喜びの夜 冬風 狐作
「急に転職する事になったんだー、だから引っ越したの」
 すっかり夜も更けた頃合、赤提灯がちらほらと並ぶ駅からの細い路地をその声に導かれながら私は歩いていた。声の主は長年の友人である美佐子、久々に会う話になった勢いで私は今、彼女の自宅へと向かっていた。
「ふぅん、前に住んでいた地域とは大分また違う雰囲気の場所を選んだじゃない?それにしても」
「仕方ないでしょ、言ってしまえば転職先指定の社宅ってところだし。だけど良いわよ、最初は夜もうるさいなぁ、と思ったけど慣れたらこれはこれで楽で、ね」
 人通りは少ないとは言え、通り過ぎる居酒屋の中からはけたたましい笑い声や明らかにボリューム設定が過大なBGMが漏れ、おまけに幹線道路が近いからか少し静かになったと思ったら、トレーラーだとかがそれなりの速度で走り去る音が響く街。それは美佐子が以前に住んでいた都心の静かなマンションのある一角とは全く逆の猥雑さ、それが何とも換気扇から漏れる様々な臭いも相まって強く漂うものだった。
「まぁ住めば都、ね」
「そうそう、人間の適応力って怖いよねぇ、真紀も分かると思うけど…はい、到着。ここが私の今の家よ」
 どこか他人事の様に返された所で私達はとあるアパートの中へと入る。オートロックすらない、昔ながらの姿に私は本当に彼女がここに住んでいるの、と当惑してしまえつつ、その後を着いていけばある一室へと導かれる。流石に鍵は防犯も兼ねて二重になっていたが、以前の管理人の常駐している賃貸マンションに住んでいた美佐子を思い出すと、ふと目の前にいる彼女は本当に当人なのか、とすら浮かべてしまえてならなかった。
 ただ口調から雰囲気まで違和感は全くなかった、服装のセンスもおかしな所は全くなかっただけにとても声に出そうとまではならなかった。とにかく自らに言い聞かせる様に私は先に交わした“住めば都”との表現を脳裏に浮かべながら、早く入ってきなさいよ、と誘われるがままにその扉の中へと足を踏み入れたのだった。

 扉の向こうは外見の通り、昔ながらのアパートらしい一室であった。最もフローリングに改修されているからやや高めの土間との段差を除けば今風なもの、だから彼女もベッドと共に椅子と机を持ち込んでいたし、軽く身を緩めたらそこに腰を下ろして途中で買って来たアルコールやおつまみを出して夜も遅い歓談へと場は変わっていく。
 思えば美佐子とこうした場を設けるのも久々なものだった。大学時代は良くしていたのを振り返りながら適度に夕飯から時間が経っていたのもあり、どんどん買い込んできた品々は体の中へと取り込まれていく。そろそろ尽きちゃいそう、と思うとこうなると踏んでいたから、と彼女は冷蔵庫の中から新たな飲料等を出して来ては勧めてくるので、何だか私も断る気がどんどんなくなり礼を言いながら、そのまま場に全てを委ねて行ったものだった。
 だからふと気づいた時、もう脳は火照りきっていたとしか言えない。見えている世界すらもどこかぼんやりとしていて、ただ口と手だけが盛んに動く。耳すらもぼんやりとした幕を得たかの様な中で最もはっきりとしていたのは、尿意であった。
 アルコールを摂取する、それは肝臓において盛んに分解され、そして尿として排泄されるそのサイクル。それはどんなに楽しくても変わらないし、無論この場においてでも、であった。だが何故かトイレは、との言葉が喉から出てこない。流石に酔いながらも漏らしちゃいそう、との意識が体を軽くもじもじとさせてしまうが言葉としてその事を家の主たる美佐子に告げようとする動きだけは一向になく、もし私が冷静にその場を後から観察出来たならば不審にしか思わなかっただろう。
 正直なところ、ここ最近、私は頻尿気味であった。それは疲労によるものだろうし、処方されている薬の影響も加味、とも医師からは言われていた。だから尿意を感じた時は躊躇なくトイレに向かう様にしていたのだが、それがその時だけはどうしても取れず、ただひたすらにアルコールを有り得ないほどに摂取すると共に強まる感覚、その組み合わせにどこか意識が飛んでしまいそうになった時だった。目の前にトイレがある事に気付いたのは。
「あ…トイレだ」
 もう私にとってはそれを認識した事が全てだった、もうその瞬間にそこに催したいの一心になって腰を浮かせるなり、私は自らの手に下着をもう脱がせ始めていた。当然それは動きながらのもの、気付きによる意識と力みの緩みからもう膀胱からあふれ出した尿意と競るかの様に駆け寄ったら…次の瞬間に盛大な溜息を私は漏らしていた。
「間に合った…ああ、良かった」
 耳に響く排泄の音、アルコールを分解した後特有の甘ったるい臭い、何よりも全身に伝わる脱力感の三点セットに私が浸っている証でもあった。間に合った、これで美佐子の前でお漏らししなくて済んだ、その思いが酔いのすっかり回った体の中に響き渡る。そしてそれは不意に疑問に変わる、あれ?と。 (どうして私、初めて来た家でトイレの場所が分かったんだろ…?)
 当然の疑問であったかもしれない、ただ私はもうそれ以上何も思えなかった。ふっと感じた全身への冷たさ、その途端に意識が一気に収束に向かって行ってしまったのだから。

