春の邂逅 暁 紅龍作
 全ての生き物が厳しい冬を耐えて、暖かな日差しを、うららかな陽気を待ち望む季節。季節は絶えず移り変わり、誰にでも平等に訪れてきてくれる。私もまた、『春』と言う季節をずっと待っていた。
 綿雲が数個浮かぶ青空を見上げては、私は機会を窺って身体に力を込め、身体を動かしてみるが、何も起こらずに終わってしまう。この季節を私は幾度も迎えてきた。仲間達は皆、早々に旅立ち、そして今では私しか残されていない。そんな私は草木の茂る道沿いの原っぱから細長い顔を少し出す。
“うーん・・・、空気も澄んでいて実に清々しい・・・・”
 瞳を閉じて空気を思いっきり吸い込む。身体全体に澄んだ空気が行き渡るような、そんな清々しい新しい季節を感じさせてくれる。私は身体を乗り出して、もっと花々が咲き乱れる道路を挟んだ反対側へと移動しようとした、その時であった。
『ウゥ・・・・・・・ッ!!!』
何やら天から轟き響くような獣の唸り声を聞くと背後からそれは走りながら徐々に近より、いつの間にか私は宙を舞っていた。そして身体に鋭い激痛が迸っていく。
“・・・・ぐぁぁっ・・・・!!!”
 そして私を襲った激痛は私の意識さえも奪っていきそうになる。身体の各所から、痛みと共にまるで生命力さえも流れ出てしまいそうな、そんな己の状態に、本能的に危機感を感じ始める・・・。しかし、私の今の身体ではどうすることも出来ない・・・。
“・・・ぅ・・ぅぅ・・・・”
 これで・・・私は終わる。仲間達が待つあの場所へさえも行けず、命の炎が潰えるのか・・・。・・・悔しいことだが、己の無能さをこんな時になって実感した・・・・。そうして、最後まで必死に掴み続けてきた一欠片の意識も手離し、醒める事の無い深い眠りに私はつく・・・・・筈であった・・・・。

「・・・・・・これで・・・・・大丈夫だよな・・・・・。」
 誰かが・・・・私に話しかけてきている・・・。
“・・・・ここは・・・・どこだ・・・?・・・”
 ・・・・何やら身体に柔らかな暖かさを感じ、徐々に意識が戻ってくる。ぼんやりとしていて、未だに今の周りの状態を把握することが出来ない。戻ってくる意識と共に徐々に身体の各部から強烈な痛みが襲ってくる。あの、意識をてばなす前に感じた時と同様の・・・、鋭い痛みが各部から伝わってくる。
“・・・私は・・・まだ生きているのか・・・・?”
 そうして、起きることが出来ないのを確認し、そっと緋色の瞳を開いていく。私は、大きな部屋にいた。大きくて、暖かく白を基調とした部屋。そこに私は身体をマットレスのような敷き布団の上へと横たえていた。そうして、私の目の前には一人の「人間」が心配そうな表情を浮かべて私を見つめているのであった。
「おぉっ・・・!!!良かった・・・・!生きてた・・・。」
 その人間は私が瞳を開けて、微かに舌を覗かせている事に気がつき、嬉しそうな声を上げる。私はそのまま長い身体を再び動かそうとするが、途端に人間に制止される。
「だ、駄目だよっ・・・・!蛇君・・・、まだ目が醒めたばかりなんだから・・・!!」
 目の前の人間は、私のことを「蛇」と呼んだ。それもそうだろう・・・。私の今の姿は長く白い青大将のような姿をしている。実際には私は蛇と呼ばれている生き物ではない。言わば「仮の姿」をとっているのだが、この人間が知っていそうな生き物として、青大将のような蛇という生き物の姿が妥当な形状をしているだろう。
 その長い私の身体には傷薬を塗ってある白い布と、ぐるぐるに巻いてある細長い柔らかな白い布で身体に付いた傷の部位を覆ってある。自然と先ほどまで感じていた痛みは和らいでおり、どうやらこの人間が私を手当てしてくれたようであった。
「・・ここはもう安全だから・・・・。ゆっくりして、傷を治そうね・・・。」
