月夜の森にカギヤッコ作
ザー…。
 その日の夕方、山間にあるその小さな町は突然の雨に濡れていた。
 降水率がかなり低いと言う天気予報を信じていた人達は当然として突然の雨にあわてて道を急いでいた。
バチャバチャバチャ…。

「…まったく、天気予報じゃ降らないって言っていたのに…。」
 学校から帰宅する途中だった里美もまたカバンを傘替わりにしながら雨の中を走っていた。
 彼女の通う高校から自宅までは決して遠い訳ではないが、山沿いと言う事もあってか山を切り開いたような道も通らなければいけない。
 昨今の様な物騒な事件こそまだ起きてはいないが、この道もいずれは何らかの整備を行わなければいけないと言う話もあるものの色々な事情でそれもままならないと言うのが現状である。
 そんなやっかいな道を雨に打たれながら里美は走り続けたが、雨は激しさを増しより一層彼女の足をさえぎっていた。
「あーっ、もう限界!」
 そう言いながらも走り続ける里美の目にあるものが入る。
「あ…あれは?」
 道の端にある木々の間に小さな穴が開いている。自然にできた物なのか、それとも誰かが掘り抜いたのか。普段は目にする事もなかったその穴を見て里美の足が止まる。
 少なくとも人一人は入る事のできそうなその穴を見て里美は導かれるように飛び込んだ。
「う〜…もう服がビチョビチョ…携帯も電池切れだし…。」
 雨をしのいだ安堵感もつかの間、ずぶぬれになった体とカバンを見て里美は悪態をついた。
 穴の中から外を見ると雨はまだ激しさを保ちながら降り続いている。
「やれやれ…当分は出られないな…。」
 そうため息をつきながらふと穴の奥に目を向けた時…。
「!」
 彼女は息を飲んだ。どうして今まで気がつかなかったのだろうか。
 穴の大きさの割にはその中はかなり広く、ちょっとした広間になっていた。その中に見える一対の光の群れ…。
 目が暗がりになれるにつれその主が明らかになる。
 犬・猫・猿・タヌキ・鹿…この辺りに暮らしている動物達がある者はすっくと立ち、またある者は地面に腹を着けながらじっと里美を見つめていた。
 恐れるのでもなく、警戒するのでもないその瞳…この町も発展して行くにつれ山々の動物達にまつわるトラブルも少なからず起きてはいたが、今の彼らにそれについて語るものはなかった。
 ただ自分達と同じ様に突然の雨に打たれ、穴に逃げ込んだうちの「一匹」を見る目…どの目もそんな輝きを持っていた。
 動物の気持ちが判ると言う訳ではない里美にもその目が自分自身に与える安堵感は何となく判る様な気がした。  そして里美はゆっくりと穴の奥、動物達の中に足を踏み入れる。それに合わせるようにその行く手にいた鹿と猿が場所を開ける。
「ありがとう。」
 里美がそう言って微笑むと動物達もどこか笑みを浮かべたような仕草を取って答えた。
「よいしょ。」
 壁の奥、ちょうど石が剥き出しになっている所に腰を下ろして里美は一心地つく。
 穴の向こう、外の景色も少しずつ暗くなって行くが雨のやむ気配はまだない。動物達も身を寄り添わせている。
 そんな風景と獣達の匂いを感じる内に里美の胸の奥で何かが動いていた。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン…。
「まだ…やまないな…服もまだ乾かないし…。」
 少し惚けた様な声でそうつぶやく。
「ちょっと…寒くなってきた…。」
 そう言いながら彼女は濡れた制服ごしに身を抱きすくめる。
 それに応じるかのように動物達も里美に身を寄せ始める。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン…。
ザー…。

