月夜の誘惑 Act.4―共に、生きる―暁 紅龍作
 あれから翔は、人の姿と人狼の姿を行き来しながら生活をしていた。それは己の生きる上で安らぎを得て、同時に人の姿の状態でも安定した生活を営めるようになっていった。それは精神的にも肉体的にも平穏という名の落ち着いた気持ちでいることができるのであった。
 そんな日々を送っていた翔は今週も忙しく大学の講義やインターネット上で知り合った仲間たちとの交流を深めるなどをしていた。楽しい時間ではあるが、どこか人工的、いや、野性的なものが感じられず、翔の中でそれは悶々とした気持ちになって蓄えられていた。
 そんな気持ちを理性で抑えながら、ようやく解放できる時期になった。そう、今晩は満月の日なのだ。
「ただいま…。疲れた…。でも今日は…。僕が僕になれる時間だ…。」
 そうして僕はすべての服を脱ぎ去る。一糸まとわぬ姿になったところで僕はいよいよ窓に手を伸ばし、群青の夜空に爛々と輝く満月を眺める。
「…お月様…今日も僕は…。うぐぅ…っ!」
 そうして身体に若干の痛みと発熱が起き始めると、身体が見る間に変化していく。熱は身体の構造を大きく変え、筋骨隆々にしていく。
 脚は踵が付かなくなり、脚の先端部には肉球と鋭い爪が生えそろう。尻からは尻尾が生え、手にも脚同様の鋭い爪と肉球が備わっていく。首が少々短くなると筋肉が覆い、それと共に顔の鼻から下あごまでがぐっと前へ伸びて行く。頭頂部には三角形の耳ができあがり、月の光が身体を包み込むと変化した身体を彩るかのようにふっさりとした獣毛が生えそろっていく。
 それは紛れもなく翔のもう一つの姿である蒼人狼の姿であった。そうして、変化が終わると共に身体の奥底に秘められた狼の意識が起き上がってくるのを感じると、それは翔の意識と同化する。
『…ふぅ…。ようやく元のオレに戻れたぜ…。』
 満足そうな声を出す翔。数週間ぶりの自分の逞しい身体を再確認する。
 鋭い爪を舐め、その鋭さを確かめる。蒼色と銀色の獣毛は筋肉と共に己の身体を守り、そして自己を主張する。
『…さぁ…今宵も楽しむか…っ!ガルルゥゥ…ッ!!』
 そうして翔は窓から飛び出るように隣の民家の屋根へと飛び移る。

 しかし、そのときであった。着地した途端に、民家の屋根はまるで小規模爆発をしたかのように炎を発して崩れる。
『うぉっ!!なんだっ?!!』
 翔は爪をせり出し、何とか屋根に捕まりながら屋根に上っていく。
『…いったい何が起きているんだ…?』
 そうつぶやきながらも、流石に先ほどの爆発音で人が見に来るだろうと、急いでその場から立ち去っていく。今日は街の様子が何かおかしい。人もいつもならこの時間帯ならば疎らで、その人影を避けながら移動するのだが、今日は街に出歩く人が全くいない。ならばと、いつもは屋根伝いに移動する翔だが、少し街の様子を見るために道に降りて少し歩いてみることにした。
 初めてこの姿で街の道を歩く。いつもの人間の姿であるならばそれは普通のことであるが、人狼のこの姿ではそうはいかない。慎重に、道の角は低い姿勢で、耳と鼻の感覚を頼りに曲がっていく。そのときであった。
ドンッ!
「痛っ!」
『!!』
 翔に暖かい肉の感覚が伝わる。まずい。人間とぶつかってしまったのか…。直ぐさま逃げようとするが、翔の目に飛び込んできたのは「人間」ではなかった。

