明日への咆哮 暁 紅龍作
 今日という日に限ってどうして俺は森へ出たのだろうか。
 寝床にしている薄暗い洞窟・・・、外へ出ては平野へ狩りに出て、疲れて寝に戻るだけのそんな住処。それでも寝ているときは静かで心休まる、無くてはならない俺の居場所でもあったのだろう。

 その住処から俺は出たところまでしか記憶がない。目映いばかりの光線の如く照らされる光の中で微睡んで意識が無くなった。
 そして体に微細な痛みと体の各部に重さを感じ、ゆっくりと意識が戻ってくる。
“・・・・こ、ここは・・・・?・・・・”
「おやぁ・・・・、『化け物さん』がお目覚めのようだ・・・。気分はどうだね・・・くくく・・・。」
 妖しげに笑う人間の声が聞こえる。
 確かに俺は「人間」から見れば化け物だろう。まるで山の如く巨大な躯、それを覆う岩の如く頑丈な鱗、両手足には鋭い爪があり、下半身から伸びる長い尾、空をも覆い隠してしまいそうな背にある翼・・・。そう、俺の種族は人間どもから「飛龍」と呼ばれている。
  ぼやけながら徐々に視界が回復していくとそこは見慣れた草原や洞窟などではなく明らかに人為的につくられたいわば建築物の中、そう「人間」の家であった。
 ただ、俺が入るためなのかは知らないが大きく作られた部屋のようで、その部屋には人間どもが「魔術器械」と呼んでいる装置のような物が所狭しと置かれている。
「・・・・グゥォォォオオオオ・・・・・!!!」
 俺はこの場から暴れてでもこの部屋を出ようとしたが既に対策はしっかりと施されていた。俺の手足、尾、そして翼にはなにやら人間どもが付けた「装備」によってその部位にはまるで麻酔が掛ったかのように体を全くと言って動かせないように、更には俺のいる周囲には魔方陣が描かれており、その範囲内から出ようとすると容赦無く体に電撃にも似た激痛が迸る。
「グガァァ・・・・!!」
 自然界にいても感じたことの無いような痛みに、体はもちろん精神的にも疲弊しきっていた。
「ははは・・・、化け物さんも形無しだな・・・。なぁっ・・・・!!」
 そういった研究者らしき人間は俺を閉じこめている見えない壁をこれでもかと言わんばかりに蹴り出す。
「グガァァ・・!グゥッ・・・グォッ・・・!!!」
 その衝撃が直に、何倍にもなって俺に伝わる。口からは痛々しい声と微量な血と共に呼吸を取り乱した咳が絶え間なく出て行く・・・。
「グゥ・・・・・、グゥ・・・・。」
 俺は人間どもを怒りの眼差しで睨み付けるが、体が既に言うことを利かない状態だ。呼吸も荒くなり、声も混じるほどだ・・・。

「ふん・・・・、ようやく静かになったか。良く聴け、化け物。お前は俺等の研究の為に有り難く利用させてもらう。お前の仲間が散々周辺村落を暴れ回っていて困っていてな・・・、捕らえてその行動を詳細に調べよと王からの御勅命が降っている・・・。まぁ、お前には関係ないことだがな。」
 そんなことは俺の知った事ではない。俺はこの世に生を受けてから一度もたりとも人間には手を出していない。むしろ人間の方が俺を襲撃し、住む場所を追い上げ、挙げ句の果てに捕らえられ散々体を弄くりまわし、いたぶるのである。
「・・・・グォォオオ!!」
 納得できずに怒りの咆吼を上げるが、そんなことはお構いなしに話しを続ける。
「まぁ・・・、直ぐには殺しはしないさぁ・・・・。徐々に体を調べていって弱くなっていったところで・・・・、一気にトドメを刺してやるっ!!!・・・ふふふっ・・・、はははっ・・・!!」
 そう言い放った研究者はその場を立ち去ると部下に指示を与え、数十人の人間が俺を囲むと同時に何かを唱え始める。すると俺のいる床一面がゆっくりと床下へと沈んでいく。そう、床下には俺を閉じこめるための牢獄があった。

