屋根葺く宴 カギヤッコ作
にゃ〜…にゃお〜ん…。
「んん…ああ…。」
にゃー…にゃぁーん…。
「うう…もう…。」
にゃぁ〜んっ!
「もう…うるさーいっ!」
バタンッ!
 思わず机に両手を叩きつけてしまう。幸い一階で寝ている家族には聞こえなかったようだ。
 時はネコ達の求愛の季節。今夜もあちこち、そしてわたしの家の屋根の上でもネコ達が愛をささやき、あるいは愛をかけてぶつかり合ったりしている。それはとても素敵で尊い行為なのかも知れないが、中間テストを前日に控えていたわたしにとっては悲しきかなただのうるさい騒音でしかなかった。初夏を過ぎ、すでに夜でも少し蒸し暑いのが影響しているのか、それともテスト勉強が中々はかどらないのがいけないのか…悲しきかなネコ達の声もそんなイライラを加速させてしまう。
「ふぅ…。」
 はかどらない勉強に無理やり一区切りをつけ、わたしはいすに背中を預けて大きく伸びをする。
「はぁ…なんでこんな事やんなきゃいけないんだろ…ネコならこんな事しなくてもいいのに…。」
 そうつぶやいてすぐに自重の笑みを漏らしてしまう。確かにネコ達にはテスト勉強なんてものは無いだろうけど、その代わりネコにはネコの苦労と言うものがあるのかも知れない。
 わたしも一匹メスの猫を飼ってはいるけど、普通に部屋の中で暮らしていると思えばどこかにフイといなくなる時もある。彼女も彼女なりに色々あるのだろうか。
おあ〜…あーう…。
 ネコ達の声はいつの間にか発情期特有の甘い声を交えている。おそらく今夜一晩はこんな調子だろう。そして、わたしの勉強もはかどる事もないし、ネコ達に文句を言うすべもない。それどころか…。
ドクン。
「…」
 来てしまった。わたしの中に潜む想いが。強く眠る思いが…。もうテスト勉強なんてやっていられない。いや、もう“人間”でいる事すらやっていられない。
 そう思った瞬間、わたしは静かに部屋の明かりを消す。

