2つの迷路、2つの私カギヤッコ作
「ふう……」
 時計の針はすでに新しい年の初めを告げている。
 みんなが自分の家や初詣、あるいはイベントに参加している中、わたしが足を運んだのはこの誰もいない巨大迷路である。わたしが小さい頃にオープンしたこの迷路をわたしはなぜか気に入り、事あるごとに足を運んでいた。
 中学、高校と進学する中、迷う事があるとわたしは何時もここに来ていた。ここに来れば、ここを潜り抜ければ人生の迷いも潜り抜けられる。わたしはそう信じていたし、実際そうしたからか迷っていた事も潜り抜ける事ができた。
 しかし、すでに巨大迷路自体が時代遅れになってかなりの年月が立つ中、定期的にコースを変えたりして何とか頑張ってきていたこの迷路も去年いっぱいで幕を下ろす事になった。年明け手仕事始めに入り次第解体され、後には何ができるかはまだわからない。だからわたしはここに来た。思い出の迷路。心のふるさとでもあるこの迷路に別れを告げるために……。
「・・・・・・」
 立ち入り禁止の看板の隙間をくぐってわたしは中に入る。
「ふう・・・・・・」
 何度もくぐった迷路のメインゲート。何時立ってもどこか心がときめいてしまう。迷路を構成する壁に手を触れ、足元に空いた隙間をちょっとのぞく。
 小さい頃はそこを潜り抜けようとしてよく怒られたものだ。他にも色々な思い出がこの迷路には込められている。そんな想いを脳裏に描きつつ、入り口の前に立つとわたしは背負っていたバッグをばさりと地面に置く。その口を開くとわたしはおもむろに靴も脱ぐ。
 靴だけではない。靴下も、羽織ってたジャンパーやその下の上着やシャツ、ブラジャー。腰に手を置いてズボンとショーツを脱ぎ捨てる。
 肌寒い中、わたしは一糸まとわぬ姿になりかじかむ肌をこらえながら伸びをする。
 どこか気持ちいい。
 脱ぎ捨てた服をバッグにしまってその場に置くと、わたしは今まで行かなかったコースをたどる。それは本来なら逆に歩く道。そう、迷路の出口からメインゲートに向かう道だ。迷路を潜り抜け、自分の迷いを吹っ切った心地よさと共に歩いた道をわたしは逆に進む。しかもまったくの裸で。
 でも、これらははわたしがやろうとしている事の段取りでしかない。わたしが本当に今夜やろうとしている事はこれから始まるのだ。

 出口にたどり着いたわたしは改めて大きく伸びをする。塀越しの灯り以外は自然の星の光くらいしかない暗がりの中、生まれたままの姿でこうしているのはどこか不思議な気分になる。
 そう、わたしは今からこの迷路を逆に進もうとしているのだ。今まで何度も進んだ迷路を逆に出口から入口目指して進む。しかも何を思ってか一糸まとわぬ姿で寒空の下挑もうと言うのだ。
 傍から見ればかなり異様な行為だが、わたしにはわたしの想いがある。詳しくは言えないが、色々思う所を持ったわたしにとってふと「初心に帰る」衝動が浮かんだ時、思い出したのはあの迷路の事だった。自分の迷いを導いたあの迷路を逆に歩めば初心に帰り、改めて進む事ができるのではないか。
 そう感じた時、わたしの足はここに向かっていた。
ブルッ……。
 少し体が冷えてきた。感傷に浸る前に早く進もう。わたしは改めて体を震わせると、いつの間にか手にしていたものを広げ、おもむろに頭に被せる。それはマスク―ねずみを模した顔全体を覆うマスクだった。
 これの意匠は…・・・しいて言えばねずみと言うと迷路と言うかなり強引で単純な連想からである。裸の女性の体にねずみの顔……余りにも奇妙な姿になったわたしは静かに迷路の出口に入ってゆく。
はあ・・・・・・はあ…・・・はあ…・・・。
 薄明かりとマスク越しに狭まった視界の中、わたしは手探りで迷路の中を進む。暗がりの中、人ならざる姿で視界の定まらぬ中手探りで進む・・・・・・文字通り人生を歩むようにわたしは進む。何度も歩いた道をあえて逆に進む。

 どれだけ進んだだろう。わたしは意を決して四つんばいになる。体型の都合もあるけど、これで尻尾が生えていたら本物のねずみかも知れない。
はぁ…・・・ふぅ…・・・はあ…・・・。
 まるで本物のねずみのようにわたしは迷路を進んでゆく。時々壁に体をこすりつけたり、顔を近づけたり。本物のねずみはやらないと思うけど、壁に近づいて進む道を捜し求めながらわたしは進む。
ブルッ・・・・・・。
 不意に体が冷えてきた。同時に少し……ちょっと寄り道をしよう。

