Halloween, das ist Shibuya in der Nacht―前編冬風 狐作
 東京は路地裏にこそ魅力がある、と書いた人がいるかいないかは知らないが、いずれにしてもこの大都市の街角、殊に路地裏は色々な表情を秘めているものである。
 そしてそれは人通りの多い大ターミナルのある地区でも変わらない、むしろそうした地区の方が見過ごされている物は多いかもしれない。何せ人と言うものは普段関係するところ以外は何分見ていない事が多いもので、特に何か目的がそこにあればあるほどそれ以外のモノは知らなくても何とかなってしまうからである。
 故に今日、このハロウィンの日。この日はその地域に来る事自体が目的と化してしまうものだから、その傾向は尚の事強まる。普段以上に多い人の流れがますます見過ごしを多くしてしまう、そんな喧噪に包まれているからこそ逆説的に見れば、本来ならば許容されない事も起こしやすくなる、それはこの都市に限らないある種の鉄則であるとすら言えるだろう。

「いやぁ、本当に今日出番なのが悔やまれるな」
「全くですよ、さっきから変な奴ばかり来るし…ほらまた来た」
 東京都渋谷区、いわゆるシブヤと呼ばれる一帯が若者の街と呼ばれる様になったのは何時の頃からだろう。少なくとも、今、改札に立って出札業務をしている駅員二人にとっては物心ついた頃にはそうなっていた、としか言えない。最も、彼等はそういうシブヤとは無縁な文化や環境で育ってきたものだから、どういう因果か知らないが就職の結果、配属されたこの駅においてそうしたシブヤの気を纏う人々と接するのは業務だからこそするのであって、プライベートではなるべく関わりたくない、との考えを共に抱く者同士でもあった。
 特に今日、つまりハロウィンの日はここ数年とてつもなく業務量が増えているだけに他の駅員もこの日はなるべく勤務に当たりたくない、との思いを強く抱く傾向にあった。敢えて書くならばここは渋谷の中心にある駅ではない、むしろ渋谷からは少し離れた中間の駅にあたるのだがその距離と言うのが微妙なところで、混雑して時に駅への入場規制すら行われターミナル駅を避けてわざわざ歩いてくるシブヤの人々が無視出来ない数いるのである。
 最もただ単に使うだけならそこまで彼等も忌避はしないだろう、問題はそうしたある種の一見さん的なお客の振る舞いが余計な業務を増やすから、と言える。その一例として挙げられるのが騒ぎに騒いで酩酊の挙句嘔吐や喧嘩、または昏倒の類。最もこれらはそうしたイベント事のない時でも日常的にあるものだから何時もより多い程度でしかない、ある意味淡々と清掃、あるいは警察や救急に出動要請をかければ良いだけだからそこまでの負担感はない。
 では何が特に彼等へ忌避感を抱かせるのだろうか?そのひとつとしてまず挙げられるのが駅構内の汚損であろう、トイレ個室内でハロウィン用のメイクをして汚す、あるいは騒いだ後に纏っていた仮装用の品々をトイレやホームに遺棄していく、そしてそれ等に対して一般の利用客から苦情が上がって対応するのに割かねばならない時間と手間。更に言うならば混雑著しいターミナル駅から出てくる列車の遅延も酷くなり、不正乗車やそれに類した行為も特に増えるものだから終電を送った後はすっかりヘトヘトになっているのが常態化しているのであった。
 しかし、と先に挙げた駅員の内の一人は後にその年のハロウィンの夜の事を振り返ってこう口を開く―あの日以上の騒動はもう考えられない、と。
「ちょっとお客様!そんな所を突破しないで下さい!」
「駅員さん!そんなどころじゃないんだ!ヤバいんだよ、オカシイ事になってるんだって街が!」
「おかしい?何言ってるんだ、とにかく一旦下がって!」
 その“変な奴”は改札目がけて物凄い勢いで走り込んできた、見た目は明らかにハロウィンの仮装をしている。見たところかなりリアルなものでこうした状況下でなければおおっと唸ってしまいたくなる位だった、しかしその動きは駅員として明らかに制しなければいけないものだった。何せそいつは並んでいる自動改札機と壁の間にある柵を乗り越えようとしたのだから、余りにもあからさまな不正乗車の試みと判断した彼が声をかければ何とも必死な声が返ってくる。
「おかしいって…ん、なんだか騒がしいな…?」
 その様を見ていたもう一人の駅員も加勢しようとしたその時、ふと妙な事に気付く。そう今、目の前で柵を飛び越えようとしているそいつの風貌が仮装にしては妙に体に馴染んでいるばかりか、明らかに声のトーンがどこかに混乱と懇願混じりであるのに。加えて先ほど走り込んできた駅の外に通じる階段の先から、それは後を追いかける様に新たな何者かが姿を現した所にホームから苛立ち気味の旅客がやってきてこう叫ぶ―おい、5分も待ってるのに列車が来ないぞ!と。幾つもの叫び声に鉄道電話の呼び出し音の鳴動が交錯したのは正にその直後の事であった。

