龍が乗った電車 けものびと作
 山の中を一人歩く青年がいた。
 木々深い山の中といっても、青年の歩く所はまるで道の様に林の中に一筋の切れ目が続いていて、青年はそれを確かめる様に足を進めて行く。
 川には古いながらも橋が残り、所々には石垣の補強が残る。…ここは廃線跡なのだ。
「竜神電気鉄道」、数年前までこの辺りの集落を繋ぐ様に、山中をぬう様に走ったローカル私鉄。その廃線跡探索に青年は来ていた。

「ふぃ〜っ、暑いな…」
 山中の廃駅に辿り着いた所で僕は一息入れた。
「竜神駅」といった看板が残るここ、旧竜神村は竜神電鉄の運行拠点でもあり、周囲の集落の中心地でもあった所だった。
 今となっては鉄路も無く、過疎で廃村となり、地図からも消え既に至る道も無いここは人影も全くなく、ただ建物群だけがかつてここが人の住む地であった事を語る。
 駅名板、時刻表、そして駅前通り…、人が立ち寄る事の無くなった今も、まるで当時そのままの状態に僕は軽い感動を覚えながらも、デジカメに記録し、散策する。実に良い雰囲気だ。しかし、この風景もあと数年の後にはダムの底に沈む事になるのだと思うと、少し心が沈んだ。

 廃村の駅前通りを散策し、駅前の神社に辿り着いた。
「竜神神社…か…」
 石段を上り、社の前から下を覗くと集落が一望出来、その先に竜神駅と廃線跡が見えた。その風景をデジカメに撮っていると、いきなり後ろから声をかけられてびっくりした。
「おい、何をしとる?」
 廃村で誰もいないと思っていたので、突然の声にとても驚きながら振り向くと、そこには如何にも山作業帰りな格好をしたお爺さんがいた。
「…あぁ…、こんにちは…」
 内心ドキドキしながらも礼儀正しく挨拶を返すとお爺さんは再度問いかけてきた。
「こんな所で何しとる?。もうここには誰もいないぞ」
 あらかさまに不審そうに見ているお爺さん。…そうだ!、この人に竜神電鉄の話を聞いてみよう。この近くの人なら何か知ってるかもしれない。
「竜神電気鉄道について調べているんです。お爺さん、よろしかったら何かご存じありませんか?」
「りゅうじんでん・・・?」
 復唱しながら考え込むお爺さん、やっぱり突然聞いても不味かったし不審だったかな…と思い、謝って廃駅に戻り、散策に戻ろうと思った矢先、お爺さんの口が開いた。
「…あぁ、「たつでん」か。よく知っているよ。以前はよく乗ったものじゃ」
 思い出した様に語り始めたお爺さんに、生の当時の話を聞けると思って僕は更に話を聞いた。
「宜しければ、詳しい話をお聞かせ頂けますか?」
「それはかまわんが…、あんたは一体どういう者なんじゃ?」
 …あ、しまった。確かに自分からだけ聞いていて、自分の事は何も言ってなかったな。確かにこれは相手に対して失礼だ。そう思った僕は軽く自己紹介をした。
 名前に始まり、オブローダ(廃道、廃線等の遺構を辿り探索する人)である事、今は竜神電鉄の探索をしていて廃駅や隧道等の遺構、そして歴史等を調べている事等を告げた。一人暮らしで、少ない収入で旅行費用を捻出している事を語ると、「若いのに一人で大変じゃの〜」と労ってくれたのは一寸嬉しかった。

「ほうほう、そうか…。たつでんの事を調べているのか。それならここに写真があるぞ。見て行くかい?」
「写真?、ここに??」
 お爺さんの話に僕は聞き返した。写真は兎も角、「ここにある」と言うのが不思議で。
「ほれ、この神社の本殿の中にあるんじゃ」
 お爺さんは本殿の扉を開け、中に入って行く。僕も後に続き、少し埃の積もった中を軽く掃除してから畳の上に正座した。
「掃除するとは感心じゃの」
 そう言いながらお爺さんは奥の方から箱を取り出してきた。…いや、埃まみれの中に座るのが嫌で掃除したのだけど。
「それにしても、神社に鉄道の記録があるとは思いもしませんでした」
「それはな、この土地のお祭りに関係があるんじゃよ」
「…お祭り…?」
「この土地のお祭り…、竜神祭では竜神様は電車に乗ってやって来たんじゃ」
「電車に乗って!?」
 これには驚いて思わず聞き返した。電車に乗ってやってくる神様なんて聞いた事がない。お爺さんの話は続いた。
「春、上り電車に乗ってきた竜神様を迎え、秋に感謝して下り電車で送り出す。そんなお祭りだったんじゃよ」
 写真の山の中から花電車の写った一枚を示してお爺さんが語った。
 昔は水運時代で、元は川を上り下りしてのお祭りだったのだが、鉄道開通によって交通の流れが変わり、それでお祭りも舞台を鉄道に移し、電車に乗ってくる神様を送り迎えする、という形になったらしい。それにしても、電車に乗ってくる神様なんてえらく庶民的だな、と僕は思った。当時にしてみればハイカラな神様だったのかもしれないが。
「花電車は随分長かったんですね。とても賑やかな祭だったんでしょう」
 他の写真も見ながら僕は言った。通常時には単行でのどかに走っているのが、祭りの花電車は4両編成、これは随分長い様に感じた。
「竜神様が乗るんでな、いつもの単行だと短くての…」
 昔を思い出す様にお爺さんが微笑みながら応えた。
「…もっとも、それでも結構窮屈だったが」
 まるでお爺さんが竜神だったかの様な付加えに僕もつられて微笑した。

