彗星からもたらされたもの Scene.2 フェル作

Scene.2-ウィルス-

「先生、竜野の状態はどうですか?」
 国立病院、白いタイル状の床に白い壁の清潔な空間で先程とはまた違う医者へ、ある女性が質問していた。その女性は彼にたった一人残された身内だった。それぞれ一人立ちしているので住んでいる場所は、別々なものの。
「思わしくありませんね。先程から痙攣を定期的に繰り返しているだけです。それに……」
 医者は静かに一つの深緑色の髪の毛を差し出した。その女性はその髪の毛を不思議そうに眺める。
「これは、彼の髪の毛じゃないの。でも、何で……」
 医者は何かのスイッチを押し、巨大な顕微鏡のようなものを室内に出すとその髪の毛をそれに入れて観察するように指示した。女性は不思議に思いながらそれを覗いた。だが、そこにあった光景は彼女にとって信じられないものだった。
「なんなの……コレ……」
 そこにあった光景、それは常識を超えた光景だった。髪の毛の外見では分からないものの、それを構成している細胞は変化を始めていた。人間ではない、何かへと。
「おそらく新種のウィルスだと思われるのですが、こんな病状は今までに聞いたことがありません。ただ、一つだけ言える事は……」

――このまま進めば、彼は人間でなくなってしまうでしょう――

 女性は、固まっていた。医者の胸倉を掴み上げ「なんとか、なんとかならないの!?」と必死に抗議する。医者はそれでも、顔を横に振った。
「残念ながらどうにも……薬を作ってウィルスを抑えようにも、進行が早すぎます。薬が完成する前に、彼は……」
 女性はその医者を床に叩きつけ、「それでも不治の病を治すことのできるようになった医者なの、なんでこんなウィルス程度退治できないのよ!」と怒号を飛ばす。だが、医者は顔を横に振るばかり。その女性は怒りと悲しみが入れ混じったような表情をし、その部屋の扉から出て行った。医者は彼女の去った扉を見ながら、こう呟いた。
「どんなに医療が進んだって、医者は万能ではないのです…何故、それが分からないのですか……」

 竜野の病室、そこには意識のない竜野がそこに存在したベッドの上に横たわっていた。既に変異は目に見えるほどとなっており、最初は176cmもあった彼の身体は、今や縮みつつあった。そして背中には小さな翼、尻からは短い尾が僅かながらに突き出ている。
 音もなく、その病室の一角、彼が寝かされているベッドとは反対の方向の壁が静かに開いた。現れたのは、先ほどの女性。だが、その目はまるで死んだ魚のようだった。
(たった、たった一人の姉弟なのに何もできないなんて……)
 女性は心の中でそう呟き、ベッドの横にある椅子に座って彼の様子を見た。ただ、見ていることだけしかできない。その思いに、彼女は無力感を感じていた。そしてただ、絶望に堕ちていくのみ。
《竜野、竜野は大丈夫なの!?》
 壁の外側から、そんな鳴き声が響いた。その部屋にいた女性はその鳴き声をした方向を見た。壁が開き、何度も咳き込む小さな竜が姿を現し、彼の横に近づこうとする。だが、それは女性によって未然に防がれた。
「まだいたのね。足引っ張りの汚らわしい作られた獣が」
 女性は、暗い顔で言い放つ。小さな竜、クィンは《離せ、離せよう!》と何度も鳴いていた。彼女は竜をそのまま床へと叩きつける。先程、あの医者にしたように。
「あいつはあなたを親友のように思っていたらしいけどね、私は騙されない。私の目が黒い内に、とっとと消えて」
 彼女はそう冷たく言い放つと壁を開け、その竜を思いっきり蹴って放り出した。壁がしまり、ロックがかかる。彼女はそれをした後で溜め息をつくと「あいつもなんで人間と作られた獣の区別ができないのかしら」と言葉を漏らした。

