「おう、お客さん。明日から年末年始ダイヤだから帰りのバス、時刻気を付けてな!」
「あ、はい!ありがとうございます」
この時期でも幾許かの運賃を払うだけで運んでもらえる路線バス。後者口から降り様に、マイク越しとは言え運転手からかけられた言葉にうなづき返せば、後は静かな風すら吹いていない夕暮れ時の港湾地区だけがそこにあった。
僕を乗せてきたバスはしばらく先にある転回所に向けて回送の幕を出して過ぎ去っていく。後に残る排気ガスの香りを吸いながらバス停からすぐの角を曲がって、より人気のない一角へと足は向かっていくとその背中を押す様にふと風が吹き出すのが何とも面白かった。
バス自体は今日まで平日ダイヤとは言え普段から乗る人はそうはいない、勿論この港自体は今でも出入りする船は多く打ち捨てられたとの表現は全く相応しくないのだが場所によりその濃淡はある。特に今いる地区は淡い方だろう、何せ時として足を向ける程度でしかない僕がバスの運転手達から結構な頻度で利用する常連さんと認識されるほどなのだから。恐らく、この一角に残っている数少ない事業所の職員だと思われているのだろうが実のところはそうではないとはとても言えない。
最も、そんな事を細かく聞かれた例はなくこれからも無いだろう。あくまでも彼らからしたら僕は閑散路線の貴重な固定客、そして終点で降りる僕を降ろしたら転回所で幾らかある休憩―曰く、中々休めないからとても大事な時間の為にハンドルを握っている様なもんだ、と語っていた運転手もいるほどだから。とにかく降りたら他人様、そしてそれは僕としても好都合以外の何物でもなかった。
進む道は舗装も荒れていてアスファルトの表面が幾重にも抉れては窪んでいる、恐らくはかつて重量物を載せたトラック等が行きかったが故だろうが今は路肩に不法投棄されたと思しき壊れた自動車がある程度に利用がない。そんな具合だから正直雰囲気はそう良いものではない、だから歩き慣れているとは言え足早に通り過ぎると共に取り出した鍵をやや錆び付いた門扉に挿したらすぐにその内に入る。そしてようやく息を吐ける。
バス停から歩いて5分ほどでつけるその場所に当然ながら活気はない、この寂れた一角の多くを占めるそこは輸送手段の切換により役割を失った貨物の積み替え施設であった。
唯一、僕が持ち合わせている鍵が使える門扉以外に出入り口はない。仮に誰か、例えば仕事熱心な警官とかに出入りする様を見咎められても正当な鍵を有しているだけでおおよそ潔白となるだろう。何せこれはこの施設の中に住まう存在より手に入れたのだから、最も当の本人からはそんなに気にする必要はないと言われている、気にしたところで仕方なくもし大事になったら助けてあげるとも。
だからこそ、僕は余計に気を付けてしまうのだ。迷惑をかけたくないと共に余計な要素が加わって欲しくない、そう願えるから続く建物の入口の扉を開けていよいよ気を緩める事が出来るのだった。
今やすっかり役割を失った施設とは言え、電気は通っているから日が落ちる頃になると一部の区画には自動的に明かりが灯る。言い換えれば最低限の維持管理のされている、となるがそれを踏まえて僕に鍵を与えてくれた存在はあらかじめ、何時来る様にと毎度僕に教えてくれる。だから今日もその指示に従ったまで、後はいつも通りに建物の中を進み、結構奥まった扉の前に立つと勝手にその扉は開かれ中に招き入れられる。
「やぁ、今日も会えて良かった!」
「もう、会いたかったよ!」
久々に耳に届く“彼女”の声に僕も大きく返し、そして強く抱擁しあう。とても待ち遠しかったこの瞬間、指折り数えて待っていただけに大きく吸った息と共に鼻腔に届くケミカルな香りと合わせてとてつもない恍惚感を得てしまえてならなかった。
この部屋にはここまで歩いてきた通路にはなかった化学性の香りが満ちている、それは彼女の体からも発せられていて息をする度に僕の鼻腔を通じて脳みそを直接刺激してくる度に何度でも思う―何て良い香りだろう!と。そして僕からも発して返したくなる、早く彼女に僕の香りを嗅がせてあげたくなる。そう思ったのを察する様に彼女は抱き着きながら、器用に僕の体をまさぐり出しては手をかけやすい場所から順繰りに服を脱がせようとしてくる。
「もう、そんなに急かさなくていいよ…んぅっ」
「じゃあ、早くして…?そうしないと破いちゃうよ、ふふ」
ズボンを脱がそうとしていた彼女の手を僕は軽く制しつつ、片手で身に纏う物を可能な限り脱ぎにかかる。慣れてはいるが彼女はせっかちだ、その銀と黒の2色からなる光沢感のある体が秘めている力は今のままの僕ではとてもかなわないからこそ手加減してくれている間にその意に添う様に僕も変わらなければならない。
「あと少しだから、ああ、ちょっと…もう…っ」
ズボンに始まりパンツ、上着…と何とか抱擁を強くしてこようとする彼女の動きを掻い潜りつつ、あとは肌着だけと言うところで時間切れと言うのもまたお約束。それはある種の様式美的なもので、僕自身がもう我慢ならなくなっているから仕方ない。いや、僕と言うより私だろうね、そう私としていよいよ体が限界に達してしまったのだから。