・・・・・・・・・。

 “用事”は済んだ。ねずみの顔の中で人間のわたしの顔がほんのり赤く感じるのは気のせいだろうか。気を取り直してわたしは迷路の中を進む。ねずみの姿に身をやつし、闇の中を進む。どれだけ歩いただろう。狭い道ばかりだった視界が急に開ける。
「わあ・・・・・・」
 不意に心も開けてしまう。
 そこは残念ながら目的の場所への過程の半分でしかない。しかし、そこはわたしの道のりの中で大事な場所でもあるのだ。
 そこはちょうど迷路の真ん中に位置するちょっとした遊具場である。と言っても子供向けの安全かつ簡単な遊具しかないのだけど、小さい頃わたしは迷路を解く事も忘れてここで遊んでいた。
 成長してもここでふと腰を下ろして一休みをしていた。もちろん今夜もここはわたしにとっての一息の場所である。
「よいしょっ」
 そう言いながらすでにわたしの体には大きすぎる球状の遊具に腰を下ろして改めて息をつく。何度も言っているけど、この寒空の中ねずみマスクだけの裸身で暗い迷路を進む事は思った以上に疲れてしまう。
 でも、それは全て心地よい疲れだ。裸で進む開放感、肌を刺す冷たい空気とそれに伴い火照る肌と吐息、そして何よりわたしにとって思い入れのある迷路を行く気持ち…・・・それら全てが気持ち良い。この迷路の最後の挑戦でこんなに充実した気持ちを味わえるのは本当に嬉しい。
 わたしはそのまま遊具の中に身をねじりこむ。見た目はねずみが入り込んでゆくと言う感じだけれど、冷たい遊具の感触が肌や胸に触れるのはちょっと気持ち良い。そしてその中で身を翻して仰向けになる。その視界の先には一面の星空が浮かぶ。使い古された言い方をすれば「天然のプラネタリウム」だ。
 本当はそうじゃないけど、まさにわたし一人貸切のプラネタリウム…・・・違う。そんな簡単なものじゃない。突き抜けるような空気、そして透き通る星空。それらが全て遊具越しにわたしの体を星空に上げ、わたしの体をその星空に溶かすかのように流れている。
 そんな気持ちの中ふとわたしの中にある考えが浮かんだ。

 迷路・迷宮と言うのは女性の胎内に似ていると。

 そこに入る事で人は再生と成長をするのだと言う・・・…。

 と言う事はわたしはこの迷路と言う母胎の中で幾度も生まれ変わり、成長していった事になる。

 ああ・・・そう考えるとまた感慨も強くなり・・・・・・

キュン。
「あ・・・・・・」
 わたし自身の「迷路」も熱くなってしまった。
 いけない。こんな事をしている場合じゃないとわかってはいるけど…・・・わたしはその「迷路」への探索を始めてしまっていた。いつの間にか顔を覆っていたねずみのマスクも「探索」に加わっている。わたしは肌をほてらせ、身を揺らし、声を上げながら何時果てる事ない「探索」を続けていた・・・・・・。

「ふう・・・・・・」
「探索」を終え、少しくたびれた体を休めながらわたしは何度目かのため息をついた。わたしも年頃でありそう言う感情もある以上「探索」は何度かやった事はあるが、こんなに深い「探索」、そして「生まれ変わり」は始めてである。
 もしかするとすでにこの時点でわたしはすでに「わたしの姿をした別のわたし」に生まれ変わっているかも知れないのだ。もし入り口にたどり着き、鏡を見たらその顔、そして姿が…・・・なんて妄想も抱いてしまう。
 冗談はさておき、実際この迷路に足を運んでよかったと思う。やっぱりこの迷路はわたしにとっては「迷いを越える場所」であり「再生の場所」なのだ。でも、ここに戻れるのも今夜が最後。これからは改めて己の道を歩まなければいけないのだ。
 わたしはその決意も込めてここに来ている。
でも、今はもう少しだけこうしていたい。わたしにとっての「もう一つの胎内」であるこの場所に・・・・・・。

 時間が来ればわたしは遊具を離れ、再び歩き出す。その時にはわたしはもう一度ねずみになる。もう人間のまま最後まで歩く事はできるけど、ほとばしる想いを鎮めるには人間のままでは少しきつすぎるのだ。四つんばい、あるいは二本足で迷路を進み、時折休みながらも到達点へと向かう。
 そしてたどり着いたわたしはマスクを脱ぎ捨て、改めて人間に戻る。いや、「わたしの姿をした別のわたし」だろうか。その時わたしを迎えてくれるのはちょうど方向にある初日の出か、それともまだ星空なのか。そんな思いを抱きながらわたしは素顔と素肌を夜空にさらしながらしばしの眠りに付く。まるで受胎を終え、新たな再生の時を待つ動物のように…・・・。


 終わり
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