からだのいろ冬風 狐作
 色の組み合わせと言うのはとても面白いものだと、僕は思う。ただ、単色だけでは生まれない組み合わせの美とも、あるいは彩とも言えよう、それは見ていてどこか微笑ましくなってしまうし、そして何時しか、それが欲しくてたまらないのだ、と気付いたのは一体何時の頃だったろうか。
 もう相当に昔であったのには違いない、しかし何時抱いたのかよりも肝心なのは、その思いが今に至るまで維持されている事。それがつい先日、ふと立ち寄った先にて見かけたものにより、ふっと沸返り、そしてどうしてもいられなくなってしまった。そしてついに、その先に手にするとの形で具体化する流れこそに意味があるのであり、故に僕は今、とても興奮しているのに違いなかった。

 夕暮れ時の帰りがけの電車の中で届いたメール、それは宅配業者からのものだった。
 内容は簡単な物、僕宛の荷物があり、それを届けに行ったが預かっている、との短い、再配達についての案内のメール。ただ、そんな一言で済んでしまえうるものであるが、その時の僕には違った。最初は疲れた頭でぼんやりと書かれている内容を幾度もなく見つめた後、止まった電車の揺れに続いて伝わってきた開いたドアから、ふっと外に飛び降りれば、早速、そのまま電話をかける。相手方へと電話かつながったのが分かるが早いか否か、直接引き取りに行きたい旨を電話口の先へとやや早口で伝えてしまう。それがセットの流れだった。
「…ああ、その荷物でしたら、今し方、営業所に戻ってきておりまして…」
 そんな早口を聴き取ってくれた担当者は、更に僕の気持ちを走らせる言葉を伝えてくる。不在で受け取れなかった荷物が営業所に戻ってきている、と知れた途端、即座に脳裏には返す言葉が浮かんできて、僕は勢いのままにそれを投げ返す。
「戻ってきてるんですか?それなら、今から取りに行ってもよろしいでしょうか?」
「あっはい、対応出来ますよ。ただ営業時間があと1時間位ですので…お時間は大丈夫でしょうか」
「時間、えーと営業所の場所は…」
 飛び降りた駅は主要駅の間にある小さな駅。時折来る通過電車の音に掻き消されながらも何とか、話をつけるなり、僕はまた電車へと乗り込む。
 幸いだったのは自宅の最寄駅よりも、飛び降りた駅の方が宅配業者の担当する営業所に近かった事だろう。つまり、最寄駅であれば通り過ぎてしまい一旦戻る羽目になってしまったのだが、再び電車へと乗り込んだ駅から見れば、その場所は数駅先。そう、進む方角沿いにあり、かつ、駅からそう遠くない場所にある、と知れた途端に僕のテンションは一種の安堵と共により盛り上がってしまったとの訳だった。
 だから電車から降りた足でそのままに改札を駆け抜けたもの。横断歩道の赤信号が早く変わらないかとヤキモキし、宅配業者の受付の扉を開けた時の表情は一体どんなだったのか?今になってふと思い返すと、どうにも恥ずかしさがこみあげてくる。変にハイテンションではなかったか、そう思い返すとどこか担当者を急かしてしまっていた様な、と浮かべつつも、今手元にある箱の重さを意識を向ければ、それらは全てなかったも同然としか言えない。
 とにかくはこの為に、今、この時間に、こうして手にする為には致し方なかった事なのだ、との思いで一杯になってしまえば忘れられてしまえる。だからこそ封として機能しているテープに軽い切込みを入れて、一思いに引っ張れると言うもの。もう構わずに開いて、わずかに力が抜けた瞬間にふっとした鼻に着く、しかし心地よいと感じられる臭いが一気に漂って来て、また意識は刺激されたのだった。