 写真を見ながら話を聞き、気がつくと結構な時間が経っていた。
 お爺さんにお礼を言い、別れると、僕は境内に残り、メモやデジカメ画像の整理をしながらぼんやりと考え事をしていた。
 …それは、特に竜神電鉄に関しての事では無かったが、電車に乗ってやってきたという竜神が気になったのだ。
「記録によると、竜神電鉄の廃線は夏…。その後期間を置かずに廃村。…となると、その年の春来た竜神様は帰りはどうしたんだろう…?」
 それは独り言となって口に出る。出た所で答える者は無く、また、誰か居た所で誰も答えられる様な疑問では無かっただろうが。
 そんなふとした疑問に何となく苦笑しながら、龍口から今も流れる清水を古ぼけた柄杓で汲み、喉を潤した。日も高くなった昼下がり、少々暑くはあるが、境内を抜ける山里の風は気持ち良かった。そんな柔らかな風に僕はうとうとと眠りに誘われていた…。

 …夢を、見ていた…。
 僕は空の上から、山里の村を見下ろしていた。
まるで昔話の中のワンシーンの様なのどかな山村。やがて、林業が始まり、そして鉱業で栄える。
水運はやがて鉄道になり、人や物が動く。賑やかな人の暮し、活気のある山里。
「たつでん」と呼ばれ、親しまれた鉄道を中心に、時が動く。
 始発電車で朝が始まり、最終電車で夜が更ける。
春祭り、花電車から竜神様を迎える。秋祭り、花電車で竜神様を見送る。
風が吹いても、雨が降っても、雪が積もっても、時計よりも正確な時を刻んだ鉄輪。
この地では、「たつでん」が時計であり、暦だった。
…あぁ、僕はこの竜神の地の移ろいを見ているんだ…。
 賑やかな時はやがて、過疎の始まりによって終わりを告げる。
人が減る。若者が減る。斜陽になった産業。
若者は、電車に乗り都会へ出、この地を去った。残るは子供と老人のみ。
流れ、移ろう時の中で、ただ古ぼけた電車だけが山里を昔と変わらず走り続けた。
「…変わらないのは、お前だけだのぅ…」
少し寂しくなったある春祭り、乗客のお爺さんが一人、電車を見つめ、呟いた。
出会いも、別れも。栄枯盛衰全てを、電車は、そして竜神は見ていた…。
…あ。
 僕はある事に気付いた。
「…あのお爺さん…、もしかして…」
 ワンシーン、ワンシーン、思い浮かべてみると、要所要所に何時もあのお爺さんが居た。
「気が、付いたかの」
「…お爺さん…」
 声に振り向くと、あのお爺さんがそこに居た。
「貴方が…、竜神様なんですね…?」
 お爺さんが、頷いた。

 更に時が流れ過疎は進み、ダム建設の話が出、ついに廃村と「たつでん」の廃線が決まった。僕とお爺さんは空からその式典を眺めていた。
 全村民が離村の為に駅に集まり、名残を惜しんでいた。駅に止まるは真の意味での最終電車。祭りとは違う、電車に施された花と「ありがとう」の横断幕が寂しい。
「…あれで、帰らなかったんですか?」
 お爺さん、いや、竜神様は頷いた。
「儂はこの地の神だからな…」
 ゆっくりと駅を後にする最終電車を見送りながら、竜神様は言った。
…そして、山里に静寂が訪れた…。

