電脳女豹カギヤッコ作
 カチャリ。
「ただいま…と言っても誰もいないわよね。」
 そう自嘲しながらわたしは自室の扉を開ける。社会人を始めると同時に一人暮らしを始めては見たが、やはり色々たまる物はある。そんな中、わたしはある"術"を得た…。
 シャァー…。
 簡単な食事を取り、そのままシャワーを浴びる。さながら全身の汚れと共に"自分自身"を洗い流すかのように。そして、タオルを体にまとい雫をふき取るとそのままの姿で自室とは別に設けた部屋の中に入る。そこにあるのは一台のパソコンと全身を映す鏡。そして、ハンガーにかけられた一着のスーツであった。
 タオルを引き剥がすように床に投げ捨てると鏡の前に立つ。窓から漏れる明かりに映し出される裸の自分。肌つやはもちろん、ナイスバディとは行かなくともそこそこの膨らみとくびれは持っている。それを見つめるうちにふとムラムラと来るものを感じるわたしだったが、それを押さえてハンガーに向かい、スーツを手に取る。
 ズッ、ズッズッ…。
「うっ、くっ…。」
 素肌に直接スーツを着る。体との密着を考え少しきつめのサイズを作ったのだが、確かに着づらい。だが、同時に締め付けられる快感が心地いい。
 2、3分ほど悪戦苦闘してわたしはスーツを身にまとう。俗に言う全身タイツと言える物を少し暑くしたような生地に網の目のような線が走っている。鏡を見ながらスーツを直すとわたしは椅子に座り、パソコンを起動させる。
 カチャッ、ブゥーン…。
 パソコンの画面が点灯し始動画面、そしてわたしの作り出した「空間」への扉が移し出される。そこまで来るとわたしは机の上に置いてあったヘルメットを手に取り頭に被る。フルフェイスヘルメットといわゆるフェイスマウントディスプレイと言えるものを掛け合わせた様な独特のデザインのヘルメットはわたしの顔全体をぴったり被い、外に漏れるものは口と鼻の辺りから漏れる呼吸だけである。
 そしてわたしはスーツとヘルメットの配線をつなぐと目元のディスプレイを閉じる。この瞬間、ここのわたしは人間からただの抜け殻になる。

 ディスプレイいっぱいに何もない空間、そして一糸まとわぬ姿のわたしが映る。パソコンとリンクしたヘルメットとスーツを被う線が仮想世界であるにも拘らずあたかも本当にかの世界で裸でいる感覚を与えてくれる。ふと見ると、そこには狭い入り口があった。
「ようこそ、「転生の扉」へ」
 …そう書かれていた入り口は岩のように硬く、しかしいざ体を通すとまるでスポンジのようにその中へわたしをいざなう。
「うっ…。」
 全身を通る感覚が気持ちいい。中に入ると、そこは岩のような、それでいて有機質のような一部屋分の空間になっていた。振り向くと出入り口があった所に大きな鏡が現われ、一糸まとわぬ姿の自分自身を映し出す。しばしその姿に魅入った後、わたしは大きく息を吐き、
「さてと、さっそくやりますか。」
 と腕を伸ばす。
 その瞬間、わたしの周りを数多くの物体が覆う。きれいに並んだそれはみな全て動物の体の部品であった。
「まずは…尻尾ね。」
 そう言うとお尻に触れる。するとお尻の辺りを囲んでいたパーツが回転を始める。
「どれにしようかな…。」
 そう思いながらわたしは豹の尻尾を選ぶ。触れた瞬間尻尾は姿を消すが、
 ニュルン。
「あっ。」
 お尻から何かが生える感覚がするとそこにはさっき選んだ豹の尻尾がふさふさと生えていた。
「次は…足ね。」
 同じ様に足に触れると足のパーツが回転し、豹の足が前に来た所で止まる。尻尾と同じ様に豹の足が消えると、わたしの下半身は豹の毛皮に覆われる。
「あぁっ。」
 感じる部分を一気に責められ、思わず声を上げる。つい股間に手を伸ばす。本当はゴツゴツしたスーツのはずなのにそこから感じるのは毛皮越しに伝わる「女の感触」であった。しばしその感触に酔いたいのをこらえるとわたしは胸、腕と選ぶ。そしてわたしの胸と両腕は豹の毛皮に覆われる。
ブゥルン。
「はぁんっ。」
 胸のふくらみが震えながら毛皮に覆われる感触に再び声が上がる。今回は下半身を先にしたが、次は胸から先にやろうか…などと思いながらふと鏡を見つめる。
 そこには首から下までを豹の毛皮と尻尾でおおった姿の自分がいる。仮想世界でありながらあたかも本当に素肌が毛皮で覆われた感覚が心地いい。おもわずわたしは鏡の中の自分にキスをする。これはここに来るたびいつもやっている習慣だが、変化してゆく自分が余りにも愛しく思えてしまうのだ。
 そして、わたしの手は遂に首筋を後ろからかき上げ、そのまま顔へと下ろす。同時に頭部のパーツが回転し、豹の顔のパーツが目の前で止まる。  そしてわたしは両手で顔を覆い、そっと揉み始める。手を離した時、そこには人の頭に豹の顔をしたいびつな姿の存在がいた。でも、それすらもいとおしい。そのままわたしは髪をかき上げ、一気に引っ張る。
ブチブチッ。
 ジャマだった髪の毛は一瞬にして丸ごと引き抜け、姿を消した。顔を上げて鏡を見ると、そこには一匹の豹人が立っていた。わたし自身見とれるほどの姿をしていた人間の体を元にしながら豹の持つしなやかで勝つセクシーな野性美を融合させたその姿、そしてそれが伝える「野性の快感」にわたしは押さえていたものをこらえきれず、鏡の中、そして外の自分を気のすむまで"食らい尽くした"…。