 ススッ、ササッ…。
 少し汗で湿ったパジャマや下着を脱ぎ捨てると、わたしは部屋の片隅、誰にも秘密にしてある場所からあるものを取り出し、そのまま姿見に向かう。姿見には夜灯りに照らされた生まれたままのわたしの姿が映し出される。“人間の女の子”としての皮を脱ぎ捨てた“メスヒト”としてのわたし…。
「あん…」
 ほんのり感じてしまうが、その余韻を確かめる間もなくわたしは手にしていたものを頭にかぶる。
「うふっ。」
 それは目元を隠すアイマスクだった。その表面にはうっすらとした毛を生やしており、あたかも獣、特にネコの目元に似ている。わたしがそれを身につけるようになったのは少し前の事、ちょっとした欲求不満状態になっていたわたしは今夜のように暗くした部屋の中で今夜のように生まれたままの姿になり、家で飼っているメスネコの前に立ってみた。
 もちろんほんの冗談のつもりだったし、ときどきフイと家を出ている彼女に自分の欲求不満の昇華を重ね合せていたのかも知れないが…今思えばわたしはやりすぎたのかも知れない。まるで今屋根の上にいるネコ達の様にわたしは彼女を誘い、そして…許してしまった。彼女の柔らかい毛並み、そしてちょっと冷たい舌はわたしを自分一人でするのとはまた違う感覚へと導き…そしてわたしは鳴いた。ネコの様に。
 最初のうちこそ「あんっ!」とか「ああっ!」と人間の女の子の声で鳴いていたが、エスカレートするうちにどんどんそれは変わってゆき、最近では「にゃっ!」「にゃ〜んっ!」とまさにメスネコの声で鳴く様になった。
 今では人間の女の子からヒトのメス、そして一匹のメスネコに変わっていく声の感覚を自分を高めてゆく加速剤にするようになっている。そして、それをより高める為にわたしはネコになる時、こうやってアイマスクをつける様になった。本当は完全なネコのマスクを欲しいのだが、あいにく今のわたしにはその伝は無い。
 しかし、これのみを身につけた姿で時にひとりで、そして彼女と戯れる時、わたしは確かにネコになっているのだ。そしてそれはわたしの中にある願望を植えつけていたのだが…。それはともかく、わたしはしばし“ネコ”になった自分自身を見つめたあと、静かに窓の前に立ち、がらりと開ける。幸い寝静まり人気の無い通り。今のわたしの姿に気づく人間はいない。
ヒュウ〜…。
 少しほてった肌を風が優しく冷ましてくれる。それに押されるようにわたしは窓の縁に手を付くと
「にゃぉ〜ん…。」
 と鳴いた。
 そして、窓から出て屋根伝いに外に出ようとした時…。
ピクンッ!
「えっ?」
 一瞬、アイマスクが震えた気がする。
ピクピクッ!
 気のせいかと思ったらそうじゃない。まるでアイマスクが顔と一つになったかのような衝撃と感覚が顔を包む。
ドクン。
「あっ!」
 そしてそれに合わせるように全身を軽い衝撃が走る。
ビクン。
「あんっ!」
 その感覚に思わず全身を抱きすくめてかがんでしまう。
ビクッ、ビクビクッ、ビククッ!
「あっ、あんっ、ああっ…。」
 肌がぴくぴく震えながら収縮していく、そんな感覚が全身を包む。そしてまるで導かれる様に姿見の方を向いた時…。
「えっ!?」
 わたしの目は見開かれた。アイマスクがどんどん広がってゆく。目元から頭を、耳を、口元を、そう、顔全体を覆う様に広がってゆく。本当ならその場でムリヤリにでも引き剥がすべきだったのかも知れなかったけど、すでにわたしの“毛皮”、そして“肌”となったアイマスクをはがすなんてできはしない。
 それだけじゃない。わたしの体は少しずつ小さくなっていた。小人になるとかではなく、まるで小さい頃に戻るかのように。大人になりかけている少女の体から第二次性徴手前の少女、そしてそれ以前の幼い少女のような姿に。只違うのはその顔がネコの毛皮で覆われている事だ。目を除けば口も、耳も、髪も全て毛皮にふさがれている。
 毛皮の覆面を被った全裸の少女…それが今のわたしである。でも、変化はそれだけでは終わらない。
ビンッ!
「あっ!」
 ふいにおっぱいが内側からはち切れる様に膨れ上がる感覚が走ったあと、まるで飲み込まれるように縮んでゆく。その形は幼い少女と言うよりもまるで少年のようなかわいらしくもたくましい胸板に整えられる。
 そして、最大の変化がわたしを襲う。
ズンッ!
「!」
 足の間を激しい衝撃と快感が襲う。思わず押さえた掌の中で文字通り盛り上がる様にわたしの“中のもの”がわたしの中からせり出してゆく。
「あっ、あんっ、やだっ…いいっ…。」
 掌の中で粘液に包まれたそれは少しずつ乾いてゆき、過剰に敏感だったそこも皮膚に覆われ少しずつ落ち着いてくる。それと同時にのびきったそれの根元からポロンと何かがこぼれ、垂れ下がる。それがなにかくらいわたしにもわかる。
「お…。」
 男の子なら誰にでもあるもの、そして今のわたしの足の間から生えているものの名前が口を突いて出る。恐る恐るそこに触れ、そしてぎゅっとつかんでみる。
「うっ…。」
 まるで、いやまさに幼い少年そのもののようなそれは初々しい刺激をわたしに送る。その瞬間、姿見の中のわたしと目が合った。