「え、マジ?列車止まってんの?」
 渋谷から少し離れた駅の改札で騒ぎが起きるちょっと前の頃合、ターミナル、つまり渋谷駅に向かっていた高橋早姫は先に帰路に着いていた友人からの連絡に思わず呟いて立ち止まっていた。
 詳しい状況は良く分からなかったが続けて送られてきたメッセージには駅で列車に乗り込んで発車を待っていたら、駅構内の方で何かあったらしく列車が発車出来ない状況になっている、と車掌が慌てた声で放送してきてそのまま、と記されていた。状況が変わったらまた教えて、と返して送信が完了したのを確認して彼女は大きなため息を吐いてしまう。今日はハロウィン、以前から繰り返されてる騒動に巻き込まれるのが嫌で渋谷によく来る彼女でもこの日は避けているのだが、今日はどうしても誘われて仕方なく付き合ってきた次第。
 そして彼女よりも遠方に帰る友人と別れたのは30分ほど前、なのにその友人が乗り込んだ列車がまだ渋谷駅を発車していないのは明らかにおかしな事だった。ただ妙なのはそれだけではない、そうも列車が止まっているなら駅に向かう道すがらでそれを話題にしている人が他にいてもおかしくないのに見たところ全く見当たらない事だろう。
 皆してハロウィンの夜の喧騒に、とは言えてしまえようが時間はそろそろ終電も見えてくる頃合。そんな時に列車の運行が乱れていたら駅に向かう多くの人の間にその情報はさざ波の様に伝わるはずなのに、とまで考えた時にある事に気付いてしまう。そうスマホの画面に映るメッセージの受信時刻がたった今ではなく20分ほど前であるのに、そして駅の方からこちらに向かって走ってくる人、そして叫ぶ声、怒鳴る声がさざ波ところでない大波となって通りを走ってくるのに気付いた時だった。彼女の前に何者かが現れたのは。
「え…!?」
 早姫がそう漏らせたのは幸いだったのかもしれない、反射的に数歩であるが後ずさり出来る余裕があったのだから。その何者かがまず接したのは、そのわずかな間に走り込んできた見知らぬ男であった。そして彼女はその男に場所を譲るべく更に後ろへと移りつつ、その瞳は有り得ない眺めの一部始終を目撃してしまう事になるのだった。
 見知らぬ男はその最初の段階で相当混乱していた、玉の様な汗をかいてぜぇぜぇと息を荒くしている。一気に駆けて来たのは間違いなく彼女と何者かの間に入ってきたのも、半ばよろめいての事であるのも察する事が出来た。それだけに彼は今、どうした状況にはまり込んでしまったのか、そこを全く把握していなかったと出来るだろう。
「ひ、あ、ばけもんだぁ!」
 ばけもん、バケモノ、化け物―それは早姫に対してではなく何者かを表するのに正に相応しく、そしてそれは彼の運命を決定づけた、とも言えるかもしれない。
 次の瞬間、その体は大きく路面に叩き付けられて彼女は更に後に下がる。すると化け物はその男の体にその腕を強く振り下ろし鈍い音がした事が何が起きたかを一瞬目を閉じた彼女に対して否応なしに示してくれる。
 だが信じられないのはその先の事、再び開かれた眼の先で起きていたのはその男の体が幾らか痙攣、合わせてその腕が男の体に食い込んでいて引き抜かれる。当然、早姫は思った、鮮血が噴き出るに違いないと。しかしそれに関しては外れてしまう、代わりに起きた事こそ気付いてはいなかったが実はその通りの各地で起きている一コマに過ぎないのを知るのはもうしばらく後になる。
 男の背中から引き抜かれた化け物の腕、それは不思議な色合いを放っていた。辺りのLEDやネオンによる目が時として痛くなる明かりに満ちた通りの中で、その持ち合わせる色と言うのは明らかに目に優しい色味の灰色。そこには血飛沫も何もついていなく、今、男の体の中から引き抜かれたとは常識的に考えられないものだった。
 しかし視線を少し下に向ければ痙攣している男の中には黒々とした穴が空いている、それは今、化け物の灰色の毛に包まれた腕がそこに突き刺さっていた証拠としか言えず、早姫の脳みそは余りの情報の食い違いにフリーズを起こしかけたもの。だからこそ冷静さを取り戻せたのかもしれない、そしてその一瞬だけの冷静さの後に再び驚きを抱くのだから―そう男の体が衣服ごと、目の前の化け物に似た姿に変わり始めたのだから。
「ええ…な、なによぉ!?」
 流石にその途端、彼女は何か発条で弾かれたかの様に動くなり踵を返して一気に走り出す。そして気付く、今、目の前で路面に叩き付けられた男の身に起きた出来事がこの通りの端々で発生していて、それを目撃した人々が逃げ惑っている事に。詳しく観察している余裕なぞとてもなかったが早姫自身、こんなに走る事が出来たかしら、と思う様に逃げながら捉えた範囲では襲われた人々は一様に襲ってきた化け物と近しい姿に変わっている事。そして彼女の様に逃げる判断も出来ずに固まった人、あるいは混乱した人を次のターゲットとして襲っている、それだけは確実なものだった。
 だからこそ怖いもの見たさと言う気持ちもどこかで芽生えてくる、それは早姫の脳が余りの情報の過多ぶりに混乱した証とも言えるだろう。だから彼女はその通りから抜け座間にと振り返る、そして改めて恐怖するのだ―明らかに彼女をつけてくる化け物が二体いる事を知って。その一体はあの男を叩き伏せた灰色、そしてもう一体は絶対と言う訳ではなかったがその男自身。
 すっかり変じてしまいやや茶色の毛並み包まれた大きな犬にしか見えない、いや犬その物だったらまだ良かったのかもしれない。どう見てもそれはヒトの形をしていて正に異形と呼べてしまえる姿が大混乱に陥っている通りの中をこちら目がけてくる事に、とても小さく悲鳴を上げながら咄嗟に見えた狭い路地へと飛びこんで行った。


Halloween, das ist Shibuya in der Nacht―中編
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