目覚め三様カギヤッコ作
 その日、初日の出を前にして山は突然の吹雪に覆われていた。
 根津麻有子と良島須美の二人も初日の出登山に向かっていたのだが、突然の吹雪に視界を奪われた挙句、麻有子が雪崩に巻き込まれかけた。幸い麻有子自身は怪我もなかったが、装備のほとんどを失い文字通り身一つの状態になってしまっていた。何とかテントを張ってビバークはしているが、少なくとも今の時点で須美の装備だけで吹雪を切り抜け、山を降りるのは困難以外の何者でもない。
「ハクションッ!」
 麻有子は盛大にくしゃみをし、体を震わせる。
「麻有子、大丈夫なの?」
 そう言いながら須美は凍えまいと身をちぢこませる麻有子の体を支える。それに対し麻有子はただすまなそうに頭を下げる。
「ご、ごめんね須美……わたしがドジ踏んじゃったせいでこんな目に……。」
「何言ってるのよ麻有子、山の天気を甘く見たのはわたしも同じよ。麻有子だけのせいじゃない。」
 麻有子を励ますためどこまでも力強く言う須美。しかし、先ほども述べた通り今回の登山行、まして一人分の装備ではこの吹雪が収まるのを待ち捜索隊が出る前に山を降りるには無理がある。もちろん電波が途切れる前の携帯電話で無事の報告はしたものの、それが何時までもつかの保障は出来ない。まさに絶体絶命の中に二人はいた。
 二人では抜け出せない、しかし一人だけでは行きたくない。そんな極限状態に二人はいたのだ。
「ね、ねえ須美、こう言う場合、人肌で暖めあうと言うのはどうかな……。」
 凍えかけているにもかかわらずほんのり真剣な冗談を言う麻有子を、
「はは、そんな事が言えるなら大丈夫ね……でも、こんな中そんな事したら二人とも凍えちゃうわよ」
 と須美は優しく返す。
 そうしている間にも吹雪はますます激しさを増し、寒さも深くなってゆく。夜明けまでの時間はまだまだ先の話だ。
「……ねえ麻有子、何を握ってるの?」
 須美がふと上着のポケットに手を突っ込んで何かを握っている麻有子の姿を見る。
「う、うん……お守り……。」
 その言葉を聞いて須美は納得する。麻有子が半ばトレードマーク代わりに首からかけているネズミ型のマスコットペンダント。それは彼女にとってお守り的な存在でもあった。この極限状態において例え気休めであっても自分にとってのお守りであるペンダントを握り締めている麻有子を須美は否定する気にはならなかった。むしろ自分にとってそう言うものがない事の方が悲しく思えるくらいに……。
「助けて、助けて、わたし達を助けて、おねがい、わたし達を助けて……。」
 ペンダントを握り締め、胎児の様に身を丸めながら麻有子はひたすら祈り続け、そのまま眠りについてしまった。

 どれだけ時が過ぎたのだろう。気がついた時、麻有子は自分の服が一回り大きくなっている事に気が付いた。
“え、ええ?これって?”
 腕を動かそうとするがうまく動かない。そして服のそれとは違う毛の感触が自分の腕から伝わってくる。それだけではない。どんどん麻有子の服は大きくなってゆく。いや、正確には繭子の体が小さくなっているのだ。
“え?え?ええっ?”
 麻有子の体はどんどん小さくなりながら小さな毛に覆われてゆく。
 胸は扁平になり全身のくびれも消えてゆき全体的に丸みを帯びた体型になってゆく。
 両腕は細く短くなり、指も同じ様にかすかなものになってゆく。
 両脚も縮こまるが、足の甲だけが伸びてゆく。
 髪の毛は縮んでゆき、茶色に変色してゆく中、鼻が縮んでゆくのと入れ替わりに口元と耳が伸びてゆく。瞳も黒目が一杯になり軽く飛び出てゆく。お尻にはいつの間にかかわいらしい尻尾が伸びている。
 全てが終わった時、麻有子の登山服の中には一人の人間の女性ではなく、一匹のハムスターが入っていた。
“えっ?何で?どうしてわたしがハムスターに?”