(はぁ…すっごく濃厚…っ!)
 酔いに酔って夢も現も分からなくなったのが真紀と対照的なのが美佐子その人であった、そうそれはある種の冷静さの内に計算と共に観察していたからこそ、と出来るだろう。
 彼女にとって今の真紀の状態は願ってもないものだった、意識が朦朧とするまで酔わせて、それこそ余計に騒ぐ事もない、しかし意識を肝心の目的の前に飛ばしていない状態で…と仕組むには計算していても当たりはずれが多かっただけに、その通りになると踏んだ時から彼女は準備を始めていた。
 もう真紀がまともに辺りの様子を把握出来ていない、そして尿意を募らせて仕方ないのが確実となるなり、彼女はスッと机の下へともぐりこむ。合わせて少しばかり机を引いて、無論その上にあるアルコールだとかを確実に真紀が取れる程度の距離は維持しながら、衣服を脱ぎ棄てて全裸となる。
 話しかけられたら適当に返事を返しつつ、美佐子は机の下でブリッジの姿勢を下半身を真紀に向ける形で取る。そして大きく息を吐いて吸いながら陰部へと力を込めると、その体は途端に痙攣して、そして何だか輪郭が崩れ出していく。
 全体がブリッジから台形そのものへと変わると言えようか、合わせてその体の色合いはやや小麦色の強いものから透き通る様になって、形の安定と共に銀色のステンレスその物の色となる。それと共に体はより特徴を随所に持つ様になる、台形の下底部に大きく湾曲して取り込まれた顔はそのまま膨らんで歪み、上底へと突き出す。
 それは巨大な楕円形の窪みとして表れていた、恐らく口に相当するのがその一角にある丸い穴なのだろう。そしてそれは管の入り口となって台形の中を巡ったら大きな空間へとつながる、それは内部にある大きなタンクであった。口から管を経て繋がる、となればそれは内臓と言うものだろう。  当然ながらそれは銀色のボディの内側にあるものだから外からは見えない。しかし表から見ると明らかにその部分から外に繋がる別の口があり、それは栓こそされていたが中にあるものを示唆していたし、“内臓”に応答する穴として見るならば“肛門”と評するのが妥当だろう。
 最早そこにあるのは金属、ステンレス製の物体でしかない。幾らか瞬く間の前にそこに美佐子と言う存在がいたとはとても思えないほどに、その姿はある用途に特化した道具なのか明らかだった。そしてそれは気付いた真紀によってありありと示される、即ち「和式便器」その物の姿に彼女は変わっていたのだ。
(はーすっごく、沢山してくれてるぅ!真紀、サイコーよ!ああん、もっとぉ…!)
 余程我慢していたのだろう、金属の便器の中に注がれる真紀の尿は勢いの余り少しばかり辺りにも飛び跳ねてしまうほど。だから便器としての機能は満足に発揮出来るのに便器、もとい「和式便女」と化した美佐子はたまらなく幸せだった。だからこう思う、この快楽を貴女にも味あわせてあげたいな、と。
 今や彼女の“内臓”こと便槽は真紀から放たれた尿がそれなりにたまっていた、しかしそれだけでは到底物足りなかった。そう再び注いでもらうには、その便槽の空白を満たしてもらうには尿でも何でも良いから新たな供給が無くてはならない。しかしこれだけ注いでしまったのだから真紀からすぐに期待するのは難しいものがあった、それならば、と便女たる美佐子は考える、そう取り込んでしまえ、と決めてしまう。

