金属部品の産まれ方・前編冬風 狐作
「あー、大分擦り減っちゃったなぁ」
 彼女は大きな鏡の前に立つなり、大きな声でそう漏らした。
「もう、帰ってくるなりどうしたの」
「あ、姉さま、なんかすごく体が重いなぁって感じたから…そろそろ削るのも限界よね、これ?」
 そう言って彼女は姉と呼ぶ相手の前に己の手首を示す、そこには大きな、丸い飾りと言うにしては厚みのある円盤がひとつのみならずふたつ、それぞれ対となってあった。
「ふぅんそうねぇ、確かに踏面が大分凹凸してるし、もう余りリムにも余裕ないからこれなら交換時ね。手配しておこうか?」
「ありがとう。足の方も同じだから、お願いして良い?」
「車輪一式履き替えね、分かったわ、しとくから数日待って頂戴」
「うん、それまでは大丈夫だと思う。もう少し早くって思っていたけど、なんか疲れて言い忘れちゃってたのよ」
「そう言う事もあるわよ、ま、本当ね」
 フフッとした微笑みがそこには添えられていた。やり取りだけ聞いていればそれは他愛のない女子同士、恐らく姉妹の会話に過ぎないかもしれない。
 しかしその端々にある単語を聞き取れ、その意味を理解できたならば不審なものを見出せるだろう。そしてその光景を、やり取りする2人の姿を見たならばそれこそヒトに近しい人でないものと一瞬で解せたに違いない。全く同じに通じるのは二つ足で立つヒトそっくりの体型、しかしそれながらも肌の色が明らかに異なっていた。

 まず先に話した方は真っ黒一色、姉と呼ばれた側は銀色一色。ただ肘と膝から先だけは黒い、とにかく人ならざる金属的な色合いで全身を覆っている存在であるのを認められただろう。
 そのボディには何やら文字が記されている。前者の場合、黒に対してはっきりと読み取れる白字で「形式」との二文字があった。続く文字については上からかかった明らかな汚れがとても邪魔をしていて遠目に判読するのは困難であった。
 そして酷く非生物的な匂いが漂っている。その有機的に見れば見るほど感じられなくなる色をした体に限らず、この空間自体に化学的な複数の香りが混ざり合っての匂いが満ちていて、それは彼女等が会話を交わし、体を動かす度にある種の塊となって混ざり合い満ちていく。
 その匂いは誰しも覚えがある、一言で言うなら幹線道路で良く現れる匂いならぬ臭い。ひとつ、黒い体の女が放っているのはアスファルトの溶けたもの、そしてもうひとつ、銀に黒が幾らかアクセントに入った女からは可燃物の匂いがする―多くの車が行きかう幹線道路、そこで行われている舗装工事、そして排ガスの香りの中に漂うガソリンの香りとまで言えば理解出来るだろうか。
 故に一挙手一投足の度にそんな匂いを放つ彼女等は当然ヒトではなかった。ヒトに近しい姿を取るそれを古風に言えば、いわゆる付喪神となってまだ風情はあろう。しかしより鋭角に、何より彼女ら自身の言を用いるならば「貨車女」、そう産業の為に作られ用いられ、そして役割を失うと共に処分され忘れられたかつて存在した鉄道貨車が女の姿となったもの、なのだ。
 単なるものであったハズのそれらがどうしたわけがそうした姿となって、この人のまず立ち入らない寂れ切った港湾地区の一角に棲みついている。地区も忘れられているなら彼女等も、そう。
 しかし生きているからこそ、かつての鉄道貨車であった時と同様、体をまた時に応じて手当てする必要がある。先のやり取りは正にそれに関わるものなのであった。