《どうかしたのか?》
 その外に待機していた、白衣を着た鷲のようなライオンのような生き物が放り出された竜、クィンに向かって声をかけた。クィンは悲しそうな瞳でロックがかかった壁を見つめた。
《彼には姉が居ることをすっかり忘れてたよ。彼女、いっつも僕のことをこう言うんだ、「作られた獣」だって。まぁ、あんな事があっちゃ、軽蔑するのも仕方のない事だけど》
 白衣を着た生き物は《作られた獣だから……か》と静かに鳴いた。それは、彼自身にも当てはまること。一応は人間と同じ程度の知能や感情を持っているはずなのに、人間はなぜここまで軽蔑するのだろうか。その生き物は黙ったまま、それを考える。クィンは竜野の事が心配で、その部屋の前を右往左往していた。そうしたまま時が過ぎ、日が傾く頃になった時、足音が聞こえた。それは、クィンに電話をした、栗髪の少年と彼に声をかけた女学生だった。
「あれ、クィンじゃないか。どうしたんだ、こんな所で。早く病室に入ってあいつの見舞いをしてやらないのか?」
 クィンは無言で、栗髪の少年の肩に留まる。そばに居た白衣の生き物は胸のポケットから小さなマイクのようなものを取り出し、嘴の辺りに取り付ける。
《なんでも、彼の姉に追い出されたんだそうだ》
 甲高い鳴き声と同時に聞こえる、それを人間の言葉に直したものがそのマイクのようなものから聞こえていた。それを聞いて、栗髪の少年が不思議そうな目でその白衣の生き物を見る。
「お前は? 見たところ、グリフォンタイプの生き物のようだが……」
 グリフォンタイプの生き物、そう呼ばれた白衣の生物は《確かに、私は一応グリフォンだが……》と鳴く。隣の女学生が彼をまじまじと見つめ、何かを考えつつも聞いた。
「もしかして、獣医の泉(いずみ)さんとよく一緒にいるグリフォン?」
 白衣の生物は後ろ足で嘴の辺りを掻きながら、その質問に鳴いて答えた。
《いかにも。一応は、フォウルという名前があるのだがな》
 女学生は「フォウルっていう名前だったのかぁ……」とその小さなグリフォン、フォウルを見ながら呟き、まじまじと見る。あまりに真っ直ぐにじっと見すぎて《私は見世物じゃないんだが……》とグリフォンに苦情を言われた程。
「とにかく、早くあいつに会おうぜ。お前だって、追い出されたからと言って引き下がるわけにはいかないだろう。お前はあいつの姉よりも、あいつと付き合いが長いんだから……」
 女子高生はそれを聞くと「あ、そうだね」と返答を返し、彼が収容されている壁を開けようとする。だが、何をしてもその壁は開かなかった。
「……おかしいな、故障でもしているのか?」
 それに気づいたクィンは横で何声か鳴き、フォウルがそれを代弁した。
《なんでも、先ほど追い出された時に鍵を閉められた、だそうだ》
 栗髪の少年はため息をつき、壁を見る。だが、その直後、壁は忽然として開いた。中から現れたのは、まだ悲しみが抜けきっていないあの女性、竜野の姉。だが、その視線は栗髪の少年の後ろにいたフォウルとクィンに注がれていた。
「まだ居たの、汚らわしい作られた獣が」
 彼女はそう言うと栗髪の少年をどけ、クィンを思いっきり蹴飛ばし、フォウルに向かってはその拳をぶつけようとしていた。クィンは壁に叩きつけられ、何度も咳き込む。フォウルは翼を軽く羽ばたかせてその拳をよけた。
「な、何をするんだ、あいつは……」
 女性はその冷たい眼差しで栗髪の少年を睨みつける。そして、クィンをもう一度蹴り、静かに言い放った。
「それは単なる思い込みよ。こいつは弟の親友とか、義兄弟なんかじゃない。ただの腹黒い、汚らわしい獣よ」
 二度も同じ所を蹴られたせいか、クィンは声も出ないまま床に崩れ落ちる。そのまま、彼女は「これで大事な弟が死んだら、あんたは売り飛ばしてしまうからね」と言葉を吐くとそのまま静かに歩き去った。その後姿だけは、先ほどのクィンに乱暴していた女性の面影はなく、どこか悲しげな、そんな姿があった?
「クィン、大丈夫?」
 女学生が心配そうにクィンを見た。クィンはそのまま床に突っ伏し、痛そうに腹の辺りを押さえている。それを、フォウルが背中に乗せる。