ガシャン・・・・・・・!
 そして牢獄の上部に開いた搬入口には頑丈な蓋がされ、辺りは松明の心細い明かりのみしか無かった。
「・・・・・グゥ・・・、グォォォオオオ・・・ォォ・・・・。」
 悔しさとこれからどうなるのかという不安に俺はたまらず声を上げて泣き叫んだ。その時であった。
「・・・ド、ドラゴンさん・・・?た、食べ物を・・・・、おなか空いてない・・・・?」
 牢獄の曲がり角から人間の声が聞こえる・・・。若く澄んだ女の声だ。
「グォォオオッ!!!」
 俺は威嚇した。きっと何かの策略があるのだと俺は自らの体を、命を守る為に必死になって声を上げる。
「わぁぁああ!!ご、ご、ごめんなさいっ!!そ、そんなつもりじゃないの・・・。あぁ・・!!!それにこんなに傷ついて・・・。」
 女は声が震えながらも俺の牢に近づき俺の体を見回す。視線を横に逸らし女を見ると、女は悲観の表情をして俺の体を気遣っていた。
“この女・・・、本当に俺のことを・・・?”
 ふとその表情を見て俺の気持ちに一瞬だが揺らぎが生じた。
「待ってて!!す、直ぐに手当てするから・・・!」
 女は頑丈に鍵の掛った牢の正面にある扉の鍵へ手を差しだすと、手の周囲に紋章が浮かび上がり金属が砕ける音と共に扉を開け中へ入ってきた。
「ご、ごめんなさい・・・、最初だけ痛いから・・・。」
 女は俺にも先程牢の鍵を破壊したときと同じように手をかざす。すると今度は淡い光がその手の周囲から湧き起こり、俺の体に優しく手が宛がわれる。
「グゥ・・!」
 鈍い痛みが触れた直後に伝わり、情けないが小さく声を上げてしまった。
「ぁあぁ!!い、痛かった・・?!でも、貴方の潜在的な治癒力を使って直しているからこの方が直りが良いの・・・。我慢して・・・、お願い・・・。」
 女はそう謝ると俺の大きな体を抜かり無く治療していく・・・。俺はそうして女の気が済むまでじっと体を動かさずにいたがいつの間にか眠ってしまっていた。

 そして俺は眠りから覚めると女はその場から既に居なかった。だが女は俺が起きたら食べられるようにとあの華奢な体で運ぶには苦労したと思える調理された大きな肉が牢の中に置いてあった。
“初対面の、その上化け物である俺をこんなに・・・。”
 俺は人間が考えていることがいまいち理解出来なくなってきた。そんな俺の口元は自然と綻んでいたのはその気持ちに多かれ少なかれ動きがあった証拠であろう。俺は有り難く女が調理した肉をいただいた。

 しかし、その次の日からは寝ていようとも何をしようとも強制的に「研究室」へ運ばれ、俺の体という体、微細な行動さえも監視・調査が徹底して行われた。ある時はどんな環境下まで耐えられるか急激な温度変化の実験・・・、どんな物を好んで捕食しているのかと三日三晩絶え間なく延々と狩りを行わせ、そしてある時は体の各部分の皮膚に様々な強さの衝撃を与え、どれが一番効果的な攻撃法か・・・・、などといった実験とは名ばかりの拷問に掛けられた。
 俺の体、いや精神も含めてその度にぼろぼろに擦り切れていった。逃げ出すことも出来ず、ただひたすらその命の灯火が消え失せる時まで耐えていなければならないのかと思うと俺は明日への日々に絶望しか考えることが出来ずにいた。
 そんな中でも、一つだけ変わらないことがあった。そう、あの人間である。彼女は毎晩牢獄に忍び込んでは俺の牢の中に入り込み、傷の手当てと共に些細な物ではあるが食事を用意してくれている・・・。理由は分からない、だが彼女はどんなに遅くなっても必ず来ては俺を介抱してくれるのだ。そんな彼女に俺はいつの間にか心許し、彼女の存在を自然と自ら欲していたのであった。
「よしっ・・・・、これでどうかな・・・?ドラゴンさん・・・?」
 彼女が俺をのぞき込んで見てくる。治療がどうやら終ったみたいであった。
「グルゥ・・・・。ガァ・・ゥウ・・・。」
 俺は感謝の気持ちを込めて喉の奥から優しく声を出す。彼女は少し気が弱く、少し俺が声を出すたびに驚いてしまう。それも彼女の何気ない良さでもあった。
「良かった・・・。ごめんね・・・、貴方に非道いことばかりさせてしまって・・・。こんな事しなくても十分貴方たちの事は分かっているはずなのに・・・。・・・全て私の父が悪いの・・・。そう、この国の王である私の父が・・・・。」
 彼女は表情を沈ませ俺に話し掛けてくれた。
 彼女はこの国の皇女であった。名をアリアと言う。魔術と自然環境を中心に勉学をし、若くして魔術に関しては一流の腕を持っていた。そして、この調査に関しても彼女は行う必要は無いと、飛龍達が村落に現れるのは人間達が必要以上に飛龍達の住む場所まで進出しているためだと抗議したようだ。
 しかし、俺は捕らえられ、その後は目を覆いたくなるほどの痛々しい実験が繰り広げられていた。それに耐えかね彼女は俺の介抱をしに忍び込んできたと・・・、全てを洗いざらい話してくれた。自然と俺は怒りは沸き起こらず、彼女が真実を話してくれたことで十分納得がいっていた。
 彼女を見ると、涙でもうぼろぼろであった。俺は翼で彼女の背を覆い、優しく頬を舐め、頬を伝い流れ落ちていく涙を拭いてあげる。
「・・・ありがとう・・。貴方、優しいのね・・・。」
 彼女は泣きやみ、いつもの優しい笑顔で俺を見つめる。