 雨はますます激しさをましていたが、一通り降りしきると少しづつその勢いを鎮めていた。
 タッタッタッ…。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…。」
 明美は傘を手にすっかり日の落ちた道を走っていた。傘を持つ手には懐中電灯、そして小脇にはもう一本の傘を持ち…。
 姉である里美が暗くなっても帰ってきていない事は彼女の家族にとって不安をあおるのに十分過ぎるものであった。
 突然の雨に降られてどこかで雨宿りをしているとしても学校や友人の家には来ていない。携帯が通じない事もより不安に駆り立てていた。
 そんな中明美は意を決して、暗くなった道に飛び出して行った。もしかすると何か事件に巻き込まれたのでは、自分も同じ目に合うのではないか…。
 そんな不安もあったが、それに勝る姉を案じる気持ちが明美をつき動かす。
 そして明美はしばらく前に里美が姿を消した木々の近くに足を運んでいた。
「な、何だか恐いな…。」
 そうつぶやきながらも懐中電灯の灯りを闇に当てる。
 まだ降り足りないかのように降り続ける雨の中、明美はゆっくりと懐中電灯の灯りを頼りに進む。
 その灯りがついに例の穴倉を照らし出す。暗がりの中照らし出されたそれはどこか異界の入り口をほうふつとさせる。
「ま、まさかここに…?」
 ゴクリと息を呑みながら穴の入り口に足を向ける。
 しばしの沈黙の後その灯りを中に灯そうとした瞬間、不意に懐中電灯の電池が切れる。
「!」
 その瞬間、明美は目にした光景におののいた。もちろん懐中電灯の灯りが突然消えた事もあるが、それ以上に暗がりの中に見えるたくさんの光…人工のものではない夜灯かりに反応するかのような獣達の瞳が明美を射抜くように見つめている。
 それに対し見動きのできなくなる明美。そしてそれに合わせるかのように雨が上がり、雲が晴れる。
「明美?明美なの?」
 自分を呼ぶ声にふと我に返る明美。
「お、お姉ちゃん?そこにいるの?」
 何とか気を取り戻し穴の中にいるであろう姉に呼びかけようとするが、雨が上がった事に呼応するかの様にわらわらと穴を出る獣達の流れに阻まれて進む事ができない。
 そして、穴の奥にいた最後の一匹が目を光らせながらゆっくりと動き出す。
 犬とも猫とも、猿とも鹿とも違う姿をした別の動物…細長い体格を持ち二本足で歩きながらその動物はゆっくりと外に…明美の前に姿を見せる。
 その動物が明美の視界に完全に入った瞬間、雲間から月明かりが入り、動物の全身を照らす。
「明美、ごめんね。」
「お、お姉ちゃん…?」
 その動物は里美の姿をしていた。と言うより里美そのものだった。ただ違うとすればその姿は動物の姿―一糸まとわぬ姿であった。月明かりが彼女のそう悪くないプロポーションを清々しく、そして妖しく浮かび上がらせる。
「お姉ちゃん、どうしたのよそのカッコ…。」
 恥らう事もなく堂々と裸身をさらす姉に対して里美はあっさりと答える。
「まあね、雨宿りしているうちに服を乾かそうとして全部脱いじゃってそのまま…ね。どうせ他に人もいないし、周りは文字通り生まれたままの動物達ばかりだったし…。」
 そう思い返す里美の目はどこか潤み、両手はそっとそのしなやかな体を抱きしめていた。
「と、とにかくお父さんもお母さんも心配していたのよ。早く帰ろうよ。」
 そう言いながら明美は獣臭さの残る穴の奥に飛び込むと里美の服とカバンを拾い、ドンっと里美に手渡す。
「な、なによ明美、人がせっかく余韻に浸っていたのに…。」
「余韻も何もないよ、早く服着て帰ろう。裸の事は言わないから…。」
 そう言いながら明美はしぶる里美が服を着るのを手伝い、彼女が「人間」に戻るのを確認するや里美の手を引きながらその穴倉を後にする。
 その光景を見ていたのは月だけだった…。

<後日、ある日の明美の日記>
 昨夜もお姉ちゃんはこっそりと外に出ていた。庭先で裸になりしばらく立っていたけど、そのまままた森の方に歩いて行った。
 朝になったらお姉ちゃんは普段どおりに服を着てお母さんと朝の支度をしていた。
 お姉ちゃんに言わせるとあの時の自分は「人間」ではなく「ヒト」になっていると言う。
 人間とヒト…どう違うのか私にはわからない。おそらくあの雨の日にお姉ちゃんは変わったのかも知れない。
 もしかするとわたしもお姉ちゃんの様に月夜の森に生まれたままの姿をさらす「ヒト」になるのだろうか。
 恐さもあるがどこかそうなりたい気持ちもある。
 もしお姉ちゃんが誘いをかけた時、わたしは断る事ができるのだろうか…?


 完
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