 服の中でもがきながら麻有子は自分の状況をつかもうとする。
“ま、まさか、あのお守りにお願いしたからこうなっちゃったの?”
 余りにも強引な展開に嘆きたかった麻有子だったが、今の彼女にとっては現状を受け入れる以外の術はない。仕方なく、何とかもがきながら服を抜け出す。
“わあ……須美があんなに大きい……。”
 頭一つ小さかった須美が山のように大きく見える現状に麻有子は改めて今の自分を認めるしかなかった。
“でもどうしよう。このままじゃ凍えちゃうし……”
 全身毛皮だらけの姿になったとは言え、今の時点では凍えてしまう事に変わりはない。あちこち思案をめぐらせながら周りを見回した結果、麻有子は意を決して今の時点でもっとも暖かそうな場所に飛び込み、もぐりこんだ。そう、須美の服の中に……。
「ん、んん……」
 眠っていたのと少し感覚が鈍っていたのでハムスターとなった麻有子が服の中に入り込んだ事にそんなに違和感を感じる事無く須美はまどろむ。本来なら今の時点では命取り的な行動なのだが、吹雪の中の行動の疲れとビバークの安堵感がそうさせてしまったのだろう。
 しかし、今の時点でも麻有子の決死の潜入行が続いていた。なれないハムスターの体をもがかせながら須美の服の中をもがき続ける。首筋からブラジャーを経由して腹部、そしてもっとも困難だったズボンとの境目……。別に意図があったわけではない。ただ反射的にもがきながら麻有子はひたすら須美の服の中をもがいていたのだ。そして麻有子の前足がある場所をつかむ。
“あ……ここなら入れそう……。”
 少し濃い茂みに囲まれたその場所。硬く閉ざされてこそいるが、うまくすれば入れなくはない。麻有子は必死で前足を動かし、その場所を開けようとする。
「んっ……あんっ……」
 その動きは須美にも伝わってくる。
 無理もない。麻有子がこじ開けようとしているのは須美にとって、いや今はハムスターの姿の麻有子にも「もっとも敏感な場所」なのだ。
「あ……あん……ああ……」
 まだまどろむがゆえ腕は動かないがなぜかダイレクトに伝わる感覚に須美の体はほんのりぬくもりながら震える。
“や、やだ、動かないで……。”
 その振動や少しづつ湿りを帯びてくるその場所に手間取りながらも、遂に麻有子はその場所をこじ開け……。
“えいっ!”
 と潜り込んだ。
「きゃっ!?」
 同時に須美も飛び起きる。
「な、何今の……妙に気持ちよくなったと思ったら急に足の間が……。」
 そう言いながらどこか違和感を覚えたその場所に触れるが、実際触れるとそんなに違和感はない。
 寒さによる感覚の鈍さなのだろうか。すでに主を失くしている麻有子の服にも気を止める事無く、改めて須美は眠りに付く。そしてその「中」で麻有子も眠りに付く。かつて人として性を受ける前に感じていたであろうぬくもりの中で……。

「麻有子、麻有子ーっ!」
 夜明けまであと少しと迫った時間。すでに吹雪は収まり、目を覚ました須美は二つの不覚を味わう事になった。一つは吹雪の中ビバーク中に眠ってしまった事。本来ならそのまま永久の眠りについていてもおかしくはない状況なのだ。そしてもう一つは……麻有子が服を残して消えていた事。
 この状態の中裸で外に出るなんて問題外の行為をするなんて普通なら考えられるものではない。しかし、寒さによる混乱状態が彼女に禁断の選択をさせたのなら……。そうだとすれば彼女を見逃してしまった自分の責任だ。そう思いながら須美は叫びながら周りを動き回る。確証も何もない。二重遭難の危険など考えてはいない。ただ麻有子の名を呼び歩き回るだけ。それでも須美は麻有子を探さずにはいられなかった。