 気が付くと、そこはさっきの神社の境内だった。
 そろそろ夕暮れ近い時間。まだ暗くはないが、行きと同じとはいえ、道無き廃線跡を辿る事を考えると、もう帰らないといけない時間だ。
「夢…だったの…かな…?」
 そう思って、神社の方を振り向いた瞬間、夢では無かった事を知る。
「…竜神様…」
 そこに、竜が居た。気高く、美しい、神々しい竜が。
「儂は、この地の神…。だから、この地を捨てる訳にはいかなかったのじゃ…。例え、守護する民も、土地も無くなっても、な」
 そうか、そういう事か。
 …神というものは、信仰があって成り立つ。人は神がいるから信仰するのではない。信仰する人の思いが神を生むのだ。
「竜神様は、この地と共に心中されるのですか?」
「心中、か。そうじゃな。そういう事かもしれん」
「…悲しいですね…」
 そんな僕の一言に、竜神が首を傾げる様に僕の顔を見下ろした。僕は特に気にせず言葉を続けた。
「そして、想い出に変わって…、最後に無くなるんですね…。あの、「たつでん」の様に…」
 それは、オブローダとしての想いもあったのかもしれない。
 かつてあった道、鉄路。人と、人の想いを運んだそれは、やがて旧道と化し廃路と化す。そして、消えていく…。
 その消え行く物達に、僕は想いを重ねたのかもしれない。
 それと同じ物が、目の前の竜神にも感じ取れたから、そんな言葉が口に出たのだろう。竜神は視線を僕から下に広がる集落に移した。僕も同じく集落を、そして竜神駅を見つめる。お互いは、しばらくそのまま駅から伸びる廃線跡の先を眺めていた。
 林の中、山を切り開く様に伸びる廃線跡…、そこにあるのは生きた鉄路では無い。その先にある物は、廃れゆく時か、失われた未来か…。既に人の営みは、無い。
「…この地を守護し、この地と共に生き、この地と共に果てる…。それで良いと思っていた…」
 …それで良いのだろうか…?。そう思いつつも何か納得していなかったのかもしれない。竜神が竜神としてもやもやとしていた部分でもあった。それをこの青年が溶き解かしてくれた様な、そんな感じがした。
「駅に、行くか」
 竜神はそういうと、僕を連れ、空に舞い上がった。

 僅かな空中散歩の後、竜神駅のホーム。駅名板を背に僕は立った。竜神が見下ろす様に言う。
「…儂の力を…、お前さんに託そうと思う。」
「え?」
 突然の言葉に驚いた僕の上から、竜神の力が降り注いだ。それは熱となり、力となり、僕の中に満ちた。…気が付くと、僕は竜の姿となってその場にいて、前にはお爺さんの姿の竜神がいた。丁度、位置的にはさっきの逆になった様な、入れ替わった様な感じだ。
「…これは…?」
 驚いている僕を見ながらお爺さんがにこやかに言った。
「儂の力を送った…。お前さんも竜の仲間入りじゃ」
 先程の思い詰めてた様な感じでは無く、清々しい満足そうな顔だった。
「別にこの地に残って守護しろ、とか、竜神としての務めを果たせ、とか、そんな事は言わん。竜である事が嫌ならそのままその力を使わずに人として生きれば良い」
 僕は黙ってお爺さんの言葉を聞いていた。後の言葉を聞き、人である事を望むと、一瞬の間を置いて、僕は元の僕の姿へと転じた。
「…だが、この地の事を、竜神という信仰を、想いを、忘れないでやってくれないか」
 ふと、お爺さんの身体が透け始めている事に気付いた。
「竜神様…?」
「もう、これまでの様じゃな…。最後にお前さんに会えて良かったよ…」
「それは…、僕に力を送ったからでは?」
「いぃや…、元々時間は無かったのじゃよ…。既に信仰の途切れた地の神じゃから…な…」
 あっ…。僕は気が付いた。
 元々、神は消えつつあったのだ。…そこに僕が現れたから、竜神のお爺さんは現れたのだ。僕という、久しぶりに現れた人間に会う為に…。
 最初は、懐かしい人間の顔を見たかっただけだったのかもしれない。だけど、僕はお爺さんの、竜神の心の迷いを溶かしたのか。…そんなつもりは無かったのだけれど、だからこそ、他意の無い想いは心を動かしたのかもしれない。
 お爺さんの姿が消えた。消えてもしばらく僕はそのまま駅のホームに佇んでいた。二度と電車の来ないホーム。人の生活の消えた山里。…誰も、何も無い場所に僕一人が、居た。…あれは、夢だったのだろうか…?。廃村となった、消えた集落での、竜神との出会いと別れ。
 しかし、竜へと転じてみて、それはやはり夢では無かったと確信する。半分信じられずにはいたが、望めば、そこに竜となった僕がいる。これが現実。…でも、竜なんて似合わないよな。この僕が、ねぇ。
 苦笑しながら、大空へと舞い上がった。…少なくとも、帰りは道無き道を苦労して辿らなくても良さそうだ。眼下に、捨てられた集落と、それを繋ぐ様な「たつでん」の廃線跡が見える。ふと、僕は、そこにのんびりと走る「たつでん」の古い電車を見つけた様な気がした…。


 完
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