 そうして人間は私の身体を手のひらでゆっくりとさすっていく。暖かで、柔らかな人間の手・・・。私はその人間の行為に自然と身体を委ねていた。そして私は塗られている傷薬のせいか……、いや、むしろ今の外敵の居ない暖かな空間に安心して緊張の糸が解れたのだろう……。うとうととしていると、横になっている布団の上で小さく寝息を立てて寝ていたのだった。

「・・・寝ちゃったみたい・・・・。ふふ・・・、可愛いなぁ・・・。そうだ・・、名前・・・つけてあげないと・・・。白いからなぁ・・・。・・・『ハク』・・、なんかどうだろう・・・。」
 そうして人間は私の寝ている姿に何故か微笑みながらも、私に『ハク』と言う名前をつけたようであった。
“・・・ぅう…ふぁぁあ・・・。”
 そうして翌朝、私は目覚めると大きな欠伸をして、寝ていた敷き布団の上で顔だけ動かして行く。周りの状態をじっと見つめる。そして、あの人間はずっと私を見ていてくれていたようで、私の寝ていた敷き布団に俯せになって、手は私の身体に置きながら寝ていたのであった。
 この人間は・・・私の傷をただ癒すためにこんなにも献身的になってくれる・・・。私は、心の奥底にあった人間に対しての警戒心を解いた・・・。この人間になら・・・、彼になら、私は身を預けても良いだろうと・・・。
「ぅう・・・ん・・・・、御早う・・・・。ハク・・・。」
 そうして彼は敷き布団から顔を上げると、横に置いてあった眼鏡をつけて私の身体を触っていく。触診とでもいうのだろうか・・・。ゆっくりと触っていき、私の身体に巻いてあった布を交換し始める・・・・。傷薬のひんやりとした感覚に思わず身体を震わせてしまう。
「あぁっ!ごめん・・・、冷たかった・・・?」
 申し訳なさそうに彼は私を見つめ、一旦布を巻くのを止める。私はそんな彼に心配しないで良いと、舌をチロチロと出し、大丈夫だと言うことをアピールする。そうして暖かな室温にまで暖かくなった傷薬をぬった布を再び巻いていく・・・。
 この姿で人語を話せるのであれば、直ぐに礼を彼に言いたいほどだ・・・。しかし、私はまだ『力』を取り戻していない・・・。暫く・・・、彼の世話に成らざるを得ないと思うと、少しでも早く治らなければならないと言う気持ちで一杯になった。

 それから、私は徐々に傷が癒えていき、未だに身体は自由に動かせないが、彼が窓際に重たい私を抱えて外の風景を見せてくれたり、私に自分の事を少しずつであるが話し始めてくれた。それは私には理解できていない前提として、彼は話している様であった・・・。
 彼は「続」という名前らしい・・・。地元の専門学校という場所に通う学生という身分で、その学校への通学途中に『犬』と言う生き物に襲われていた私を救いだして、看病してくれていたようだ。ここで一人暮らしをしており、今は訳あって休学中のようであった・・。何度か見せる寂しそうな彼の表情を見ていると、どうにか協力してあげたい気持ちになった・・・。
 看病の最中は自力で食べられない私に、流動食のような柔らかな食べ物をティースプーンに小さく取り、私に差し出してくれた。小さな舌で私は時間を掛けてゆっくりと食べていたが、その間も側から離れずにずっと近くに居てくれた事に私は嬉しい気持ちになる。一人じゃないことが此処まで嬉しいことなど、最後に友が旅立った日以来感じたことが無かった。
 日々彼と生活していき次第に彼との生活が浸透し始めてきたのだろうか、私はこの生活を欲しはじめていた。同時に彼の看病に私の身体は徐々に癒されていく。そうして彼が私の看病についてくれてから数週間の日時が立ったときであった。
「ねぇ・・ハク・・・。俺・・・、一人で居ると・・・時々凄く寂しくなるときがあるんだ・・・。」
 彼はいつも以上に不安そうな顔をしている。
“私が何時も側にいるじゃないか・・・!”