 生まれたままの姿で凍り付いていても構わない。麻有子の姿を見たい。それだけの想いで須美は歩き続けた。そして……彼女は足を取られてそのまま坂を転げ落ちる。不幸中の幸いだったのは坂がそんなに急でなかった事、そして新雪がクッションになっていた事である。
 幸いケガもなく立ちあがれた彼女の目に映ったもの……それは自然の温泉だった。
「はは……ははは……何やってんだろわたし……。」
 その数秒後、須美はすべてを脱ぎ捨てて温泉の中に飛び込んでいた。あんなに麻有子の事を探していたのに、麻有子はどこかで凍り付いているかも知れないのに、自分はこうして温泉に入っている。
 自分の浅ましさを呪いながら須美は湯につかる。もう麻有子を探す気持ちはなくなった。と言うより自分にその資格はない。一通り湯を味わったらこのまま上がって雪に埋もれよう。そして麻有子と同じ様に……。
 そう思いながら前にどこか違和感を感じた下腹部をなでる。
ピクン。
「うっ!?」
 その時、そこがかすかに震える。快感ともなんとも取れない感覚に須美は一瞬おびえる。
ピクンッ、ピクン、ピクン……。
 震えは次第に激しくなり、それと同時に下腹部も何か膨れていく感覚が満ちてゆく。
「な、なにっ、あっ、あんっ、あーんっ……!」
 大きく身をよじらせながら須美は湯の中でうめく。
 そして……
「あっ!」
ぼこっ!
 盛大な泡の音と下腹部から何かが抜け出した感覚と共に須美の絶頂の声が上がる。
「な、なんなのこれ……。」
 まだけだるさの残る体を起こしながら辺りを見回すが、その時、
ブワシャーンッ!
「ぶわっ!」
 その目の前から激しい水柱が立ち、そこから一人の生まれたままの女性の姿が現れる。女性は全身を激しく震わせながら体に付いた水滴を振り払うと大きく息をする。
「ふう、危なかった……もう少しでおぼれちゃう所だったわ。須美の中、とっても気持ちよかったけど……って須美、ここって温泉?」
 そう尋ねる女性の姿を見て須美の顔に色々な思いが浮かぶ。
「麻有子、麻有子―っ!」
 涙を流しながら飛び込む須美を止めきれず麻有子はそのまま湯の中に沈んでしまう。そして二人仲良く顔を出す。
「麻有子、無事だったのね……ホント、ホントによかった……。」
 そう言いながら涙ぐむ須美。それに対して麻有子は、
「え?わたしずっと須美と一緒に……ってあれ?」
 と自分が人間の姿に戻っている事にようやく気づく。
 何がなんだかわからなかったが、二人は互いの無事を確認できた安堵感に浸っていた。そして須美は登山服の中に大事に持っていた麻有子のペンダントを首にかけてあげる。それを首にかけた時、麻有子は改めて自分が人に戻れた事、そしてお守りに感謝した。そんな二人を祝福するように山の間から初日の出が昇る。
「わあ…・・・きれい・・・…。」
「こんな場所でこんなカッコで初日の出なんてちょっと良い感じよね。」
 互いのくすんだ想いを浄化するような朝日に須美も麻有子も感慨に浸る。
「で、麻有子、初日の出はいいけどこのあとどうするの?」
「え?」
 ふと尋ねられ麻有子は首をかしげる。
 無理もない。今度こそ麻有子はペンダント以外は丸裸、須美も装備はほとんど全部ビバーク先においてある。
「ま、まあ、またお守りにお願いするとかしないとか・・・…」
 と明るく笑う麻有子にただ呆れる須美。幸い携帯電話の電波が回復した事で位置を知らせる事ができ、救助を受ける事ができたのだが、それまで二人は温泉で「裸のビバーク」をする事になる。そしてあの夜の出来事については・・・…二人さえも実感の沸きにくい事実である・・・…。


おわり
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