「ああ、やっと届いた。これだよ、うん…頼んで良かった、待ったけど」
 しっかりと包装された段ボール、テープと共にその上から一種の封印して機能していた宛名の記載された伝票を力任せに引き裂いて、開いた蓋の中から取り出したのは油紙で包まれて、その上から十字に固められた柔らかい代物だった。
 前述した臭いはその中から漏れている。仮にこれがしっかりとしたビニール素材で閉じられていたなら、その臭いは、このまだ包まれていると言える段階で漏れていなく、僕もまた、まだ幾分は落ち着いた心地でいられただろう。しかし、現実には酷く匂いが漏れていて、それは大いに僕の鼻腔へと届く。こんな状態で落ち着いていられようか?ただでさえ、はやる気持ちは今や心臓の鼓動を高めてすらいて、もう耐えられなかった、落ち着いてなぞ、好みと感じる臭いの前ではいられない。
 しかし、幸か不幸か、ふとした冷静さがここで僕の心を包む。少しばかり、ほんの少しだけのブレーキが、僕に一拍を置かせてからその結び目を丁寧に解き、油紙をより丁寧に開かせる余裕を与えたもの。だからこそだろう、ようやく現れた物体に僕は思わず口から歓声を漏らしては、そのまま大きく息を吐いてしまえたのは。
 もし仮に、最初のペースのままであったら、この感動は勢いの中に呑まれてしまって、今ほどは恐らく味わえなかったかもしれない、とその時になって僕は後からの予感をしてしまえたものだった。
 何故なら、丁寧さを欠いた拙速さから、鋏等で思いっきり縛る十字の紐と包んだ油紙を破いてしまっていただろうし、最悪にも、その勢いが誤って大事な中身を傷つけてしまっていたかもしれない、と手にした物体の感触を味わいながら浮かべてしまった時には、ほんのり背筋に冷たいものを当たられているかの様な、そんな心地にすらなってしまえる。
 だから、そんな一休息を置いてから僕はその代物を大きく広げた。それまでは畳み込まれていて両手の上に収まる程度であったそれは、今や床の上に大きく広がり、おおよそ人の背丈に等しい。
 最も、それは当然であろう。何故なら、これは僕の背格好、そのままに作られている物なのだから。むっと漂ってくる、濃厚なそれはケミカル、とも評せられるもの。
 より特定するなら、ゴム臭い、それが最も一般的に近い表現だろう。だがより相応しいのは、ラバー臭い、であると僕は敢えて言いたい。ラバーとはこの物体を構成している素材の事、故にこの物体、傍らに転がる千切れた伝票には「衣類」と記載があるそれは、スーツ、即ち冠してラバースーツと呼ばれていて、身に纏うのがその「用途」である。
 しかし、ここまでの説明の通り、それが一般的な衣類ではないのはうかがえるだろう。それはその特有の臭いを発する素材たるラバーの時点で大いに言えるのであるが、より、そうであると印象付けてくるのはその色合いではなかろうか。およそ、とても衣服とは思えない色の組み合わせ、また配色は、色だけで示すならばそれは茶色、白、そして黒と、とても鮮やかであり、光沢感が濃厚にある。それから浮かぶ身の回りにある物となれば、エナメル製の鞄だとかの類であって、矢張りどうしても衣服とは結びつかない代物であった。
 そんなモノ、ラバースーツを僕はわざわざ手に入れたのである。それも自ら欲して、己が昔から抱いている色合いに対する気持ちを一気に解決してくれるモノはこれしかない、との確信の下で取り扱っている業者にアクセスをし、幾度かのやり取りの後で実際の体のサイズを自ら測って送り、としたのは大体数ヶ月ほど前の事だった。
 「注文が集中しているので、製作にはしばらくお時間がかかります」
 そんな一文が最後に届いたメールにあったのを見た時、少しばかりの落胆をしたのは今更ながら振り返れるものだろう。ただ、時間がそれを忘れさせてくれた。まるでそんな自らを分かっているかの様に急に流れが速くなる、色々とする事が増え、それ等に追われつつもこなしていく内に、何時しかその落胆と共にある今か今かとの気持ちはふと忘れられてしまえてもの。だからついに今日の、先ほどのメールに始まる、今に至るまでの流れにふっとつながるまではどこかしら忘れていたとしても過言ではないだろう。