 仮に真紀が気付いていたならばれは自らの体が震えたから、と判断したかも知れない。しかし実際は違った、そう便槽を内部に有する便女のボディが少し歪んで触手の様なものが突き出すなりその体を捕えたから、であった。
 それを真紀は全身への冷たさ、として捉えた途端に意識を失う。それこそ正に好都合なもの、便女の上に崩れ落ちる様になったその肉体は瞬く間に触手に巻きつかれた場所から金属色、即ち同じステンレスの色へと変わり一体化していったのだから。
 ただ全てが呑み込まれはしなかった、むしろ前のめりに倒れた頭がそのまま便女の中へと取り込まれたら後は倒立する様にその体は立てられていく。そうそして角ばっていく、足は瞬く間に短くなってその角張りの形成を助けて行き、腕は明らかに接合部へと転じていき、首はそれこそ大きな管へとまずは変わった。
 便器についている角張った物体、となれば恐らく察せられるだろう。即ちタンクである、ステンレスの巨大なタンクと今や真紀の体は変わっていた。当然ながらそこに意識はない、何故なら今や一体となった便女の一部でしかなくて頭は管と化して便槽につながり、背骨であった部分が転じた管はタンクそのものへ、そして首の中身はタンクの中身を便器の中へと繋げる管とすっかり変じてしまっている。
 よってタンクの中にある液体はそれらに転用されなかった残り滓の転じた洗浄液であった、そしてふと響く空気の抜ける音と共に洗浄液はタンクから便器に流れ、そして便槽へと至る。すると今度は便槽からタンクの中へ尿と洗浄液の混合液が戻って行き、そうそれは正に繰り返しだった。誰もいない部屋の中でひたすら液体が回り続けるステンレス製の「和式便器」は良く見るとかすかに震えていた、それはそう「便女」としてのタンクを得て強化された事に対する喜びの表れだった。

「あー仕事行かなきゃ、ゴミ捨ても忘れない様にしないと…」
 それから数時間後、赤提灯もすっかり消えて朝日に包まれる街へとのアパートからひとりの女性が出てくる。その名は美佐子、最近、転職によってここに越してきたばかりの住人である。
「うーん少しサイズ気にしないとなぁ…ちょっときついや」
 辺りに誰もいないからだろうか、彼女は少しばかりお腹を気にする様に撫でる。そして少しばかり離れた所にあるゴミ集積場へと手にしてきたゴミ袋をポイッと投げ込んで駅へと足早に向かっていく、今日はいらない衣類の回収日であった。だから透明な袋の中には彼女がいらない、と判断した衣服が詰まっていて同様に持ち込まれた袋のひとつと今や見分けは全くつかない。
 そして時刻になれば収集員がそれ等を回収して持ち去っていく、そんなある朝。そのひと時の中に昨夜、この路地を歩いていた女性の姿は見当たらなかった。何時までも、そう日付が変わろうとも姿を見せる事はなく、ただ日に日に体格の良くなって行く美佐子こと「便女」がヒトとして勤務先とアパートの間を朝夕に行き交う姿があるだけであった。


 完
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