「もーう、待たせてくれるんだから、言葉より体の方が貴女って本当素直よねっ」
その途端に私の中で彼女は姉へと変わる、お待たせしましたと心に浮かぶか口で漏らしたのか、そのどちらなのかもあやふやな感覚。。脱ぐのが間に合わなかった男物の肌着の継ぎ目が悲鳴を上げたのは正にそんな時、同時に体もきしみ出す、口からやや汚い音と共に多量の二酸化炭素が吐き出された時には鳩胸はむくむくと膨らみを有して双丘たる乳房へと変化を始めていた。
「あん、姉さまっもう少しっ…んん」
「早く、速く!お肌はどんどん黒くなってきてるよ」
まず私が見舞われているのは女体化であった、男性的特徴が失われると共に女性的な乳房、丸みのある腰回りが次々生じ出して体つき自体は大柄に、そして肌は真っ黒に染まっていく。息は当然荒いが姉様との受け答えは出来る程度、その姿は私と対照的な銀色をしていて肘と膝から先だけがオペラグローブやタイツを身に纏っているかの様に黒色。
対する私は全身が黒一色、顔からつま先に至るまでが全てそうだからまるで空間に人型の窪みがある様ね、と姉様には前からよく言われて仕方がなかったが、それが単なる人型ではないのは私も姉様も同じだった。それを示すのが互いの胸、正確には乳輪の位置からだろう。そこは大きく赤く染まったまん丸で歪みのない乳輪、その端には薄い銀色の縁取りもあってそれは特に私でとても目立っていた。
輪郭的な特徴としては手首と脹脛には円盤の様な物が見える。それは今、私の体に生じつつあって前者なら付け根の出っ張った骨を中心として、後者は脹脛の厚み自体を取り込む様にして膨らんでいくのが実感として分かってならない。例えるならキノコの大きな笠の様でもあるが、次第に内側に窪みのある厚みのある円盤へと変わり、そして整っていく姿は明らかに生物的ではない円の重なりで構成された工業的な代物―車輪以外の何物でもなかった。
「ああ、ここまで…んん、あっ」
「あと少しだけど…我慢できなくなっちゃったぁ…」
そこで不意に抱き着いてくるのが姉様だった、ぎゅっと両手でホールドしてきたら変化がまだ続いてる私の唇を奪い、そしてそのまま押し倒す。背中には硬く冷たいコンクリートの床の感触、だけどそれはあくまでもヒト的感覚と言う事に私は気づく。今の私はヒトではないから冷たいなんてと浮かべたのも束の間、そのまま体をすり合わせつつ私の顔の前に自らの陰部を合わせて一言、咥えて?と疑問形ながらしなさいとの意図を多分に含んだ問いかけが浴びせられる。
姉様に言われたら逆らえるハズがなかった。もう鼻腔には目の前の筒―ヒトで言うならイチモツがこの部屋に漂うケミカルな香りの元はここよ、と言わんばかりに匂いを滴りと共に私に示してくる。とにかく太いソレだからこそ私は姉様の太ももを掴みながら、手首の車輪が当たらない様にしつつ食み出す。あんぐりと大きく開けた口の中に咥えた瞬間、腰が打ち付けられ始めて私は呻き、更に器用に避けたはずの手首の車輪が姉様の銀色のボディと触れて回転し、そこからの快感に脳内が震えつつますます受け入れてしまう。
“私は、今の私はヒトではない、でも感じて、あ、ア感じるゥ…!気持ちいい、いンっ、貨車ボディ、ん、いんっ!”
どうしてこうしてこんな体を与えられて、今、私の構内にケミカル―詳細に言うならガソリンの匂いに満ちたイチモツ状の太い筒を挿入して腰を打ち付けられてよがっているのか、もう私は何時も分からなかった。戻って良いわよ、と言われてヒトオスの体に戻って名残惜しく後ろ髪引かれながら帰り、人の世界で過ごしている時も全く分からなかった。
ただ言えるのはヒトとして生まれた記憶もなければ、このヒトならざる器物―貨車様のボディとなった記憶もなくて当然なのかもしれない。むしろそう思うのが合理的でしかなかった、そう私は元々物を、姉さま曰く化成品を運ぶ為の存在だったんだけどね、と言ってくれたっけ、そうならきっとそうに違いない、私は本当は化成品を運ぶ為の鉄道貨車として生まれて、何かの拍子でそうでなくなってそうなったアタシを姉様が見つけ出してくれて戻してくれたんだって。
そうなった、いやそうなんだからアタシはこうして姉様の貨車イチモツにご奉仕するのが恩返しなんだ、だから―もうそこにはヒトオスの僕はどこにもいなくなっていた。
港湾地区の寂れた、船と鉄路の積み替え施設の跡地。すっかり放棄されて久しいそこに立ち入る用がある者はほとんどいない、だからこそ今何があるのか、どうなっているのかを知る者はまずいない。いたとしても表面的だろう、幾つも残る建物の奥を隈なくとなれば皆無に等しい。どんな事があってもまず知られない。
全てを覆う放棄の薄く厚いベールの向こう。そこはかつて栄えた名残の何かが今でも巣くっていてもおかしくなく、それが単なる記憶でなく器物の付喪神として運良く入り込めたヒトに憑き変えて閉じ込めてしまったとしても誰も分からず深まるのみなのだとふと漂う新鮮なケミカルの香りは示唆してくれるのだった。