 そうして私は彼に近より、その不安そうな顔を拭うかのように舌で頬を舐める。彼らしく無い。もっと明るくいて欲しいと心底思った・・。
「・・・ハクと一緒に居ると・・・、凄く気持ちが安らぐ・・・・。ずっと一緒に居たい・・・。」
 そうしてうつむく彼は静かに頬に瞳からあふれる滴を伝わせると私をぎゅっと抱きしめる・・・・。
“な・・・、続・・・・。”
 私はずっと何時までもいる・・・。私自身も彼の優しさに心惹かれ、いつの間にか彼の存在が大きな物になっていた。お互いが足りない物を補えあえば・・・、そんな思いでいっぱいになった。

「よし・・・・・、もうこれで大丈夫だね。」
 あの出来事から数日が経ち、彼が私の身体に巻かれていた布を取り外していく。傷付いていた皮膚には綺麗に形の整った白色の鱗が覆っていた。
「これで・・・・、育った原っぱに帰れるよ・・・・。」
 彼は私の小さな頭を撫でる。愛おしそうでしかし寂しそうな表情を浮かべて、なで続ける。そしてそっと私を両手で持ち抱えると、再びこの前のように抱きしめる・・・。暖かい・・・、だけれども寂しさであふれている気持ちが身体を通して伝わってくる・・・。
「ずっと・・・ずっと居たいけれど・・・。ハクは・・・元の場所に戻らなくちゃ・・・。」
 彼は呟くようにそっと嘆く・・・・。そんな彼の気持ちに、私の心は激しく揺れ動いた・・・。もう・・・、彼の・・・続の側にずっと居てやりたい・・・。例え仲間に嘲笑われようとも・・・・。
"今の私になら・・・・っ!出来る・・・!"
 そぅして彼の看病で力を完全に取り戻した私はグッと力を込めると身体が淡く光始める。それに驚いたのか彼は掴んでいた手を放し、空中を私は漂う。
『続・・・・私を・・・今まで看病してくれて・・・・礼を言いたい・・・。』
 私は口を少し開けて彼に話し掛ける。そうして私はその偽りの蛇の身体を徐々に本来の姿へ変えていく・・・。細長かった身体は数十倍にまで膨れ上がるかのように巨大になり、白色の鱗は固さと光沢を得て蛇腹は更に大きく、尻尾の先にはまるで金魚のような柔らかで大きなヒラヒラの尾びれが出来、尻尾の先から背筋を通り、首筋までに柔らかな緑色の獣のような毛が鬣状に生え揃う。
 そうして、長い胴体の首から程近い場所で左右に出っ張りが生じると徐々に細長く伸びていき、先端が三本に枝分かれするとそれは細い腕になり、枝分かれした部位は紛れもなく指と成っていた。そうして頭も形状は維持しながらも胴体同様に大きくなっており、耳の窪みの周りが盛り上っていくと扇状に広がっていき、魚の鰭のような耳に形を変え、上顎の先端部からは一対の細長くしなやかな髭が生える。
 それはユラユラと空中を浮かんでいる。そうして、頭から一対の漆黒の角が生えると私の本来の姿・・・そう、伝説で語られている白色の東洋龍の姿へと変えたのだ。

「あ・・・は・・ハクなのか・・・・?この声は・・・?」
 彼は動揺しながら姿の変わった私を見つめる。
『あぁ・・・私が話しているんだ・・・。』
 私は分からない彼に近づき、舌で彼の頬を嘗める。
「は・・・ハクだな・・・。やっぱり・・・。」
 そうして頬を良く舐める私のくせに気がつき、彼は私に近づいてくれる。
『お主のお陰で私も天へ昇る力を得ることが出来た…。本当に何と礼を言ったら良いか・・・・。』
 私は近づく彼にそっと身を寄せる。しかし、彼は浮かない顔をしていた。
「そうか・・・・。ハクには・・帰る場所が・・・・。待ってる仲間達が居るんだ・・・。」
 そうして再び俯いてしまう。
『いや・・・・、続は・・・一人にさせない・・・。絶対に・・・。』
 そうして私は強く抱きしめる。続もそれに応じて身体を預ける。
『続・・・・私と共に・・・・天へ来てくれるか・・・・?』
 続に私は囁くように伝える・・・。天へ上る・・。それは続の人としての別れを意味していた・・・。
「ハクと・・・・一緒に・・・行っても・・いいのか・・?」