 頭の両先端には三角形の焦げ茶色の耳があり…。

 顔はマズルが突き出ていて、鼻があり、なにより翔が驚いたのは背後にある尻尾の量。

 ふさふさとした尻尾は9本あり、更にはオリエンタルな模様の服装をしていてまさにその姿は狐獣人であった。
『き、狐獣人…ッ?!!』
 翔は思わず声を出してしまった。
「ん…?私はそうだけど…?ふぅ〜ん、君が蒼い狼人間だったのか…。くふふ。」
 狐獣人はにやりと笑うと、翔を観察するかのようにじっと翔の姿を眺める。
「ふぅ〜ん、体格が私とは真逆だねぇ…。筋肉がすごいわ…。」
 9本の尻尾をふりふりさせながら翔を眺め終わると、今度は顔を触り始める。
『な、なにしやがるっ!!』
 翔は危機感を感じ取ったのか、狐獣人の腕を掴んでやめさせようとする。しかし、少し握っただけで狐獣人は痛そうな顔をする。
「痛いなぁ…。そんなに強く握らなくてもいいじゃないか…。お返しに…っ!えいっ!」
 そうして狐獣人は手を開くと青白い炎を発し、翔に向けて投げつける。それは狐火であった。
『うわっ!!なにしやがる!このイタズラ狐めっ!!』
 翔はすっと身体を動かして狐火を避けるが、狐火は翔の動きを追尾し、身体に引火する。しかし、熱くはない。むしろ気持ちがいい。
「ふふ、その狐火には私の言霊が込められているからね…。しばらくは動けないよ…?くふふ。」
 そうして翔は狐獣人の意のままに身体を触られる。顔を…マズルをなでられ、首筋を触られ、発達した胸部を触る。
「凄く暖かい…。まるで君は太陽のようだね…。」
 うっとりとした声をする狐獣人。それに対し、翔は触られるのを我慢することしかできなかった。しかしそれは次第に快感へと変わっていくのであった。
 狐獣人はそのまま下腹部へとしゃがんで触るのを再開する。腹筋を揉まれるように触られると、今度は太股を撫でるように触る。翔はその場で気持ちよさに若干悶えるかのように荒い呼吸をするのであった。
 そうして全身を触り終わると、今度は立ち上がり、翔に抱きついてきた。
『なっ…。いきなり…。』
 翔と狐獣人にはかなりの体格差があったが、それを翔が抱擁するかのように腕が勝手に狐獣人の背に伸びる。そしてぎゅっと抱きしめると、さらに驚いたことがあった。
 そう、この狐獣人は雌であった。胸に膨らみがあり、股間には膨らみがない。そしてこの華奢な体つきでありながらもふくよかで、包容力のある体付きは雌独特の体格であった。
『驚いたな…。お前、雌だったのか…。』
 翔はそっと狐獣人の耳元でつぶやく。
「ふふふ…。君は私の姿を見て気がつかなかったのかい…?くふふ。」
 そうして濃密な時間が経つが、翔は違和感をやはり覚えていた…。この狐獣人と出会ってから数十分経つが、全くといって人の気配を感じられない。そればかりか、他の動物の気配すら感じ取れないのだ。
『なぁ…、こんなところでオレらは居続けても大丈夫なのか…?』
「くふふ…。そうかぁ…気がついちゃったか…。」
 狐獣人はにやりと笑う。
『なんだ?その怪しい笑いは…。』
「それはね…私が全部仕掛けたんだよ。くふふ。君が違和感を感じている事すべてをね…。」
 そう、あの屋根が爆破する仕掛けも、この人がいない不思議な気配も、全て狐獣人が仕掛けていたのだった。
『な…、何のために…?』
 狐獣人にそっと問いかける。
「それは君を観察するためだよ…。くふふ…。」
『お、オレの観察だと…っ!オレの観察をしたところで…。何も出てこないぞ…?』
「それはわかってるさ…。君をただ見つめていたいだけだからね…。くふふ…。」
 狐獣人はパチンと指を鳴らすと、翔に纏わり付いていた狐火が消え、身体の拘束も解かれた。
『おぉ…、やっと身体が動くぜ…。』
 翔はそうして狐獣人を見据える。
「な…なによ…、そんな怖い顔して…。」
 狐獣人は少し焦った感じの声を出す。
『いいか?オレはもっとこの夜を楽しみてぇんだ。オレには時間の限りがある。だから邪魔だけはするなよ?』
 そう言い残すかのようにその場を立ち去ろうとする。立ち去ろうとするが…。…後から足音が聞こえる。振り返ると、にっこりと笑う狐獣人が居る。
『…あのなぁ、さっきの忠告は聞いてなかったのか?』
 オレは呆れるように狐獣人に問いかける。
「くふふ。聞いてたさ。でも君の観察は続けさせてもらうよ…。」
 …狐獣人は話を理解しているのは理解していないのかさっぱりわからなかった。オレははぁ…。と溜息をつくと、狐獣人の方へ歩いて行き…。
『…オレの後を付いてくるのは勝手だが、足を引っ張るんじゃねぇぞ…?』
 仕方が無く、狐獣人の同行を許したが、その時であった。
「あ、しまった。」
 狐獣人が気まずそうな雰囲気の声を出す。するとどうだろう、先ほどまでの辺りの独特の静けさが嘘のように無くなり、人の近づく気配や、他の動物の気配も感じられるようになっていた。
「ごめん、さっきの狐火を消したのと同時に結界の封印も解除しちゃった。てへ。」
 狐獣人は申し訳なさそうに苦笑いをする。
『てへ。じゃねぇよっ!!…全く、仕方がねぇ。一緒に行くぞ…っ!!』
 そうしてオレは無理矢理狐獣人を背に背負う。
「ちょ、ちょっと、どこに行くって言うの?!」
 狐獣人はオレのとっさの行動に動揺を隠せない。
『オレのとっておきの住処に案内してやる。そのままじっとしてろ!』
 そうしてオレはいつもよりも重量が増した分だけ力強くジャンプをすると、いつものように人の気配を避けながら屋根伝いで移動を始める。
「ねぇ!ねえってば!」
 狐獣人はオレに向かって話しかけてくる。
『なんだっ!用件は早く言え!気が散るっ!』
「君、名はなんていうの?」
『名前?俺の名前はカケル!狐!お前の名前は?』
 高速で移動しながら聞き返す。
「あぁ、私の名前はミヤビ!」
『ミヤビか…。なるほどな。よく覚えておくぜっ!』
 そうして、ミヤビとカケルは一緒にカケルの住処へと向かうのであった。


 続
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