《まったく、私が一緒に来ていて正解だったな。あの女め、相当惨い性格のようだが……》
 クィンはフォウルの背中に乗せられながら《彼女を責めないで……あれでもちゃんと、理由があるのだから》と小さく鳴く。そのやり取りは獣の鳴き声によるものだったので、他の人にはなんと話しているのか、まったく分からなかったが。
「でも普段は優しいような人なのに……なんで作られた獣、という軽蔑があるのだろうな」
 栗髪の少年は彼女が去った方向を見ながら、病室内に入っていく。クィンもフォウルに乗せなれながら、その方向を同じように見た。
「なんか、えらく厳重だな」
 先に病室へ進んだ栗髪の少年がその光景を見て言った。部屋は厳重に隔離されており、彼らのいる病室内ですらも壁とガラスに阻まれていた。その先には殺菌室があると思われるであろう、大きな扉がある。それも、何かの認証でしか開かないような。
「確か、下で手続きをした際に部屋にはまだ入ろうとしないで下さい、なんて言われたわね。やっぱり未知のウィルス、だって事なのかしら」
 女学生はそのまま、ガラスに手を当てる。そのガラスの向こう、そこには変わり果て始めた彼の姿がある。先ほど女性が宣告されたように、何か別の生物に変わろうとしている状態の。
「よかった、ここに居たんですか。閃(せん)さん、井野川(いのかわ)さん」
 閃と呼ばれた栗髪の少年と、井野川と呼ばれた女学生が声のした方向に振り向いた。その先にはなんだか頼りないような雰囲気を持った、眼鏡をかけた白い服を着ている人がいた。胸には聴診器があり、彼もまた医者なのだろうと容易に想像できる。
「俺達に何のようだ?」
 閃がそう聞くと眼鏡をかけた医者は「ちょっと健康診断を。あなた達、既にこの病気に感染していたと思われる彼に接触しているでしょう?」と答えを返した。彼と井野川はお互いに顔を見合わせる。
「まぁ、そういえばそうだな。未だに詳細をまったく知られていない未知のウィルスなんだからどこから感染するか分からねぇし」
 閃の言葉に井野川は「なんであんたはそんな大事な事を気楽に言えるのよ」と突っ込んだ。彼女自身は感染しているかも、という事で冷や汗を浮かべていた。それに対して、閃はそんな事を聞いてもまったく動じずに平然としている。
「とりあえず精密検査をしますので私について来て下さい。他の方々もそこで検査を受けています」
 閃は「しゃーねぇな」と言い、眼鏡をかけた医者について行く。井野川は不安そうにしながらもそれについて行く。後に残されたのは、クィンとフォウルだけだった。ただ、クィンはずっと竜野の事を見ている。
《クィン、私達もそろそろ行くぞ。そちらはまだ風邪引きだ、そんなに無理はさせられん》
 フォウルがそうクィンに申し立てる。だが、クィンはそれをかたくなに拒否した。どうしても、常に一緒にいたい。そう考えての事だった。だが、フォウルはクィンの首筋の辺りを咥えると翼を開き、部屋から立ち去った。
《離せ、離してよ!》
 クィンはそう言いながら暴れるが、フォウルはそれを無視して部屋から出、病院からも出て行く。病院の駐車場、そこには一台の車があった。中には、先ほど獣医の泉と呼ばれた女医師が本を読みながら座っていた。
「遅いわよ、フォウル。何をしてたの?」
 泉は咥えていたクィンを後部座席の辺りに下ろすフォウルに問う。フォウルは、それを終えると彼女の隣の席に座りながら答えた。
《いや、別に言ったとおりの事をしたまでだ。そいつとそいつの姉がゴタゴタ騒ぎを起こしていたんで、遅くなった》
 泉は「そう」と言葉を発すると車を動かし始め、彼の家へと向かう。クィンはその車の中でずっと彼のいるであろうと思われる辺りの病院の一室を眺めていた。
「でも、これから先苦労しそうね。ニュースで色々と聞いたのだけどさ……」
《む……何かあったのか?》
 続


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