「グルゥ・・、ガァ・・・・。」
 俺は少し動揺した。優しいなどと言われたことが今まで無かったのだ。
「貴方みたいに優しい人がいればいいのに・・・。」
 彼女は俺にそっと体を寄せ合う。彼女の温もりが微かに伝わってくるのが分かった。
「グウゥ・・・・、ガウゥ・・・・。」
 俺はふとこのふれあっている時間が永遠に続けばいいと心から願っていた。そして彼女が考えていることは俺も同じ事・・・。だが、俺は・・・・。
「あぁ・・・、もうこんな時間・・・!!もう行かなくちゃ、巡視の兵士に見つかっちゃう・・。」
 永遠に続くと願っていた時間はあっという間に過ぎ去り、彼女はそう言って急いで牢から出ようとする。その際にそっと俺の耳元に囁きかけ、俺の頬に軽くキスをする。そして彼女は牢獄を走り去っていったのであった。

 明くる朝・・・、俺はなにやら何時もと研究者どもの感じが違うことを察知していた。なにやらそわそわとして落ち着かず、誰かを待望んでいるようであった。
「国王が御出成されたぞ〜!!」
 研究員の一人がそう言うと、なにやら威厳深い人間が出てきた。どうやらこいつが国王・・・、彼女の父親であると理解できた。
「これはすばらしい・・・・、近くで見たのは初めてだ・・・。命じていた調査は出来ているのだな・・・?」
 国王は研究員に聞くと数十枚綴りの調査レポートらしき本が手渡される。
「・・・・ふむ・・・。良くやった、これで周辺村落の飛龍対策が容易になるな・・・。」
 国王はそう言って俺の前から立ち去る。なにやら数人の研究メンバーと国王が真剣な話をしているようだ。
「・・・・・あの飛龍は明日中に始末しろ・・・、明日、他の国々からの定期監査がある・・・。このままでは、気づかれるか分からん・・・。明日中だぞ!良いな?」
 そう言い残し国王は研究室から立ち去ったのであった。

 俺はその晩、自分の最後の夜を過ごしていた。間違いなく明日には殺される。極度の恐怖と生への渇望が俺の体を震わせる。もうあの故郷の森には戻れぬのかと走馬燈の如く平和であった日々が頭を過ぎっていく・・・。自然と瞳からは涙が溢れていく。
「貴方は・・、皇女様・・・。一体どうなされま・・・ぐはっ!!・・・・・・・・・。」
 外で何かあったようだ。暫くするとその理由が分かった。それは彼女が大きな荷物を持って現れたからだ。
「私・・・、貴方をどうしても助けたくて・・・。城から出てきちゃった。あはは・・。と、それよりも・・・。」
 彼女は荷物の中から一つの薬瓶を取り出した。
「これは・・・、私が旧魔術書・・・、凄く古い魔術書を見て作った薬・・・。これで貴方を助けられるかもしれないの・・・。だけど・・・。」
 彼女が口を紡ぐ。なにやら深刻そうな顔をしている。俺にはもう何もかも受け入れる準備は出来ていた。俺は彼女を見つめ、一回頷いた。
「この薬は・・・、貴方の姿を変える薬よ・・・。私のような人間の姿へ変える薬・・・。もう二度とその体へは戻れなくなってしまう・・・。それでも・・・。あぁ・・・!!」
 彼女が俺に話している途中で俺は彼女が手にしていた薬瓶を半ば強引に受け取り、歯で蓋を開け一気に飲み干した。