「ああ…。」
 そこにいたのは一人の裸の少年だった。まだ幼くもいずれはたくましく成長する事を予感させるたくましさを内包した肢体。足の間からのびるものもそれを如実にあらわしている。
 そして顔はと言うと…かわいらしく頭の頂点に立つ一対の耳、ぺちゃんこでも形のいい鼻、そしてそこから伸びるヒゲ…。そう、それは間違いなくネコの顔だった。ネコの顔と人間の少年の体をした不思議な存在が目の前にいる。そしてそれは誰でもない、わたし自身なのだ。どうしてこうなってしまったのか。飼い猫との戯れが起こしてしまった奇跡なのか、それとも未知の偶然が起こした不条理なのか。
 しかし、そんな事はどうでもよかった。と言うより少しずつはっきり見えてくるその姿を見つめるうちにそんな考えはどこかに消えてゆき…。
「ニャオーンッ!」
 ボクは一声鳴くと身を翻し、そのまま窓を飛び出すと駆け登るように屋根の上に躍り出る。そこには一匹のオスネコがメスネコに声をかけていた。数多くのライバルを蹴散らして彼女のハートを射止めようとする彼。しかし、ボクの中にわきあがる思いは彼を許さなかった。
「フーッ!」
 すかさず前足を付いてあいつを威嚇する。あいつもボクに気がついたのか、
「ヴー…。」
 とボクをにらみつける。
 メスネコは二人を見つめたあと、静かに身を引く。どうやら勝った方の愛を受け入れるつもりらしい。負けられない。絶対に負けられない。
「フニャーッ!」
「ギニャーッ!」
 屋根の上での戦いが始まる。ボクもあいつも爪で引っかき、噛み付き、時には身を翻したりして取っ組み合う。
 戦いは一進一退。しかし
「ニャッ?」
 後ろ足でも立てるのを活かして仕掛けようとしたほんの一瞬脚がすべる。
「ニャニャーッ!」
 ボクはそのまま屋根から転げ落ち体をそのまま地面に叩きつける…瞬間、身をひねって綺麗に着地する。ネコだもの、これ位は当たり前だ。そしてそのまま塀伝いに再び屋根まで飛び昇ると、そのまま驚いていたあいつの前足をつかんで…。
「ニャーッ!」
「ニャニャーッ!」
 くるりと一緒に回りながらそのまま隣の屋根まで投げ飛ばした。あいつはしばらくダウンしてたけど、静かに起き上がると少し悔しそうな顔をしてその場を後にする。勝った…ボクは勝ったんだ…嬉しさの余り、ボクはそのまま大きく背中をそらし、あらん限りの声で吼える。
「ニャオーンッ!」
 そしてその余韻に浸りながら屋根から下りると、
ちょろちょろ…。
 その四隅にマーキングをする。ここはボクの場所だと示す為に。改めて屋根の上まで戻ると、メスネコが静かに寄ってきてペロペロと体をなめてくれる。
「ニャンッ!」
 あいつとの戦いでうけた傷が今になって染みる。でも、これも彼女の愛をつかんだ勲章だ。そう思った時、足の間がピクンと震える。そう、体こそ幼く見えるけどボクはもう立派な大人のオスネコなんだ。
 そしてボクは彼女を静かになめ返すとそのまま彼女の背中に乗り、そっと首筋を噛む。彼女は抵抗するでなく、ボクに身を任せてくれる。
 ああ…この瞬間の為にボクはここに来て、ここにいるんだ…。そう思いながら僕は彼女に思いのすべてをぶつけ始める。
「ニャオーンッ!」
「ニャァーッ!」
 命をかけた末の愛の宴は夜通し繰り広げられた…。

「ん、んん…。」
 朝の光と涼しい風、そして肌のかすかな痛みがわたしをまどろみから引き戻す。いつの間にいたのだろうか、わたしはベッドの上に横たわっていた。ゆっくりとベッドに腰掛け直し、姿見を見る。いつもと変わりない裸のわたし―その顔にはいつものアイマスクがかけられてはいるが―がいる。
 それを静かに外せばわたしは元の人間の女の子に戻る。いや、まだメスのヒトかな…。ゆっくりと体を見渡せば体中に引っかいたような痣がうっすらと見える。今夜はいらいらしてたとは言え少しエキサイトし過ぎちゃったかな…そう思いながらふと枕元に目をやると…そこには彼女がいた。まるで映画やドラマで見る“初めての朝”のような光景。その瞬間、わたしの脳裏に夢の一部と言うにはおぼろげな記憶が蘇る。
 そして静かにあの柔らかくもたくましい胸板をやぶって膨らんだおっぱいを…そして彼女に思いをぶつけたそこ―すでにわたしの中に消えてしまったが―の名残に静かに手をやる。
「ふふっ…。」
 なぜだろう。理由はわからないけど、笑みがこぼれてしまう。何だかよくわからないけど、どこかすっきりして、どこか安らいで…これならテストも頑張れ…テスト?
 ハッと目をやれば机の上にはやりかけのノートや教科書がそのまま飛び散り、時計を見ればもうすぐ起きないといけない時間…。
「!!!」
 わたしの人間本来の意識はそこで完全に覚醒した。モーニングシャワーと称して裸のままで着替えだけつかんでお風呂場に飛び込み、不思議がる親の目をよそに朝食をかきこむと、大急ぎで支度を整えて家を後にする。そんな事も知らず彼女はのんきにまどろんでいた。

 しかし…皮肉にもこの中間テストでわたしは個人の最高記録どころかクラスでも上位の成績を取ってしまったのだから世の中わからない。そしてあれからもわたしはときどきあのマスクを付けては戯れを続けているけど、あの時のような事は二度と無かった。
 ただ…最近獣医さんに彼女を見てもらったら妊娠の傾向があると言う。
 まさか…わたしの…?
 確かにあの時はオスネコ―一応そうだったけど、首から下は人間だったし、それにわたしは元々人間の女の子なのに…。真実を知るのは彼女と彼女の父親のみ。わたしは色々なドキドキにただあわてるばかりであった。


おわり
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