水もしたたる良いケモノ・後編 黒ヤギ作
 みんな昼食を食べ終え、ひと段落したところで
「じゃあ、今度はウォータースライダーにいきましょう。」
 優華がこう提案した。
「えー、結構並んでるじゃん」
 行列の長さに呆れながら綾香が言った。
「これでもまだマシな方でしょ。前に来た時はもっと並んでたわよ。」
 私もウォータースライダーはやりたかったので、そう言った。
「そうだよ。またいつ会えるかわからないんだから、行こうよ。」
 友美が綾香を誘った。
「じゃあ、決定ね。」
 優華がそう言うと、綾香の手をひっぱりウォータースライダーの方へと歩き出した。ウォータースライダーの待ち時間は思ったよりも短く、1時間くらい並ぶのかと思ったが、30分程度で自分たちの番がやってきた。ここのウォータースライダーは二人乗りの浮き輪のようなものに乗って滑るものだった。
「綾香、いっしょに乗ろう。」
 私は綾香を誘った。
「もちろん、いいわよ。」
 綾香はすぐに浮き輪に乗り込んだ。そして監視員の合図とともに、私たちはチューブの中を滑って行った。私たち二人の叫びがさらに滑る速度を加速させてるようにも感じた。滑る勢いが思ったより強く、チューブから出てきて時に私と綾香は浮き輪から投げ出されてしまった。
「きゃぁ!」
「うおぉ!?」
 激しい水音と共に、二人とも頭から水中に突っ込んでいった。さすがにいきなりの出来事であったので、私は少しパニックになってしまい、かなりの水を飲んでしまった。まさか、このことが後の大惨事の原因になろうとはこの時思ってもいませんでした・・・。
「ゴホッ、ゴホゴホゴホッ!」
 私は激しくせき込み、水を吐き出そうとした。ようやく落ち着いたところで、私は綾香を探した。
「あ、綾香!大丈夫!?」
 私は綾香を見つけると、すかさず駆け寄った。
「ああ、なんとかね。」
 どうやら水は飲んではいないようだった。
「そっちこそ大丈夫なの?」
「うん、ちょっと水飲んだくらいだから。大丈夫だよ。」
 私はあくまで平静を装った。お互いの無事を確認して二人とも安心してプールサイドに上がろうとした時。
 ハラッ
 何かが静かに落ちる音がしたと思い綾香の方を振り返ると、ブラが落ち胸をあらわにした綾香がいた。
「きゃっ!?」
 綾香は驚き、胸をすぐに隠し外れたブラをもってプールサイドにあがり、猛ダッシュでトイレへと駆け込んでいった。
「ちょ、ちょっと、綾香ぁ!待ってよぉ!」
 男性が妙にざわつき始めたが、私も綾香のあとを追ってトイレに向かった。トイレに入ると既にブラをつけ終えた綾香が曇った表情で少しうつむいていた。
「しょうがないよ。あれは事故だったんだから。」
 そう言ってなぐさめるが、一向に表情が晴れることはなかった。たいていのことでは動じない綾香も余程恥ずかしかったのだろう。とりあえず私は腕を綾香の肩に回し、綾香とともにトイレを後にした。

「あっ、いたいた。もう、探したんだから。」
 心配そうな顔をした優華が言った。
「私、もうあそこには行けないよ・・・。」
 泣きそうな表情で綾香は言った。
「どうしたの、何があったのよ?」
 不安そうな顔をして優華が質問した。
「実はね・・・。」
 私はこれまでの経緯を優華と友美に話した。
「そうかぁ、まぁしょうがないことよね。」
 友美があっさりと言った。
「もう、あそこには行けないよ・・・。」
 やはりまだ綾香の表情は曇ったままだった。
「じゃあさ、競泳用のプールで泳ごうよ。それならいいでしょ?」
 競泳用プールはレジャー用プールほど人はいないので、綾香も心配しないだろうと思って、私はそう提案したのだ。
「う〜ん、そうすると泳ぐことしかできないよね?」
 私の提案に友美が反論した。
「しょうがないでしょ。綾香はもうあそこにいたくないんだから」
 優華が私に加勢してくれた。
「しょうがないわね、そうするしかないもんね。」
 しばらく考えてどうやら友美も納得してくれたようだった。
「じゃあ、決まりね。」
 優華が確認の意味もこめて言った。

 綾香を慰めるように私は綾香と手をつないで競泳用プールに向かった。プールをざっと見渡すと、私の思った通り、短水路と長水路のどちらのプールも人はまばらだった。
「う〜ん、やっぱり変わってないわね。あの時と。」
 そう言ってひとり高校時の大会での思い出に耽った。
「ほら、そこ。一人で思い出に浸ってんじゃないよ。」
