我とお主のふたり旅 冬風 狐作
「ああ、お客さんだけですよ、今日は。途中からも乗ってこないと思うから好きにしていて下さい」
 それは乗り込む時に運転手からかけられた言葉だった。都市と都市を結ぶ長距離高速バスに乗り込む時のやり取りであった。
(本当に僕だけみたいだな…)
 ふとした用事があって数日前に予約したその高速バスは、発車する時間帯がイマイチなせいか、余り利用者の多くない路線とは以前から知っていた。しかし幾度か使ってきた中で利用者が僕だけ、と言うのは流石に初めて。だからふとした驚きを感じつつ、予約リスト―ちょうどその時、僕が手にしていた大きな荷物を運転手が荷物室に仕舞っている最中だった―を見ると、なるほど、そこには確かに「僕」の名前だけあって、他は全くの空欄である。
 白い紙の上には日付と便名、そして利用者の名前を書き込める欄が複数設けられているのだが、その欄の部分には僕の名前以外はただ欄が設けられているだけであって、逆に何だか申し訳ない、そんな気に奇妙な心地にすら一瞬ならざるを得なかった。
 とは言え、いざ乗り込んでしまえば気楽な気持ちに変わるのだから、何ともご都合がよろしいものだろう。40名近くが本来なら乗れる空間には僕ただ1人、運転手は一段下がった運転席で「僕の為に」ハンドルを握っているのを考えれば、それはしばしの「贅沢な時間」以外の何物でもなかったのだから。

 早めの夕飯をさっと食べた流れで催した眠気に身を任せてから、目を覚ましてもバスはまだ目的地に到着していなかった。それは決して遅延しているとかではなく、そもそもそう言うものなのである。
 バスは半日近くかけて目的地まで直行する。もし新幹線とかを使えばその半分程度の時間で行けるのは承知している、にも関わらずバスを選んだのは時間に余裕があるから、つまり余分にお金をかけて急いでも余り利するところがない、ならば時間はかかるけども安いバスにしよう、加えて途中での乗り換えもいらないのは便利、そんな複数の考えによる選択の結果でしかない。
 だが僕はある友人、それは結構親しい相手なのだが、彼にこう言われた事がある―荷物が多いなら値段も大差ない普通電車を乗継ぐ方が良いんじゃないか?―と。確かにそれは一理があった、前述した様にこのバスは出発する時間が悪い。もう少し遅くに出発する普通電車に乗り込んで、途中で1度か2度乗り換えればほんの少しあちらの方が早く着くものだし、何より人身事故とかがなければ基本時間通り到着出来るのは大きな強みであった。バスは渋滞にはまる確率は高いものだし、実際、それで2時間ほど遅れた事も経験上ある。
 しかし僕がそれにも関わらずバスを使うのはどうしてなのか?普通電車の方が同様な条件で色々と有利にも関わらず、利用しないのには複数の理由に含まれる、まだ明示していない理由があるからであった。
(んん…痒いな…)
 それは大体唐突にやって来る。こちらの意図が及ばない類の物であるから、何とも厄介なそれは「痒さ」であった。
 最も唐突と言えど、ある程度の法則は掴めている。それは大抵の場合、一定の時間、動かないで座り込んだり寝ている、そう言う時にかなりの高確率で催される。そしてそれは思わず身悶えするほどの強烈な「痒み」であって、今ではある程度神経が慣れたのもあって、以前よりは耐えられる様にはなったが、それでもちくちくとした軽い痛みを伴うそれは、可能な限り御免被りたいものであるのは言うまでもない。
(…まぁ大丈夫だよね、うん…)
 痒みが生じている場所を服の上から撫でて確認しつつ、僕はほんの少し腰を浮かせて車内を見渡した。改めて車内、特に客席部分には僕だけしか居ないのが見てとれる。運転手にしても先ほどの渋滞で生じた遅れ、更に振り出した雨に神経を集中させているであろう、と推測出来る、そんな具合であった。
(…バスのトイレは狭いからなぁ、うん、大丈夫だよね)
 そう思うと僕はふっと息を吐きながらベルトを緩める。一気に腰周りの圧迫感が消えて、痒さがほんの少し緩和したのも束の間、服からの圧力が無くなって毛の位置がずれた事により生じた新たな痒みが脳天に伝わり、まるでそんな対処療法は意味が無いぞ、と痒みに諭されているかの様な妙な気分にさせられてしまう。
 そうなるともう後は徹底して処置をしなければならない、ベルトのバックルを完全に外し―その時に軽い金属の音が響いたが、車両後方に陣取っている、そして雨音もあって運転席には届いていないだろう―、ズボンのフックを外してチャックを下ろすと一思いに、前の座席の下に足を突っ込ませてからパンツごと下ろす。そしてシャツも幾らかボタンを外してしまえば、痒さはかなり緩和される。そして今度は視覚的な刺激を僕の瞳は捉えるのだった。
 それは今、あらわにした体を覆い尽くす逆立った無数の「毛」であった。毛、と言っても柔らかさよりも硬い印象をどうしても受けてしまえる類であって、それぞれが長くふと手を置けばわずかな刺さる感覚と共にずぶっと手が沈む、そんな具合のもの。それがすっかり股間から胸、そして足をすっかり覆っているのがはっきりと分かる。それは髪の毛とも質の異なる「獣の毛」であるのは最早分かるまでもない、僕の中での常識だった。

