雪の日のティータイム冬風 狐作
 大都市は雪に弱い、雪にも弱ければ大雨等にもにも当然弱いのだが、雪に対するそれは尋常さではない、とは多くの人が口にする。
 最も毎年、豪雪が降る様な、備えのある都市であっても都市であっても何等かの混乱とは生じている。故に少なくとも大都市の住人が想像する様な大雪の中でも整然と機能している都市、とはかなりの面において幻想でしかない。あくまでも比較してみれば、でしかないと地方出身の私は毎年の様に、その報道、また目の前で起きる混乱等を目の当たりにしては思えて仕方なかった。
 だから今日も、先の、気付きすらしなかった初雪からわずかとしない内に、この住まう大都市を襲った雪。それによる混乱から来る種々の話等を目にすればするほど、改めてそう思えてならなかった。
 何しろ余りにもそれが連呼される事に、どこかでは眩暈にも近い感覚を抱けてしまえる。こうも弱いのをわかっていながら、毎年連呼しても意味がないのではないか、との心地でいると、次第にまるで大都市は雪に弱くてはならない、とすら聞こえて来てすらしまえるものだろう。
 そしてそれには自らの、地方にいた時の経験や感覚に対して疑いの視線を向けられているかの様な心地にすら次第になってくる。正に心中複雑さが増し、となるのもまた毎度の事だった。とにもかくにもそうした気持ちを晴らすには外出するに限る、故にふっとした溜息を吐きながら、私は分厚い防寒着を身に纏う。加えて革の手袋をはめ、適当な帽子を被って備えれば、今もなお降り続いている雪の中へと立ち入って行くのだった。

 雪の中、外に出たからと言って特段何か目的がある訳ではない。この都市に住んで長いものになるが、およそ勤め仕事と言うのは大分しばらく前からご縁が無かったものだし、世間的に言うならば今の身分は自営業、となるのだろうか。最も私自身はそんな自覚すら薄いが、無職とするのもどこか癪であるので、どうとでも解釈出来る自営業として何かあれば記入していたし、何らかの申告や申請の際にも、むしろそれが好都合であったからすっかり重宝している肩書きだった。
 だから、この外出も必要な営業活動、と言えよう。防寒着の上にある肩掛け鞄の中にあるメモを、雪をしのげる場所でしばらく一瞥した後、足を向けたのは混乱のピークを過ぎ去ったとは言え、まだまだ多くの改札を通れない人でごった返す駅前。
 上を見れば電車は比較的高い頻度で来るものの、どちらに向かう電車も到着する段階で曇った窓の向こうは人でごった返しているのが見え、とてもこの駅前で改札に入るのを待つ人たちの助けとなるには、全く足りないのがはっきりとしているものだった。
 タクシーもバスも姿が見えず、結局、不確実であるとは言え、まだ足となる確率の高いと見受けられる、ごった返した電車を待つ人々。その中に混じりつつ耳をそばだてていると、色々な反応が拾えてくる。多くあるのは当然ながら痺れを切らした、まだなのか、とかそうしたものであって、それこそ何か燃え上がる材料が放り込まれたら一気に炸裂しそうな危うさを伴っている。
 ただそれに蓋をするかの様にあるのが、一様に寒い、との思い。それ等によって危険さを帯びた憤りがちな気持ちも、寒さの前には萎えてしまっていて、とにかくは早く暖まりたい、寒さをどうにかしたいとの反応の強さとなって現れているのに私は思わず微笑んでしまえる。
 どうして微笑んでしまうのか。それは一口に言って予想通りであったから、としか言えないし、だからこそ私の「営業活動」に相応しい舞台が整っているからだろう。故にわずかに動く人の流れに乗りつつ、次なる行動へと私は切り替えていく。これまでのを調査、とするならば、今度は探索、私が必要としている存在を探す為に時には前に、時にはもう諦めて帰る人を装って後方へと動き、の繰り返しの内にふっと見つけたのがその2人だった。
 その2人は決して知り合いだとか、そうした具合には見受けられなかった。ただ、この混乱の中でふと出会い、軽くやり取りを交わしている、そんな具合の男女に私はふっと近づき、それとなしに様子をうかがう。どういうやり取りをしているのか、そしてどうした反応を示しているのか、と聞き定めると導かれる結論は比較的容易である、とのもの。