 正に、こうなるべき、かくあるべき、と誰かに示されたかの様だ、と僕はこの時ほど、これまでに思った事はなかった。だから、この今を逃してはならないとの思いが更なる行動へと僕を突き動かす。
 ラバースーツはひとまず、そのまま広げたままにして、帰宅して以来の衣服を脱いで湯浴みをして体を清めへ行く。清めている間はどこかしら上の空で、気がすっかり緩んでしまったのによし、と自らに言い聞かせる様に一言漏らして浴室を出れば、途端に、真新しいラバーの臭いが、湯浴みによって整えられた鼻腔から脳裏へと届く。結果、もたらされたのは気持ちの高まり。これを予期していたからこそ、風呂場の中で気が緩んでいたのかもしれない、と浮かべつつも何とか抑えつつ水気をふき取って、ようやく戻ってくるまでにはおよそ15分位要したものだろう。
 体は先ほどと違って暖まり、気持ちはより穏やかに、しかしいよいよとの一面からの高鳴りがそこではなく、脳裏、特に後頭部の辺りを疼かせて仕方なかった。そんな中で改めて、手にしたラバーの触感はとてもたまらず、微笑みとなって表に出てしまう。ふっと裏返すとそこには背中側にまっすぐに引かれたチャックがあり、その持ち手を引けば、内側からのより濃厚な香りが向かい合っている僕の全身へと流れて包んでくれ、ある種の納得を僕に抱かせてくれる。
 そう、時は今であった。僕は、素の姿のままにその中へと足に腕、また顔を入れていく。実の所、このラバースーツはただラバーだけで出来ているのではない、ある種の構造物が幾らかの部位の為に組み込まれているのである。おおよそ、それは顔と尻尾にあたるところ。故に箱から取り出した際にも純粋に、単なる反物の様に折りたたまれていた、となるのは相応しくなく、その顔や尻尾にあたる「硬い」部位を包む様に畳まれていた、となるが正確であろう。
 最もそれすら、今となってはどうでも良い事でしかない。動きこそが肝心である中では、単なる振り返りとしかならず、僕はその中に芯となる我が身を沈めていき、すっかり何とか収めきったら腕をぐっと回してジッパーを引き上げてしまう。それは最後こそ少しばかり苦しかったが、何とか引き上げ切れば完成なもの。
 途端に暗がり気味な視野より、再び見え始めた見慣れたはずの部屋すら、その暗さと共に在る狭さ故にどこか新鮮に見えてしまえる。そんな中で動くのはまるで生まれ落ちたばかりの様な感覚、少しばかり言い過ぎかもしれないが、それに相当するのは違いないと、鏡に映る姿を見て、それをより確信されたものとしてしまう。
 鏡面に写るのはヒトの姿、ではなかった。確かに、背格好はどこか見覚えがある「ヒト」にこそ通じている。しかし、その体表に載って、彩っている色は違う、複数の色がそれぞれにあるのだ。
 特に多くあるのは光沢感のある茶色に白に黒、腕に脚、顔に胴の大半は茶色に、腹部にあたる側の胴体から首下にかけては白、そして目元と脇腹にあたる部位には黒い筋が長く幾らかの幅をもってある、それが「ヒト」の色だろうか?
 ヒトならばその体は生まれつきの皮膚の色で、大体はそれは単色である。また髪の毛なる毛皮もどきにすらならない惨めなものがあり、更に滑稽なほどに無防備に晒された器官が幾らかある。しかし、今、鏡に映っている姿にはそれ等が無い、複数の、三色によって覆われた全身、髪の毛の部分には茶色とぴんと立った耳、何より軽くくねりながら伸びた「ツノ」がある。
 当然ながら無防備に晒された器官はとても見当たらない、全てが三色の光沢の内に閉じ込められていて、時折、特に浮かび上がっている以外は全て閉じ込められていて、適度な圧迫感が僕の全身を包んでいる。そして鼻腔には濃厚なラバーの臭い、いや芳香がむわっと香ってきて、脳はすっかり、圧迫感と嗅覚、このふたつによってもう「ヒト」としての認知を放棄している。「ヒト」ではないのだ、と強く認識する力が働き続ける。

 では何者なのか?否、ナニなのか?その問いかけに僕は、私はラバースーツ、ラバー、いや、その模っている存在でもある「ヒトの形」に近しい「ガゼル」であるとの認知を強めていくしか出来なかった。
 どうしてガゼルなのか?それは包まれている僕からしたらもう、意味を持たない。しかし敢えて触れるなら、ふとした事で訪れた動物園、そこをなんとなしに歩いていた折に、ふと見かけた一角にて遭遇したからに過ぎない。
 そもそも動物とは色合いに富んだ存在。その毛皮とは様々な色から成るのが大抵であって、以前から大いに好んでいた中で、ガゼルにそこまで時めいて、反応して、纏うラバースーツを手に入れるまでに至ったのか、合理的な説明等出来ないし、不可能であろう。
 何せ、単にそこで目に留まったからであるし、かつ、気持ちを動かしたからでしかないのだから。もしそれが虎であれば虎柄、また鳥であれば―例えば丹頂鶴、ならばその柄を取り入れたに違いない。ただ、今回ばかりは、否、我が色に相応しい、と思えたのがガゼルであった、ただそれだけの事なのである。
 僕はこれほどまでに満たされた気持ちになった記憶はなかった、だからこの気持ちが解けないかと不安になる余り、幾らも、幾度も鏡の前で思わず全身を撫で回し続けてしまう。そしてその鏡に映って返ってくる姿を我が身に見せつけるかの様に姿勢を正したり、の繰り返しは時間とは最早無縁のまま、切り離された動きとしか見えなかった。
 正に長年の溜まりに溜まっていた思いの発露の内に僕は、ますます私として、私は「ガゼル」の色を我が体の色として認知を深めていく。
 もうこの先の事なぞどうでも良く、この「色合い」こそが大事。この為ならば、この茶と黒、そして白の「ガゼル」でいられるならば私として全てが壊れてしまえばいい。
 その思いはとても衝動的で、ますます我が身に認識を満たしてくれて染めてくれる内に、失われた時間はより夜として次第に深まっていく。ただの1頭の色に魅入られ染まるを望んだ「ガゼル」の意識を固めるには、それはもう満足なほどのゆったりとした時間の粋な取り計らいであった。


 完
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