「はぁ…はぁ…。」
 余韻の残る中、わたしは静かに起き上がると鏡に向けて歩き出し、その中に足を踏み入れる。さっきまでかたくなに閉ざしていた鏡はまるで水のように波紋を広げると私の体をその中に受け入れる。
 その先に見えたもの。そこは無限に広がるサバンナだった。照りつける太陽、熱い空気と風。全てがわたしの体をより熱くさせる。わたしは大きく伸びをするとそのまま走り出す。尾をなびかせ、両腕と両足を思い切り振り上げる。ついでに胸の膨らみも大きく揺れる。そしてどんどんわたしの心は高まって行き、いつの間にか四本足で駆けている。胸はいつしか体の中に引っ込み、手足は四本足歩行にふさわしい形に細く長くなって行く。そして顔も前に長く、より風を切る形に変わって行く。
 そう、今のわたしは本物の女豹だった。パソコンソフトが作り出した架空のサバンナ、擬似的な視覚と聴覚、そして触覚を与えるフェイス・ボディインターフェイスが与えた架空の獣化、こうして走っているのも実際はスーツの両腕に伸びた端末がそう動かしているに過ぎない…しかし、今のわたしにとってはそれこそが本物の感覚だった。
グォッ、ウォッ、グゥオッ。
"はぁ…あぁ…はぁ…"
 豹として走るごとに快感が走り、わたしは声を漏らす。しかし、耳に響くのは豹の吼える声でしかない。そして…。
ウォォォォォーッ!
"ああああああーっ!"
 遂に達してしまったわたしはそのまま倒れこむ。
 ドスン。
 外の世界でも机の上に倒れた衝撃が走るが、それを気にする事なく余韻に浸っていた。少しの後、だるい体を起こしながら静かに起き上がる。足腰が二本足歩行の形に変化し、前足も両腕に変化してゆく。
 そしてわたしは静かに"立ち上がる"とほんの少しだけ歩く。サバンナでは大した事のない動きだが、外の世界では違う。その視線の先には鏡がある。そしてわたしは静かに首筋…スーツの襟元にあるファスナーをつかもうとしてやめる。体中に満ちた「女豹の気」が逃げてしまいそうだからだ。そして、わたしは頭―ヘルメットに手をかけようとして一瞬ためらう。それは今まで何度もやって来た事だ。
 このヘルメットを脱いだ時、わたしの姿はどうなっているのだろうか。もしその下から女豹の顔が現われたら…。いや、それはあくまでも仮想世界の話。ヘルメットを脱げば中にあるのは上気した人の顔をしたわたしのはずだ。今までもそうだったのだ。
 でも、もしかして、今度こそ…そんな気がする。
 しかし、もしそうなったとして人に戻れる術はあるのか。何よりそれからどう生きてゆくのか。そんな想いが交錯する中、仮想世界のサバンナの熱気、そして豹人化したわたし自身はますます"わたし"を熱くさせる。

 そして、わたしは勢いをつけてヘルメットを外した。そこには…。


 おわり
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