(はあ…今日は誰もいなくて良かった、それにしばらく休憩まで時間もあるはずだし…っ)
   僕は改めて安堵の息を漏らしつつ、その「獣の毛」に覆われた体を撫で始める。ゆったりと掻き分ける様に体の筋に沿っ指を走らせては、その都度漏らす息の量は増えていく。何故なら、それだけ、すればするほど体が疼いて、そして毛に包まれていくのだから。
 それは―決して性的興奮とかではない―疼き。体の芯にいる何かが酷く落ち着かなくなっていって、腰がすっかり半ば浮いた時にはもう手遅れ。そう、そこには尻尾が、座席と尻肉の間に挟まれていて、股間に挟み込む時の刺激がまた疼きを酷くさせて、結局、体の芯にいる存在の全てが間も無く全て体の外へと出てきてしまう。
(んん…んはぁ…っ)
 息を漏らしつつも、声にはしない、喘ぎ声にもなるべくしない。普段であればついつい出してしまいがちなそれ等を堪えたのもあってか、今回の痒みがようやく収まった時には何時もの数倍も何だか感覚が鋭敏になっている、そんな心地にすらなる。
「やれやれ…」  少しばかり高くなったトーンで漏らす声の出る口は黒く、そして妙に白い歯を有する姿へと変わっていた。
「一体これは、本当どうしてなんだろうねぇ…」
 頭を掻く手もすっかり毛に包まれている、金色に近い白色で手首を過ぎた辺りからは今度はより白さを増した、そう言う毛並みへと細やかな色の変化を経る毛にすっかり包まれていて―その時には上着もすっかり脱いでしまっていたから―ほぼ全身がそんな具合だった。頭に今一度注目すれば、そこには三角形にぴんっと立った2つの耳が脳天の両脇に対となって存在している。
 顔にしても口元がツンッと前に突き出ていて、口の微細な動きに合わせて髭がそよぐ姿は何とも優美。何より注目すべきは胸の双球だろう、たわわとまではいかないにしても程好い形にたたえられている。そして極めつけは尻尾である、今や尻の下に置いておくには収まりきらなくなったそれは荷物をどかした隣の座席の上に広がっていて、ただの1本、否、一尾でなしに複数の尾となっているのが目に留まる事だろう。