「グゥ・・・・、ウガァァァアアアッ!!!」
 飲んだ途端にその薬の効果が現われ、俺は全身に走る激痛に身を任せるしか出来なかった。

 俺の体が溶けていくようにどんどん収縮していく。肉体という肉体が音を立てて縮み行き、その大きさは人間より一回りほど大きいサイズぐらいまでに小さくなっていた。
 その最中に俺の体を覆っていた鱗はそれぞれ規則正しく折り重なっていた物が癒着し、岩の如く頑丈であった物が段々と柔らかさと弾力を得始め、それは人間の健康そうな小麦色の皮膚となってその表面を変え、体の各部の筋肉は収縮してもなお飛龍であった名残だろうか、鍛え上げられた戦士のような逞しく発達していく。手足にあった鋭い爪は徐々に丸く薄くなり、指もゴツゴツした人間独特の細い五本指となった。首も短くなり、それは顔の変化も同時に起こさせる。
 扁平し鼻から下あごまでの突出していたものは段々と引込み始め、癒着していた鼻と上顎は分離し、顔のきめ細かく整った若々しい成人した男性らしい顔になった。しかし、彼女が薬の調合を少々間違えてしまったのか、俺の変化はこの時点で終ってしまった。
 その体には人の体に龍の一対の長く鋭く尖った角、長く先の尖った微かな音でさえも聞き取れる耳、背には小さくなってしまった物の十分その用途に耐えうる大きさの翼、そして下半身からは変化せずに鱗に覆われたままの尾が残されていた。まさしく龍人と言ったところだろうか、龍よりも人寄りの龍人の姿が俺の姿そのままであった。
「っはぁ・・・・、はぁ・・・。お・・・、俺は・・・。」
 立ち上がり俺は自分の変化した体を見つめる。彼女たちと多少異なる部位はあるが紛れもなくそれは人間の体であった。
「ご、ごめんなさい・・・、ちょっと失敗しちゃったみたい・・・。」
 彼女は落ち込んだ顔をしながら俺の事を気に掛けてくれているようだ。
「大丈夫だよ・・・。俺の為にこんなに・・・。それに、これで俺は君のことを・・・。」
 そう言って彼女を抱きしめる。飛龍の姿ではまず出来無かったであろう、こんなにも愛しい彼女を抱きしめることが出来るこの体を俺は喜んで受け入れた。
「ぁあ・・・、貴方、凄く暖かい・・・。」
 お互いの暖かさを実感できたところで俺はようやく自分の姿を理解し、恥ずかしくなって彼女から一旦離れる。
「ご、ごめん・・・、俺、服が・・・。」
 飛龍であれば人間のように衣服を纏わなくても良いが俺の姿は人間。やはり最低限、服は身につけなくては・・・。
「大丈夫よ、そう思って持ってきたの。合えば良いんだけれど・・・。」
 そう言って彼女が用意してくれた服を急いで着る・・・。しかし初めて着るので時間が掛かってしまった。そして着替え終ると俺は背にある翼をばたつかせる。
「よし・・・、これなら・・・。行こう、牢獄の外へ・・・。」
 外に出ると、先程彼女が気絶させたのであろう守衛兵が未だに目を回して気絶している。
「しっかり捕まっていて・・・、アリア・・。・・・行くよっ!!」
 俺は彼女と荷物を抱きかかえると大きく背の翼を羽ばたかせ、街の郊外まで空を飛んでいく・・・。

「ガロウ・・・。」
 俺はふと小声で口ずさむ。
「えっ?!な、何?」
 彼女は一瞬分からなかったようだ。
「俺の名前・・・。ガロウって言うんだ。今まで言えなかったから・・・。」
 俺は少し恥ずかしそうに顔を紅くして今まで言えず仕舞いであった名前をようやく言うことが出来た。
「ガロウ・・・。これからもずっと一緒だよ・・・。」
 彼女の腕が一段と強く俺の体を抱きしめる。俺の翼もそれにあわせ力を込めて羽ばたいていく。

 それからの俺とアリアは郊外の小さな一軒家で喫茶店を営みながらゆっくりとした安らいだ毎日を過ごしている。最初に店に来るお客は皆、俺の姿をみて驚くがそれからお客との話が弾み、今ではたくさんの常連客を抱えている。アリアは得意の魔術を駆使してお客相手に占いや簡単な魔術教室を開いたりしている。
 あの地獄のような日々から俺は彼女のおかげで命救われた。今でも俺は時々あのとき受けた拷問の数々を思い出す。だが彼女が優しく俺を抱き俺は彼女の身に体を預けると自然とその恐怖が消えていくのだ。
 俺は彼女の優しさに心から安らぎ、そしてその度に心が穏やかになっていく。野生ではまず考えられなかったことだ。新たな俺の希望に溢れた毎日・・・。俺は彼女を何時までも愛し続ける、何時までもずっと・・・。そう誓って彼女を抱きしめたのであった。


 終
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