 そう言って優華は私の後頭部を軽くド突いた。
「おぉ!?あぁ、ごめんごめん。ついつい、ハハハ・・・。」
 とりあえず笑ってその場を取り繕っておいた。
「う〜ん、ここにも昔はいろいろ遊具があったんだけどなぁ。」
 友美が言った。
「そうね。前は人が乗れるようなデカいビート版とか、ビーチバレーのボールとかあったんだけどね・・・。」
 優華もどうしていいか考え込んでしまった。
「んじゃあさ、あっちのプールでみんなで潜水競争ってのはどう?」
「それって、なつみがかなり有利な勝負じゃ・・・?」
 私の提案にさすがに優華も異議を唱えたが、私も優華も綾香にいつもの元気を取り戻してもらいと思っていることは変わらなかった。
「まあまあ、いいじゃん別に。綾香はいいでしょ?」
「え、う、うん・・・。」
 少し困りながらも綾香は頷いてくれた。
「よーし、じゃあ決定ね!」
 私はその場の雰囲気を盛り上げようと一人でテンションをあげていると。
「えー、じゃあ私見てる。」
 少しあきれたような表情で友美はプールサイドにあるベンチの方へと歩いていった。そんなに運動が得意でない友美がああいった行動をするのも無理もないような気がした。綾香のことを考えるあまり、ちょっと友美にはひどいことをしてしまったと私は後悔した。何か自分がこの計画をぶち壊してるような感じもしてきて、自分に少し嫌気がさしていた。
 ベンチでムスッとした表情の友美を横目に、ゴーグルを持っていない綾香と優華はライフセーバーが待機しているカウンターでゴーグルを借りると、私と二人は短水路のプールへと入っていった。水へ足から飛び込んだ瞬間、私は頭まで潜ったが、私は背中に何かムズムズするような感覚を覚えたが、気のせいだと思いあまり気にしなかった。
 しかし、水に入ってしばらくしても背中がもやもやした感覚は消えなかった。何と説明すればよいだろうか、ちょうど髪の毛が水中で揺れるような感覚に近いものだった。
「よーし、そんじゃ準備ができた人から好きなタイミングでスタートってことで。」
 私はそう言うと大きく深呼吸をして精神統一を始めました。元水泳部だったので、かなりナマってることは百も承知でしたが、こういうことになると俄然やる気がでてしまうのでした。つづけて綾香や優華も深呼吸を始めました。
 私は準備も整い、いざ行こうとしたその時でした。
「ねぇ、やっぱりみんな同時にスタートしようよ。そうしないと何か不平等な感じがするから・・・。」
 そう言ったのは意外にも綾香でした。
「そ、そうだよね。じゃあ、いっせーのせ、でスタートしようか。」
 私がそう言うと、優華もOKの表情を浮かべていました。
「よし、そんじゃあ行くよ。いっせーのーせっ!」
 私の合図と同時に、私と綾香と優華は頭まで水の中に沈みプールの壁を思いっきり蹴り、魚雷のごとく水中を進みだしました。私は妙な感覚に包まれながらも、無駄な酸素を失わないように精神を集中させて水をかき分けていった。
 10mほど進んだあたりで再びあのムズムズするような感覚が私を襲いました。今度は足やお腹、さらには腕にまであの感覚が伝わり、もどかしい思いをしました。しかしそんなことをいちいち気にしていると肺の中にある酸素を消費してしまうので、すぐに精神を統一させました。15mあたりにくると手先と足先が痛みだしました。
 はじめは大した痛みではなかったのですが、泳ぎ進むにつれて痛みの度合が増えて、まるで骨が変形しているように感じました。さらにいささか泳ぎにくくなったようにも感じました。このとき、苦しくなったら水を飲め、という昔先輩に教えてもらったことを思い出し、それで痛みを何とか和らげていました。
 20mを過ぎるとついにあの痛みが顔の方にまで襲ってきました。耳が上の方へ、顔が前の方へ、お尻の辺りが後方へ引っ張られるような感じがしました。さすがに今までで一番痛かったのでこの時は焦りました。水中でもがいたのは部活の練習で深いプールで足をつった時以来だったので、対処法がすぐに思い浮かばずただもがくばかりでした。
 しかしやがてその痛みが治まると、頭がスーッとしてきて何か心地よい感覚に包まれました。そして落ち着いたところで2,3mほど先にある壁へ向かって再び泳ぎ始めました。
「ぷはぁ〜っ!やったぁ、私がどうらや一番のようね!」
 ゴーグルとシリコンキャップを外しながら無邪気に興奮しながら私はスタートした方を振り返ると、綾香は15m付近で、優華は12,3m辺りで呆然とした様子で立っていた。