 故に私は次なる段階へとまた走る、そう、軽く声をかけるのだ、差しさわりの無い、しかし今の事態に沿った内容をそれとなく話しかけると、一瞬向けられた怪訝な反応の後に、女の方が反応してくれる。仮にそこで無視されてしまえば、それは脈なし、ただの独り言程度位で終わったもの。しかし反応が返されてしまったからには、脈ありで、それこそ「自営業」たる私としてはとても無視しておける訳がなく、ある種のありがたさと共に更に声をかけていき、その内に男の反応も拾えてしまえば、後はもう私が導くのみであった。
「いやぁ、寒いですからねぇ…こう暖かいものでも飲みたいですね」
「ええ、本当ですよ」
「ああもう、つま先から冷たくて凍ってしまいそう」
「全くですよねぇ」
 一度会話の波が出来ると、その波はどうにも持続していく、あるいは持続させた方が良いと考える節は人は往々にして持ち合わせている。今回もそうだった、反応を示した2人に対して私は今の状況を脱したい、即ち、寒さから逃れたいとの気持ちを刺激する言葉を繰り返し織り込んでいき、反応がある度に次第にその度合いを深めていく様にすれば、次第にその流れに全てが載せられていく。
 およそ要した時間は5分程度だろうか、元々、私が話しかける前から2人はもう今日は電車に乗ってそれぞれの用事に向かうのは無理、と互いに確認し合っていたらしく、ただそれでもどこかに残る、若しかしたら?との思いを断ち切れずにいた様だった。
 そこで話しかけたのが私となり、その言葉によってすっかり、気持ちを切り替えられたのは明らかだった。
 だからこそ私は今、渇望されている寒さからの脱却を満たすべく、次なる一手としてそちらに関わる話を盛んに向けていく。正直なところ、ここで上手く行かなくなることも多い、しかし幸いにして今度は男の方が、それは良いと肯定し出してくれたもの。そして女も引きずられる様にそれを認めるとなれば、いよいよ、私の「営業活動」の大半は終わったも同然だった。

 彼等を連れて私が向かったのは駅からほど近い喫茶店。以前から良く訪れる馴染みの店であるから、主人もこちらの顔を知っていて、愛想よく向けてくる言葉を聞いて、連れてきた2人もどこか安堵の域息を漏らしているのが伝わってくる中、通されたのは入口から離れた奥まった場所。その半個室に近い具合に変わった構造ですね、と漏らす男に肯定を示しつつ、建物の柱の都合でこうなっていると伝えればなるほど、との反応があって少しばかり静かになる。
「今日はまだ私以外出勤出来ていないのですよ、何せ、この雪のせいでね」
 注文を取りに来ながらの主人の言葉に皆して、本当この雪は、と笑いつつ、各々の注文をする。共通して頼んだのはコーヒー、ただ女だけは小腹も空いたからと、食べ物をひとつ、ティラミスを欲しいと加える形であって、しばらくして運ばれてきたそれ等に思い思いに砂糖を入れるなり、ミルクを入れるなりしてから口を着ければ、冷え切った体にとって幸いだったのだろう、相対する2人の表情はふっと軽くなり、会話もまた弾み始める。
 そこで出たのはこの店のコーヒーは中々美味しい、とのものだった。若しテーブルの近くに主人がいたら、それはとても喜んだ事だろう。しかし、生憎その姿は奥に引っ込んでしまっているから、私が応じる。そうでしょう、ここのは特製なのですから、と。
「特製とは良いですね、ただ最近、どこの店に行ってもそう言うのをウリにしていますから、何が特製なのか、正直分からなくなりますよ」
「ええ、そうね。このティラミスも結構美味しいけど、どうしてこの味になるのか、その辺りがどの店も曖昧だから、ええ」
 フォークと皿のぶつかるかすかな音も交えつつのやり取りの内に私はふっと提案してみる。そう書くと何やら大仰に聞こえるかもしれないが、要はおかわりはいかがですか、合わせて、どうしてそんなに美味しいのか、その秘密を知りたくはありませんか、と向けた、ただそれだけの事であった。
 その途端、2人の動きは止まり、無言ながらもこれまでになく、その興味を大にしているのがありありと見えてしまえるのに、私は内心で滑稽さを強く感じてしまえてならなかった。
 ただ同時に、これでようやく舞台は整ったとも言えるところであるから、その滑稽に思えてしまったが故の思わず笑ってしまいそうな気持ちを、何とか表に出さぬ様に努めつつ、ならばと私は一気に話を進める。ちょっと待っていて欲しい、と伝えて席を外し、姿の見えない主人に失礼、と一声だけかけて厨房に入り込んである物を手にする。