 最もそれは見る者がいたらの話である、現実問題としてその様な者はいない。唯一可能性があるのは運転手位だが、盛んに高速道路を飛ばしている中ではそれも無理だろう。しかしカーテンは開いていて、明るい。
(…くく、すまんのう。折角の富士を前にして堪えているなど出来なかったのだ)  しかしそうであっても外から見ようとしてもその姿は見れなかったに違いない、少なくとも外から見ている者の目に映るのはぼんやりと車窓を眺めている「僕」であった事だろう。
(ああ、もう…場所考えて下さいよ、気持ちは分かりますけど)
 この「獣の毛」に覆われ、更に頭や顔が変わり、更に尻尾まで生じた姿がどうして見えないと言うのだろう?その鍵を握るのは今しがた、話しかけてきた、いかにも愉快でならない気配を湛えた「彼女」なのであろう。
 そう言う予感を抱くにも関わらず、「彼女」は一体何なのか、そしてどう巡りあったのか、それは分からない。幾ら振り返っても分からないが「彼女」が僕の中にいるのを考えると、元から共にいたのではないかと言う心地にすらなりつつ、ただ「彼女」がもたらしたこの姿が「狐」―それも妖の類―である事だけは強く、疑問の余地なしに認めてしまえる。だからカーテンを開けていても平気なのだと、根拠もなく、強く理解出来てしまえる。
(ほう、前に比べたらずっと素直になったのう。しかしまだまだ文句を言うところは「僕」じゃな)
(うう…とにかく富士山が見たかったなら、もうそろそろ見えなくなりますよ?)
 僕の述べた事実に対して返ってきたのは軽く叩かれた様な、そんな刺激であった。
(たわけ、まだまだじゃ…富士は見えなくなろうとも、ここは富士に通う気の満ちる土地。存分に堪能するのみじゃ)
(…目的地に着く時までは戻ってくれますよね)
 僕は半分溜息を交えて重い具合に返した、すると答えはない。ただ静かな笑いだけが湛えられているのがありありと感じられて仕方ない―これは「ノー」を意味する―それを僕はすっかり認識して、黙り込む。
(何、気にするでない。そもそもお主は気にしすぎじゃ、我がこの姿を俗な人間共に晒す訳がなかろう…そもそもお主と我は同一であろう?己の姿に自信を持たずしてどうする、全く、服なぞ不要じゃ)
 論点がどうにもずれるのも、最早慣れているから僕は敢えて答えなかった。もう、そうするのが最善であると知っていたからでしかなく、かつそうするのがとても「楽」であるのを覚えていたからだった。
 そうしている内に、今日、僕はどんな服を着ていたのだったろう。脱いだ服はどこに行ったのだろう。との奇妙な心地に包まれて何もかもを「彼女」に委ねられる安逸さは、何にも勝る至福の時間であったのだから。
(そうじゃ、そうであろう?ほれ、我はお主であり、お主は我、つまりお主は我の一部…全てを委ねるが正しい道じゃ)
 そしてそれはこうなる度に届く、刻み込まれる響きであった。我はお主の悩みを皆解決してくれよう、患う病も、迷い事も、何もかも、解いてくれよう、そして我に溶けて行くが良い、と続く時もあったが大抵そこで記憶は途切れる。
 ただ言えるのはそれは途絶ではない、と言う事。そこから再び醒めた時、僕は何れにしても「痒み」を生じる以前の姿となっている。かつ、その時にしていた事は何もかも良い具合に仕上がっていて、己と、もし周囲がいたなら、全てが大体において満足感と達成感にこの上なく包まれたベストな状況になっている、あるいは段取りがついている等、そう恵まれているのだ。

「間も無く終点の…」
 今回は目覚めると共に流れた到着のアナウンスだった。程好く眠ったらしい体には心地良い暖かさと緩さが満ち満ちている。そんな中で僕は腰を半分浮かせて体を解す、軽く乱れた着衣を正しては、高速バスが止まるまで続くしばらくの車窓眺めて過ごし…ふと胸に芽生えつつある柔らかさにふぅっと微笑みながらの息を漏らす。
(…どれ位、膨らんできたかな…)
 そこには早く胸の柔らかさを確かたくて今にも溢れそうな想いを胸中に抱く「僕」の姿があった。それはずっと前からそうなるのを願って期待しているかの様な暖かさと深みを伴った、全く疑う余地の無い、切実な「常に」抱いてきた想いであった。


      完
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