 私は意気揚揚とプールサイドへあがると、水が滴ってるのが気になり、顔を思いっきり左右にプルプルッと振りました。振り終わると不思議と水気が飛んだように感じ、スッキリした気分になりました。他の人の視線がやけに気になるなか、友美や綾香と優華が私のところに慌てて駆け寄ってきました。
「ちょっと苦しいところもあったけど、何だかんだで25m潜水できちゃった。」
「そ、それもすごいけど・・・。」
 少し大きな態度をしてそう言うと、綾香が神妙な面持ちで私を覗き込んだ。
「ん、どうしたの?」
 何もわからない私は聞き返した。
「なつみ、気が付いてないの。自分の体・・・。」
「え・・・?」
 優華の投げかけた疑問にまだ理解できないまま、私は自分の体を見まわしました。
「なっ、何これぇ!?」
 自分の姿に少なからず驚きました。私の体はいつの間にか、けむくじゃらになっていたのです。見た感じ長毛種犬のような感じでした。毛が盛り上がっているせいか、胸が大きくなったようにも見えました。
 自分の今の姿が気になり、私は急いで先ほどの綾香のように、競泳用プールに併設されている女子トイレへと駆け込みました。そして洗面所にある自分の姿を見て、さらに驚愕しました。耳は頭の上の方に黒い逆三角形の形に姿を変えてピンと立っていました。目もとから頬にかけてと背中全体から膝までは黒い毛で、口と鼻を含む前に突き出ているマズルや首まわり・腕と膝より下は白い毛で覆われていました。
 鼻は黒く湿っていて、まるで自分の今の心情を表わすかのようにヒクヒクしていました。背中の水着が開けたところからは先端だけが白い毛になっている尻尾が、尻尾の付け根が水着で押さえつけられているせいで窮屈そうにしていました。手には指の付け根と手のひらの部分に、そしてそれぞれの指に肉球がついていました。脚は犬のそれと同じような形に変形していて、手と同様に肉球がついていました。なのに二足歩行ができるというのが不思議な感じでした。
 手足の爪は人のものではなく、犬のものになっていました。さっきから気になっていた胸を実際に触ってみると、人間の時より心なしか大きくなっていました。全身を鏡でざっと見てみると、黒白のボーダーコリーと人を混ぜ合わせたような、犬獣人になってしまっていました。

 鏡の前で呆然としていると、友人3人が駆けつけてきました。
「なつみ・・・。」
 綾香が私に声をかけてくれた。しかし、それから何を話していいかわからず、3人ともしばらく口をつぐんでいました。そして、沈黙を引き裂いて声を発したのは友美でした。友美は私の変化の一部始終を話してくれました。
 10m辺りで全身に毛が生えだし、15m辺りでは踵が伸び脚や手の形が変わり、20m地点で完全に犬獣人になっていた、と言っていました。その話を聞いた瞬間、胸が大きくなったこと以外は、ショックのあまりその場でうずくまってシクシクと泣いていました。
 どうやらプールの水を循環させる装置に誰かが新種のウィルスを混入させたらしく、その水を飲むと獣化するらしい、ということくらいしか後の調査ではわからず、今でも犯人の特定までには至っていません。
 しかしそれ以来、次々とプールに入った人が獣人になるというニュースが連日テレビを賑わせ、閉鎖にまで追い込まれるプールも出てきていました。獣人に変身するのはその人の素質によるものだという評論家まで出てくる始末で、社会的な混乱に陥ってるというのが現状です。
 あの後、しばらくすると元の人間の姿に戻り一安心しましたが、お風呂に浸かったりしても獣化してしまい大変な思いをしました。シャワーや雨に濡れるのは大丈夫だったので、どうやら水に浸かると獣化してしまう体質になってしまったようです。
私は今、自分も獣化した人間第一号として、そういった獣化してしまう人たちと集まり、デモをしたり、シンポジウムを開いたり、今起きている問題について話し合い解決策を見出しています。たとえば、差別の問題や、獣人に対する様々な暴行、保証金の問題など・・・まだまだ問題は山積みです。解決するまで時間が掛かりそうですが、私は獣人と人間が共に暮らしていける社会を目指して、大学に通いながら活動していきたいと思っています。


 完
 続
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