 そして戻りがてら、その半個室状の席の前にあるカーテンを閉めて、簡易な個室としてしまえば、物理的な意味でも舞台は整った次第。ふっと不審がられる前に、幾らか言い含ませてしまえば、それ等に時間を取られる事もない。
「ああ、カーテンをしたのは、一応、他のお客さんに見られると悪いですからね。あと、私もここの喫茶店の運営に関わっていますから、主人も承知していますよ。それでこちらがその、秘密ですね」
 必要なのは迅速さ、適度な速さの内に相手の疑問を解決して何も言えない様にしてしまう。ここまで来たらゴールは目前、だから丁寧さも欠かさずに、まずは女性の方から勧めていく。

「これは…この瓶とティラミスがどういう関係に?」
「その中にあるフレーバーが実は、でしてね。ちょっと開けて嗅いでみてください、凄く小さな匂いで、そうです、それ位、鼻に近付けて…どうぞ」
 女の表情はまさか、との思いとこれが、との楽しみとで一杯なのが良く分かる。それをしばらく見つめて、嗅ぎ始めたのを見てから次いでは男の方へと、似た様な小瓶を渡して―この店は匂いが特徴なのですよ、特別ですからね?―と向けて、同様にする様にすれば、あとはもう私の手を離れてしまうところだろう。
 見ている前で、私が座りなおした所で先に変化があったのは女の方だった。
 元々、女の髪型は肩まで達する長めのもの、その髪が風もないのにふわっと揺れると不意にその顔を包み込んでいき、1つの、栗色の塊の様にしてしまう。その時には小瓶は机の上に落ちていた、顔が髪で締め付けられた途端に、ぶれた手中より机に落下したされを回収している間に女の顔であった丸みは手をも取りこみ、更にその黒色の面積を腕を伝って折れた肘にまで至り、ただの丸身からふっとした柔らかさのある質感へと変えていく。
 その柔らかさとは多分に水気を含んでいるもの、適度な乾燥の中にしっとりとしたものがあって、更に幾らかの色に分かれて、全身へと今や及んでいる。腰だとか首だとかの分からない大きな集まりとなって、しかし座席に腰かけた姿のままである「女」はしばらくそのまま表面上の変化以外は全てが硬直し、そしてわずかな震えと共に急速に「ヒト」としての外見を取り戻していく。
 それはその大きな楕円形にも等しい栗色の中から、まず生じたのはクリーム色だった。白に近いクリームは、均質な具合での層を形成し、場所により縦縞、あるいは横縞としてパターンを変えつつその内に顔や首、また胸を浮かび上がらせていく。
 特に顕著であったのは頭であろう、そこは髪の毛と顔自体が全て一体化したかの様な具合であって、一種のトップハットに近い形状をしているのだから。その下に現れた顔はより彫りが深い目鼻立ちをしていて、顔の部分だけはクリーム色で浮かび上がっており、こげ茶色の瞳がくりくりと動く頃になれば、その全身が全て露わとなった具合で「女」は座っていた。
「ああ、凄くいい気持ち…美味しくなりましたか?私」
 声の具合はより丸みがあるが、あの「女」のものだった。表情はより豊かになっていた。
「ええ、勿論。とても美味しそうなティラミスを、貴女を生み出せそうです」
「わぁ、嬉しい。あのティラミス、すごく美味しかったから、その私から生み出せるなんて凄く嬉しいの…こう、ですよね?」
 ふっと「女」は手を合わせる、決して直接重ねはせずに、胸元辺りの高さで向き合わせて軽く力を込める。するとどうだろう、ふっとした凝縮を示す光点がその内に生じたではないか、そして次にはその光点は次第に、光を失うと共に大きくなって、手が解かれた時にはひとつの形となってテーブルの上にある皿―その皿は女が食したティラミスの載っていたもの―の上に、彼女と同じ色合いの栗色とクリーム色のティラミスが収まっているのである。
「ええ、見事です。見た目も香りも貴女そっくりですよ、シニョリーナ」
「…ふふ、ありがどうございます」
「そして、あなたも終わりましたか?おや、なんですか驚いた顔して、ねぇ?」
 私と「女」が大いに微笑みあったところで、ふと感じる視線に2人して返せば、そこにいたのは小瓶を手にしたまま、こちらをぽかんと口を空けて見つめている男の姿だった。その姿は人のまま、特段の変化の様子はなく、恐らくは変わる前に「女」の変わり様に気付いてしまって、止まってしまったのだろう、と浮かべつつ、私は新たな誘いをかける。
「あっいや、その…美味しそう」
「美味しそう?ああ、それは良いですね、食してみたらいかがです?ねぇ、シニョリーナ、食べさせてあげては?」