 続は私を見つめていた。私を欲するように。
『あぁ・・・良いとも・・・。だが・・・続の・・身体が・・・・・。』
 私はこのことは伝えないと行けなかった・・。けれど、口に出すのが怖かった。彼にそこまで強要することは出来ない・・・。そう思い私は口を閉ざしてしまう。
「・・・・それでもいいよ・・・。ハクと一緒に居れるのなら・・・・。」
 彼は私の言おうとしていたことを悟ったのか、あっさりと言い退ける。彼はそのまま私を見つめる。決心したようにまっすぐに。
『そうか・・・、そこまで言うのならば・・・。』
 そうして私は彼に近づくと彼の顔に私の顔を近づけて、口を寄せ合い、私の生命力を半分彼に流し込む・・・。舌を絡ませ、彼の身体全体に流し込むように。徐々に身体に行き渡ってきたのか、彼の身体も徐々に淡く光り始める。
 彼の身体にも変化が起こり始める・・・。淡く蒼い光が身体を纏い、それは着ていた衣服を溶かし、皮膚に到達すると綺麗に菱形に割れていき光沢を得て光り輝き、それは蒼い鱗へと形を変える。足は徐々に癒着していき、足の先端は魚の鰭のように柔らかな部位に変わり、それは尻尾へと姿を変える。癒着した足の部位は胴体と同じ太さに変わる。
 首も足同様に胴体と同じ太さになり、長く伸びていく。そうして変化した首から腹部を通り、尻尾の先端までを白い蛇腹状の鱗が覆う。腕は徐々に小さくなっていき、肘の辺りから骨が徐々に伸びていくと、それは身体を保護する龍独特の腕へと変わっていく。手は五本有った指がそれぞれ癒着して、三本に数を減らすと指の先端を突き破るように鋭く白いかぎ爪が現れる。
「んはぁ・・・。んく・・・。」
 続は私と口づけを交わしながら徐々に人の姿から遠ざかっていく・・・。荒い息をしながら変化していく身体は遂に頭部へと移り変わっていく。段々と頭の形状が扁平していくと口を中心として鼻から下顎までが段々と前へ伸長していく・・。続の口を離さないように、変わっていくマズルを噛み合わせるように口づけを続け、続の舌が長く変化していくのがわかる。口元にも、鋭い牙が生えていき、歯も細かで鋭利になっていく。
 比較的短めであった頭髪が白く変わりまるで女性の様な長い髪の毛へと変わっていく。艶やかで、それで居て柔らかな感触な髪質であった。その白い髪のある、こめかみの上部から一対の淡い黄色みを帯びた卵色の大きな角が現れる。それは先端が丸くなっていて、彼の優しい気持ちを象徴しているようでもあった。
 そうして彼は閉じていた瞳を開き、私を見つめる。その双眸は澄んだスカイブルーに金色の縦割れ状の瞳孔が印象的であった。続の身体は、人の姿から私同様に東洋龍の姿に・・・・。青龍へと姿を変えたのであった。私は続との口づけを終え、その変わった姿を見つめる。
「この身体・・、凄く暖かい・・・。ハクと一緒に居る時みたいだ・・・。」
 続はそう言うと、私に抱きつく。もう何も柵はない。続は私と同族となったのだから・・・。
『あぁ・・、私も凄く暖かい・・・。人の時よりも・・・もっと・・・。』
 そうして私も続を抱きしめる。二人でずっと一緒に生き抜く・・・。そんなことは昔の私では思いもしなかった・・・。けれど今は気持ちは暖かく、互いの事を想える・・・・。
「『・・・・ずっと・・・、一緒だよ・・・・。』」
 そうして二人で同じ事を同時に言ってしまう。思わず含み笑いをして、お互いの想いを再確認できた。
『それでは・・・・。天へ向かうか・・・・。』
 私は部屋の窓を開く。暖かな春の日差しとそよぐ風が、私と続の旅立ちを祝っているようであった。
「うん・・・!行こう・・・っ!」
 そうして私たちは部屋を出て、青空を駆けていった・・・。青空の向こう・・・・仲間達の待つ場所へ・・・、そして続と一緒に・・・・・。



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