言われてしまい動揺をしていた。しかしそれはどうやら彼女も同じようだった。彼女の表情は相変わらず冷静そのものだったが、僕の能力は告げている。今の彼女は僕以上に動揺している事を。
そう、今まで読めなかった彼女の心が、僅かながら読み取れるようになったのだ。恐らくそれは僕が変化した事で感覚が鋭敏になった事と、彼女が動揺によって隙が生まれていたためかもしれない。・・・確かに彼女がさっき言っていた言葉と、今の僕の姿は大きく違っていた。彼女は僕もあいつらと同じただの獣にして自我も失くすつもりだったはずだ。しかし僕の姿は完全な獣とも人とも程遠く、むしろ彼女と同じような異形のものの姿だった。
彼女は自分のした行為が予想外の事態を引き起こした事に戸惑いもあったが、むしろそんな僕への興味を丸出しにしていた。彼女はゆっくりと僕の方に近づいてくると、そのまま後ろから腕を僕のわきの下に通しいきなり抱きつく形になった。そして彼女の豊満で柔らかな乳房が僕の背中に当たる。お互いの身体が毛で覆われているためその感触は柔らかさだけが確実に伝わってくる。勿論今まで15年生きてきた中でそんな経験の無い僕は戸惑いを隠せなかった。
狼の顔は金の瞳の瞳孔が極限まで開き、どうしたらいいか分からないもどかしさを映し出していた。しかも彼女はそのまま僕の首筋を、そのヤギの下でゆっくりと嘗め回し始める。僕はそれと同時に全身が凍りつくぐらいの寒気と、燃え上がりそうな火照りを同時に感じていたのだった。
「や、山村さん、何を!?」
「・・・ふふふ・・・はは、そうか、お前がそうか!」
彼女は急に僕の身体からはなれ、大きな笑い声を上げる。ヤギの表情は再びさっきのような、まるで玩具を与えられた子供のように無邪気な笑顔で僕を見つめてくる。
「どうやら私は運がいい・・・クク、ははは!」
「一体・・・一体何なんだ!?僕はどうなってしまったんだ!ただの獣になるんじゃなかったのか!?」
「私もそのつもりだったよ・・・だが、コレは思わぬ誤算だったよ」
「だから、何だって言うんです!?」
「分からないか・・・?それが君お前の本当の姿だよ」
・・・
・・・え?
コレが・・・この人間離れした・・・怪物の姿が・・・僕の本当の姿・・・!?
「・・・な、何を言ってるんだ、山村さん、僕は人間だ、この姿にしたのは君で、」
「私はお前をそこに転がっている奴らと同じようにただの動物に変えようとしたのだ。だがそうならなかったのは、私の魔力を受けてお前の中の本当のお前が目覚めたからだよ」
「僕の中の・・・僕・・・!?」
「そう、お前は私のために生まれ、私のために目覚めた。私のものとなる運命の元に」
「僕が・・・山村さんのもの!?何を馬鹿な話を・・・!」
「拒んでも無理だ・・・お前は私のものであり、私もまた、お前のものだよ・・・!」
彼女はそういって再び僕の身体を掴みかかろうとするが、その時校舎の向こう側から声が聞こえてきた。
「・・・感づかれたらしいな・・・話は後だ。行くぞ」
「え、行くって、何処へ!?」
「私の世界だ」
彼女はそう言うと、白くしなやかな指で縦に空を切った。するとまるでファスナーをおろしたかのように突然空間に裂け目が出来たのだ。その中はまるで混沌へと続いているかのような、彼女自身から伝わってくるものとは更に比にならないほどのプレッシャーを感じさせた。そして彼女はすっとその手を僕に差し伸べる。
「ほら、行くぞ」
「・・・え・・・!?」
「お前も私と共に来るのだ」
「何で僕が!?僕はただ・・・!」
「その姿を他人に見られてもいいのか?その姿で、この世界で暮らしていくつもりか?」
僕はそう言われて再び窓ガラスを見る。・・・確かに僕の姿は最早どう見たって人間じゃなかった。僕が彼女のせいで人間じゃなくなったのか、それとも彼女の言うとおり元々人間じゃなかったのか、今の僕には判断できないが、ただ少なくても今確実に言えること。
僕は、今は人間じゃない。
人でも獣でもない、言わば彼女側の人間。
人間じゃない以上、人間の世界にい続ける意味も無いかも知れない。それに僕には何故こうなってしまったのか、彼女に問いただす必要がある。そのためには、今は彼女と共にいるしかない。僕は自分の蒼い手をすっと上げると、ぎゅっと彼女の手を掴んだ。その重ねた手は彼女の威圧的な容姿や言動とは違い、不思議と優しさを感じる柔らかさを持っていた。
「では行くぞ」
「待って!もう一つ!」
「何だ?」
「こいつらは・・・どうするの?」
僕 はそう言って動物の姿になっているあいつらの方を見た。
「大丈夫だ。私がこの世界からいなくなれば私の魔力は途絶え、すぐに人間の姿に戻る。私にされたことの記憶を全て失ってな・・・せいぜい、その自慢のモノを面前に晒せばいいさ」
彼女はそういうと含み笑いを浮かべあいつらを見ていた。
「・・・そろそろ本当に行くぞ、お互い、これ以上多くの人間にこの姿を晒すわけには行かない」
「・・・うん」
僕はゆっくりと首を縦に振った。そして彼女はゆっくりとその黒い翼を羽ばたかせると宙に浮かび上がる。僕もみようみまねで翼をはためかせると、僕の身体もふわっと浮かび上がった。・・・翼の使い方がまるで知っていたかのように自然に出来る。・・・僕は・・・やはり・・・。
「さぁ、出発だ。私と、お前の本当の世界に」
「・・・うん・・・!」
僕達は手をつなぎながら、彼女の開いた空間の裂け目へと飛び込んでいった。僕達が飛び込んだ後、空間の裂け目はゆっくりと閉じ、騒ぎを聞きつけた人間たちが目撃したのは不自然に脱ぎ散らかされ全裸になっていたあいつらの姿だけだった。
ある日突然人間でなくなった僕は、人間ではない彼女に手を引かれるまま見知らぬ世界へと翼をはためかせていた。自分が誰なのか分からない不安の中、握られた彼女の手だけが唯一僕が知っているものだった。
戸惑いと混乱の中、そして僕は彼女と共に旅立つ。
完
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