「あらあら、早速は貴男ですの?全く、どうしてもと言うなら食べさせてあげますわ。ほら、どうぞ」
 男は何が何だかわからないが、刺激される食欲のままに動いているかのごとくであった。隣り合う「女」が生み出した初のティラミスを軽く拭いたフォークを使って口に運び、咀嚼する。その姿を私と「女」に見つめられている心地はどんなものか、とふと浮かべた時、その動きが止まった、そして男もまた、女が「女」となった時と同様の変化を始める。

 短く整えられていた髪の毛が不意に伸び始めて、あとは一緒だった、全身が包まれて、ただ違うのは女の栗色に対して、より薄い茶色となっていた事だろうか。またその平板だった鳩胸に膨らみが生じて、全体的に丸みのある滑らかな体つきとなる、女性的な肉体へと、色と共にすっかり変わる。そしてその姿は「女」と瓜二つであり、色の違いを見れば正しく双子か、その類と言えようものであるのは違いなかった。
「ああ、美味しい、とても」
「当然でしょう、私の生んだティラミスよ?」
「はい、とっても…ありがとうございます、お姉様」
「お姉様だなんて、もっと言ってよ、嬉しいわぁ」
 目の前で交わされる「女」達のやり取り、夢中になっている彼女等の前からそっと離れた私は、ようやく戻ってきた「喫茶店」の主人にその模様を見せる。
「おやおや、今回はどちらもティラミスかい」
「そうですね、片方はコーヒーにする予定だったんですが…コーヒーフレーバーの強くきいたティラミスになってしまったのは、ちょっと見込み違いでした」
 「女」達、ティラミス達は私達のやりとりに興味は無い様だった。どちらが姉で妹か、そちらの方にずっと夢中との具合であって、どこか単純であり、純真である姿に私達は静かにやり取りを重ねる、彼女等を今後どう扱うか、それこそが「自営業」たる私の仕事の仕上げであり、そこから報酬を得ているのだから真剣に交わしてしまう。
 結論としてその商談は何とか成立した、と言えよう。ティラミスとコーヒー、その通りに出来なかったとは言え、「ティラミス」自体が需要があるのだから何とかなるだろう、との判断を下した主人に私が大きく頭を下げたのは言うまでもない。そして受け取るべきものを受け取ったなら、私は「ティラミス」達を主人に引き渡してその喫茶店を後にする。
「また頼むよ、ああ、ほら、じゃあこちらに来いよ、ティラミス達」
 出て行き様、主人の声にふと振り返るとすっかり話に夢中になっていた彼女等は、ティラミスとはっきり呼ばれて店の奥へと連れて行かれるところだった。そしてそれ以外に人の姿は店にはなく、気付けば扉の所には準備中との札が下げられている始末。
 外は相変わらず曇っていたが、雪は止んでいて、道もある程度の除雪が済んでいた。戻りがてら通りかかった駅前もすっかり混乱は解消していて、ただ車だけが慣れぬ雪道にゆっくりと走っている以外は、比較的平穏な空気に包まれていたと言えるだろう。
 そんな中で、駅を発着する電車を眺めながら、私は大きく体を伸ばす。これでしばらく、またのんびりと生活出来るな、と思いつつ大きなあくびを漏らす。

 雪のもたらす混乱と寒さに耐えられない人々の中から選ばれて、双子のティラミス娘と化した男女達がどうなるのかは私は知らない。引き渡した先である「喫茶店」の主人ならばもっと知っているだろうが、恐らくは需要家の元に出荷されて、どうにか使われるのだろう、とキオスクにて買い求めた新聞をぱらりと開いてから浮かべる。
 最近は変な事件や失踪が多い、いやずっと前からだろう、と目に付いた事件の中からかつて私が送り出した、と思しき存在―世間ではそれを「怪人」と呼ぶ―が起こした事件に関する記事を読みつつ、ふっと顔を歪ませる。それもそのはず、何せヒトを「怪人」にするスカウトたる「自営業」を勤める身としてこれほど嬉しい事はないのだから。まるで何かのレースに自らの所有する馬が、あるいは整備に関わった車が勝利した時、それに通じる感覚と言えるだろう。
 踏みつける足元の雪は昔にいた地方と比べたらずっと容易いもの。しかし明日以降はしばらく凍るだろう、と見ながらの家路の時刻はちょうど15時を回った辺り。あれだけティラミスを前にしたばかりと言うのに、今度は自らも食べたさをふと浮かべてしまった、そんなティータイムの頃合であった。


 完
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