空へMEI作
「カメラOK、音声OK、スタンバイ行きます!」
 辺りが緊張に包まれ、一瞬雑音が消え去る。
「……本番!3、2、1、Q!」
 撮影は、始まった。

〜空へ〜

 ――彼の名は拓也。今人気のイケメン俳優である。その日拓也はCM撮影の打ち合わせをしていた。
「……で、拓也さんには、この新商品のお茶を飲んで欲しいのですよ」
 涼しげなガラステーブルの真ん中に数本置かれたペットボトルを指して、担当者は言った。
「ふぅん。……味見してもいいかな?」
「ええ、勿論」
 蓋を捻って開け、拓也は一口お茶を口に含んだ。それは、少し濃い目の本格派ウーロン茶。
「美味いね」
 拓也は微笑んだ。お世辞抜きで美味しいのだろう。担当者も嬉しそうに拓也を見た。
「ではまた後日、現場でお願い致します」
「お疲れさま」
 拓也は薄い決定版の台本を受け取り、颯爽と立ち去った。

 そして、約束の撮影当日。拓也と撮影スタッフは空港に居た。ロケ現場は海外。本格派な商品には、本格派なCM。そんな心意気で一行は飛行機に乗り込んだ。旅は非常に快適で、拓也含め撮影スタッフは皆余裕の表情だ。
「あとどれくらいで着くのかな」
 独り言を呟きながら、拓也は窓の外を眺めた。その目には壮大な景色が映り込んできた。青い空に映える白い雲、空より深い海の藍。拓也はふと思う。一人の力、それも、我が身一つで風を感じて、この景色の中を羽ばたけたら……と。
 しばらくぼうっと外を眺めていると、不意に高度が下がり始めた。
「そろそろ着きますよ」
「おう……」
 拓也は髪をかき上げて身なりを整えた。

 飛行機を降りてさらに車で数十分。一行は無事にロケ地へとたどり着いた。早速様々な機械を取り出して手際よく準備をするスタッフ達。その横で、拓也は濃紺のスーツに着替え始めた。
――今回のコンセプトは、壮大な味。
 目を閉じて味わえば別の景色が見えるような……だ。多少の言い過ぎはCMの要。如何に売り込むかが勝負。そして、撮影は、拓也がそのペットボトル飲料を二王立ちで美味そうに飲み干すと言う、いたって単純なもの。
 撮影は、始まった。ペットボトルからお茶を一気に飲み干す拓也。カメラワークも完璧。そして拓也は台本どおり空のペットボトルを地面に落とし、予定どおりにカットの声が……無かった。拓也の体は静かな変化を始めていた。
 くっと体を丸めたかと思ったら、唐突に両腕を大きく広げた。身体中の小さな毛穴からは、無数の「筆毛」が突き出て、それがまるで黒い花を咲かせるように一斉に開いた。
「カッ……カメラどうしますか!?」
 カメラマンが動揺して監督に問いかける。
「回しておけ!!これも使うぞ!」
 そうこうする内にも拓也の変化は止まらない。左右の堅甲骨が付くほどに狭くなる一方で、胸は大きく開いて筋肉が躍動する。腕は長い風切り羽に覆われて美しい翼となった。足は段々と鮮やかな黄色い鱗に覆われ、力強くなってゆく。そして、身体は縮み、服の中へと消えていった。
 次に拓也の視界が開けた時、そこには一羽の雄大なオオワシが居た。服がバサリと落ち、それと同時にオオワシとなった拓也は羽ばたいた。
「ああ、何て……」

――何て、気持ちいいのだろうか。

 腕――元、と言うべきか。今は翼だ――を動かすと、それに連動して逞しい胸筋が動き体は浮力を増す。鋭い上昇気流を掴み取ると、拓也の体は一気に上空へ攫われた。そしてそのまま、拓也の姿は広い空に消えて行った。
「……カーット!!撮れたか大嶋!」
「は、はいッ!」
 監督の声で周りは目が覚めたようにざわめきはじめた。
「監督、どうします?」
「予定どおり日本へ帰って編集するのみだ」
「しかし拓也さんは……」
「ん……。心配いらんだろう、恐らく………」
 スタッフは渋々と撮影機材の片付けを始めた。

 そんな事があった一週間後。スタッフ達はビルの一室に居た。映像の最終チェックの為だ。
「おはよ〜ございま〜す」
 そこに拓也は何事も無かったように編集されて、完成したビデオを見に現れた。
「た、拓也さん……!」
「うん?」
「あ、いえ……」
 あまりにも普通すぎる拓也に、スタッフ達は勝手に「当日の記憶が無い」のだと結論づけた。
「いい出来だね」
 それが、見終った拓也の第一声だった。
「ではこれで行きましょう。お疲れさまでした〜!」
 映画のクランクアップほどでは無いが、スタッフ全員に小さな花束が贈呈された。撮影は無事成功。全ては丸く収まった。拓也はビデオを見ながら思い出していた。自らの力だけで飛んで日本へと舞い戻った、あの日の事を。
「お疲れさま」
「監督……」
「何も言わなくていい。撮影は大成功だ。君のおかげで」
「はい」
 腑に落ちなかったが、俳優としては嬉しい言葉だった。
「またいつか、一緒になれたら、宜しく」
 監督はニッコリと笑みを浮かべて部屋を出た。拓也も仕方なく家へ戻る事にした。疑問は多々あるが、いずれ忘れるだろうと。

 その日。
 夕焼けに染まった空に、人知れず都会に居る筈のないイヌワシが一羽、高層ビルから飛び立つのが幾人かに目撃されていた――。


 END
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