「あら、タキのお姉さんの所からご注文?えーっと、ふん、車輪一式ねぇ」
 しばらくしてから姉からの手配連絡を受け取ったのは同じく銀色のボディカラーを纏った「貨車女」だった。その体には「形式」と記された箇所が矢張りあり、幾らか薄れた文字列を挟んで「8000」との数字がはっきり読み取れる。そして手首に脹脛にはそれぞれ二軸の車輪があった。
「えっと、ああ妹さんのね。はいはい…ああ三軸の子、そうなると合計で12個かぁ、ちょっと材料多めに出さないとね」
 内容をつぶやきつつ確認した彼女はふんふんとうなずいて了解すると大きく体を伸ばす、その体つきは幾分小柄であったが同じ貨車女として大体は似通っていた。体表を覆う銀とはまた異なる色調、その銀白の縁からなる赤い正円は乳輪代わりに乳房の大分を包んでいて、腹部には大きな蓋。更に下を見れば股間からは幾らかの筒状の竿が垂れていて、そこだけはオスのイチモツの様な雰囲気を放っていた。
「うーん、まぁ早速仕立てちゃうか…取り敢えず出さないと、ちょうど材料も蓄えたばかりで体重いし良いかも、だし…っ」
 大きな盥を埋め込んだ様な窪みの上に大股を開いて彼女はふっと力んだ、合わせてお腹にある蓋の辺りを幾らか叩いている。響くのは肉音とも金属音とも解せられる、独特なもの。ポンともカポンとも聞こえるそれと合わせて、明らかに彼女の顔は力んで、そしてアッと言う小さな喘ぎ声と共に窪みの中へと何かが、それは液体を伴って落下するのが音が聞き取れた。
 出て来た場所は彼女の股間、それも先にイチモツの様と評した竿の中からだった。幾らか垂れ下がっているだけのモノと見えたそれは、わずかな力みと喘ぎの間にすっかりまっすぐに、剛直とまでは言わずとも太く幾らか長さを得たモノと化していた。そしてそれが幾らか震えれば、少量の液体と共に固形物が幾つも外に漏れ落ちてくる、それこそが先の音の正体。
 彼女の名誉の為に言うならそれは決して排泄物の類ではない。勿論何か匂いが全くないとは言えず、ただ明確に違うと続いて言えるのは有機的な、言うなれば腐敗の香りではなく無機質な金属寄りのものである事。かつとても鼻を突く、その点は排泄物と大差なかった。

 とにかく刺激臭として嗅いだ者の鼻腔から脳までを鋭く襲うもの、だからとても分かりやすい、特に化学に通じるならば分かるに違いない―ホルマリンのそれである、と。
「んん、あ、そうね、産み出すのはこれ位でいいかぁ…三軸の子向けなんて久々だから少し多めにしちゃったけど、さ」
 カランカランコロン―金属的な響きを幾度か繰り返したようやく彼女はその窪みの上から大きく息を吐きつつ外れると今度はかがんで手を伸ばす。そう産み落とした幾つもの何か、銀色の両手抱えでちょうど良い大きさをした幾つもの銀光する円筒のひとつひとつを手にして軽く振るなりして確かめつつ息を落ち着かせていく。
 その体表には汗は見当たらなかった、ただ銀色の光沢振りはより増していて彼女も矢張り貨車女と言う鉄道貨車の付喪神、そうであるのをはっきりと示してくれる。
「さてさて、じゃあボイラーさん呼ばないとねぇ…下準備だけはしてあげないとならないけど、彼女でなきゃ仕上げて納品出来る様には出来ないしねぇ」
 アタシは所詮、保管場所に過ぎないもの―更にそう付け加えながら彼女は円筒の全てを確認した後、いずこかへと離れていく。そして響く声は誰かを呼ぶ声、それは先に口にした「ボイラーさん」に宛てたものだろうと思いつつ、また小さな音がするのに気付けただろうか。
 コトッカタッと、わずかに金属が何かにぶつかった際に響けるそれが窪みの中、そう放置されている円筒の幾つかが微細に振動しているのをきっと注意深さがあれば気づく事が出来ただろう。そしてまたしばらくして戻って来た彼女―8000もまた気付き、いや、そうなるのを予期していた表情をしてニヤリと大きく口元を歪める姿へ繋がるのであった。
   そしてまだ濃いホルマリンの香りが立ち込める中、はいはいと応じる声が遠くから聞こえてくる。ちょっと待っててね、今行くから―そう続く声の側を見れば、それは大きく「ヌ」と白字をボディに抱いた焦げ茶色の姿をしたボイラーさんの姿が近づいて来るのだった。


    続
金属部品の産まれ方・後編 小説一覧へ戻る Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2021 All Rights Leserved.